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奈良小旅行(その1):「初瀬詣」の長谷寺に行ってきました

深まりゆく秋

 深まりゆく秋、実にいいですね。週末ごとに台風が来るなんてトホホな時期もありましたが、ここのところは秋晴れになって実に結構です。秋晴れの日曜日となると、どうしても外出したくなりますが、年のせいか京都・奈良の古い社寺にばかり関心が向きます。別に信心深くなった訳でもないのですが、古い人間は古いものが好きになるのか。

長谷寺境内図 

 ということで、先週は京都に行ったので今週は奈良にでも行ってみっかということで、長谷寺に行ってきました。望んでの転勤ではないのですが、大阪に住んで良かったなと思うのは、古典に出てくる場所に比較的簡単に行けることです。名所は日本中にあるのでしょうが、古典に出てくるのは畿内の場所が多いですから。

長谷路 

 長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されていますが、寺伝によれば、天武朝の朱鳥元(686)年に僧の道明が初瀬山の西の丘に三重塔を建立し、続いて神亀4(727)年に僧の徳道が初瀬山の東の丘に本尊十一面観音像を祀って開山したということになっています。

長谷寺外観 

 長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集め、987(永延元)年には花山院が御幸し、万寿元(1024)年には藤原道長も参詣しています。長谷寺は初瀬山の山腹にあることから、長谷寺に参詣することは「初瀬詣で」と呼ばれました。

長谷寺入り口 

 紫式部の源氏物語では、中盤に登場する玉鬘が長谷寺に参詣しています。玉鬘は頭中将と夕顔の娘で、夕顔は後に光源氏の愛人になりましたが、やはり光源氏の愛人である六条御息所と思われる物の怪に取り殺されます。幼少の玉鬘はその後乳母に伴われて九州で成長し、長谷寺に参詣の旅に出たところ、かつての夕顔の侍女に再会し、光源氏の庇護を受けることになります。

本堂からの景色 

 また清少納言の「枕草子」では、「卯月のつごもり方に、初瀬に詣でて、淀の渡りといふものをせしかば」(110段)とか「九月二十日あまりのほど、初瀬に詣でて、いとはかなき家にとまりたりしに」(214段)などの記載があり、清少納言自身がしばしば長谷寺に参詣したことが窺えます。この他「蜻蛉日記」の作者藤原道綱母や「更級日記」の作者である菅原孝標女も初瀬詣でをしたことを書き記しています。

参詣路にある町屋 

 長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺であったものが、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となり、16世紀以降は新義真言宗の流れをくむ真言宗豊山派の総本山となっています。私がかつて住んでいた鬼の哭く街・A立区にある西新井大師もこの宗派です。なお鎌倉にも長谷寺がありますが、奈良の長谷寺の開基である徳道が本尊として楠の大木から十一面観音を造った時、実は二体の十一面観音を造っており、本尊にしなかったもう1体を海に流したところ、15年後に三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺なんだとか。しかし同じ名前で同じく十一面観音を本尊にしていても、鎌倉の長谷寺は江戸時代に浄土宗系に改宗しているので、宗派は異なります。

長谷寺駅
 このほか十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は日本各地に240寺程も存在するんだそうで、他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもあります。まあただ「長谷寺」といえばここか鎌倉のということになるんでしょうけど。それにしても観音様は千手だったり十一面だったり馬頭だったりといろんなバリエーションがありますね。他の菩薩にはない特徴では。 

 額田王の歌碑
 
 近鉄の長谷寺駅からはおよそ15分ほど。参詣路には京都の町屋のような家屋も結構残っており、趣があります。途中には額田王の歌碑があったりしました。飛鳥時代が出てくるあたり、さすが奈良だなと思ってしまいます。

長谷寺仁王門 
長谷寺の登廊 

 長谷寺の入口は初瀬山山麓にある仁王門。本堂までは399段の登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)を上っていきます。登廊は重要文化財に指定されており、長暦3年(1039)年に春日社の社司・中臣信清が我が子の病気平癒の御礼で寄進したものですが、現存するものは近世以降の再建です。一段一段の段差が小さく、足が悪い人には優しいかもしれませんが、普通の人にはじれったくなるような。二段飛びで上がってしまいました。下登廊、中登廊、上登廊と三つに分かれており、上の方に行くと段差が大きくなっていきます。

蔵王堂

 中登廊と上登廊の間には蔵王堂が。蔵王権現を祀っていて、前には巨大な三鈷杵が。蔵王権現が持つ蔵王三鈷で、手を触れると七難即滅・七福即生(世の中の七つの大難が消滅し七つの福が生まれる)の御利益があるそうです。信心深くはないのですが、只なので触りまくってきました。
 
三鈷杵 

 しかし蔵王権現って何者なんだろうと調べてみたら、インドに起源を持たない日本独自の仏で、日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊なんだそうです。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものだということで、それってハイ・サーヴァントなんじゃ(笑)。FGOのやりすぎだ。なお宮城県と山形県の県境には蔵王連峰がありますが、吉野から蔵王権現が勧請され、平安時代には修験者が修行するようになったため蔵王山とも呼ばれるようになったんだとか。

十一面観音 

 本堂は国宝ですが現存の本堂は8代目で、慶安3(1650)年の竣工。奈良時代以降7回も焼失しているそうで、火除けのご利益はなさそうですね。特別参観料1000円を払えば本堂内に入って、重要文化財で本尊である十一面観音像の足に触れることができるそうですが、特別信心深くなくてケチなので入山料500円のみでパスしました。本堂の外からも十一面観音は拝めます。木造の仏像としては10メートルを超える巨大なもので、国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のものだそうです。

本長谷寺 

 本堂の西方の丘には「本長谷寺」と称する一画があり、五重塔などが建っています。寺伝によればこちらが元々長谷寺があったエリアということになります。本長谷寺のお堂は非常にちんまりとしていて、本堂とは比べるべくもありません。

長谷寺五重塔 

 五重塔は桧皮葺の屋根と朱色が鮮やかです。高さは約27メートルですが、1954(昭和29)年の建立と新しいものです。そのそばには長谷寺創建当時の三重塔があったそうですが、豊臣秀頼が再建したものは明治時代に落雷で焼失してしまい、今は礎石だけが残っています。

三重塔の礎石 

 長谷寺は「大和七福八宝めぐり」の一つに数えられ、長谷寺には本堂脇に大黒堂があります。その他は三輪明神、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺になります。信心深くないので(こればっかり言っている)、全部行く気はありませんが、十三重というとてつもない塔がある談山神社には興味があります。機会があれば行ってみましょう。

大黒堂 
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