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平泉紀行(その1):東北の一大伽藍・中尊寺

できるかな?

 NHK教育テレビの子ども向け番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが昨年9月に亡くなっていたことがわかりました。周囲を騒がせたくないという本人の希望で公表が遅くなったとか。番組では最終回まで一切しゃべらず、ジェスチャーだけで意思表示していました。相方の謎の着ぐるみ「ゴン太くん」とは名コンビでしたが、しゃべらない二人の行動に的確な実況&ツッコミを入れる名調子の「おしゃべり」(ナレーター)と名トリオというべきでしょうかね。

やるんだよ

 ノッポさん、目は結構怖いよなと思っていたのですが、こういうネタ画像が。

黒ノッポさん
黒ノッポさん

 単なるネットのクソコラ画像だと思ったら、後年民放番組でMCを務めた「人生終了クイズ」でこういう役柄を演じていたようです。これはちょっと見てみたかった。でももう9年も前の番組でした。

一ノ関駅

 話はがらりと変わりますが、本日は先日行ってきた平泉の中尊寺についてです。東京から行けば結構な距離ですが、仙台からだと新幹線で30分ちょい。奥州藤原氏三代ゆかりの寺としてきわめて有名ですが、なんとこれまでの人生で一度も行ったことがありませんでした。ここのところ赴任地が西国だったので西日本を回っていましたが、今後は東日本を回りましょう。

平泉駅

 新幹線で一ノ関駅。そこから東北本線に乗り換えて平泉駅へ。昔は数々の特急&急行で賑わった東北本線も、新幹線開通以後はローカル線のようなたたずまいに。

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 駅からの距離がよくわからなかったので、タクシーに乗ったら1010円で到着しました。安い!ということは歩いても充分行ける距離ということですね。帰りは歩きましょう。中尊寺に向かう道はこんな感じ。雨は午前中で上がるという天気予報を信じて傘を持たずに来ましたが、結局降り続けましたねえ。まあ大した降りではありませんでしたが。拝観料は800円ですが、金色堂・讃衡蔵(宝物館)・経蔵・旧覆堂に行かなければ、その他の伽藍は無料で見ることができます。しかし中尊寺に来て金色堂を見ない馬鹿もいませんよね。

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 入り口そばにあるのが阿弥陀堂。江戸時代の1715年再建のもので、その名のとおり阿弥陀如来が本尊です。また修験道で本尊とされる蔵王権現も合祀しているそうです。

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 池のほとりの弁財天堂。1716年建立。弁財天の眷属である十五童子が本尊です。15人ものショタにかしずかれるとは、逆ハーレムですね弁天様。

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 皆さんお馴染みの構図だと思いますが、金色堂をカバーする鉄筋コンクリート製の覆堂です。内部は撮影不可となっています。

金色堂内部

 ネットで見つけた金色堂の画像。もちろん国宝。中尊寺創建当時の姿を今に伝える唯一の建造物で、平安末期の1124年建立。金閣寺が外面に金箔を張り巡らせているのに対し、金色堂は内部にも金箔が張られ、金銀や螺鈿による装飾がなされています。

金色堂模型

 ミニチュア模型では屋根まで金箔が施されて全身金ぴかですが、解体修理の際に屋根には金箔の痕跡がなかったそうで、実物の屋根には金箔が張られていません。

藤原氏ミイラ

 内部には奥州藤原氏三代の遺体と四代泰衡(伝忠衡)の首が安置されています。子供の頃ミイラになっていると聞いていましたが、自然にミイラ化したのかエジプトのミイラのように人口加工したのかは未解明だとか。それにしても多湿の日本でよくもまあ。

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 重要文化財の経蔵。本来は二階建てだったそうですが、1337年の火災で二階部分を失ったとか。本尊は重文の獅子に乗った文殊菩薩(騎師文殊菩薩)で、国宝の一切経も納められていましたが、共に今は讃衡蔵(宝物館)に移されています。

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 現在経蔵に安置されている騎師文殊菩薩は新品。どうりで金ぴかですね。

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 ちょっと高いところにある関山(かんざん)天満宮。鎌倉時代に菅原道真道の子孫である五条為視が平泉に下向した時に北野天満宮から分霊を勧請したのだとか。

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 旧覆堂(重文)。現在の覆堂ができるまで、金色堂を風雨から守ってきた堂で、中尊寺は鎌倉時代の建造としていますが、実際には室町中期頃の建造のようです。手前の像は松尾芭蕉。金色堂を訪ねた際の「五月雨を 降り残してや 光堂」は有名な一句ですね。彼が訪れた頃はこの覆堂が使われていました。

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 大長寿院。かつては二階建ての巨大建築で二階大堂と呼ばれたそうです。奥州征伐の際にやって来た頼朝が見て、鎌倉にこれを模した永福寺を建てたとか。今の建物は幕末1863年の再建です。

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 釈迦堂。1719年の再建。本尊はその名のとおり釈迦三尊。

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 白山神社。中尊寺の鎮守です。茅の輪は6月末の夏越祓 (なごしはらえ) で使われるもので、これをくぐって心身を清めて災厄を祓い、無病息災を願うのですが、ここでも年中標準装備なのか。

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 重文の能楽殿。1853年に伊達藩が再建したものですが、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされ、日本の芸能史上貴重な遺構だそうです。現在も使われています。

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 宝物館である讃衡蔵(さんこうぞう)。2000年新築。中尊寺の多くの文化財を収蔵展示しています。ここも内部は撮影不可。

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 旧鐘楼。1343年に鋳造された梵鐘がありますが、長年の使用で窪み、今では使われることはないとか。

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 本堂方向に向かう参道の坂道。さすが新緑の季節、緑が鮮やかです。

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 大日堂。1802年再建。本尊は当然大日如来です。

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 峯薬師堂。元々は別の場所にありましたが、1689年に移築されました。本尊の薬師如来像は讃衡蔵に安置されています。

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 本堂。1909年再建。中尊寺は850年に天台宗第三代座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられていますが、裏付けはなく、12世紀初頭に奥州藤原氏の初代・清衡の建立したのが実質的な始まりとみられています。
。1655年に上野・寛永寺(天台宗関東総本山)の末寺となり、1958年に天台宗東北大本山となっています。

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 観音堂。薬師堂に隣接しています。中尊寺公式HPで薬師堂は説明しているのに、なぜか観音堂は無視されている不思議。本尊は観音菩薩ですが、やはり讃衡蔵に安置されています。

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 薬師堂。1885年改築だそうですが、それにしたは新しそうな。薬師三尊と十二神将を安置しています。

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 弁慶堂。1827年建立。本尊は勝軍地蔵で、古くは愛宕堂と称していたそうですが、義経・弁慶の木像を安置し、明治以降弁慶堂と呼ばれるようになったそうです。

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 月見坂にある八幡堂。前九年の役の際に源頼義・義家親子が戦勝祈願した事が始まりだそうです。八幡神社でしたが、明治の神仏分離令で八幡堂となり、阿弥陀如来が本尊となっています。

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 境内を出て毛越寺に向かいますが、その前に見つけた弁慶の墓。1189年の衣川の戦いで立ち往生したという弁慶の遺骨が葬られているそうです。義経の郎党として非常に有名ですが、史書には出自や業績、最期等について全く触れられておらず、実在が疑問視されています。創作物では面白おかしくいろいろな話が作られていますが。それにしても義経の墓はないのね。弁慶堂はあっても義経堂はないし。義経には衣川で死なず、蝦夷地に逃れたという、いわゆる「義経北行伝説」があります(さらに大陸に渡って成吉思汗になったというトンデモ伝説もあったりして)が、それだと弁慶も随行しているのでここでは死んでいないことになりますが。なにはともあれ、次回は毛越寺。
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