白きたおやかな峰:北杜夫が描く「ディランの魔女」

こんばんは。まるで春のような朧月を見ましたが、季節はautumn to winter。これも「季節外れ」の一種でしょうか。

連日の読書日記となる本日は北杜夫の「白きたおやかな峰」です。猛烈に読書しているわけではなく、ちょっとした時空の歪みです(笑)。

「白きたおやかな峰」は1966年の作品で、もう46年も前の小説です。前年の1965年にカラコルム山脈の未踏峰ディラン峰に挑んだ日本隊に医師として随行した作者が、自身の体験に基づいて執筆しました。作者の北杜夫は歌人斎藤茂吉の息子、「どくとるマンボウ」として有名ですが、惜しくも昨年逝去しました。兄の斎藤茂太も精神科医にしてエッセイストとして有名でした。

カラコルム山脈は「世界の屋根」ヒマラヤ山脈同様、4000万年以上前にインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突して出来た山脈で、世界第二位の高峰K2を筆頭に8000メートル級の山が4座、7000メートル級の山が60座あります。「カラコルム」とはトルコ語で「黒い砂利」という意味だそうで、南極を除けば世界最大の氷河地帯でもありますが、多くは瓦礫に覆われているそうです。

カラコルム山脈は、北東部でチベット高原に接し、北にはパミール高原、北西部はヒンドゥークシュ山脈につながっています。。インドと中国・パキスタンが領土問題を巡って対立するカシミールにあり、高峰群はパキスタンの実効支配地にあります。

ディラン峰は7257メートルということで、カラコルム山脈の中ではとりわけ高い山というわけではありません。画像を見てもわかるようにまさに白くてたおやかな山容をしています。しかし、英国隊、ドイツ隊のアタックを退け、前年1964年にはオーストリア隊も敗退に追いやりました。松本零士の戦場漫画シリーズに「スタンレーの魔女」という作品があります。爆撃の帰途、片肺になった一式陸攻でオーエンスタンレー山脈越えに挑むという話ですが、あちらが飛行機でせいぜい4000メートル級なのに対し、こちらは人力のみでの7000メートル越えなので、その苦労たるや。

日本隊はベースキャンプの他、5つのキャンプを設置して最終的にアタックキャンプを設けて登頂に挑みます。本書はその過程のドキュメンタリーです。めまぐるしい天候の変化で表情を一変させるディラン峰と、仕事や借金や家族といった問題を抱えながらやって来た山男達のひたすら頂上を極めたいという情熱が生き生きと描かれています。
表紙裏の内容紹介は
ひょんなことから雇われ医師として参加することになった、カラコルムの未踏峰ディラン遠征隊。キャラバンのドタバタ騒ぎから、山男のピュアにして生臭い初登頂への情熱、現地人との摩擦と交情…。そして、彼方に鎮座する純白の三角錐とは一体何物なのか…。山岳文学永遠の古典にして、北文学の最高峰。
となっています。

山へのアタック模様もさることながら、パキスタン人との交流ぶりが面白いです。勝手にジープに乗り込んできたり、治療と薬を求めて大挙してやってくる村人や、とにかく休みたがるばかりで働かないポーター達。まあ彼らからすれば、なぜ外国の山男達は一文の得にもならない山登りにそんなにはっちゃきになっているのか不可解なんでしょうけど。

ジョージ・マロリーというイギリスの登山家は、「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから(Because it is there. )」と答えたといいます(本当にマロリーの言葉なのか、信憑性には疑問があるようですが)。登山の趣味がない私からしてもその情熱の源泉はよくわからないのですが、「そこにあるから」を使えば何でも答えられますね。なぜ深夜アニメをみるのか?「そこでアニメが放映されているから」、なぜコスプレをするのか?「そこに衣装があるから」とか。考えてみれば全然答えになっていませんが。

高山病とか謎の熱病とか下痢とか寒さとか雪崩とかクレバスとか、様々な脅威が日本隊を脅かします。北杜夫(作中では「柴崎」)は第一キャンプまで行きましたが、長く滞在することはできずにベースキャンプに戻ります。ベースキャンプでも富士山山頂くらいの標高があるので、素人にはその辺が限界でしょう。というか、日本の高山はせいぜい3000メートル級なので、7000メートルという高さは(別にゼロメートルから登るわけではないですが)それだけで脅威といえましょう。

文明の力に依存しまくった上で、私もゴルナーグラート(3130メートル)、ユングフラウヨッホ(3454メートル)、エギーユ・デュ・ミディ(3777メートル)などには行ったことがありますが、3000メートルを超えると空気の薄さがはっきりと判りました。ましてや5000メートル、6000メートルと高くなれば運動すること自体が困難でしょう。しかも行く手は雪や氷や崖ばかり。私なら大金積まれても行きたくないところへ、自腹を切って以降というのだから誠にご苦労さんなことです。

作品は、一度目のアタックが失敗して二度目のアタックを敢行したところで終わっていて、日本隊の戦いの結末が描かれていませんが、河出文庫の遠藤甲太による解説の追記によると、結局あと100メートルというところで撤退するという敗北に終わり、1968年にオーストリア隊が初登頂に成功したそうです。

現在判明している太陽系で最も高い山は火星のオリンポス山だそうです。標高はなんと25000メートル(火星には海がないので24000~27000と標高記載は様々ですが)。25キロですよ。もしも地球にあったらやはり山男(&山ガール)達は挑もうとするのでしょうか。無酸素登頂は完全に不可能であるばかりか、テントも与圧が必要になるでしょう。現在の旅客機は飛び越えることができませんし、高すぎて雪は積もらず一年中快晴で、紫外線が強すぎて植物は育たず、荒涼とした岩山だけの世界となっていることでしょう。それでもやはり「そこにあるから」行くというのでしょうか?

空はもはや青くはなく、漆黒で昼間でも星が見えることでしょう。大気の揺らぎも少ないので、天体観測には非常に適していると思われますが、おそらく無人天文台となるでしょう。
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