2015春季アニメの感想(その6):長門有希の消失~夏季アニメが始まる中、ようやく終わりました

こんばんは。湿度が高くて気温のわりに蒸し暑い札幌です。湿気は、なきゃないで乾燥していろいろ困りますが、ありすぎってのも鬱陶しいですね。

さて本日は夏季アニメが始まっているというのに今頃終了した春季アニメ「長門有希ちゃんの消失」の感想です。正直ソロで取り上げるほどの作品ではなかったのですが(失礼)、他は全て取り上げ済みで組ませる相手がないので仕方ありません。

全16話というのはいかにも中途半端ですが、10話までと11話以降でテイストが変わりました。10話までの長門有希は、無表情だった本編(「涼宮ハルヒ」シリーズ)とは裏腹にとても感情豊かでキョンにぞっこんラブ。読書ばかりしていた本編に対し、学校にまでPSP風のゲームを持ち込むゲーマーでした。

また冷静沈着な本編の長門と対照的に、内気で抜けていてパニックになると奇行を繰り返していました。違うといえば本編では殺し合いを演じた朝倉涼子とは親友関係(いやむしろおかん状態)で、ご飯とかいろいろ世話になっています。

これが11話で交通事故に遭いかけて転倒した際に、本編的な人格に入れ替わってしまいます(ああ、だから「消失」なのかと今さら気づくほどに前半の流れがまったりしていました)。こちらは寡黙で無表情で本大好きで、本編の長門と入れ替わったのかと思わせる雰囲気がありましたが、オールマイティーに近い魔法のような能力までは持っていませんでした。

本来の長門が抱いていたキョンへの恋愛感情は理解していませんでしたが、キョンと日常を過ごす中でこの人格もキョンが好きになってきます。無表情だからわかりにくいですが、きっと本編の長門もキョンが好きなんでしょうね。

しかしこの本編に近い長門の人格は一時的なもので、睡眠するにつれて記憶が統合されていくことが判明、次で消えてしまうという段階に至ってキョンに「好き」と告白して消失してしまいます。

しかし納まらないのはキョンの方で、長門から「好き」と告ってきたのに、元に戻った長門はそのことを全く覚えていません。でも姿形は全く同じということで、過剰に意識して気まずくなっていました。

最終回では別人格の長門の告白に対する自身の答えを、本来の長門に聞こえないよう夏祭りの花火が上がる中で一方的に話して吹っ切っていましたが、わけのわからない長門がいい面の皮でした。まあ両思いになるのだから我慢せい。

本作では涼宮ハルヒは別の学校(光陽園学院。古泉も同じ)に通っており、本編初期(高校入学当初)のように髪が長いままで、性格もやや丸くなっています。ハルヒについてはこっちの方がいいかな~なんて思ったりもしますが。

ハルヒも当然キョンのことが好きなのですが、本作では脇役のせいで影が薄く、ちょっと不憫です。その分古泉がハルヒのことを好きらしいのでお前も我慢せいと言いたいですが、古泉は本編ではちょっと「ウホッ」な感じがあったのが、本作でも引き続きその気配が漂っているので、両刀遣いというかバイというか。

朝比奈みくるはさらに影が薄く、ハルヒに弄ばれることがない代わりに鶴屋さんに弄ばれていました。部活も違うままだし、登場すらしないエピソードもありますが、本編よりは長門と仲良しで、何よりも「中の人」後藤邑子が一時はかなり深刻な病状だったらしいのですが、よく回復したなあと彼女の声が聴けるだけで嬉しいです。まだいろいろ大変らしいですが、快復を心より祈念致しします。

そういえば朝比奈みくるのキャラソンCDに朝倉涼子の歌が収録されていたらしいです。いくら影が薄いからってそれはあんまりな…(笑)。

涼宮ハルヒシリーズといえば京都アニメーションなんですが、本作は別会社の制作となっていました。またスタッフも大半変更されているということで、それが作画に出ていますね。正直、京アニ版の作風の方が圧倒的に好きで、本作のキャラは可愛さが足りません。あ、私の「可愛い」は、女子の皆さんがウーパールーパーなんかを見た時に発する「かわいい」とはだいぶ意味が違いますから。ウーパーさんには決して使いません。


今さら言っても仕方がないことなので、本作はぜひ京アニ制作で見たかったです。長門や朝倉涼子は本来もっと可愛いキャラだし、特に朝倉は所帯じみているというかおばさんくさいというか、もっと美少女的描写をして欲しかったです。もう長門と百合関係でもいいから。脇役とはいえ、朝倉も長門を見守るだけでなく、自分自身の青春を過ごして貰いたいものです。

最終回のラスト、もしや悪名高い「エンドレスエイト」かッッ!!と思わせる雰囲気が漂ってきたのでやや焦りましたが、そういうことはなかったぜ。こっちの世界ではああいうことはあってはいけませんね。

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