平泉紀行(その2):毛越寺~“もうえつじ”ではなく“もうつうじ”と読みます

季節外れの猛暑が来たりG7サミットが開かれたりと、日本ではいろいろとあった今週ですが、仙台は昨日は長雨、今日は曇天でまるで梅雨が来たかのようです。沖縄・奄美では梅雨入りしたとは聞きましたが、いくらなんでも東北が梅雨入りするのはまだ先でしょう。しかし、5月の仙台はずっと湿度が低い日が続いていたところ、ようやくしっとりしてきた感じはします。じっとりは嫌ですがしっとりはいいですね。

さて平泉紀行(ちょっと大げさ)の続きです。平泉周辺のGoogleマップを見てみると、駅から毛越寺はかなり近いですね。当初は先に毛越寺に行こうかと思ったのですが、雨が降ってきたのとたまたまタクシーを見かけたので、つい中尊寺に向かってしまいました。毛越寺に向かったら初乗り運賃で着いちゃう距離ですね。

毛越寺は中尊寺と共に第三代天台座主の円仁(慈覚大師)が創建したとされますが、大火で焼失した後、奥州藤原氏が「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」という壮大な伽藍を再興し、当時は中尊寺をしのぐ規模だったそうです。

その後、鎌倉時代の火災や戦国時代の戦火により、堂宇は土壇と礎石を残すだけとなってしまい、江戸時代には水田化していたとか。現在は境内が特別史跡に指定されているほか、庭園が特別名勝に指定されています。2011年には「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」が世界遺産に登録されましたが、毛越寺は中尊寺と並んで中核となっています。


弁慶の墓の前を東北本線と並行して通っている岩手県道300号(三日町瀬原線)を南下して平泉駅方向に向かいます。途中で毛越寺と書かれた立て札を見て脇道にそれてしまったので、世界遺産構成要素の一つである無量光院跡を見そこなってしまいました。かつては宇治の平等院鳳凰堂を模した巨大な阿弥陀堂があったそうです。VRの再原図は凄いですね。

大きな池が見えてきました。毛越寺かと思ったら、その手前の観自在王院跡でした。やはり世界遺産の構成要素の一つで、奥州藤原氏二代目の藤原基衡の妻によって建立された寺院だったそうです。12世紀以降は長らく水田となっていましたが、今は鶴が舞う形をした池とその周囲の庭園が復元され、名勝に指定されています。

いよいよ毛越寺。拝観料は700円。中尊寺より100円安いけど、中尊寺の方が建物が多いからお得感(?)があったりして。

本堂。平成元年に平安様式で建立されました。東北を巡遊していた円仁が白鹿の毛に導かれてこの地に到り、白髪の老人から堂宇を建立して霊場にせよと告げられたそうです。円仁は、この老人が薬師如来の化身と感じたのだそうで、毛越寺の山号は医王山で、本尊は平安時代作の薬師如来です。

浄土庭園の中心にある大泉が池の東側。向こうの方に貴族が船遊びに使うような船が二艘ありますね。曇天のせいでいまいち浄土感に欠けているような。

こちらは大泉が池の西側です。山が借景になっていて、こちらの方が雰囲気があるような気もします。

池の西側にある開山堂。円仁をまつっています。慈覚大師像のほか、大日如来像や奥州藤原氏三代の画像が安置されています。

嘉祥寺跡。寺伝によれば円仁が創建した当時の名前が嘉祥寺だったそうです。周囲の平たい石は礎石です。

別のアングルから撮ってみました。礎石の様子がよくわかるかと。

講堂跡。池の北方にあります。土壇は東西約83尺、南北約80尺のほぼ方形で、礎石は十数個あります。

講堂跡の東にある大金堂円隆寺跡。円隆寺は基衡が建立し、毛越寺の中心伽藍でした。金銀、紫檀をちりばめていたそうで、その荘厳は鎌倉時代の歴史書・吾妻鏡によれば「吾朝無双」だったそうです。

池に水を引き入れるための遣水。曲がりくねる水の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。平安時代唯一の遺構ということで、非常に貴重なものです。

この遣水を使って、毎年「 曲水の宴」が開催され、平安の雅な情景を再現しているそうです。

さきほど見た池の船が近くに。一艘は船首に竜が、もう一艘は船首に鳳凰らしきものが。こういう船を使って「風雲!たけし城」のアトラクションとかやったら楽しそうです(古い!)。

常行堂。やっと跡ではなく現存する建物が。しかし見た目は古そうですが、伊達藩が江戸中期に再建したもので、建立後300年ほどなのでそれほど古いものではありません。本尊は阿弥陀如来ですが、奥には秘仏の摩多羅神がまつられているそうです。天台宗系の密教でまつられる神で、阿弥陀経と念仏の守護神だそうですが、33年に一度しか見られないそうです。

常行堂跡。本来の常行堂があった場所です。その奥には法華堂跡もあります。

大泉が池の東端部。紅葉の若葉が美しいです。紅くなった紅葉はもちろん素晴らしいですが、若葉もいいものですね。

大泉が池を一周して戻ってきつつありますが、東南部にある出島石組と池中立石。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられています。東日本大震災で立石は傾いたそうですが、今では元の姿に戻っています。

ありし日の毛越寺復元図。左側の両翼の回廊を持つ建物が嘉祥寺。その隣のやはり両翼の回廊を持つ建物が円隆寺。円隆寺の左上が講堂。円隆寺の右側に回廊でつながった法華堂と常行堂があります。法華堂の向こうにも池があって中之島に建物がありますね。

松尾芭蕉の句碑。この地を訪れた芭蕉は、奥州藤原氏の栄華と悲運の義経主従をしのび、有名な「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句を詠みました。句碑が二つありますが、どちらも同じ句が刻まれていますが、左の小さい句碑が芭蕉の真筆といわれています。右の大きい句碑は江戸時代後期に地元俳人達が建てた副碑だそうです。

毛越寺から平泉駅はほぼまっすぐ東進するだけ。駅の売店で、お土産に「弁慶力餅」を買いました。“香ばしいくるみを使用した餡をもちで包み込んだ、創業以来、平泉の名物として愛され続ける銘菓です。ほのかな甘みともちもちの食感がくせになる、定番の手土産です。”とのことです。岩手銘菓として有名な「かもめの玉子」も売っていましたが、「弁慶力餅」は平泉でしか買えないと言うことで、こちらをチョイス。限定という言葉には弱いですね(笑)。それにしてもやはり義経よりも弁慶なんですねえ。

昼前には雨は止むという天気予想に従って傘を持たずに出かけましたが、結局最後まで小雨が降り続いていました。妙に気温が低かったこともあり、3月くらいの春雨といった感じでしたが、まあ傘なしでは耐えられないというほどではなかったのでよしとしましょう。これも仏閣参りの御利益でしょうかね。私は参拝せずに見物しただけですけど。
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