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謎の秋田内陸縦貫鉄道:レトロ列車で田んぼアートの旅

残暑に負けるネコ

 今日の仙台は30℃と(これまでよりは)比較的低めの気温なんですが、明日は35℃以上の猛暑日が来るとの予報。もうすぐ9月だというのになんてことだ。秋はどこから来るかしら。

大曲花火大会

 先日秋田を訪ね、大曲で泊まって秋田内陸縦貫鉄道に乗ってきました。昨夜は大曲で全国花火競技大会が開催され、NHKのBSでも放映されていましたが、私が行ったのはそれより前で。しかし秋田は暑いですね。今年の夏は仙台も暑いですが、大曲でこまちを降りたら押し寄せる熱気は頭を鈍器で殴られたようでした。

秋田内陸縦貫鉄道地図

 秋田内陸縦貫鉄道は角館(仙北市)と鷹巣(北秋田市)を結ぶ100キロ弱の鉄道路線です。旧国鉄の阿仁合(あにあい)線、角館線を引き継いだ路線で、全線非電化の全29駅。私は急行「もりよし」に乗りました。普通列車で2時間20~30分程度かかるところ、「もりよし」は2時間程度。う~む、急行と言っていいのか微妙なところですが、急行料金は320円取られます。

内陸縦貫鉄道

 かつては日本三大銅山の一つとされた阿仁鉱山から産出される鉱石輸送を目的としていたそうです。かつては「あきた♥美人ライン」なんて愛称が付けられていましたが、今は「スマイルレール」という愛称になっています。この愛称について公式HPでは“待っている人がいる そこに笑顔がある、そこで笑顔になれる”としています。

ルートイン大曲

 大曲では駅前のルートインに泊まりました。お盆を控えて混んでいたらしく、喫煙室しか取れませんでしたが、まあ耐えられないことはありませんでした。ルートインも大浴場があって朝食がバイキングで、ドーミーインっぽさはあるのですが、やはりサービスの質はドーミーインには及びませんね(その分安いけど)。大曲で泊まったのは在住の古い知人に会うためで、夜は旧交を温めつつ秋田の料理と酒を味わいました。こちらがごちそうするつもりでしたが、逆にごちそうになってしまって恐縮しきり。

武家屋敷

 大曲から角館はこまちで一駅、10分ほど。「みちのくの小京都」と呼ばれる趣のあるところですが、10年以上前に泊まったことがあります。武家屋敷が有名ですね。

角館駅

 JR角館駅に隣接して秋田内陸縦貫鉄道の角館駅があります。切符売り場は自販機もなく手売り。ローカルでいいけど混んだらえらいことになりそうです。終点鷹巣までは1670円ですが、急行「もりよし」だと急行料金320円が加算されます。

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 「もりよし」は3両編成。名前は沿線にある森吉山(1454メートル)にちなんでいます。画像は三両目で、図らずも私の乗った車両です。

森吉山

 森吉山は「日本百名山」候補だったようですが、“いい山ではあるが少し背が足りない”ということで残念ながら選ばれませんでした。しかし、別途「花の百名山」には選ばれています。

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 先頭車両はイベント列車になっていて一般客は入れないということで2両目以降に。混んでいるわけではないのですが、4人掛けボックスシートを一人占めしている客が多く、最後尾のロングシートにようやく座れました。仕方ありませんが、ロングシートは旅情があまり感じられませんね。

冬の秋田内陸縦貫鉄道

 列車は森の中や里山や田んぼの間を走って行きます。秋田内陸縦貫鉄道は観光にかなり力を入れているらしく、ガイドさんが添乗して乗車記念グッズを販売したり沿線案内を行ったりしています。また車内のディスプレイには冬の沿線風景なども映されており、真冬に吹雪の中を走る列車に乗ってみるのもいいなあと思いました。

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 沿線では初夏から秋の風物詩として、列車を展望台とする田んぼアートが実施されています。稲の育ち具合で日々刻々絵面が変わっていくのもまた一興でしょう。最初の田んぼアートは角館駅と羽後太田駅間の「たっこちゃん」。

たっこちゃん

 角館を含む仙北市のキャラクターです。モデルは田沢湖の辰子姫なので、可愛い見かけとは裏腹にドラゴンタイプの強キャラです。

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 上桧木内駅から見えるのは「舞い上がれ!」と題する田んぼアート。

紙風船上げ

 真冬の夜空に願いを込めて打ち上げられる紙風船は江戸時代からの伝統行事だそうです。それを見つめる雪だるまとはしゃぐ秋田犬も一緒。

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 阿仁合駅と小渕駅の間には「バター餅をほおばるマタギとツキノワグマ」。バター餅は北秋田市で40年以上前から食されているという郷土菓子で、バターが入ることで餅の柔らかな食感が長く保たれるため、マタギも保存食として用いているとか。

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 前田南駅と阿仁前田温泉駅間には「ようこそ!」と題する田んぼアート。秋田犬、秋田内陸線応援キャラ「ないりっくん」、秋田内陸線公式キャラ「森吉のじゅうべぇ」、日本バター餅協会のゆるキャラ「バタもっち」が描かれています。大きすぎて見切れてしまいました。

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 縄文小ヶ田駅と終点鷹巣駅間には「いせどうくんと秋田犬」と題する田んぼアート。北秋田市にある縄文時代の遺跡である伊勢堂岱遺跡は2021年7月27日に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する遺跡の一つです。

板状土偶

 「いせどうくん」は同遺跡から出土した板状土偶をモデルにしたキャラクターです。

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 大又川橋梁から見る渓谷。このほか、秋田県最長となる約6キロの長さのひたすら直線の「十二段トンネル」があったり、2時間の乗車時間を飽きることなく過ごすことができました。

鷹巣駅

 鷹巣駅はJRの鷹ノ巣駅と並んでいます。駅周辺にはコンビニがなく、おなか空いたなあと街をうろついたら、コミュニティ直売センター駅前店というのが。

コミュニティ直売センター駅前店

 ポークソテー弁当(650円)~を頼んだら豚肉を炒めて出来たてを売ってくれました。特急「いなほ」に乗ってから駅弁代わりに食べようと思っていましたが、熱々のうちに食べたかったので駅の待合室でがっついてしまいました。おいしゅうございました。

特急いなほ

 鷹ノ巣駅からは羽越本線を特急「いなほ」で新青森駅へ。新青森からは新幹線に乗って仙台に戻りました。仙台-大曲を往復するだけならそれほど時間はかかりませんが、こういう馬鹿旅をするとかかった時間といい距離といい、「旅をしたなあ」という感じがして個人的には好きですね。
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第40回全国緑化仙台フェアに行ってきました:未来の杜せんだい2023~Feel green!~

祭典ちらし

 本年4月26日(水)から6月18日(日)まで間、の54日間、仙台で都市緑化フェアが開催されています。終わる前に行っておかねばと出かけてきたので、今回はこの話を。

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 全国都市緑化フェアは花と緑の祭典で、日本の地方博覧会のひとつです。1983年に都市緑化基金(現在は都市緑化機構)の催で大阪で開始され、今回が40回目。「都市緑化意識の高揚、都市緑化に関する知識の普及等を図り、緑豊かな潤いのある都市づくりに寄与すること」を目的としており、仙台では1989年以来2回目の開催となります。

花と緑の祭典

 都市緑化フェアでは毎回愛称が付けられていますが、89年の際は「'89グリーンフェアせんだい」。今回は「未来の杜せんだい2023 〜Feel green!〜」です。

メイン会場マップ

 会場はメイン会場、まちなかエリア会場、東部エリア会場の3カ所となっていますが、今回はメイン会場の青葉山公演追廻地区に行ってきました。

国際センター駅

 最寄りの駅は地下鉄東西線国際センター駅。開業してまだ8年のせいか、はたまた名称のせいか、かっこいい駅舎です。

仙台国際センター

 駅名の元になっている仙台国際センター。こちらは1991年完成で、築30年以上を経過していますが、まだまだ新しい雰囲気があります。場所が仙台城旧大手門前ということもあり、和風なデザインとなっています。

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 最寄りと言いながら駅からは7,8分は歩いたような。南出口から出れば最短だったらしいですが、西出口から出てしまったせいか。メインエントランスの看板。

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 続くウェルカムガーデン。青竹のアーチから竹製の球体飾りがぶら下がっていて、仙台七夕まつりを連想させます。夜も開場しているなら竹飾りが光るとかの演出も欲しいところですが、開場時間は午後5時までなのでそういうものはありません。

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 ウェルカムガーデン脇のルピナス。別名昇藤。札幌でよく見かけたので、北海道を連想します。寒さに強い反面暑さには弱いらしいので、北の方が栽培に向いているのかも。

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 イベントステージ。伊達政宗ほか武将風のコスプレの人たちが何やらやっていました。仙台は本当に伊達政宗が大好きですね。大坂夏の陣の際、伊達勢は味方の神保相茂隊を銃撃して全滅させたという説がありますが…

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 「もりの庭園」と名付けられたエリアにある残月亭。仙台市博物館から移築された明治時代中期の書院風茶室です。「残月亭」という名前は仙台城にあった茶室の名称を受け継いだものだそうです。

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 「杜のリビングガーデン」と名付けられたエリアの花々。仙台は「杜の都」とも呼ばれますが、明治時代には「森の都」と記していたとか。「森」が樹木が生い茂った場所を表すのに対し、「杜」は人々が協力し合い、長い年月をかけて育ててきた豊かな緑のことを表すということです。

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 ピンクの薔薇。やはり薔薇はゴージャスですね。「花の女王」と呼ばれるのもむべなるかな。

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 矢車菊。薔薇はもちろん素晴らしのですが、私はより自然な矢車菊のような花に心引かれます。ドイツの国花で色は様々ですが、青が一番だと思います。

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 名前を見忘れてしまったピンクの花。「戦いは数だよ兄貴!」とドズル兄さんは言いましたが、花も数ですねえ。

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 またもや薔薇。薔薇が咲き乱れる庭なんて実に素晴らしいですが、手入れが大変なんでしょうね。

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 咲き誇る深紅の薔薇。でも寄せ植えにされている他の花々もいい味を出していると思います。

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 薔薇とルピナスの共演。後ろのビル群が自然と人工の調和を表しているかのような。

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 一方こちらは山を背景にしたルピナス。人工の中の花と自然の中の花、どちらがお好きでしょう。

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 会場の外れにある「水辺の花畑」と名付けられたエリアでは菜の花が咲き乱れています。その先の流れは広瀬川。

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 菜の花をアップで撮ってみました。関東以西ではとっくに終わっている菜の花が東北では盛りなのですね。

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 広い庭に置きたい石の小屋。実は展示即売をしています。一体何坪の庭ならこういうものを置いてさまになるんでしょうかね。お手入れのことを考えたら私は庭はいらんです。こういうところで無責任に眺めるのが一番。

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 花壇の後方には青葉山。石垣のようなものは仙台城の遺構でしょうか。

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 大花壇「はなばた飾り」と名付けれらたエリアです。七夕の吹き流しをモチーフとしているそうです。近くで見ているとよくわかりませんが。

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 ちょっと高くなったフォトスポットから撮影してみました。うーん、それでもよくわかりませんね。

空から見ると

 空中から撮影するとこんな感じ。なるほど素晴らしい。ナスカの地上絵のかくやという感じですね。「これはUFOへのメッセージなんだよ!」「な、なんだってー!!」などとオカルトマニアは騒いで欲しい。

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 出展花壇・庭園のエリア。造園団体・企業・学校・自治体などの花壇や庭園が並んでいます。これは「みちのく公園」の庭園。正式名称は「国営みちのく杜の湖畔公園」で、宮城県柴田郡川崎町という蔵王山麓の裾野にあります。

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 企業などはさておいて自治体花壇を紹介していきましょう。まずは恋の街札幌。左上奥にミニチュアのクラーク博士像があります。クラーク博士って、わずか9ヵ月しか日本にいなかったんですよね。でも死の間際、「札幌で過ごした9ヶ月間こそ、私の人生で最も輝かしいときだった」と言い残したとか。

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 同じく北海道の恵庭市の花壇。恵庭市は札幌と新千歳交際空港の中間あたりにあるので、札幌時代はよく通りましたが、ちゃんと観光したことはありませんでした。

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 岐阜県の花壇。合掌造りの家は白川郷。白砂で見立てた川では鵜飼いをしているようなので、これは長良川なのでしょう。

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 楽器の街浜松市の花壇。音符やピアノが雰囲気を出しています。個人的には浜名湖を通過するあたりが東海道新幹線で一番の絶景スポットだと思いますもちろん個人の感想なので異論は認めます。

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 神戸市の花壇。「鉄塔の美女」の異名を持つ神戸ポートタワーがありますね。

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 岡山市の花壇。岡山城があります。姫路城が白鷺城の異名を持つのに対し、岡山城には烏城の異名があります。天守は残念ながら戦災で焼失して再建ですが。「令和の大改修」は昨年秋に終わったようですね。

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 今年のサミット会場となった広島市の花壇。原爆ドームのミニチュアがあります。「はだしのゲン」的には麦畑も欲しいところですが。

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 北九州市の花壇。小倉城がありますね。市章の中央の星形が花で象られています。今年の2月に下関と共に観光に行ったばかりなのでまだ印象が強く、門司港とかも良い感じなのですが、さすがにあれもこれも入れることは出来ませんね。

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 熊本市の花壇。こちらは熊本城がそびえています。熊本も去年の夏に遊びに行きましたが、熊本城はさすが天下の名城だと思いました。天守以外の櫓にも3重5階の宇土櫓があるんですから。しかも往時には6基もの五階櫓があったとか。

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 幼稚園・保育園の園児達が植えたというたねダンゴ花壇。矢車菊などが咲き乱れています。

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 車椅子で観光する人もよく見かけました。花と緑の風景が安らぎになるといいのですが。

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 フォトスポットガーデン。花で作った大木の幹といった感じでしょうか。

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 再びウェルカムガーデン。逆に通って帰ります。傘をさす人々でおわかりのように、今回も小雨模様。どうも仙台に来てからお出かけというと雨になります。平泉も今回も大した降りではありませんでしたが、今回は傘を持って出たのでした。

平泉紀行(その2):毛越寺~“もうえつじ”ではなく“もうつうじ”と読みます

広島サミット

 季節外れの猛暑が来たりG7サミットが開かれたりと、日本ではいろいろとあった今週ですが、仙台は昨日は長雨、今日は曇天でまるで梅雨が来たかのようです。沖縄・奄美では梅雨入りしたとは聞きましたが、いくらなんでも東北が梅雨入りするのはまだ先でしょう。しかし、5月の仙台はずっと湿度が低い日が続いていたところ、ようやくしっとりしてきた感じはします。じっとりは嫌ですがしっとりはいいですね。

平泉周辺地図

 さて平泉紀行(ちょっと大げさ)の続きです。平泉周辺のGoogleマップを見てみると、駅から毛越寺はかなり近いですね。当初は先に毛越寺に行こうかと思ったのですが、雨が降ってきたのとたまたまタクシーを見かけたので、つい中尊寺に向かってしまいました。毛越寺に向かったら初乗り運賃で着いちゃう距離ですね。

吾朝無双

 毛越寺は中尊寺と共に第三代天台座主の円仁(慈覚大師)が創建したとされますが、大火で焼失した後、奥州藤原氏が「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」という壮大な伽藍を再興し、当時は中尊寺をしのぐ規模だったそうです。

浄土庭園

 その後、鎌倉時代の火災や戦国時代の戦火により、堂宇は土壇と礎石を残すだけとなってしまい、江戸時代には水田化していたとか。現在は境内が特別史跡に指定されているほか、庭園が特別名勝に指定されています。2011年には「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」が世界遺産に登録されましたが、毛越寺は中尊寺と並んで中核となっています。

無量光院跡
VR無量光院

 弁慶の墓の前を東北本線と並行して通っている岩手県道300号(三日町瀬原線)を南下して平泉駅方向に向かいます。途中で毛越寺と書かれた立て札を見て脇道にそれてしまったので、世界遺産構成要素の一つである無量光院跡を見そこなってしまいました。かつては宇治の平等院鳳凰堂を模した巨大な阿弥陀堂があったそうです。VRの再原図は凄いですね。

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 大きな池が見えてきました。毛越寺かと思ったら、その手前の観自在王院跡でした。やはり世界遺産の構成要素の一つで、奥州藤原氏二代目の藤原基衡の妻によって建立された寺院だったそうです。12世紀以降は長らく水田となっていましたが、今は鶴が舞う形をした池とその周囲の庭園が復元され、名勝に指定されています。

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 いよいよ毛越寺。拝観料は700円。中尊寺より100円安いけど、中尊寺の方が建物が多いからお得感(?)があったりして。

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 本堂。平成元年に平安様式で建立されました。東北を巡遊していた円仁が白鹿の毛に導かれてこの地に到り、白髪の老人から堂宇を建立して霊場にせよと告げられたそうです。円仁は、この老人が薬師如来の化身と感じたのだそうで、毛越寺の山号は医王山で、本尊は平安時代作の薬師如来です。

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 浄土庭園の中心にある大泉が池の東側。向こうの方に貴族が船遊びに使うような船が二艘ありますね。曇天のせいでいまいち浄土感に欠けているような。

池の西側

 こちらは大泉が池の西側です。山が借景になっていて、こちらの方が雰囲気があるような気もします。

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 池の西側にある開山堂。円仁をまつっています。慈覚大師像のほか、大日如来像や奥州藤原氏三代の画像が安置されています。

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 嘉祥寺跡。寺伝によれば円仁が創建した当時の名前が嘉祥寺だったそうです。周囲の平たい石は礎石です。

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 別のアングルから撮ってみました。礎石の様子がよくわかるかと。

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 講堂跡。池の北方にあります。土壇は東西約83尺、南北約80尺のほぼ方形で、礎石は十数個あります。

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 講堂跡の東にある大金堂円隆寺跡。円隆寺は基衡が建立し、毛越寺の中心伽藍でした。金銀、紫檀をちりばめていたそうで、その荘厳は鎌倉時代の歴史書・吾妻鏡によれば「吾朝無双」だったそうです。

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 池に水を引き入れるための遣水。曲がりくねる水の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。平安時代唯一の遺構ということで、非常に貴重なものです。

曲水の宴

 この遣水を使って、毎年「 曲水の宴」が開催され、平安の雅な情景を再現しているそうです。

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 さきほど見た池の船が近くに。一艘は船首に竜が、もう一艘は船首に鳳凰らしきものが。こういう船を使って「風雲!たけし城」のアトラクションとかやったら楽しそうです(古い!)。

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 常行堂。やっと跡ではなく現存する建物が。しかし見た目は古そうですが、伊達藩が江戸中期に再建したもので、建立後300年ほどなのでそれほど古いものではありません。本尊は阿弥陀如来ですが、奥には秘仏の摩多羅神がまつられているそうです。天台宗系の密教でまつられる神で、阿弥陀経と念仏の守護神だそうですが、33年に一度しか見られないそうです。

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 常行堂跡。本来の常行堂があった場所です。その奥には法華堂跡もあります。

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 大泉が池の東端部。紅葉の若葉が美しいです。紅くなった紅葉はもちろん素晴らしいですが、若葉もいいものですね。

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 大泉が池を一周して戻ってきつつありますが、東南部にある出島石組と池中立石。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられています。東日本大震災で立石は傾いたそうですが、今では元の姿に戻っています。

毛越寺復元図 

 ありし日の毛越寺復元図。左側の両翼の回廊を持つ建物が嘉祥寺。その隣のやはり両翼の回廊を持つ建物が円隆寺。円隆寺の左上が講堂。円隆寺の右側に回廊でつながった法華堂と常行堂があります。法華堂の向こうにも池があって中之島に建物がありますね。

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 松尾芭蕉の句碑。この地を訪れた芭蕉は、奥州藤原氏の栄華と悲運の義経主従をしのび、有名な「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句を詠みました。句碑が二つありますが、どちらも同じ句が刻まれていますが、左の小さい句碑が芭蕉の真筆といわれています。右の大きい句碑は江戸時代後期に地元俳人達が建てた副碑だそうです。
弁慶力餅
 毛越寺から平泉駅はほぼまっすぐ東進するだけ。駅の売店で、お土産に「弁慶力餅」を買いました。“香ばしいくるみを使用した餡をもちで包み込んだ、創業以来、平泉の名物として愛され続ける銘菓です。ほのかな甘みともちもちの食感がくせになる、定番の手土産です。”とのことです。岩手銘菓として有名な「かもめの玉子」も売っていましたが、「弁慶力餅」は平泉でしか買えないと言うことで、こちらをチョイス。限定という言葉には弱いですね(笑)。それにしてもやはり義経よりも弁慶なんですねえ。

立体復元毛越寺

 昼前には雨は止むという天気予想に従って傘を持たずに出かけましたが、結局最後まで小雨が降り続いていました。妙に気温が低かったこともあり、3月くらいの春雨といった感じでしたが、まあ傘なしでは耐えられないというほどではなかったのでよしとしましょう。これも仏閣参りの御利益でしょうかね。私は参拝せずに見物しただけですけど。

平泉紀行(その1):東北の一大伽藍・中尊寺

できるかな?

 NHK教育テレビの子ども向け番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが昨年9月に亡くなっていたことがわかりました。周囲を騒がせたくないという本人の希望で公表が遅くなったとか。番組では最終回まで一切しゃべらず、ジェスチャーだけで意思表示していました。相方の謎の着ぐるみ「ゴン太くん」とは名コンビでしたが、しゃべらない二人の行動に的確な実況&ツッコミを入れる名調子の「おしゃべり」(ナレーター)と名トリオというべきでしょうかね。

やるんだよ

 ノッポさん、目は結構怖いよなと思っていたのですが、こういうネタ画像が。

黒ノッポさん
黒ノッポさん

 単なるネットのクソコラ画像だと思ったら、後年民放番組でMCを務めた「人生終了クイズ」でこういう役柄を演じていたようです。これはちょっと見てみたかった。でももう9年も前の番組でした。

一ノ関駅

 話はがらりと変わりますが、本日は先日行ってきた平泉の中尊寺についてです。東京から行けば結構な距離ですが、仙台からだと新幹線で30分ちょい。奥州藤原氏三代ゆかりの寺としてきわめて有名ですが、なんとこれまでの人生で一度も行ったことがありませんでした。ここのところ赴任地が西国だったので西日本を回っていましたが、今後は東日本を回りましょう。

平泉駅

 新幹線で一ノ関駅。そこから東北本線に乗り換えて平泉駅へ。昔は数々の特急&急行で賑わった東北本線も、新幹線開通以後はローカル線のようなたたずまいに。

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 駅からの距離がよくわからなかったので、タクシーに乗ったら1010円で到着しました。安い!ということは歩いても充分行ける距離ということですね。帰りは歩きましょう。中尊寺に向かう道はこんな感じ。雨は午前中で上がるという天気予報を信じて傘を持たずに来ましたが、結局降り続けましたねえ。まあ大した降りではありませんでしたが。拝観料は800円ですが、金色堂・讃衡蔵(宝物館)・経蔵・旧覆堂に行かなければ、その他の伽藍は無料で見ることができます。しかし中尊寺に来て金色堂を見ない馬鹿もいませんよね。

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 入り口そばにあるのが阿弥陀堂。江戸時代の1715年再建のもので、その名のとおり阿弥陀如来が本尊です。また修験道で本尊とされる蔵王権現も合祀しているそうです。

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 池のほとりの弁財天堂。1716年建立。弁財天の眷属である十五童子が本尊です。15人ものショタにかしずかれるとは、逆ハーレムですね弁天様。

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 皆さんお馴染みの構図だと思いますが、金色堂をカバーする鉄筋コンクリート製の覆堂です。内部は撮影不可となっています。

金色堂内部

 ネットで見つけた金色堂の画像。もちろん国宝。中尊寺創建当時の姿を今に伝える唯一の建造物で、平安末期の1124年建立。金閣寺が外面に金箔を張り巡らせているのに対し、金色堂は内部にも金箔が張られ、金銀や螺鈿による装飾がなされています。

金色堂模型

 ミニチュア模型では屋根まで金箔が施されて全身金ぴかですが、解体修理の際に屋根には金箔の痕跡がなかったそうで、実物の屋根には金箔が張られていません。

藤原氏ミイラ

 内部には奥州藤原氏三代の遺体と四代泰衡(伝忠衡)の首が安置されています。子供の頃ミイラになっていると聞いていましたが、自然にミイラ化したのかエジプトのミイラのように人口加工したのかは未解明だとか。それにしても多湿の日本でよくもまあ。

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 重要文化財の経蔵。本来は二階建てだったそうですが、1337年の火災で二階部分を失ったとか。本尊は重文の獅子に乗った文殊菩薩(騎師文殊菩薩)で、国宝の一切経も納められていましたが、共に今は讃衡蔵(宝物館)に移されています。

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 現在経蔵に安置されている騎師文殊菩薩は新品。どうりで金ぴかですね。

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 ちょっと高いところにある関山(かんざん)天満宮。鎌倉時代に菅原道真道の子孫である五条為視が平泉に下向した時に北野天満宮から分霊を勧請したのだとか。

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 旧覆堂(重文)。現在の覆堂ができるまで、金色堂を風雨から守ってきた堂で、中尊寺は鎌倉時代の建造としていますが、実際には室町中期頃の建造のようです。手前の像は松尾芭蕉。金色堂を訪ねた際の「五月雨を 降り残してや 光堂」は有名な一句ですね。彼が訪れた頃はこの覆堂が使われていました。

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 大長寿院。かつては二階建ての巨大建築で二階大堂と呼ばれたそうです。奥州征伐の際にやって来た頼朝が見て、鎌倉にこれを模した永福寺を建てたとか。今の建物は幕末1863年の再建です。

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 釈迦堂。1719年の再建。本尊はその名のとおり釈迦三尊。

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 白山神社。中尊寺の鎮守です。茅の輪は6月末の夏越祓 (なごしはらえ) で使われるもので、これをくぐって心身を清めて災厄を祓い、無病息災を願うのですが、ここでも年中標準装備なのか。

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 重文の能楽殿。1853年に伊達藩が再建したものですが、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされ、日本の芸能史上貴重な遺構だそうです。現在も使われています。

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 宝物館である讃衡蔵(さんこうぞう)。2000年新築。中尊寺の多くの文化財を収蔵展示しています。ここも内部は撮影不可。

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 旧鐘楼。1343年に鋳造された梵鐘がありますが、長年の使用で窪み、今では使われることはないとか。

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 本堂方向に向かう参道の坂道。さすが新緑の季節、緑が鮮やかです。

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 大日堂。1802年再建。本尊は当然大日如来です。

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 峯薬師堂。元々は別の場所にありましたが、1689年に移築されました。本尊の薬師如来像は讃衡蔵に安置されています。

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 本堂。1909年再建。中尊寺は850年に天台宗第三代座主円仁(慈覚大師)の開創と伝えられていますが、裏付けはなく、12世紀初頭に奥州藤原氏の初代・清衡の建立したのが実質的な始まりとみられています。
。1655年に上野・寛永寺(天台宗関東総本山)の末寺となり、1958年に天台宗東北大本山となっています。

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 観音堂。薬師堂に隣接しています。中尊寺公式HPで薬師堂は説明しているのに、なぜか観音堂は無視されている不思議。本尊は観音菩薩ですが、やはり讃衡蔵に安置されています。

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 薬師堂。1885年改築だそうですが、それにしたは新しそうな。薬師三尊と十二神将を安置しています。

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 弁慶堂。1827年建立。本尊は勝軍地蔵で、古くは愛宕堂と称していたそうですが、義経・弁慶の木像を安置し、明治以降弁慶堂と呼ばれるようになったそうです。

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 月見坂にある八幡堂。前九年の役の際に源頼義・義家親子が戦勝祈願した事が始まりだそうです。八幡神社でしたが、明治の神仏分離令で八幡堂となり、阿弥陀如来が本尊となっています。

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 境内を出て毛越寺に向かいますが、その前に見つけた弁慶の墓。1189年の衣川の戦いで立ち往生したという弁慶の遺骨が葬られているそうです。義経の郎党として非常に有名ですが、史書には出自や業績、最期等について全く触れられておらず、実在が疑問視されています。創作物では面白おかしくいろいろな話が作られていますが。それにしても義経の墓はないのね。弁慶堂はあっても義経堂はないし。義経には衣川で死なず、蝦夷地に逃れたという、いわゆる「義経北行伝説」があります(さらに大陸に渡って成吉思汗になったというトンデモ伝説もあったりして)が、それだと弁慶も随行しているのでここでは死んでいないことになりますが。なにはともあれ、次回は毛越寺。
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