日本史の謎は「地形」で解ける:「下部構造」からという新視点での謎解き

今日は雨模様。三月の風と四月の雨が美しい五月を作るといいますが、五月だって雨は降るわけです。五月の雨は何を作るんでしょうね。夏の暑さ?

本日は竹村公太郎の「日本史の謎は『地形』で解ける」を紹介しましょう。竹村公太郎の本は初めて読みました。

竹村公太郎は1945年10月12日生まれ。東北大学大学院修士課程を修了後、建設省(現国土交通省)に入省し、初代の国道交通省河川局長を勤め、2002年に退官しました。官僚時代から「島陶也」名義で建設関係業界紙を中心にエッセイを連載していました。

本書の「はじめに」でも触れられていますが、中部地方建設局河川部長在任時は、当時問題となっていた長良川河口堰建設問題で、ジャーナリストや知識人を相手にその必要性を説いていたそうですが、当時保有していた同局の全データを、パネルを用いて公開に踏み切ったり、河川局長在任時には朝日新聞のコラム欄「窓」の「建設省のウソ」におけるデータ等に対して、公開質問状のやり取りをインターネット上で全文公開し、物議をかもしたりしました。官僚としてはかなりラジカルな人だったようです。

現在は財団法人リバーフロント整備センター理事長、日本水フォーラム代表理事・事務局長を勤めています。専門は、土木工学(特に河川)です。主に下部構造(土木に関するインフラ)を中心に、日本史や世界史の仮説を立てており、「インフラ(社会資本)の論客」として注目されています。

本書はPHP研究所から出版されていた「土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く」と「幸運な文明―日本は生き残る」を改題し、2013年10月Ⅰ火にPHP研究所から出版されました。例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。

京都が日本の都となったのはなぜか。頼朝が狭く小さな鎌倉に幕府を開いたのはなぜか。関ヶ原勝利後、家康がすぐに江戸に帰ったのはなぜか。日本全国の「地形」を熟知する著者が、歴史の専門家にはない独自の視点で日本史の様々な謎を解き明かす。歴史に対する固定観念がひっくり返る知的興奮と、ミステリーの謎解きのような快感を同時に味わえる1冊。

著者は、思想・哲学・社会・宗教・文学といった上部構造に手を出さず、著者の得意な地形と気象という下部構造を徹底的に説明することで新しい歴史の解釈が可能になったとしています。河川局長をやっていただけあって、確かに治水関係の解釈には唸らされます。

関ヶ原の戦いの後、徳川家康がすぐに江戸に戻ったのはなぜかという謎(第1章)について、当時大湿地帯だった関東平野が、現在のような沃野に変わったのは、家康の卓抜した国土開発の手腕にあると著者はいいます。家康を日本史上最大の国土プランナーだと讃えていますが、確かに家康の着手した利根川東遷事業により、それまで東京湾に注いでいた利根川は流路を東に変えられ、銚子から太平洋に流れるようになりました。これによって、江戸を水害から守り、流域の沼や湿地帯を開拓して新田を生みだし、水上交通網を確立できるようになりました。

1000年以上昔の承平天慶の乱では、東では関東で平将門が、西では瀬戸内海で藤原純友が反乱を起こしましたが、一般的なイメージでは関東の大地で暴れたのが将門、瀬戸内海で海賊の頭目となって海で暴れたのが純友という感じですが、実際には当時の関東は今よりずっと水っぽかったのです。霞ヶ浦は今より遥かに巨大で北浦や印旛沼なんかとも繋がって「香取海」という名前でした。

江戸時代でも上手のようにかなり水っぽいですね。それもそのはず、縄文期は現在よりも温暖で、海抜は5メートルくらい高かったらしい(縄文海進)のです。

ほら縄文期の関東の再現図はもはや日本地没です。「ハイスクール・フリート」的世界と言っても良いかもしれません。ということで、きっと将門は馬も使ったでしょうが、舟も同じくらい使っていたのではないかと。

こういう河川・治水に関することは著者は非常に強く、また説得力があります。吉原遊郭の移転と治水を絡めた話(第11章)なんか実に興味深いです。

ただ…下部構造からという新たな視点はいいのですが、全部がそれだけで解釈できるかというとですね…。たとえば第2章で「なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか」について、東側から大軍が京都に入る際に必ず使用する逢坂は比叡山の麓に有り、比叡山から僧兵が側面を突けば大変な事態になるからだとしています。確かにそれもあるでしょうが、それ以前に比叡山が反信長包囲網に加わっていたということが大きいのではないかと。

焼き討ちを徹底的に行った理由としては、作者の言うような地理的要因もあるんでしょうが。そもそも発掘調査では焼き打ち時に比叡山に所在していた堂舎の数は限定的で僧侶の多くは坂本周辺に下っていたものと推定され、文献が記載する「大虐殺」は誇張が過ぎるのではないかとの指摘もあります。

また第12章の「実質的な最後の『征夷大将軍』は誰か」では、征夷大将軍は狩猟民を駆逐するのが本来の役目だとして、中国地方に平野部が少ない、毛利氏の本拠の吉田郡山城が山間部にあるということで、毛利氏を狩猟民と捉え、これを関ヶ原で破った(西軍総大将の毛利輝元は現場にいませんでしたけど)徳川家康が最後の征夷大将軍だとしているのですが……毛利氏が狩猟民って、そんな解釈はそもそも歴史学に存在するのでしょうかね。

本書は結構書きぶりが外連味に満ちていて、梅原猛の「隠された十字架」を彷彿とさせます。読み物としては大変面白かったですよ、「隠された十字架」。サスペンスのようなドラマティックな構成でしたから、私のような歴史の素人は夢中になって読んだものですが…今から振り返れば非常に落○信○とか矢○純○の著書、さらには「ノストラダムスの大予言」シリーズで有名な五○勉(隠す意味ないか)に近い外連味に満ちていました。面白く読ませようというサービスなのかも知れませんが、一度鼻につくと気になってしまいます。

地形・気象といった視点はそれまでにあまりなかったものなので、歴史の解釈にはこうした視点も重要であろうとは思いますが、基本的な歴史知識を踏まえ、論理の飛躍や思い込みを抑制しないと玄人はなかなか納得しないだろうなと思います。
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