落語の世界:落語家が書いたリアルな噺家の世界

8月もいよいよおしまい。明日から新学期…といいたいところですが、最近ではもう学校が始まっているみたいですね。週休二日制のせいかしらん。ところで、新海誠監督の新作アニメ映画「君の名は」、公開3日で興行収入10億円突破と絶好調みたいですね。新海作品の最高収益作となることは間違いないでしょう。
www.youtube.com/watch?v=k4xGqY5IDBE
www.youtube.com/watch?v=3KR8_igDs1Y
予告編を見る限り、「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」のような美麗な背景はそのままに、初期作の「ほしのこえ」や「雲の向こう、約束の場所」のようなSFチックな部分もあるような。これまでの新海作品の集大成なのかも知れません。え?「星を追う子供」は?それは未見なのでわっかりませーん。見る予定もなかったりして。なにしろ評判が(笑)。
それはさておき、実は私、子供の頃から落語が好きでした。ただちょっと変則的で、寄席に行って落語を聞くというませた子供ではなく、興津要先生編集の講談社文庫「古典落語」全6巻を愛読していたんです。落語は読むより見て聞くもの……それはそうなんですが、先人達が磨き上げた古典落語は、読んだって面白いんですよ。

本日は五代目柳家つばめという現役の落語家が書いた「落語の世界」を紹介しましょう。そんな人知らないなというのも当然、実はもう40年以上前に亡くなっているのです。

五代目柳家つばめは1928(昭和3)年4月30日生まれで宮城県石巻市出身。本名は木村栄次郎。國學院大學卒業後、中学校の教師を一年間やってから噺家になったという変わり種で、大学卒の落語家第一号として知られています。なお、たった一年間の中学校教師時代の教え子が後に奥さんになっているという、なんとも効率の良い人です。

師匠は五代目柳家小さんで、落語協会7代目会長を務め、紫綬褒章、都民文化栄誉章、勲四等旭日小綬章などを受賞し、落語会として初の重要無形文化財保持者(人間国宝)となった偉い人です。個人的には永谷園の「あさげ」のCMで「これでインスタントかい?」とか言っていたのが印象に残っています。

つばめはそんな小さんから、将来の一門を率いる逸材と目されていましたが、1974(昭和49)年に肝硬変により46歳で逝去してしまいました。その早過ぎる死は小さんに大きな衝撃を与え、告別式でのあいさつでは男泣きに泣いて言葉が出ないほどだったそうです。

つばめは立川談志と同期入門で、二つ目昇進も真打ち昇進もほぼ同時でしたが、性格が全く正反対で気があわず、ほとんど付き合いがなかったそうです。正反対すぎてケンカにもならなかったそうですが。

前座時代は古典落語を演じていましたが、後に新作落語中心となり、1972(昭和47)年には「創作落語論」を書いています。本作はそれに先立つ1967(昭和42)年の著作で、本人の死去もあって長らく絶版となって忘れ去れていたものが、2009年に河出文庫から文庫版で刊行されたものです。それでは例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。
入門、稽古、昇進、しくじり、収入など、落語の世界で起こるさまざまな出来事をリアルに描き切った名著が復活。「現場にいる人間だけが見ることのできる風景をつつみ隠さず正直に」(解説=大友浩)書き、その筆は落語会のタブーにまで及ぶ。巻末に落語事典も収録され、これから落語を聞く人にも、落語通にも必携の一冊。

柳家つばめは1963(昭和38)年に真打に昇進しており、それから4年、39歳の時の著作ということになります。真打とは言ってもまだ若手で、さあこれから行くぞという溌剌さに満ちています。まさかそれから10年も経たずに亡くなるとは、本人も周囲も思わなかったことでしょう。
内容は、作者本人の経験に基づいて、前座時代の苦労、二つ目時代の悲哀、そして真打になっての覚悟などを語りつつ、寄席や楽屋の様子、失敗談や師匠からの小言、古典落語の素晴らしさと新作落語の苦しさなどを語っています。

内容紹介で言っている“落語会のタブー”というのはどのことなのかよく分かりませんが、噺家の収入という話あたりでしょうか。お金持ちの噺家はいないという話をしつつ、寄席ではだいたい歩合(各噺家に単価が設定されており、これに客の数を掛けると寄席での一日の収入となります。もっとも総収入から必要経費や税金を引いた残額を、噺家全員と席亭で折半したものが原資となるのでそんなにたくさん貰えません。だから寄席が大好きだけどそれだけでは暮らせないのでテレビや催し物の仕事をするのだと)だけど他では定価がないという話で、せめて自分だけは定価を設定しようと、一席2万円だと言っています。
もっとも1967年での定価なので、今だといくらくらいなんでしょうね。物価指数の推移をみると、現在は当時のだいたい4倍くらいみたいなので、アゴアシ付きで8万円位出すと真打が一席ぶってくれるもんなんでしょうかね?

落語家は、落語に淫しているので、落語を離れて仕事をしていても、また必ず落語に戻ってしまうそうです。桂文珍とか桂文枝とか、テレビタレントとして大成功している師匠連も落語から離れませんしね。個人的には深夜ラジオの帝王とも思っている笑福亭鶴光もやはりホームである落語からは離れていません。明石家さんまは……確かに落語家に弟子入りしていましたが、早くにお笑いタレントに転向しているのでこの人はちょっと違うような。
落語の世界も大学などの落語研究会(落研)も、現在に至っても結構封建的なようですが、作者によると運営とか他の面は近代的・合理的に改変していくべきだけど、芸そのものは封建的に限るのだそうです。理由は、芸そのものが封建的な土壌の中から生まれてきたものだからだそうです。

読んでいて感じるのは、なんだかんだ言いながら溢れ出る落語愛です。本当に落語が好きな人だったんでしょうね。だから古典落語しか認めないというスタンスだった安藤鶴夫という落語評論家(本業は小説家)には、かなりの批判(解説によれば控えめだそうですが)を行っています。やはり立川談志も痛烈に罵倒しているので、なんだかんだ気が合うんじゃないだろうかこの二人。正反対を向いて歩いていたら実は円周だったとか。まあ安藤鶴夫はかなり毀誉褒貶の激しい人だったみたいですが。
安藤鶴夫は古典落語しか認めないというスタンスだったそうですが、作者はこれに真っ向から反論しています。古典落語は確かに完成されているけれど、どんな古典落語も最初は未成熟な新作噺だったはずで、それを先人達が磨いて磨いて今日の完成形にしたのだと。それを演じてるだけでは、後進に対して遺産をそのまま譲るだけのようなもので、せっかくなら一つでも二つでも遺産を増やして譲るべきである。だから新作落語を苦労して作っていくのだという作者の信念は非常に立派だと思います。でもそういう艱難辛苦のせいで、自殺したり早世したりする落語家が多いのかも知れません。楽しそうに演じてはいても決して楽ではない落語道。世の中楽な商売はなかなかないですね。

今や落語会の重鎮である桂歌丸を「歌丸君」と呼んでいる人なので、早世していなければきっと名落語家になっていたと思うのですが、実に残念です。

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