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中国美女列伝(その6):虞美人~虞や虞や 汝を奈何せん

虞美人その1
 
 フライデーナイトにこんばんは。大阪なんかじゃ35度以上の猛暑が今日も続いたようですが、そんなにクソ暑いのに体育大会とかやって生徒が熱中症でばたばた倒れたそうです。雨なら中止にするのになぜ猛暑だと強行するのかと小一時間問い詰めたいです。昨今ではむしろ雨より猛暑のほうが怖いでしょうに。大体ただでさえ梅雨時で天気が悪いのだから、5月までに行うか10月以降に行うようにするべきではないでしょうか。

虞美人その2

 さて柄にもなく苦言を呈した後はいつもの本題に入りましょう。金曜恒例中国美女列伝、本日は虞美人を紹介したいと思います。

項羽

 私は中三の時に司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読みまして、それまでのSF一辺倒の読書傾向から脱して歴史小説という新たな鉱脈を発見することになったのでした。高校での漢文の授業で「鴻門の会」とか「垓下の歌」を学んだ時に、「おーあのシーンか」とまざまざと回想できて便利でした。その後吉川英治の「三国志」にハマり倒して一気に歴史小説大好き人間になっていった訳ですが、その項羽と劉邦が戦った楚漢戦争において一番の美人が虞美人でしょう。というか他にあんまり女性が出てこないのですが。

劉邦

 虞美人は項羽の愛人(ただし中国語では妻や恋人を意味しています)で、正確な名前ははっきりしておらず、「有美人姓虞氏」(「漢書」)とも「有美人名虞」(「史記」)とだけ記されており、また「美人」もその容姿を表現したものとも、後宮での役職名であるともいわれてはっきりしません。が、例え役職だったとしても、英雄項羽の愛人である以上、類い稀な美人だったと信じたいです。ブス専の項羽とか想像すると悲劇性が激減してSAN値ピンチです。

虞美人その3

 小説やテレビドラマでは項羽の妻として描かれ、虞を姓とし「虞姫」と紹介されているものが多く、通常中国語ではもそう表記されています。

虞美人その4

 虞美人と項羽の馴れ初めについては「史記」にも「漢書」にも一切記載されていないので、一体いつから項羽と共にいたのか不明(このあたり司馬遼太郎も想像を膨らませて書いてましたが無論フィクション)です。楚漢戦争最後の戦いである垓下の戦い(紀元前202年)で初めて、“劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍にはいつも虞美人がおり、項羽は片時も彼女を放すことがなかった”と紹介されています。

虞美人その5

 劉邦軍30万と項羽軍10万の激突で、大敗した楚軍は防塁に籠もりますが、軍勢はわずか800余り。これを漢軍は厳重に包囲します。圧倒的な戦力差となっているのに強攻しないのは、項羽の天下無双の武力を恐れてのことです。さて夜になると、四方を包囲する漢軍から楚の歌が聞こえてくるのを聞いた項羽は、漢が既に項羽の故郷である楚を制圧したのかと思い、「外の敵に楚の人間のなんと多いことか」と驚き嘆きました。この故事から“周囲を敵に囲まれること”を指す「四面楚歌」という故事成語が誕生しました。

虞美人その6

 形勢に利あらずと悟った項羽は、腹心の部下達と別れの宴席を設けます。項羽には虞美人という愛妾がいて、また騅という名の愛馬がいました。これらとの別れを惜しんだ項羽は、悲憤を詩に読みます。

虞美人その7

 力拔山兮 氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う)
 時不利兮 騅不逝 (時利あらず 騅逝かず)
 騅不逝兮 可奈何 (騅逝かざるを 奈何すべき)
 虞兮虞兮 奈若何 (虞や虞や 汝を奈何せん)

虞美人その8

 私の力は山をも動かし、気力はこの世を覆い尽くすほどなのに、時勢は不利で愛馬の騅は進もうとしない。騅が進もうとしないのを私はどうすることもできない。私が愛する虞美人よ、そなたの事を一体どうすればよいのだろう……といった意味になるでしょうか。

武将型虞美人

 ちなみに「力拔山兮 氣蓋世」の句から、「威勢が非常に強く、気力が極めて盛んなこと」を表す「抜山蓋世」という故事成語が生まれています。

虞美人その9

 これが有名な「垓下の歌」ですね。虞美人もこれに唱和し舞を舞ったそうで、項羽は涙を流し、臣下の者たちも全て涙を流したそうです。宴が終わると、項羽は800余りの兵を連れて出陣します。気付いた漢軍は五千騎が追撃し、項羽の手勢はわずか28騎になってしまいました。

虞美人その10

 この時項羽は「ここで私が滅びるのは、天が私を滅ぼそうとするからであって、私が弱いからではない。これから漢軍を破り、それを諸君に知らしめよう」と言い、28騎を七騎ずつ4隊に分け、漢軍に斬り込みました。配下が再び集結した時、脱落したのはわずか2人だけだったので、配下の者は項羽の言った通りだと深く感じ入ったそうです。

リアル虞美人その1

 その後、長江のほとりに至った項羽は、川を渡ることを固辞し、下馬して生き残った部下達と漢の大軍に突撃し、一人で数百にを切り倒した末に自ら首を刎ねて死んだそうです。項羽の遺体に恩賞が掛けられていたため、漢軍の兵士たちは項羽の遺体を奪い合って味方同士で殺し合ったほどで、遺体は5つに分かれたそうです。劉邦は、5人に恩賞を与えた上項羽を手厚く葬りました。

リアル虞美人その2

 項羽の死によって5年ほども続いた楚漢戦争は終結し、劉邦は天下を統一して前後約400年続く漢王朝の基を開くのですが、その後は匈奴という強力な外患に悩まされることになります。しかしそれはまた別のお話。

虞美人と項羽

 さて、「垓下の歌」の後に虞美人がどうなったかについては「史記」や「漢書」は全く触れていません。小説では項羽の足手まといにならぬように、虞美人が自殺していますが、それは女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代以降に創作されたらしく、真相は謎です。ただ虞美人を逃がすにしても、漢軍が十重二十重に囲んでいる中では至難の業だったことでしょう。

リアル虞美人その3

 小説では劉邦も女は殺さないだろうと項羽が虞美人を逃がそうとすると、あんな無頼漢のところに行くくらいならここで死にます、虞美人が嫌がったことになっています。女好きだから劉邦自身は虞美人の命を助けてくれるでしょうが、呂雉(呂后)というおっかない夫人がいるので、結局はいじめ殺されたりしそうな気がします。

呂雉

 なにしろ司馬遷が「性格は残忍で猜疑心が強く、息子が亡くなっても悲しまず、天下を私し、功臣や王族を陰謀で陥れて残酷に族滅し、無能卑賤な呂氏を要職に就けた。その悪逆は世に隠れも無い」と非難しているほどの人ですから。

赤いヒナゲシ

 なお、自殺した虞美人を葬った墓には、翌夏に赤いヒナゲシが咲いたという伝説があり、このためヒナゲシには「虞美人草」という異名があります。ヒナゲシは雛芥子、または雛罌粟(コクリコ)とも言います。花言葉は恋の予感、いたわり、思いやり、陽気で優しい、忍耐、妄想、豊饒などですが、特に赤い花弁のヒナゲシには「慰め」と「感謝」の意があるそうです。失意の項羽に寄り添う虞美人の気持ちでしょうか。

虞美人その11
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