青い鳥:重松清作品初のヒーロー教師は格好良くないけど…

6月に入りました。今年ももうすぐ半ばにさしかかる…だと…?時の流れは早いなあ。今日みたいに湿度の低い晴れた日は気持ちいいのですが、もうすぐ梅雨突入ということで、湿度はどんどん上がっていくんでしょうねえ。

本日は重松清の「青い鳥」です。少年少女の瑞々しい感情を描かせたら実に達者な重松清が、文庫版あとがきで「初めてヒーローの登場する物語を書きました」と言っています。ヒーローは中学教師!!

中学教師のヒーローというと、真っ先に思い浮かぶのはこのお方。そう、坂本金八先生です。え?若すぎる?でも「3年B組金八先生」の第一シリーズは1979年ですからね。37年前なら武田鉄矢だってそりゃあ若いですよ。まだ若干30歳ですから。

当時金八先生を「理想の教師」とする風潮は結構強くありました。そもそも自分語りが大好きだった武田鉄矢は、この役を契機にやたら説教するようになりましたね。金八先生の説教ということで、世間もやたら拝聴姿勢になっちゃったのもいけなかった。実はこの人、人格者でもなんでもないんですよ。まあ人をディスるのはこのブログの趣旨とは違うので、興味のある方はググってみて下さい。

まあそもそも演じた役=本人のキャラと勘違いする方がいかんのでしょうね。「理想の母親」を演じてい、私生活もそうなんじゃないかという幻想を持たれた三○佳○が、とんでもない馬鹿息子を甘やかしていたという話もありました。プロレスでもヒール(悪役)の方がナイスガイだったり、ベビーフェイス(善玉)の方がクズな性格だったりするという話を聞きますが、俳優だって声優だって、「演じた役=本人」という間違った認識は持たないようにしましょう。

おっと話がずれてしまった。武田鉄矢はともかく、金八先生は確かにヒーローでした。しかもあんまり格好良くない。本作の村内先生は、金八先生に輪を掛けて格好良くないヒーローなのです。

「青い鳥」は2006年から2007年にかけて「小説新潮」に掲載された連作短編です。単行本は2007年7月20日発行。新潮文庫の文庫版は2010年7月1日出版です。例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。

村内先生は、中学の非常勤講師。国語の先生なのに、言葉がつっかえてうまく話せない。でも先生には、授業よりももっと、大事な仕事があるんだ。いじめの加害者になってしまった生徒、父親の自殺に苦しむ生徒、気持ちを伝えられずに抱え込む生徒、家庭を知らずに育った生徒──後悔、責任、そして希望。ひとりぼっちの心にそっと寄り添い、本当にたいせつなことは何かを教えてくれる物語。

小太りで、髪も少し薄いという風采のあがらない村内先生ですが、なによりも国語教師なのにきつい吃音症を抱えています。かつては「どもり」と言いましたが、特に近年は差別用語や放送禁止用語とみなされているそうなので、当ブログでも「吃音」としておきましょう。

吃音の程度や吃音を起こしやす言葉や場面には個人差がありますが、吃音症が原因が今なおはっきりしていないため、万人に効果がある決定的な治療法はない状態です。村内先生の場合はタ行とカ行、それに濁音を上手く発音することができません。

治る見込みもはっきりしない吃音症を抱えているため、村内先生は「大切なことしか言わない」といいます。顔を真っ赤にして、つっかえながら汗びっしょで言う村内先生のセリフは、それだけに真摯で、荒れた生徒や頭の固い教師の心にも響くものがあります。

村内先生は常に代打教師で、休職中の先生の代わりにやってきて、その先生が復帰すると去って行きます。が、誰からが呼んでいるんじゃなかろうかと思えるほどに、問題を抱えた生徒と出会って、彼や彼女が大丈夫になるまで寄り添ってくれるのです。一応年はとっているようなのですが、年齢の住所も不明で出現先もしばしば変わる不思議な村内先生は、実はファンタジーな存在なのかも知れません。

村内先生が救うのは、場面緘黙症で言葉が出ない女の子や、衝動的に担任教師をナイフで刺してしまった男の子など、相当に深刻な悩みを持つ子から、父親が交通事故を起こした女の子や、自殺未遂まで引き起こしたいじめに荷担してしまったことに苦しむ男の子など、傍目には苦しんでいることも判りがたい子まで、様々です。

正直第二話のナイフで担任を刺した少年は理解不能です。その後カエルを100匹以上殺していることろが不気味で。お前だって虫を殺すだろうと言われれば、そりゃあ家の中で蚊や蠅やゴキブリを見つけた日には極力殲滅しますけど、特に何の害もないカエルをねえ。もちろん脊椎動物はダメで無脊椎動物はいいとかいう訳じゃありませんが、高等動物って殺すのにためらいないですか。もちろん食べるためとか正当防衛・緊急避難という場合なら話は別ですが、戯れに殺したいとは思いませんね。

私が好きなのは第七話の篠沢涼子。♪恋しさと せつなさと 心強さと~って、それは篠原涼子や。この子は特に何か悩みを抱えているというのではないのですが、小学校から大学までエスカレーター式の名門お嬢様学校に通っていて、その狭い世界が息苦しくて仕方なく、あえて外部の高校を受験しようとしています。

エスカレーター式の学校自体、私は行ったことがないのですが、「見栄講座」とか「きまぐれコンセプト」で有名なホイチョイプロダクションは小学校から大学までエスカレーター式の成蹊学園の出身だそうです。ここは共学ですが。

フィクションでよければ、近そうなのは「マリア様がみてる」のリリアン女学園でしょうか。「マリみて」の、ああいうソフト百合の世界は、見てる我々からすると非常に心地よいのですが、そりゃあ世の中いろんな人がいるので、校風が合わないと苦痛でしょうね。

多分「進撃の巨人」なら真っ先に調査兵団に入っちゃうタイプの篠沢涼子にもなぜか村内先生が接近します。そしてナゾナゾをだしてくるのです。教壇と黒板のある方向は?と。

村内先生には、もちろん外部受験を止める気はなく、「正しいこと」と「大切なこと」は同じではないということと、大切じゃないけど正しいことや、正しくないけど大切なことはあるけど、大切じゃない大切なことはないということを伝えます。村内先生は正しいことを教えるために先生になったのではなく、大切なことを教えたくて先生になったのです。

篠沢涼子についてはそれを判って貰うだけで良かったのですが、「間に合って良かった」と笑う村内先生。もうどこへ行っても大丈夫だと。ちなみに教壇と黒板のある方向は西が正解です。全国どこでも教壇は西にあると。日本中の学校で生徒達は全員西を向いて授業を受けているんだと。

しかし…お言葉ですが、全部じゃないことを私は知っていますよ、村内先生。全部西向きにしたいのはやまやまかも知れませんが、校庭が狭いとかで物理的に無理な場合があるのです。特に都市部では。私の住んでいた鬼の哭く街・A立区もそうでした。校庭が狭いんですよね。

その場合、校舎は南に折れ曲がります。西向きの教室がその流れで南に折れると、折れた部分では南向きになるのです。そして私は南向きの教室で学んだ経験があるのです。つまり、世の中例外というものは必ずあるんだという、これも「大切なこと」じゃないですかね。これを篠沢涼子が知っていたら、村内先生をやり込められたかもしれないのに、多分名門お嬢様学校の校舎は折れ曲がっていなかったんでしょうね。

エスカレーター校にはエスカレーター校の良さがあるんでしょう。それは否定しませんが、私もおののき、怖れ、うちひしがれながらも未知の世界に踏み入るタイプだと思います。そういう意味でこの子の凜々しさは大好きで、強いシンパシーを感じたのでした。

なお2008年に映画化されています。全編ではなく、表題作「青い鳥」を映画化したもので、村内先生は阿部寛。極度の吃音症というところは同じですが、阿部寛の村内先生じゃちょっと格好良すぎじゃなないかしらん。阿部だけに、ウホッ!いい男になっちゃいますよ。これじゃ本当にヒーロー教師だ。

ちなみに「青い鳥」は当然メーテルリンクの童話劇からきている訳ですが、「銀河鉄道999」のメーテルもメーテルリンクに由来しています。そう、「銀河鉄道999」は鉄郎が「青い鳥」を探す旅を描いているのです。鉄郎にとっての「青い鳥」、それは永遠に生きられる機械の体だと彼は思っていましたが…

なお、重松清自身が吃音症ということで、村内先生は彼自身をモデルにしているのかも知れません。吃音症を抱えながら教員免許を取り、でもコンプレックスに押しつぶされて教職を断念したそうですが、村内先生は、ありえたかも知れないもう一人の重松清そのものなのかも。

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