2015夏季アニメ中盤の感想(その4):キャラが可愛いほど怖い「がっこうぐらし!」

朝夕はすっかり涼しくなって、秋を感じる札幌ですが、まあ今日なんか仙台や東京は札幌よりも涼しかったのね。

今日は夏季アニメ中盤の感想の最終回、遂に登場「がっこうぐらし!」です。7話まで視聴しました。3話から6話までが過去回で、3話が事件発生当時の学校を、4話が既に下校していた美紀の事件との遭遇状況、5話6話が美紀(と太郎丸)の発見・救出と学校生活部への参加の過程を描いていました。7話からはまた現状に戻っています。

そういえば今日コンビニに入ったら「がっこうぐらし!」のOP「ふ・れ・ん・ど・し・た・い」が流れていましたが、♪シタイから!シタイなら!シタイとき!シタイでしょ!?♪がどう考えても「死体」に聞こえましたよ。怖いよう。でも知らない人は可愛い歌だと思うんだろうなあ。

この作品、「魔法少女まどか☆マギカ」なみに視聴者をだまくらかしていましたが、1話だけだったので罪(?)は軽いといえば軽いのですが、キャラがまどマギより怖い。どっちもかわいい系のキャラではあるんですが、見てこの目の輝き。狂気を孕んでいるように見えるのは私だけでしょうか。

一番イッてしまっているのは主人公丈槍由紀。現実の虚構の区別がつかなくなっているというか、彼女自身が願っていた幻想の中に棲んでいるというか。むしろこの人だけは事件前の現実よりも今の方が幸せだったりするんじゃないかと思われます。

クラスメートからつまはじきにされてぼっちだった由紀は、1話で「最近学校が楽しい」とモノローグしていましたが、誰も相手にしてくれなかったクラスメートが彼女の幻想の中では見んな友だちになっているのだからそりゃあそうでしょう。

神林長平の「アンブロークンアロー」の感想でもちょっと書きましたが、(nocturnetsukubane.blog.fc2.com/blog-entry-102.html)昔読んだ山田正紀の「最後の敵」(第3回(1982年)日本SF大賞受賞作)には「レベルBの現象閾世界」という設定がありました。主人公は大学院生として日常を送っているのですが、その“現実世界”は彼が閉じ込められた檻というか一種の閉鎖空間でした、「レベルBの現象閾世界」は極めて自閉症的世界で、ここに閉じ込められると記憶を失い、真の現実(木星に向かう宇宙船の中にいる)を知覚出来ず、次第に精神を精神を腐らされるという設定でした。

由紀の幻覚と妄想の中に棲む様子は、この「レベルBの現象閾世界」に自ら閉じこもったもののようにも思われます。そしてそれは彼女が狂気に囚われるのをかろうじて防いでいるような。

まあ誰もいない廃墟のような教室で一人で授業を受けたり、おしゃべりしている姿は完全に狂っているといってもいいような状態ですが、一応仲間とのコミュニケーションはできているしサバイバル生活も継続できているというということでまだましでしょう。


そして当初から死亡説があっためぐねえ(佐倉慈)は、3話でほぼ死亡→ゾンビだろうと思っていましたが、6話で完全に死亡確認となりました。王大人の「死亡確認」なら良かったんですが。でもゾンビに襲われて死亡したので、めぐねえもゾンビ化してどこかで蠢いている可能性が高いです。そのうち望まない再会をすることになるかも。


このめぐねえのパネルを見よ。表じゃありません、裏ですよ裏。うわあああ…

そして6話と7話のOPの比較画像。めぐねえ死亡確定でここまで変わってしまった!

しかし由紀は当然のことながらめぐねえの死を受け入れられず、今なお幻想の住人として生き続けています。むしろ幼児退行してしまった(元から高三とは思えないキャラでしたが)由紀の知性とか良心を代行する存在となっています。まるで解離性同一性障害(いわゆる多重人格)におけるインナー・セルフ・ヘルパー(ISH)みたいです。

最初からの仲間である恵飛須沢胡桃(くるみ)と若狭悠里(りーさん)はもちろん生前のめぐねえとその死を知っていますが、由紀が危機的状況下において一応の平穏を保っていることから、由紀の妄想に調子を合わせた態度を取っています。むしろ二人からすると、由紀という庇護すべき存在がいることが狂気に陥ることを防いでいるのかも知れません。故に二人とも由紀が“正常化”することにあまり熱心ではないような態度を取っています。

新参者の直樹美紀(みーくん)からすると、ありもしない由紀の妄想とそれにつきあうくるみとりーさんには強い違和感しかありませんでした。

ずっと由紀の妄想に合わせていたら治るものも治らないと主張する美紀に対し、治るとか治らないとかそういうものじゃないというりーさん。優しく穏やかなりーさんですが、実はこの人が一番怖い気がします。

平和な学校生活の妄想の中に棲む由紀は、折に触れ肝試しだの遠足だの体育祭だのと、学校行事の開催を提唱します。それは非常に突拍子もないのですが、くるみによれば、本当にそれが必要だってなった時に言い出すのだそうです。考えてもダメって時、答えをくれるのが由紀だと。

そうすると、妄想の中に棲んでいるとはいえ、由紀も学校生活部にそれなりに貢献していることになりますね。なによりも美紀は由紀が遠足を提唱しなければ今でも独りぼっちだし。

それに本来の由紀に戻ってもいいことないかも。そもそも「使える」タイプではなかったし、もっとやばい発狂の仕方をしてしまうかも知れないし。

だんだんそのことに気が付いた美紀、りーさんに和解と入部を申し出ます。原作ではもっと尖った対立をしていたようですが、アニメではわりとあっさり。

そもそも美紀が一番しっかりしているのかというと、必ずしもそうとは言えないのですよね。彼女は早くに下校し、ショッピングモールに寄り道しました。親友の祠堂圭と一緒に。


そこで事件に遭遇。次々とゾンビ化していく客達の中、かろうじて逃げ延びた二人でした。

水も食料もあって、がっこうぐらし!ならぬショッピングモールぐらし!をしていた二人でしたが、長引く避難生活(たまにゾンビの訪問あり)に次第に圭の精神が保たなくなっていきます。

遂にある日、出て行く圭。ここに居れば安全だと主張する美紀でしたが、「部屋に閉じこもって、生きていればそれでいいの?」と全国100万人(適当)のニート様達の肺腑をえぐる一言を。

そして帰らぬ圭を待ちながら、独りぼっちで引きこもり生活を続ける美紀。太郎丸と一緒だったけど八つ当たりしたら逃げてしまいました。以来ずっと太郎丸は美紀が嫌いな模様。二人きりだと、一人が精神の均衡を失った場合にどうすることもできないのか、それとも座視するしかなかった美紀が無能なのか。くるみとりーさんの有能コンビも、案外由紀なしでは早々に破綻していたのかもしれません。そう考えると由紀の存在って大きいなあ。


しかし由紀も自ら入り込んだ「レベルBの現象閾世界」に常に安住できている訳ではありません。「彼ら」(ゾンビ)を直接見てしまうと現実が一気に押し寄せてくる模様。

他にも6話で美紀に「『めぐねえ』って…誰ですか?」とそばにいるはずの人のことを聞かれたときとか。この時は必死に一人芝居で耐えていましたが。

美紀に「みーくんも言ってあげて、めぐねえは影薄くないよって。めぐねえは、ちゃんといるよって…ね」と言った時はほとんど哀願の表情でした。お願いだから私の世界を壊さないで、的な。

さらに7話で「遠足」を思い出した時。4人乗りの車で行きが4人(由紀、くるみ、りーさん、めぐねえ)で帰りも4人(由紀、くるみ、りーさん、美紀)であった事に気づいてしまった由紀。

すると「レベルBの現象閾世界」が崩れて見えてくるゾンビのめぐねえ。これは過去の記憶だけど本当の世界のものです。

精神が保たなくなりそうな由紀。もうやめて!由紀のライフはとっくにゼロよ!これは「治る」チャンスでもあるのでしょうが、皆のフォローでかろうじて妄想の世界に戻ったのでした。多分現時点で由紀が「治る」ことは、一行にとって良いことではないのでしょう。くるみかりーさんが欠けるような事態になれば「治る」必要が生じるでしょうが。

まるで守護霊のようなめぐねえ。妄想の世界に行き続けるというのも、傍から見てるより大変なのかも知れませんね。

ところで「彼ら」と呼ばれるゾンビさんたち、謎の感染症により理性を失っており、普通の人間を襲撃して噛みつこうとします。彼らに噛まれることでゾンビ化してしまうので、人々は次々とゾンビ化してしまいました。ゾンビ同士は襲い合ったりしていないので、仲間かどうかの判別はできているようです。音や光に反応して引き寄せられる習性がありますが、動きは鈍く、階段を上がるのは苦手のようです。なりたてゾンビは屋上までやって来ていましたが、時間の経過とともに動きは鈍っている模様。

それから生前の習慣を引き摺っているようで、夜は家に帰ったり、雨が降ると雨宿りしようとしたりしています。ということは、学校のゾンビは大半生徒や先生ということで、くるみはスコップで片っ端からかつても仲間を葬っているということに。本当に既に死んでいて回復の見込みはないんでしょうね?もしそうでないとしたら……

回を追う毎に次第に濃くなっていく瘴気。よくやるなあスタッフ。

そして犬の太郎丸(CV加藤英美里)には何とこんな意味が。どういうことだオイ…!

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