記憶に残る一言(その48):銅鑼の音(三国志)

ちょっと聞きまして奥様!今日は「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のラストで、マーティーとドクがジェニファーを連れて未来にタイムトラベルした、まさにその未来の時間ですってよ!「バック・トゥー・ザ・フューチャー」が公開されたのが1985年で、映画の中の「現在」も1985年なので30年未来ということになります。いやいや…ホントかよ…。映画館で見ましたよ「バック・トゥー・ザ・フューチャー」。あれから30年も経ったとはなぁ…まるで自分がタイムマシンに乗ったみたいです。

秋真っ盛りだけど、我が人生も秋だなあ。しかも午後の陽ざしも大分傾いて、夕暮れも近いという時間のような。秋の日暮れはあっという間に来るんだZE!皆さんも油断しているとあっという間に年を取っちゃいますYO!

本日は記憶に残る一言です。今日は横山光輝の「三国志」から紹介したいと思います。横山光輝といえば「鉄人28号」「ジャイアントロボ」「仮面の忍者 赤影」「魔法使いサリー」「コメットさん」「バビル2世」などアニメ化・実写化された作品を多数執筆した巨匠です。2004年4月15日に69歳で逝去していますが、亡くなるのが早すぎだと思いました。手塚治虫(60歳)、石ノ森章太郎(60歳)、藤子・F・不二雄(62歳)など、有名漫画家の多くが若くして亡くなっていますが、それだけ寿命を削る過酷な仕事ということなのでしょうか?

私が印象に残っているのは、少年チャンピオン黄金時代(あったんですよ、チャンピオンがジャンプより売れていた時期が!)に連載されていた「マーズ」ですね。後に「六神合体ゴッドマーズ」という全然内容が異なるアニメになってしまいましたが、「マーズ」は意表を突く衝撃的バッドエンドで驚かされました。機会があったら読んでみて欲しいです。

横山光輝の作品群の中でもライフワークとも呼べる最長作品(全60巻)が「三国志」です。連載期間は1971年から1986年までで、吉川英治の「三国志」をベースに独自の解釈等を織り交ぜて描かれています。吉川三国志が諸葛亮の死で終わっているのに対し、横山三国志は蜀が滅亡するまでを描いているので、柴田錬三郎の「英雄三国志」(「英雄ここにあり」と「英雄・生きるべきか死すべきか」を併せたもの)に近い感じもあります。

三国志を描いた漫画としては先駆的作品で、黄巾の乱から蜀の滅亡までを描ききったことにより、1991年に第20回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞しました。

今回ここで紹介したのは、セリフではなく実は擬音なんですが、兵士の鳴らす銅鑼の音です。「ジャーンジャーン」ないし「ジャーンジャーンジャーン」と表現されますが、大抵伏兵登場の合図です。

なにしろ全60巻なのでいろんな場面で登場してくるのですが、特に有名なのは「赤壁の戦い」に破れて敗走中なのに余裕ぶっこいて、伏兵を配置していないのをあざ笑った曹操の前に関羽が登場し、「げえっ、関羽」と驚愕する場面でしょう。

これは単行本26巻でのエピソードですが、曹操はそこに至るまでも、再三「ここに伏兵がおれば我らは全滅であろう」といった趣旨の発言を繰り返し、敵の迂闊さをディスるとともに自分の頭のキレを強調しようとするのですが、言う度に孔明に指示されていた武将が伏兵として現われ「げえっ」と動揺島倉千代子になるという、まるでコントのような展開が続くのです。


それでも何とか凌いで、もう大丈夫だろうとまたも粋がると、最後の最後に関羽が待ち受けていて「げえっ」とキン肉マンでもおなじみの最大級の驚愕を見せるというオチとなっています。あ、キン肉マンでは「ゲェッ」「ゲェーッ」か。チョット違いますね。

“ジャーンジャーン→げえっ、関羽”という流れは大いにウケて、としてしばしばネットなどで 「大ピンチ」 の比喩として使われるようになりました。「ジャーンジャーン」 単独でもピンチを表したり、「げえっ、関羽」の「関羽」の部分を他のTPOに適切な何かに替えたりして使われることもあります。


また、三国志的には大分後の話になりますが、司馬仲達が孔明の策略ではないかと疑心暗鬼になる場面で言う台詞「まてあわてるなこれは孔明の罠だ」にも「ジャーンジャーン」が合わせられることがあります。

主に銅鑼の音は進軍や攻撃開始の合図に使われており、兵士達や色んな大きさの銅鑼を鳴らしています。中には食事の合図という、ちょっとほんわかした場面でも銅鑼を鳴らしていたりします。

また銅鑼叩きも単に威勢の良い任務ではなく、最前線で斃れるまで銅鑼を叩き続けなければならないようです。後の近代軍隊のラッパ手みたいなものでしょうかね。

当然のことながら、部隊の出陣、退陣の際にも鳴り響いているわけですが、横山三国志ではやはり伏兵登場のお約束の音として捉えられることが多いようです。

しかし実際はどうかというと、「押し太鼓に、退き鐘」というのが兵法の常道のようで、進軍の際には太鼓、退却の際には鐘を叩くのであて、敵に攻め出すときに銅鑼を鳴らすのは史実に反するようです。執筆開始時は日中国交回復前ということもあり、横山光輝は史料不足に苦労したそうで、間違いが多くても仕方ないかも知れません。

もっとも、朝鮮戦争時にやってきた中国軍(義勇軍)は、夜襲で銅鑼を鳴らしたりラッパを吹いたり、大歓声をあげながら攻撃してきたそうなので、そういうエピソードから影響を受けている可能性もあります。

なお、上の画像のように辮髪のデブのオッサンが威勢良く銅鑼を叩いたているシーンもありますが、辮髪は本来漢民族の習俗ではなく、満州族(女真族)が清朝を樹立した際に、敵味方の区別をするために漢民族にも「薙髪令」を出して、辮髪を強要してからのものなので、三国志時代にいるのは時代錯誤もはなはだしいです。でも笑って許してあげたいものですね。

それはともかくゲームなどで誰かがピンチに陥ったとき、あるいは敵・ライバルを追い詰めた時などには「ジャーンジャーンジャーン」と煽ってやるといいのではないでしょうか。気の利いた人なら「げえっ○○!」とか「まてあわてるなこれは○○の罠だ」などと反応してくれるかも知れません。でも深刻な場合に使用するのは常識を疑われるので控えるのが吉でしょう。

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