記憶に残る一言(その57):お杉おばばのセリフ(バガボンド)

インフルエンザが道内で猛威を振るっています。札幌をはじめ、道央を中心に警報が出ていて、全道で注意報レベル以上になっています。人混みに行かないのがいいのでしょうが、雪のないアーケード商店街の狸小路は外せないし、そこには中国人観光客が群がっているしで、転倒かインフルかの二者択一を迫られているような。とりあえずうがい手洗いは励行していますが、思い返せば小学校以来インフルエンザに罹っていない気がします。だからかからないという訳ではありませんが、ぼっち&ヒッキーはインフル対策としては最高なのかも知れませんね。

本日はおよそ一ヶ月ぶりに「記憶に残る一言」行ってみましょう。今日は20年近く連載してなお未完の井上雄彦(たけひこ)の「バガボンド」からです。

バガボンドは1998年に講談社の「モーニング」で連載が開始され、単行本は既刊37巻。発行部数は8200万部以上というベストセラーで、第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞(2000年)、第24回講談社漫画賞一般部門受賞(2000年)、第6回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞(2002年)という名作です。今から思えばずいぶん早いうちに賞をあげてしまったなという気もします。最近は休載が長いようですね。

井上雄彦はバスケットボールを取り上げた「SLAM DUNK」や「リアル」などもヒットさせており、大ヒットメーカーですね。「カメレオンジェイル」は打ち切りだったんだけどなあ。

「バガボンド」は吉川英治の「宮本武蔵」を原作としていますが、キャラクターや物語には井上雄彦独自のアレンジが加えられています。「宮本武蔵」というタイトルにしなかったのは、読者の読む前の先入観や好き嫌いを持ち出されるのが嫌だったのと、過去に実在した人物を好き勝手に描くのに後ろめたさを感じたからだそうです。「バガボンド(vagabond)」とは、英語で“放浪者”“漂泊者”の意です。「天才バカボン」とは無関係だったのか…。

ちなみに「天才バカボン」の「バカボン」はサンスクリットの「薄伽梵」(ばぎゃぼん)に由来しているそうです。これは仏の称号或いは仙人や貴人に対して用いる呼称なので、「バカボン」は決してDQNネームではない、結構由緒ある名前なんですね。

ただし作者の赤塚不二夫は自ら、「馬鹿なボンボン」の略とか、天才=ハジメちゃん、バカ=バカボンのパパ、ボンボン=息子のバカボンで、3人合わせて「天才バカボン」とかいった異説を唱えており、「TENSAI VAGABOND」(週刊少年マガジン1974年11月17日号)という「バカボン」と「バガボンド」を掛けた題の短編も存在するそうなので、バガボンドと天才バカボンもあながち無関係ではないかも知れません。

おっと話がそれてしまいました。その「バガボンド」の主要登場人物に本位田又八(ほんいでん またはち)という人物がいます。彼は宮本武蔵の幼馴染みで、本作における武蔵、小次郎に続く第三の主人公という位置づけられています。戦で名を挙げようと武蔵を誘い、村を出る切っ掛けを作ったのは又八で、当初は武蔵と互角レベルの強さを持っていたのですが、未亡人の情夫になったりして精進を怠ったこともあって、急速に頭角を現していく武蔵に大きく水をあけられれしまいます。なんか某ヤムチャを思い出しますね。


佐々木小次郎の名を騙り、小次郎の名を利用して貰った金でしばしば女を買うなど、口八丁で要領良く、狡猾で自らを強く、大きく見せようとしがちですが、その一方で欺瞞や虚栄で塗り固められた人間であること強く恥じており、誰よりも自分の弱さを自覚している面もあります。

その又八の母親がお杉おばば。又八は実はお杉の実子ではなく、妾の子なのですが、お杉おばばは又八を盲愛というか溺愛しています。本位田家は村の名家であるという高いプライドを持っており、武蔵のことを良く思っていません。又八への愛情の裏返しで、誰彼かまわず武蔵の悪口を言い回るなど、周囲から鬱陶しい偏屈者と見なされていますが、女手一つで又八を育てあげ、又八の最大の理解者でもあるという側面もあります。

そんなお杉おばばが、又八に背負われて息を引き取る間際に言った台詞が今回の記憶に残る一言です。自分を探しにきたお杉おばばが体調を崩し、もう死期が近いことを知った又八、嘘で塗り固めていた自分の本音をさらけだします。

自らの弱さを嘆く又八に背負われたお杉おばばは、「弱い者は己を弱いと言わん。おぬしはもう弱い者じゃない。強くあろうとする者…もう一歩目を踏みだしたよ」と言います。

そしてこのセリフ。「この世に強い人なんておらん。強くあろうとする人…おるのはそれだけじゃ」

深い!長く生きた人のセリフはやはりひと味違いますね。このセリフは多くの人の琴線に触れたと思われ、2011年に放映された、井上雄彦が出演し、武蔵を描きあげる様子を映した日清カップヌードルのCMでも、このセリフは少しアレンジされて使用されています。「強い者などいない。強くあろうとする者。いるのはそれだけ」
www.youtube.com/watch?v=8DxKhGu9DNU
お杉おばば、またこういうことも言っています。

「一本の道を進むは美しい。じゃが普通はそうもいかぬもの。迷い、間違い、回り道もする。それでええ、振り返って御覧。あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、迷いに迷ったそなたの道は…」

「きっと誰よりも広がっとる」

こういうセリフを言ってくれる人が身近にいたなら、立ち直れるニートやヒッキーもたくさんいることでしょう。現実から逃げ嘘ばかりついていた息子の弱さをねぎらうような愛情に溢れた名言ですね。

お杉おばばは直後に亡くなりますが、その死を契機に己の弱さと向き合うことができた又八は、その後人間的に成長していき、数十年後の初老の又八は、路傍で武蔵と小次郎の話を講談のような形で語り継ぐ者になっています。

元気なころは、著しく偏狭なものの見方をし、また非常に図々しく、又八への愛情の裏返しで武蔵とおつう(又八の許嫁として目を掛けていたが、許婚関係を解消したことで可愛さ余って憎さ百倍)を憎悪しまくり、読者からすると“こ憎らBBA”だったお杉おばばですが、最後に息子のために良い仕事をしたのでした。これが母の愛か。

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