2015春季アニメの感想(その1):「暗殺教室」と「終わりのセラフ」

今日は夏至です。ユースフは下司の極みですが、夏至の極み乙女というのはどうでしょう。どうでしょうと言われても困りますね。

筑波嶺時代は昼が長いのが嫌で、日暮れの早い秋冬が好きだったのですが、札幌の冬を経験したらもう冬が怖くて怖くて。なので昼の長くなっていく間は元気でしたが、明日からはまた次第に昼が短くなり、一日一日冬が近づいてくると想うとそれだけで憂鬱です。

が、夏休みを前にブルーになっていても仕方有りません。楽しいことも辛いことも、やることをやっていきましょう。ということで本題に入りますが、そろそろ春季アニメも最終回を迎えていきつつあるということで、終了作の感想など。序盤の感想というのをやったので、中盤ないし終盤の感想というのもやりたかったのですが、あれよあれよという間に終了時期になってしまいました。

暗殺教室

冬から2クール続いた作品ですが、原作の連載が続いているので当然完結していません。2016年に第二期を放映する予定らしいです。2クールながら全22話で、サブキャラがメインとなった話が多くカットされているようです。

一年間(3年生になった4月から卒業する翌年3月まで)の間に殺せんせーを暗殺しないと人類滅亡らしいのですが、第一期は2学期に入るところまででしたので、第三期もありうるのではないかと思います。

授業の傍ら暗殺技術の習得という不思議なことを強いられている3年E組の生徒達ですが、おかげで一般生徒よりもも学力・体力・精神力が大幅に向上しているようです。もはや落ちこぼれというレベルではありませんね。

毎回面白く見てきましたが、まあなんちゅうか…中学生レベルまでの子供向けの作品ですね。もちろん大人の鑑賞に耐えないわけではないですが、たかが中学校の成績ごときで一生が決まるが如く決めつける椚ヶ丘中学校の教育方針とか、学力エリート=支配者という単純な刷り込みなど、世の中がそんなに単純だったら楽というかクソ面白くないだろうと思いますが、中学生が思う「世界」というものを図式化するとこういうこのになるんでしょうかね。

そういうわけで、殺せんせーが界を滅ぼすというわりに世界に緊迫感がないという。もちろん一般人には伏せられているのでしょうが、事情を知っている世界の列挙国指導層(知らない国もたくさんあるんでしょうね)の無策ぶりが笑えます。実は水面下でいろいろやっているという設定にしていもいいのでしょうが、本当のところ殺せんせーが世界を滅ぼすことはないと見切っているけど、やりうる力は確かにあるので、とりあえずある程度の相手はしているといった感じがするのですが…そう思うのは私だけ?

まあ童心に還って中二病的センスで見ていればいいのでしょうが…そうなるともっと神崎さん(神崎有希子)だせやみたいな感想になってしまいがちで。ゲストキャラにがんがんセクハラされて怯えた表情を見せて欲しいですね(ゲスの極み!)。


なお殺せんせー、元は人間らしいですが、何らかの生体実験か改造処置を受けてああなったと思われますが、マッハ20で動けるということは、加速装置を搭載しているのでしょう。しかも空を飛べるので、「サイボーグ009」の002(ジェット・リンク)に近い性質を持っているようですが、002がマッハ5で行動可能なのに対し、殺せんせーはマッハ20という速度で行動できるので、ゼロゼロナンバーのサイボーグでは太刀打ちできないでしょう。

ちなみに加速中は発する音声は可聴域を超えて超音波帯にシフトするので加速中の殺せんせーとの意思疎通は音声会話では不可能になる(生徒の声は逆に超低音域にシフトするし)はずですが、殺せんせーは通常時と全く変わらぬ声で会話しているのは謎ですね。サイボーグ009達は内蔵無線機で通信していましたが。

加速中は超高速高負荷運動を行っているため、エネルギーと肉体各部を急速に消耗するはずですが、殺せんせーの特殊ボディは長時間の加速状態維持を可能にしているようです。こういった話は某柳田○科雄あたりが好きそうですが、あの人もいろいろ間違うらしいですね。

終わりのセラフ

第一期は12話で終了。10月から第二期放映ということで、完結するんでしょうかね。百夜孤児院(この名前がまた中二病な…)出身の百夜優一郎と吸血鬼になってしまった百夜ミカエラの「ウホッ」「アッー」な話になりそうな気配を濃厚に漂わせながら、第一期は再会しただけで終わってしまいました。第二期でさらに濃厚な絡みがあるんでしょうか。

原作を読んでいる人は知っているのかも知れませんが、謎のウィルスの蔓延により大人が死に絶え、人間社会が崩壊し、吸血鬼や「ヨハネの騎士」と呼ばれる化け物が跋扈する世界で、なぜ日本帝鬼軍という大人がたくさんいる組織が健在なのかとか、吸血鬼どのようにして出現したのかとか、わからないことだらけです。

判らないといえば「終わりのセラフ」という名称自体謎でしたが、どうやら終盤優一郎が変化したあの姿のその一端のようですね。ミカエラも変化するのかも知れません。そして人間のセラフと吸血鬼のセラフが合体して究極の姿に…なんて(「超人バロムワン」か)。

私にとってこの作品は、柊シノアを愛でるというそれだけで十分価値があるものでした。シノア可愛いよシノア。「日本帝鬼軍」の支配者である柊一族でありながら軍曹という低い階級に留まっていたり、身体能力や呪術における才覚は抜きん出ているらしいのですが、実戦ではそれほど強いように見えないなど、謎が多い人です。どうやら色々な秘密には直接タッチできない立場のようですが…

優一郎を翻弄しまくる、ひょうひょうとして喰えない態度だった序盤のシノアも好きですが、吸血鬼との実戦に入って以降の真剣なというか、本当の感情を露わにするようになったシノアも好きです。シノアが喰えない態度なのは余裕ができた証拠ですね。

吸血鬼の方はやけに欧風な容貌のキャラが多く、傲岸不遜で高慢な性格の連中が多いようですが、「始祖」と呼ばれる貴族と普通の吸血鬼の差は一体何なのかいまいちよくわかりません。本編で一番偉いクルル・ツェペシが第三位始祖だそうですが、第一位や第二位は今後登場するのでしょうかね。


あと、ミカエラのように人間から吸血鬼になったのは珍しい存在のように扱われているし、始祖以外の吸血鬼も人間をひたすら家畜扱いしているのですが、この世界では吸血鬼同士で子供を産んだりしているんでしょうかね。確か伝承の吸血鬼も人間の女性に子を産ませたりするそうですが、その場合はダンピールという吸血鬼とはまた別の存在になってしまうとか(「吸血鬼ハンターD」ですな)。


終盤、シノアや三葉らがこぞって死地に陥り、吸血鬼に血を吸われていましたが、大丈夫なんでしょうか?吸血鬼に生き血を吸われた人間は吸血鬼化するなんて設定はポピュラーですが。この世界では、ミカエラの例を見ると、吸血鬼に血を吸われるのではなく、吸血鬼に血を与えられると吸血鬼化するみたいですが。本編の描写では、吸血鬼は死者から血をすすっていましたが、生き血じゃなくてもいいんですかね。どうせなら可愛い子の血を吸いたいとかないのかな。貴族(始祖)クラスだとそういうえり好みがありそうな気がします。

ラスト、第七位始祖のフェリドが人間の何者かと取引をしている描写があり、人間側の正体は描かれていませんでしたが、あれは一ノ瀬グレンしかないですよね。戦闘中あらだけフェリドに捕まっていながら生き残っているのは、フェリドに殺す気がなく、ポーズで戦っていたからだとしか思えません。

もしかすると吸血鬼部隊の渋谷襲撃自体が「終わりのセラフ」を確認するためだけの作戦行動だったのかも知れません。優一郎の仲間達が全員生き残っているのが不自然すぎるし、演出だとしたらあまりにも描写がお粗末でしょうから。だいたい吸血鬼側、一般に殺せる時に殺そうとしないんですよね。上から目線でもいいけど、鬼呪装備の戦士を舐めちゃいかんでしょ。


第二期はシノアをもっともっと出して、戦ったり捕まったり拷問されたり闇堕ちしたりヤンデレ化したり、とにかくいろいろあって欲しいですね。はやみんに思いっきりしゃべらせてよ。いっそシノアが主人公の外伝とか作っても。

あと最終回にグレンの回想としてちらっと出てきたシノアの姉の柊真昼(故人)ももっと登場させて欲しいですね。どうやら現在はグレンの鬼呪装備の刀「真昼ノ夜」になっているらしいですが……


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