刺客 用心棒日月抄:藤沢周平の代表作・最後に読んだシリーズ第三弾

9月ももうすぐ終わりだというのに暑い日が続きましたね。一度涼しい気候を味わった後の残暑は殊のほか辛いように思えます。夕暮れの方は順調に早くなっているので、気温のほうもぜひ追いついて欲しいものです。も、もう真夏日らめえぇ!

ということで(?)本題です。本日は藤沢周平の「刺客 用心棒日月抄」を紹介しましょう。「用心棒日月抄」シリーズは全四作で、藤沢周平の作風に変化が現れた1970年代後半から「小説新潮」に連載が開始され、1991年まで続編が続けて執筆され、藤沢周平の代表作の一つとなっています。
藤沢周平の小説は、初期の頃は暗く重い作風でしたが、1976年のシリーズ第一弾「用心棒日月抄」の頃から作風が変り、綿密な描写と美しい抒情性のうえにユーモアの彩りが濃厚となっていきました。

「用心棒日月抄」シリーズは、お家騒動が頻発する東北の小藩を、密かな藩命により脱藩し、江戸で浪人暮らしをする青江又八郎と、その周辺の人物を描いた時代小説です。はっきり藩名は登場しないのですが、藤沢周平の作品に頻繁に登場する「海坂(うなさか)藩」であろうと思われます。海坂藩は架空の藩ですが、モデルは藤沢周平の出身地である山形県鶴岡市を治めていた庄内藩だろうと推測されています。
庄内藩は譜代大名の酒井氏が一貫して統治した藩で、石高は14万石ほどでしたが、米どころで、北前船の寄港地としても栄えたため、実収入は30万石以上ともいわれましたが、中期頃に老中として幕閣の一翼を担ったり、日光東照宮修理の割り当てを受けたりで出費がかさみ、赤字藩に転落したそうです。

14万石もあればいうてもそれほど小藩ではないと思いますし、ましてや小禄大名が多かった譜代大名としては結構な石高とも思えますが、海坂藩も経済は逼迫していて、家臣の俸禄の3割ほどを借り上げている状態です。主人公青江又八郎は100石で馬廻り役の中士ですが、30石を借り上げられていて実質70石と苦しい生活を強いられています。
「用心棒日月抄」では、家老の藩主毒殺計画を偶然聞いてしまった藩内でも有数の剣の達人青江又八郎は、許婚の父親に相談しますが、この人は実は悪家老派で斬りかかってきたため、やむなく返り討ちにして脱藩し江戸に向かいます。青江は江戸では浪人として裏長屋に住み、相模屋という口入れやから仕事を請け負って用心棒などで糧を得る暮らしをしていましたが、悪家老一派は追っ手に向けてきて、これに立ち向かうことになります。その後、悪家老に対抗する勢力の中老に呼ばれて密かに帰国し、悪家老を上意討ちにします。

「孤剣 用心棒日月抄」はそれから2か月で、悪家老の甥の剣豪が前藩主毒殺に絡む陰謀の証拠書類を持って姿を消し、それを公儀隠密が狙っているらしいことなどを聞かされた青江は、またも密かな脱藩を命じられ、江戸で甥から証拠書類を取り戻すことになります。前回同様、用心棒稼業で糊口をしのぎながら、苦労の末に脱藩して約1年後に、ついに甥討ち果たし、帰国の途につきました。

本作「刺客 用心棒日月抄」は、「小説新潮」1989年3月号から1991年5月号まで断続的に掲載され、1991年に新潮社から単行本が刊行され、1994年に新潮文庫から文庫版が刊行されました。お家騒動は終焉を迎えたと思ったのですが、またしても…。例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。

お家乗っ取りを策謀する黒幕のもとから、五人の刺客が江戸に放たれた。家中屋敷の奥まで忍びこんで、藩士の非違をさぐる陰の集団「嗅足組」を抹殺するためにである。身を挺して危難を救ってくれた女頭領佐知の命が危いと知った青江又八郎は三度び脱藩、用心棒稼業を続けながら、敵と対決するが…。好漢又八郎の凄絶な闘いと、佐知との交情を描く、代表作「用心棒シリーズ」第三編。
密命ゆえとはいえば表面上は脱藩。なので残された家族に公的な扶助もなく、また本人も江戸で自活を強いられるという宮仕えの不条理の極みと言った立場にある青江又八郎ですが、それでも梶派一刀流の達人で剣の腕には覚えがあるということで、花のお江戸ではそれなりにニーズもあって、なんだかんだと糊口を凌ぎつつそれなりに楽しみもある暮らしをしていましたが、苦労して任務を完遂して還っても特に加増もなく、元の役職に戻れただけでした。

それでも嫁さんと暮らせることに幸せを感じていたところ、お家騒動がなおも収束していないことを知らされます。藩主を毒殺した悪家老は、藩主の異母兄を担ぎ上げようとしていたのですが、この異母兄はただの御輿ではなく、実は彼こそが全ての陰謀の黒幕だったことが判明します。
青江の藩には嗅足(かぎあし)組という密偵組織があり、「刺客」では嗅足組の頭の娘で江戸の嗅足組を率いる佐知と協力して事にあたり、一緒に苦楽を共にするうちに男女の仲になったりしたのですが、藩主の異母兄は嗅足組を壊滅させ、別途自分に忠実な密偵組織を作ろうとしており、女性の多い江戸の嗅足組を壊滅させるべく5人の刺客を放ちます。青江は江戸嗅足組の面々を守るよう密命を受け、またも脱藩して江戸に向かうことに。

今回は嗅足組の頭である元家老からの命令で、藩の密命ではないので身分保障はあやふやですが、なにしろその娘とわりない仲になってしまったという弱みもあり、また実際佐知の身も心配なので、ぶつくさと不平不満を持ちながらも江戸に向かう青江。三回目の江戸ともなるとすっかり用心棒稼業にも慣れていて、仕事の合間に佐知ら江戸嗅足組と協力しながら刺客たちを追い詰め、死闘の末に次々と倒していきます。
ストーリーをなぞるだけだと苦労と理不尽ばかりで可哀想になりますが、用心棒の依頼の奇妙さや、周囲の人達とのやりとりなどにユーモアがあり、なんだかんだと江戸暮らしを満喫しているような気もします。故郷には帰りを待つ新妻もいますが、江戸の佐知もまた身も心も許しあう仲だったりして。これは浮気じゃなく、もう本気の恋ですね。もっとも佐知も嫁に取って代わろうなどとは思っておらず、「江戸の妻」と思って欲しいと言うなど、健気な心の女性です。いいなあ、土地土地の女(爆)。

この佐知こそはシリーズのヒロインではないかと思います。好きだなあこの人。忍びの術や小太刀の技はレベルが高くてさすがは頭の娘と思わせますし、なにより美貌です。最初はきつめに思えましたが、次第に親しくなるうちにどんどん女性らしくなっていったりして。故郷の嫁由亀(ゆき)も健気でいい女なんですが、薄幸の影がある佐知と比べるとどうも…。「亀」の字も可愛くないし(笑)。「由希」とか「有紀」なら良かったのに。
そして青江も刺客を討つ合間に用心棒稼業をしているというよりは、用心棒稼業の合間に刺客を倒しているような感じです。まあ探索は佐知達に任せきっているので、呼ばれてやっつけに行くという立場ではそうなってしまうのも無理はありません。それに江戸では何をするにしても先立つものはお金ですしね。用心棒稼業の方も「日常の謎」的ミステリーの色彩があるので、本筋とは別に短編ミステリーを読むような楽しさがあり、一粒で二度美味しい作品となっています。
今回は江戸での使命を終えても物語はまだ終わらず、佐知と別れを惜しんだ後に国元に戻り、藩主の異母兄(跡を継いだ現藩主からすれば伯父ですが)追討の討手に選ばれます。そして野望実現を焦った彼が現藩主を毒殺しようとしたことが明らかになったとき、手はず通り斬り捨てるのでした。

この異母兄も可哀想と言えば可哀想な部分があって、兄であり英明で胆力もあって暗愚といわれた弟よりずっと藩主の資質があったのですが、母の出自が低かったことと、人を苛む悪い癖があることで藩主になれなかったのでした。兄よりすぐれた弟など存在しねえ!!ということで、江戸時代のジャギ兄さんのような人なのですが、性格が悪というのははやりいかんですねえ。暗愚なだけなら家臣がしっかりしていれば何とかなりますから。
これだけ働かされて加増はたった20石。しかも10石は借り上げということで、120石取りになっても実質80石です。相変わらずわりに合わない仕事ですが、嗅足組の頭からは30両貰ったので前よりはいいかも知れません。

なお先に読んでいた最終作「凶刃 用心棒日月抄」は16年後の話で、青江は45歳となり、役職は近習頭取となり、役料30石を含めて160石を賜っています。また別の案件で久々に江戸に行くことになりますが、「江戸の妻」佐知もアラフォーです。それ以外にも歳月の経過の無残さを思わせる描写が多くて哀しい中で、またも色々な事件が起こるのですが、もはや青江は用心棒稼業に手を染めることはなく、佐知も事件解決後、出家して国元にある明善院の庵主となると告げました。これは逢瀬が容易になるということか。まあ現代と違ってお妾を持つことが異端視されていない時代のお話ですから。
順番通り読みたかったのですが、なんと「刺客」だと思って図書館で借りた本が「凶刃」だったという孔明の罠にはまりまして。カバーが「刺客」、中身は「凶刃」でした。なんたることだと思っていましたが、今回ちゃんとした「刺客」を発見し、読めたのでまあよしとしましょう。
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