語りあかそう:早世が惜しまれる消しゴム版画家・ナンシー関の対談集

昨日はちょっとお高いイタリアンのコースを食べたりしたんですが、フレンチもいいけどイタリアンは凝りすぎない感じがいいですね。肉や魚はもとより、リゾットとかパスタも好きなもんで。コースには入ってなかったけどピザもいいぞ!みんな美味しかったけど、今回特に良かったのはフォアグラの乗ったリゾットとピスタチオのアイスクリームでした。

本日は急逝したナンシー関の「語りあかそう」を紹介したいと思います。まずは文庫版裏表紙の内容紹介から。

人間をお見通し、再現することの天才ナンシー関の対談をよりすぐり、究極の一冊に。テーマは、顔面進化論・女帝・紅白・悪口・TV・通販・有名人…。お相手は綺羅星、いずれ相手にとって不足はなし。攻めてよし守ってよしなごんでよしの炎の9本ノック!ブラウン管民俗学者の本領フルスロットル!!消しゴム凸も満載。

ナンシー関は本名関直美。1962年7月7日生まれで青森市出身。法政大学文学部第二部(夜間部)を中退し、広告学校に行くも長続きせず、親の仕送りと軽作業のバイト代で毎日ダラダラとテレビを見て過ごしていたそうです。時間を持てあまし、暇つぶしに編み物や粘土細工を作り、高校時代に一度やっていた消しゴム版画を再び彫っていたところ、広告学校で知り合った友人(後のコラムニスト・えのきどいちろう夫人)の手帳に押したところ、それがえのきどの目に留まり、当時編集者だったいとうせいこうからその場のノリでナンシー関と名付けられ、1985年に「ホットドック・ブレス」の消しゴム版画でデビューしました。

1986年6月25日号からは芸能人に関するコラム「対岸に火をつけろ」を連載。その後「噂の真相」にテレビコラム、「週刊朝日」で「小耳にはさもう」、週刊文春で「テレビ消灯時間」を連載し、一気に全国区になりました。

人気とは裏腹に、90年代半ばからは締切に追われ、1日に20-30本のショートピースを吸い、ストレスを飲み食いで発散する生活を続ける不摂生な生活を続けたことで、少し歩くだけで息切れするようになり、体型ももともと太っていたけど、若いころよりさらに大きくなっていきました。元「小結クラスから横綱クラスになってた」との証言も。

2002年6月11日の夜、タクシーで自宅に帰る途中で意識を失い、救急車で病院に搬送されましたが、虚血性心不全で死亡しました。葬儀は、黒柳徹子、ビートたけし、坂本龍一、宮部みゆきなどの著名人をはじめ数えきれないほどの弔花が並ぶ盛大なものだったそうです。

かつて私は、「週刊朝日」を読む機会があれば「小耳にはさもう」と東海林さだおの「あれも食べたいこれも食べたい」、「週刊文春」を読む機会があれば「テレビ消灯時間」と東海林さだおの「タンマ君」を必ず読んでいましたね。東海林さだおとの共演(?)が多いなあと思ってたら、本書でも対談していました。

本書は92年から98年頃に各誌で掲載された対談をまとめたもので、故に林真理子との対談で「中野翠が林真理子の悪口ばかり言っている」という話をした直後に、何食わぬ顔で中野翠と対談していたりします。時系列的には1年数ヶ月経過しているのですが、本書を読んでいると次の対談になっているので、「舌の根も乾かぬうちに(笑)」という感じになっています。

文庫としてまとめられて出版されたのは2014年5月8日。死後12年経過して20年近く前の対談をまとめた意味は一体なんなんでしょうか?「お、ナンシー関か懐かしいなあ」と思わず手に取った私のような購読層を狙ったのかも知れませんが、残念だったな図書館で借りたぜ(笑)。

毎日のようにワイドショーをはじめとるすテレビ番組を見まくり、テレビをはじめとする様々な媒体における芸能人・有名人の発言や態度をコラムの題材としました。シニカルで軽妙な語り口の文体にはファンも多く、業界関係者にも生前から高く評価されていたそうです。

1995年に「噂の真相」に掲載されていたコラムで「10年後、ヤワラちゃんは選挙に出ていると思う」と予想しましたが、2010年の参議院議員選挙に民主党から出馬したことで、5年遅くはなりましたが、予想が見事的中したことになります。

さらにAKB商法に手を染める前の秋元康のハンコには「マルチに小商い」、議員になる前の蓮舫を彫ったハンコには「社会派バカ」…予言者かナンシー関!!早すぎる死が惜しまれますね。今の状況を消しゴム版画で掘りまくり、文章で斬りまくって欲しかった。

下の画像はナンシー作ではなくネットで見掛けたナンシー風版画ですが、もし生きてたら同趣旨の作品を絶対作ってたでしょうね。号泣県議とかSTAP細胞の人とかもきっと。返す返すも急逝が残念なことでした。

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