99%の誘拐:たった一人で挑む完全犯罪は黎明期のPCが相棒

こんばんは、今日も寒いですね。北海道や東北では大雪になってますが、急に冬に来られても心の準備が。

本日は岡嶋二人の「99%の誘拐」です。岡嶋二人の作品は当ブログでは初紹介ですね。
岡嶋二人は井上泉と徳山諄一によるコンビのペンネームで、名前の由来は「おかしな二人」です。

海外ではコンビで執筆するペンネームは珍しくありませんが、日本ではそれほど例がありません。二人の作業分担は、原則としてプロットが徳山、執筆が井上でした。1982年に「焦茶色のパステル」で第28回江戸川乱歩賞を受賞しデビューし、1985年に「チョコレートゲーム」で日本推理作家協会賞、1989年に「99%の誘拐」で吉川英治文学新人賞を受賞し、1989年に「クラインの壺」刊行を最後にコンビを解消しました。

二人の作業分担は、原則としてプロットが徳山、執筆が井上でしたが、後期は井上がプロットの大部分も手がけるケースが多くあったそうです。誘拐をテーマにした作品は高い評価を受け、「バラバラの島田」(死体分断トリックの多い島田荘司)に対比して「人さらいの岡嶋」「誘拐の岡嶋」と呼ばれたそうです。
作品中の競馬・スポーツの知識は徳山に、映像・パソコンの知識は井上に拠っているといわれ、初期の作品は競馬を題材にとったものが多くなっています。井上は8ビットパソコンの時代からのパソコン(当時はマイコンと呼ばれていました。マイ・コンピューターではなく、マイクロ・コンピューターの略です)愛好家だそうで、「99%の誘拐」ではその知識が遺憾なく発揮されています。高度なヴァーチャルリアリティーにより虚構と現実の区別がつかなくなる恐怖を描いた岡嶋二人最後の長編「クラインの壺」はほとんど井上の手によるものだそうです。
その後、井上は井上夢人の筆名で創作活動を続けており、徳山も田奈純一と変え、テレビ番組「マジカル頭脳パワー!!」の推理ドラマのトリックメーカーとして参加していました。
「99%の誘拐」は1988年の作品で、井上に言わせれば「久しぶりにちゃんと合作をやった」作品だそうで、前述したとおり吉川英治文学新人賞を受賞しているほか、宝島社の「この文庫本がすごい!」2005年版で第1位に選ばれています。

例によって文庫版裏表紙の内容紹介です。
末期ガンに冒された男が、病床で綴った手記を遺して生涯を終えた。そこには八年前、息子をさらわれた時の記憶が書かれていた。そして十二年後、かつての事件に端を発する新たな誘拐が行われる。その犯行はコンピュータによって制御され、前代未聞の完全犯罪が幕を開ける。第十回吉川英治文学新人賞受賞作。
こちらは短いですがAmazonの内容紹介です。

ミステリー史上に残る空前にして絶後の誘拐。十年の時を隔てて結びつく二つの誘拐事件。身代金のダイヤ原石を運ぶよう指名されたのは、かつての事件で誘拐された男だった。綿密に計画された事件の全貌とは?
本作は推理小説なのかといえばそうではなく、犯人は判明しており、その犯行の進行ぶりをスピーディーに描いています。主人公の生駒慎吾は5歳の時に誘拐され、その父・生駒洋一郎は犯人の指示で身代金5000万円を金塊に変え、フェリーから瀬戸内海に投じます。その金は、小さいながらも将来が嘱望されていた洋一郎の会社(イコマ電子工業)を経営危機から脱っさせるための資金でしたが、これによってイコマ電子工業は再建を断念し、大手カメラメーカーのリカードに吸収合併され、失意の内に世を去ることになります。

この犯罪は、実はイコマ電子工業の技術を欲したリカードとイコマ電子工業内部の同調者(リカードに吸収されたほうが得策だと考えた)によるもので、運転資金を残らず吐き出させ、洋一郎に吸収合併を飲ませるべく行われたものでしたが、無論真相は明らかにされないまま、人質だった慎吾が生還したこともなり、未解決のまま世間からは忘れ去られていきました。
その後、死の床についた洋一郎は事件の概要を記した手記を残し、これを読んだ慎吾は事件の真相に気づき、復讐を計画します。その復讐の様子が本書のメインとなります。自分自身が誘拐事件に巻き込まれた形を取りながら、いかに犯行を進めていくか。この困難な計画は、共犯者がいればもちろん容易ですが、慎吾はなんと只一人で実行するのです。まあ共犯者というか、協力する存在はいます。それが、まだ黎明期といっていい時代のパソコンなのです。
まだインターネットのなかった時代にあっても、パソコン通信は存在していました。その中のゲームで慎吾を誘拐した主犯格の孫の中学生をおびき寄せ、姿を見せないままに監禁し、連絡はパソコンの音声合成ソフトを使用(誘拐のために作られたプログラムだと称していますが、この時代にさすがにそれは無理だろうと思ったら、登場人物もちゃんと指摘していました)、逆探知に備えて無線とパソコンの使用により他人の家のコードレスホンを乗っ取って使用したりしています。
後半、ダイヤに変えた十億円の身代金を運ぶ役を務め、パソコンから指示されるとおりに走ります。刑事も密かに同乗しますが、その状況でどうやってダイヤを「奪取」されるのか。事前に入念に考えた慎吾の計画は上手くいくのか。

犯人からすれば、誘拐事件は身代金の受け渡しをいかに行うかが難関です。過去の誘拐でも犯人達は見事な手段で警察を出し抜きますが、慎吾はそれを上回る手段を使ってみせています。
過去の誘拐事件は、身代金そのものの入手は目的ではなかったので、身代金を犯人がまんまと入手したように見せかけて、金塊は実際には海の中に眠り続けていましたが、犯行グループの一人が退職後に一人で探し続け、見つけたものの事故死してしまったことで発見されます。回収された金塊は遺失物として洋一郎の未亡人(慎吾の母)に返還されることになったようですが、無論それで洋一郎の無念が晴れるわけもなく、慎吾は犯行を実行します。
最後に犯行グループの一人が慎吾の犯行であったことに気づき、ダイヤ消失のトリックを解いて見せます。その部分は推理小説的と言えますが、無論告発するようなことはなく、「僕が間違っていたように、君も間違っている」とだけ慎吾に告げます。まともな神経があれば、慎吾を糾弾することなど出来ないのですが。
本書においては、過去の誘拐でも現在の誘拐でも警察が振り回されるだけの道化を演じさせられています。この辺り、誘拐されたときの恐怖の恨みを慎吾が警察にもぶつけているような気もします。
誰も死なず、傷つくこともない(肉体的には)犯罪なので、スリリングなわりに気楽に読め、読後感も悪くありません。慎吾ももう犯罪など犯さないと思いますし、逮捕されなくてもいいかなと思いますが、10億円分のダイヤはどうするんでしょうね?
ちなみに昭和43年当時、5000万円で75キロの金塊が買えたそうです。現在金1キロは430万円くらいなので、75キロは3億2千万円くらいということになります。6倍強ですね。45年間で物価が6倍強というのはどんなもんなんでしょうね。ハイパーインフレはなかったとは言えるでしょうけど。

1988年(昭和63年)という本書の現時点で、既にラップトップパソコンは存在していましたが、ノートパソコンは1989年(平成元年)の東芝DynaBook J-3100SSの登場まで待たねばなりませんでした。慎吾に誘拐された中学生はお坊ちゃんらしくラップトップのパソコンを持っていましたが、当時はまだカラー液晶ではないでしょうし、通信にも音響カプラ(現代の子供達は存在する知らないでしょう)を使っていたり、時代を感じさせます。パソコンを使用した犯罪小説としては、本書は既に古典の領域に入っていると言っていいのかも知れません。

ちなみにJ-3100SSは画期的な製品で、東芝はノートパソコン界での地位を確固たるものにしました。値段も198,000円と20万円を切っており、売れたのも当然なのですが、今見るとスペックは笑ってしまいます。CPUは80C86(16ビット)、メインメモリは1.5MB(ギガじゃないですよ、メガです)、ディスプレイは640×400、補助記録装置は3.5インチのフロッピーディスク。パソコンの発展の速度には驚くばかりですね。J-3100SSを鼻で笑う私のパソコンだった数年経てば誰かが鼻で笑うことでしょう。

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