信長の野望 全国版:初めてプレイした歴史シミュレーション

風は吹くわ雨は降るわで荒天の札幌です。雪が溶けるのはいいのですが、道路が水浸しに。とにかく歩きにくくていつもよりウォーキングに時間がかかりました。高梨沙羅が出場予定だった「宮様国際大会」のラージヒルも強風のため中止になってしまいました。

レトロゲーの日曜日、本日は「信長の野望・全国版」です。ファミコンでは初の歴史シミュレーションゲームだったと思います。

「信長の野望」は光栄(現コーエーテクモゲームズ)が1983年3月に発売した戦国時代を題材にしたコンピュータシミュレーションゲームで、日本のゲーム市場において「歴史シミュレーション」というジャンルを確立した記念碑的作品です。当時PCのゲームに興味津々(もちろんエロゲーにも興味がありましたが、RPGとかSLGにもの凄く興味がありました)だった私ですが、ゲームマシンとするには当時のPCはあまりに高く、どうにも手が出ませんでした。

本体とディスプレイで20万~30万は軽く吹き飛ぶPCに対し、家庭のテレビにつないでプレイできるファミコンはたったの1万5千円弱。これがどれだけエポックメーキングだったことか。もっとも当初はRPGやSLGはなく、どちらかといえば子供向けのゲームを発売していたのですが、ドラクエ、FFなどでRPGがファミコンでも大ヒットすることが判明し、SLGの発売も時間の問題となっていました。

「信長の野望 全国版」は、1986年10月にPC版が発売されました。初代の「信長の野望」が織田信長か武田信玄しか選択できず、舞台が中部地方と畿内の17カ国しかなかったのに対し、本作は「全国版」の名に違わず、北の蝦夷から南の薩摩大隅まで、ほぼ日本全国をカバーする50カ国が舞台となり、プレイヤーは登場大名50人から操作キャラを任意に選択する事ができるようになりました。前作から引き続き、尾張を中心とした中部・近畿の17カ国を制覇するモードも搭載されているので、初心者はとりあえずこちらで慣れるということも可能という、とっても親切な設計になっていました。

ファミコン版の発売は1988年3月18日。本作は、ファミコンソフトとしては破格のゲームでした。なにしろ通常の二倍近い9800円という価格に、ROMカセットまで2倍近い大きさをしていましたから。光栄=ドデカカセットという印象は最初からだったんですね。

1560年――時は戦国の世。日本は50人の戦国大名によって割拠されていた。尾張を統治していた織田信長もそのひとり。この尾張の一大名がのちに天下をとるなどと、だれが予想できただろうか……。
ゲーム・スタートと同時に、もうあなたは戦国大名です。混乱の世に終止符を打つために、なみいる武将を討ちとり、日本全国を統一するのがあなたの使命です。平和をもたらすことのできるのは、あなたしかいません。
信長となって、彼の果たせなかった全国統一の夢を実現するのもよし、自分の好きな大名となって日本じゅうをその名前で埋めてみるのもよし、あの信玄や家康の生きた激動の時代に生まれ変わって、自分だけの歴史を創ってください。

これが「戦国兵法書」と題するマニュアルに書かれたプロデューサーのシブサワ・コウの「はじめに」です。ちなみに「シブサワ・コウ」の名義は、アニメーション制作会社のサンライズの「矢立肇」などと同様、コーエー製作のゲームに共通してクレジットされる架空の人名ですが、その後創業者である襟川陽一のペンネームとされましたが、襟川が参加していないタイトルにも、相変わらずシブサワ・コウの名はクレジットされています。名前の由来は、襟川が尊敬する渋沢栄一から「シブサワ」を、コーエーの旧社名・光栄の光から「コウ」、とされています。

本作には大名しか登場せず、配下武将や息子といった大名の後継者の概念がありません。そのため、戦争で複数の領国を持っている大名本人を討ち取って勝利した場合、討ち取られた大名が生前統治していた国はすべて戦勝国の領国となるという総取りシステムになっていました。

大名が病気・高齢や暗殺などで死亡した場合、マイキャラならゲームオーバーですが、他の大名の場合、その統治していた国はすべて空白地となり、隣接する大名らによって入札が行われます。このシステムを利用すると、大名暗殺→入札を繰り返して戦争なくして領国を増やしていくことも可能だったりしますが、知能の高い大名の暗殺は困難になっています。暗殺は忍者を利用するので、知能で防げるのかはちょっと疑問ですが。

沖縄以外は日本全国に「おらが大名」がいることになったので、「地元の大名で全国統一」という夢のプレイが実現できるようになりました。とはいえ、1560年当時の年齢でスタートし、死亡すればゲームオーバーなので、高齢の大名だと最大の敵は寿命になります。例えば岩手の南部晴政は62歳で、史実では1563年没なので、3年で日本統一を果たさねばならないことに。まあ寿命まで史実どおりではないので、健康に留意すればもっと長生きできますが、そうはいっても20年も30年も延伸することは難しでしょう。

西国の雄・毛利元就は63歳で、史実では1571年没。国のレベルは大変高く、周辺制覇なら比較的容易なのですが、全国統一となるとやはり年齢がネックになります。

また、弱小大名は1ターンを待たずに一揆・謀反・敵国からの侵攻・暗殺で滅亡してしまうということが頻繁に発生しました。記憶に残っているのは蝦夷の蠣崎慶久。北端なので陸奥としか接しておらず、じっくり富国強兵を図れれば天下統一は夢ではないのです。まだ11歳と若いから時間は味方ですし。

しかーし、第一ターンで陸奥の津軽為信に攻められて滅亡という光景を何度見たことか。津軽為信も10歳と若いので、まるで小学生同士のケンカのように見えますが、負ければお家滅亡です。蠣崎を選択した場合、津軽の侵攻をいかにしのぐかがカギになりますが、第一ターンで攻めてこられるとさすがに何も出来ない場合が多いです。まあ津軽から見ると、蝦夷地は自国以外どこからも攻められることのない国なので、軍事に力を裂かずにで国力増大に専念出来る「生産国」とすることができる、実においしい領地ということになりますので、そりゃあ遮二無二攻めてくるわけですよね。


慶久はパパンの季広(すえひろ)から「天才丸」なんてすごい幼名(元祖DQNネーム?)を付けられたりしていますが、独自に大阪に行って秀吉に所領を安堵されたり、秀吉の死後は家康に接近して所領を安堵され、「松前氏」を自称するようになるなど、乱世を泳ぎ亘る術に長けておりました。ちなみに「松前」は五大老の徳川家康の旧姓・松平の「松」と前田利家の「前」から取っているそうです。柴田勝家の「柴」と丹羽長秀の「羽」から取って「羽柴」と名乗った秀吉を彷彿させるエピソードですね。

流行の武将女性化での慶久がこれ。まあ確かにカードゲームではこっちの方が萌えますが……。もちろん他の戦国大名の女性化グラもあるんですが、それはそれでいつか別にやりたいと思います。




慣れないうちは有力勢力をプレイした方が全国統一しやすくなります。中央付近だと織田信長、武田信玄、上杉謙信、北条氏政といったあたりと、もちろん徳川家康もいけます。北条は画像のパパン“相模の獅子”氏康だったら良かったのですが、氏政は暗愚扱いされることが多いのでややプレイに躊躇いが(笑)。

辺境だと南端の島津貴久がオススメです。南端から攻め上って北端まで行って天下統一とか、桜前線みたいですが。あと土佐の長宗我部元親は、大名がそこそこ強く、隣接国が少なく、年齢が若いという好条件が揃っているため、最も有利という声もあります。


なお「独眼竜」好きが多いといわれる歴女には申し訳ないことながら、伊達家はパパンの伊達輝宗がエントリーされています。なにしろ正宗は1567年生まれで1560年当時ではまだ影も形もないもので。


価格は非常に高価でしたが、値段相応に楽しめると思えた本格的SLGで、シンプルなゲームシステムはSLG初心者にも取っつきやすいものでした。「カンガエテマース!」の「SDガンダムワールド ガチャポン戦士 スクランブルウォーズ」に見るように、当時のSLGはCOMの思考時間はやたらに長く掛かっていましたが、本作にはそのようなストレスを感じる要素はほとんどありませんでした。

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