2015春季アニメの感想(その3):「Fate/stay night [UBW]」と「プラスティック・メモリーズ」

ぱっとしない曇天が続く札幌ですが、いかがお過ごしでしょうか。明日からは雨模様みたいでや~な感じです。降るべきときに降ってくれないと困りますんで、雨を嫌といっちゃあいけないんですが。

続々と終了していき春季アニメ。こっちもさっさと感想を書いていかないと来週には夏季アニメが始まってしまいますね。ということで、本日も春アニメの感想をば。

まず「Fate/stay night [Unlimited Blade Works]」の2ndシーズン。分割して2クールやっただけあって、25話にちゃんとエピローグを持ってきて終了処理をきちんとしていましたが、ゲームでもきちんとエピローグをやってくれる作品が好きなのでその辺りは好感が持てますね。

1stシーズンは2014年秋季アニメとして放映されましたが、0話、1話、12話は1時間SPという豪勢なことをやっていましたので、実際には2クールといいながら29話分相当の話が詰め込まれていました。

演出良く、音楽良く、声優さんの配役良く熱演も良く、と良いことづくめではあるんですが…その、なんというかストーリーがね(笑)。いや、悪いということではないんですが、あまりにも中二病患者の大好物風でして。それはいけないことではないのですが、完璧に異世界での話というのではなく、現実の世界に限りなく近い世界の「裏面」で行われている“魔法戦争”という感じをどこまでシリアスにやるのがいいのかということですね。

それは要するに原作のTYPE-MOONが作り上げた世界観にどれだけハマれるかということなんですが、ハマる人はドハマりするけどそうでない人には…という構造は、カルト人気を持った作品には共通の問題なのかも知れません。「ファイブスター物語」なんかもそうなんでしょうね(ええい!13巻はまだかッ!!)

古今東西現在過去未来を問わず英霊(英雄だった存在)を召喚して戦わせるという、言ってみればバトルロイヤル的展開は、山田風太郎の忍法帖の面影を感じます。ただ、誰の趣味なのかは知りませんが、基本的に英雄が西洋サイドに偏っているような。本作ではヘラクレス(バーサーカー)、メデューサ(ライダー)、メディア(キャスター)とギリシャ神話系が3人もいるほか、クーフーリン(ランサー)がケルト、アーサー王(セイバー)がイギリスと、7人のサーヴァント中5人が欧州系になっています。残りはアーチャーは未来の衛宮士郎その人なので分類外で、「佐々木小次郎」を名乗る無名の剣豪(アサシン)は一応日本ということになるでしょうか。

別格の“黄金のサーヴァント”ギルガメッシュも古代メソポタミア出身ということで、日本から見て西洋に偏っているなあと思いますね。実在を問わないのであれば、インド神話とか北欧神話、道教(中国)からの登用もありだと思うのですが。項羽とか出したら強そう。セイバーとかランサーのクラスにすれば、ナチュラルにバーサーカーの能力も持ってたりして。

あとは主人公の衛宮士郎が嫌いだから言うわけではないですが、最終決戦のVSギルガメッシュ戦には意義あり。彼は王であって戦士ではないから、あらゆる宝具の原型の「所有者」であり「担い手」ではないので宝具を「使いこなす」真似はできないということになっていますが…それを言ったらアーサー王だって同じなんじゃないの?

エクスカリバーは魔力が宿る剣だとかブリテン島の正当な統治者の象徴とされていますが、アーサー自身は騎士としてはランスロットより弱かっただろうし(しかも嫁をNTRされるという)、特別な剣技を持っていたというエピソードも私は知りません。なので名も無き剣豪ながら「燕返し」を繰り出せる「佐々木小次郎」とサシで勝負して勝てる道理は本来ないのですが…

そもそもエクスカリバーはアニメでの描写のような超絶破壊能力を出す剣じゃないですしね。むしろ身につけていると傷をうけないという「魔法の鞘」の方が重要だったのではないかと思います。不義の子モルドレッド(アーサー自身も不義の子ですが)の反乱の際には、槍で戦っていますし、普通に考えれば昔の戦争だと遠距離では弓、中距離では槍を使うので、リーチの短い剣は今で言えばピストルのようなサブウエポンに過ぎないのではないかと。要するにエクスカリバーは王のシンボルであって、権威を与えるものではあってもそれ自体が超絶的威力を発揮するものではなかったのです。

まあそうは言っても以後のファンタジー作品でエクスカリバーは一人歩きを始め、ファイナルファンタジーシリーズなどでは恒例の高性能聖剣として扱われましたから、多少のかさ上げは仕方がないでしょう。でも本作のパワーは反則的です。百歩譲って、そもそもそういう能力を秘めていたとして、当のアーサーがその能力を駆使できていないのだから、ギルガメッシュは所用するだけで使いこなせないという設定には「なんだかなあ」という気分になってしまうのです。まあ無数の宝具を持っていて全てを使いこなせたら勝ち目がないかからも知れませんが。

が、そんなことは些末なことと言って良いでしょう。真の問題はやはり主人公・衛宮士郎にあるのです。正義の味方となってみんなを救い、幸せにするという理想をいい年をして(というより一生涯)本気で追いかけていくという「異常者」に対して、どう共感しろというのでしょうか。人助けのためなら自らを省みない生き方をしているので、早晩交通事故に遭遇したちびっ子を助けて自分が死ぬといった美談の主になりそうですが。

そもそもこの人、衛宮切嗣の養子になったので衛宮を名乗っていますが、本来の名字は何なんでしょうかね?今回の凜ルートでは遠坂凛というパートナーを得たので、この時間線での彼は多少違う生涯を送ることになるのかも知れませんが、こいつは凜を幸せにしてくれる人間ではないので、凜の方が彼と共にいることに幸せを感じるということでなければならないでしょう。

どうでもいい話ですが、もし私がサーヴァントを召喚するなら、“這い寄る混沌(ニャル子さんのシリアスな側)”とか“一にして全、全にして一”とかを呼びたいのですが、そういう超地球規模の存在は反則になるんでしょうかね?

続いてプラスティック・メモリーズ。原作なしのオリジナル作品ということで期待しました。そして中盤まではなるほどと唸って見ていたのですが…後半は全く別物の作品になってしまいました。

アンドロイドが実用化された近未来、「ギフティア」という人間そっくりなアンドロイドが大量に出回っていますが、耐用年数期限が9年しかなく、それを過ぎると暴走してしまうという欠点がありました。そこで寿命を迎える寸前のギフティアを回収する「ターミナルサービス」という部署があり、主人公ツカサはそこで働くことになります。彼はアイラという少女型ギフティアをパートナーとして仕事に取り組みますが、心が通い始めた頃、アイラ自身の耐用期限が目前に迫っていたことが判明します。

前半は心を通わせて人間そのもの、あるいはそれ以上に愛情を注ぐ存在であるギフティアを回収する切なさや、ギフティアを横取りしようとする悪質業者の存在、そして暴走してしまったギフティアの哀しい末路などを描いており、アンドロイドを実用化した際に起きるもろもろの事件を取り上げる中で泣かせる話なのかと思っていました。

しかし後半はひたすらアイラとツカサのラブストーリーになってしまい、仕事はそっちのけ状態。それどころか周囲の仲間も仕事なんていいから一緒に過ごせとけしかける始末で、お前ら仕事を何だと思っているのだと思ってしまいます。最後の日まで仕事に勤しむという姿はそれはそれでありなんじゃないかと。

そしてアンドロイド相手に本気で恋するツカサ。同様に人間そっくりなアンドロイドが実用化されている世界を描いた「イブの時間」ではアンドロイドを人間視してしまう人間を「ドリ系」(アンドロイドホリック(アンドロイド依存症)の略)と呼んで「キモオタ」扱いしていましたが、ここでは誰も当たり前のように見ていました。これは一体…

そもそもギフティアはやたら高性能すぎます。とても近未来でここまでのアンドロイドは制作できないでしょう。豊かな表情を持っている位はいいとして、人間のようにミスをしたり動揺したりするし、人間と同じ物を飲食可能だったりします(実際のところ動力は何なんだ)。

なによりギフティアは人間と変わらない「心」を持っています。これは…人間は神になってしまったのでしょうか?正直ギフティアと人間の見分けは肉眼では事実上不可能です。会話をしてもムリでしょう。本人が自分はギフティアだとカミングアウトしない限りは。これほどの高性能のアンドロイド、果たして一体いくらぐらいするのでしょうか。また、それほどの高性能が必要なんでしょうか。

ギフティアは人間そっくりなので、ロボットとしては多用途汎用型だと思われ、お茶くみから育児まで幅広くこなすようですが、それほど人間そっくりな存在を作り上げながら短い耐用年数しか与えられないというのはどういうことか。それもボディなどハードではなくソフトの方に問題があるみたいですが。

しかもギフティア、ロボット三原則みたいな規制がないみたいなんですが。ロボットがなんらかの理由で人を殺傷するというのはロボット三原則を唱えた当のアシモフの作品に登場するので、ギフティアが暴走して人を殺傷すること自体はいいのですが、普段は何か彼らを律する規範が存在しているのかどうか。本編では人間用の法令をそのままギフティアにも適用しているようにしか見えませんでした。

13話しかない作品にどこまで求めるべきかという問題はありますが、大風呂敷を広げてたった12話できちんとたたんでみせた「魔法少女まどか☆マギカ」という偉大な先達もあることですから、せめてギフティアが普及した背景とか必要性(例えば核戦争で人口が激減したとか)、ギフティア開発史、価格や世に出ている数など、作品世界を理解するために必要なリアリティを描いて欲しかったですね。

ロボット(アイラ)と人間(ツカサ)のラブストーリーを描くならずっとそれ中心で、ギフティアという存在の抱える問題とか悲しみを描くならやはりずっとそれ中心で行った方が良かったのだと思います。それを前半と後半でがらっと変えてしまったのでどちらも中途半端になってしまったような気がします。

ギフティアを製造するSAI社とか、SAI社と業務提携している民間警備会社アール・セキュリティ社などはもっと描いて欲しかったです。主要登場人物からは「ギフティアをモノとしてしか見ていない」と蛇蝎のごとく嫌われていたアール・セキュリティ社ですが、本編描写的には全く悪い会社ではありませんでした。ギフティアが攻殻機動隊における義体(サイボーグ)だったら彼らの憤りも理解できるのですが、いやモノだろうギフティアは(笑)。むしろモノにあれほどの「心」を与えていることにこそ問題があるように思います。その必要があるのであれば、やはりそこを説明しなければいけなかったでしょう。

いっそ、何もかも理解分した上でそれでも二人で逃げてしまうツカサとアイラ、追うターミナルサービスの面々といった破滅的なラストでも良かったと思います。そしてアール・セキュリティ社の銃弾の雨に中で…。助け起こすのが友情なら、共に倒れるのが愛情だとかなんとか言って。

ということで、今回紹介した二作品は諸手を挙げて歓迎する作品ではありませんでした。でも私は本当にダメだと思ったなら途中でばっさり切ってしまうので、最後まで視聴しているということで作品の出来を勘案していただきたいと思います。愛の鞭ですよ愛の(笑)。

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