つぶやき岩の秘密:山岳小説の大家によるジュブナイルの名作

立夏が過ぎて暦の上では夏なんですが、結構暑いですね最近。今年は猛暑なんでしょうか。田沢と松尾のように嫌な予感がしてきましたよ。

本日は新田次郎の「つぶやき岩の秘密」を紹介しましょう。新田次郎は巨匠ですが、当ブログで作品を紹介するのは初めてですね。

新田次郎は長野県諏訪市出身で、無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)卒業後、中央気象台(現気象庁)に入庁し、富士山観測所に配属されました。その後神田電機学校(現在の東京電機大学)を卒業し、満州国観象台(中央気象台)で勤務中に終戦を迎え、ソ連軍の捕虜となり、中国で一年間の抑留生活を送りました。

妻も作家の藤原ていで、この家族の引き揚げの体験を「流れる星は生きている」にしました。

帰国後は中央気象台に復職し、1951年には気象台勤務の傍らで作家活動を開始し、「強力伝」で直木賞を受賞しています。気象台では富士山気象レーダー建設責任者となるなどし、この工事に関してはNHKの「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」の第1回で取り上げられました。

1966年に専業作家となるために気象庁を退職しましたが、作家一本で食べていけるのか大変悩んだそうで、気象庁からも繰り返し強い慰留を受けたそうです。

山岳小説の大家として知られ、山岳や気象、地形に関するリアルな筆致は他の作家の追随を許しませんでした。山岳遭難事件を描いた「八甲田山死の彷徨」や「聖職の碑」は映画化されています。しかし本人は山岳小説家と呼ばれることを嫌っていたそうで、歴史小説である「武田信玄」が最も気に入っていたそうです。

生前NHKの大河ドラマで映像化される事を熱望しており、その後実現はしたのですが、それは新田次郎の死(1980年)後の1988年のことで、残念ながら生前に見る事はできなかったのでした。

「つぶやき岩の秘密」は1972年に出版されたジュブナイルで、孫達に「おじいちゃんが書いた少年小説だ」と自慢できるようなものを残したいとの気持ちで執筆したのだそうです。例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。

両親を海難事故で亡くした六年生の紫郎は、岩場に耳を当て、海のつぶやきを聞くのが好き。それは母の声のように響く。ある日、崖の半ばに人影を一瞬見た。幽霊を見たのか。先生の協力を得て、謎の人物の解明に乗り出すが、謎は謎を呼び、ついには死者が。息詰まる冒険と暗号解読を経て紫郎は、崖の秘密、両親の死の秘密を掴むのだが……。物語の神様、新田次郎が描く少年冒険小説。

三浦半島に住む三浦紫郎は、2歳の頃に両親を海難事故で失い、祖父母と暮らしていますが、海を見るのが大好きで、放課後は一人で海辺にいるのが日課でした。「つぶやき岩」は、干潮の際に呟くような音をさせることから彼が命名しましたが、ある日不思議なことにその呟きが母のすすり泣きに聞こえます。その時岬の岸壁を見上げると、黒い顔をした不思議な老人が忽然と姿を現すのを目撃しました。

祖父の源造によれば、その岬は太平洋戦争の末期に日本軍が地下要塞を作ったそうで、そこには金塊が隠されているという噂もありました。紫郎は担任の小林恵子先生やその弟の晴雄と、黒い顔の老人の謎の解明に乗り出しますが、次々と事件が起こって命の危険にさらされます。

紫郎の命を狙うのは何者なのか、なぜ狙うのか。「つぶやき岩」は何を知らせようとしていたのか。実は終盤で全ての謎は明らかにされ、両親の死も関わっていたことが判明します。全部書くのもアレなんで詳細は伏せますが、戦争は様々な人の人生をねじ曲げてしまうものなのですね。出版時期は終戦から30年を経ていない頃で、まだまだ戦争を引き摺っていた時代だったんだなあ改めて思います。中学生になった紫郎は暗号解読と金塊発見という最後の冒険を行います。話によると「日本一の金持ちになれる」ほどの金塊があるということでしたが、紫郎が発見したのは金の延べ棒19本だけでした。

紫郎は暗号解読の正しさを証明するために冒険したので、金塊を持っていくことはしませんでしたが、仮に金のインゴット(12.5㎏)とすると、今の相場(1g=4800円)だと1本6千万円くらいということになります。19本で11億4千万円。確かに日本一の金持ちにはほど遠いですが、それだけあれば念願の引きこもり人生に突入可能ですね。

ジュブナイルといいながら、登場する少年は紫郎一人で、後は大人ばかり。ヒロインが登場してもいいところなんですが、紫郎が少年から大人への階段を昇っていく過程がみずみずしく描かれています。

ヒロインとは違うのですが、若き女教師の小林恵子先生が、いかにも先生然としていていいですね。高校時代にはもう私もすれっからしになってしまって、教師も俗物だとしか思えなくなっていましたが、中学生の頃までは自分達とは全く違う存在のように感じていたものです。「聖職者」というもはや死語になってしまった教師のイメージを小林先生は若いながらもよく保持しています。

本作の舞台は三浦半島の架空の海岸「富浜」周辺なんですが、油壺の北にある三戸浜がモデルになっています。そしてNHKの少年ドラマシリーズでテレビドラマ化された際も三戸浜周辺でロケが行われました。少年ドラマシリーズは、1972年から1983年にかけてNHK総合テレビで放送された、主に小中学生向けのテレビドラマシリーズで、筒井康隆、光瀬龍、眉村卓といったSF作家のジュブナイルがドラマ化されたりしていました。


また池上季実子や古手川祐子、紺野美沙子といった女優が実質的なデビューを飾っている由緒あるシリーズなのですが、当時はVTRが高価だったため、作品の大半は放送後に上書き消去されて再利用されたため、、残っている作品は少数に留まっています。ただし「つぶやき岩の秘密」は全編ロケによるフィルム制作だったこともあり、全話がNHKに保存されており、2001年にはDVDが発売されています。

1973年7月に全6回で放映されたテレビドラマ版は未見なのですが、うら若く、いかにも先生然とした小林先生を誰が演じたのかと思って調べたら、何と菊容子でした。

私にとって菊容子といえば、何と言っても1971~72年に放映された「好き! すき!! 魔女先生」の月ひかるです。石ノ森章太郎の「千の目先生」が原作で、芸名は子役の頃から面識があった石ノ森から名付けてもらったそうです。

前半は学園ものでしたが、後半は月ひかるがアンドロ仮面に変身して悪と対決をするというアクションヒロインものに代わりました。アンドロ仮面も菊容子がそのまま演じていましたが、アンドロ仮面は特撮変身ヒロイン物の先駆けにして草分けとも云うべき存在でした。

アニメでは男装の麗人サファイアの活躍する「リボンの騎士」(1967~68年)がありましたが、変身ものとしては「キューティーハニー」(1973~74年)や「ラ・セーヌの星」(1975年)に先行していました。

「美少女戦士セーラームーン」以降は「戦う変身ヒロインもの」はごく普通に見掛けるようになりましたが、それでも女性ヒロインが単独で悪の怪人と渡り合うというのは珍しく、アメリカの「ワンダーウーマン」(1975~79年)や「美少女戦士ポワトリン」(1990年)など数えるほどしかないとか。プリキュアシリーズも数人の仲間と一緒に戦うのがお約束になっていますね。

心優しい“お姉さん先生”で、不思議な魅力と謎めいた私生活から「かぐや姫先生」と呼ばれた月ひかる。和服をよく着ていました。後半ショートカットになりますが、前半のロングヘアの方が好きだったな。

小林先生、魔女先生と素敵な先生を演じた菊容子ですが、1975年に結婚を前提に交際していた俳優が、他の男性達との仕事上の親密な関係を浮気と勘違いするという一方的な嫉妬により、絞殺されてしまいました。享年24歳。美人薄命とはいいますが、あまりに早すぎる死でした。かくや姫先生は月に帰ってしまったんだ……

ちなみに吾妻ひでおがコミカライズしており、アンドロ仮面のデザインも吾妻ひでおによるらしいです。

「つぶやき岩の秘密」から大きく逸脱していしまいました。これが筆のすさびというものでしょうか。或いは「筑波嶺クオリティー」(笑)。

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