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北九州市・下関紀行(その2):下関と門司港再び

SSになったアルダン

 急に春らしくなった、というより春らしくなりすぎた感じですね。充満する花粉で目がムスカ。それはさておき、“俺の嫁”ウマ娘・メジロアルダンのランクををSSにすることが出来ました。出来るトレーナーはそれ以上にもしているんですが、個人的にはよくやったと自分で自分を褒めたいレベルです。

SS2にグレードアップ

 そのせいかチームランクもSS2にアップ。この前までS5だったんですが、大躍進です。しかしこのチームランク、EからUFまで43段階もあり、SS2というのは下から29番目です。まだ上に14も控えているという。SSのランクだけでSS~SS5まで6段階もあります。その上、UGの世界に入る日は来るのでしょうか。

ふくの唐揚げ

 さて先週の続きで先日の旅行の続きです。ドーミーインPREMIUM下関に泊まって“カイジ豪遊ごっこ”をした翌日。“豪遊ごっこ”なので本当に豪勢な惣菜は食べていないのですが、朝食にふく(フグを下関ではこう呼びます)の唐揚げ、ふくの味噌汁、ふくの混ぜご飯があったので、ありがたくいただきました。下関に泊まった甲斐があったというものです。

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 ホテルを出るとそばに「海峡ゆめタワー」がどーんとそびえています。ここの展望台から下関や関門海峡、そして門司を一望したかったのですが、あいにくの曇天。これでは見晴らしは期待できないので残念ですがあきらめます。

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 関門海峡沿いをずんずんど東へ歩いていくとあったのが亀山八幡宮。関門海峡鎮護の神社として崇敬を受け、下関の総鎮守とされています。この階段を上るのが地味にきつかった…。御影石の大鳥居や昭和8年建立のもの。

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 拝殿。応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、仁徳天皇・武内宿禰をあわせ祀っています。皇族のなかにただ一人臣下の武内宿禰がいるのは肩身が狭そうですが、祖先は考元天皇で、自身は景行~仁徳の5代の天皇に仕え、紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏などの中央有力豪族の祖ともされる伝説の人物なので、負けていないかも。

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 境内にあったふくの像。戦前に建てられた「波のりふくの像」が戦争中の金属供出により消え、ずいぶん後になりましたが平成2年に再建されたものです。ふくの像としては世界一大きいとか。まあよその国にはそもそもふくの像なんかなさそうな気もしますが。

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 さらに東に向かって歩くと、なにやら竜宮城のような建物が。これは赤間神宮の竜宮城を模した楼門・水天門です。赤間神宮は壇ノ浦の戦いにおいて入水した安徳天皇を祀る神社です。前身は阿弥陀寺で、平家一門を祀る塚もあり、かの有名な怪談「耳なし芳一」の舞台ともなった寺ですが、明治の神仏分離で神社となりました。

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 境内にある安徳天皇阿弥陀寺陵。なお安徳天皇については壇ノ浦で入水しましたが、生き延びて地方に落ち延びたという伝説もあり(源義経とか豊臣秀頼とか、類例は多いですな)、四国では徳島県の祖谷山に落ち延びたという説と高知県の横倉山に落ち延びたという伝説があります。

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 階段の上には大安殿。また階段か…しかし、亀山神宮に比べると登りやすいような。

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 大安殿の先には内拝殿。

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 こちらは大安殿の東側にある日本西門鎮守八幡宮。赤間神宮の摂社になりますが、名前からして日本の西側を守っているというような、ものものしい感じを受けますね。某半島国とか某大国からも守ってください。

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 摂社といえば他にもあって、さらに東側に出て、さらに坂を登ったところにある紅石稲荷神社。稲荷神社はやたら鳥居を建てますねえ。

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 こちらは拝殿。モダンというか伝統性が感じられないというか…

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 その隣に建つ、これも赤間神宮摂社の大連神社。中国の大連がかつて日本の租借地だった頃にかの地に建てられたものを、日本に持ち帰り再建したものだそうです。

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 大連神社側から降りてきて鳥居をくぐりました。稲荷神社とは対照的に古色蒼然といった感じですね。

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 さらに東に向かいます。関門橋が見えてきました。雲が低くて今にも降りそうな天気です。

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 一日に四度潮流が変わるという関門海峡。この時は東の瀬戸内海側から西の日本海側に向けて音を立てて潮が流れていました。その様はまさに川。手こぎボートとかだと流されてしまいそうです。静止画だと伝わりにくいのが残念です。

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 さらに関門橋に接近。ここを通って門司側に行きたいのですが、残念ながら歩道はないようです。

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 途中で見かけた群れなすような赤鳥居。ジェットストリームアタックでも仕掛けてきそう。ここは立石稲荷神社で、平家一門が都から下ってきた時に、京都伏見稲荷の分霊を祀ったのだとか。

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 関門橋直下まで来ました。全長1068メートル、路面幅26メートル、高さ141メートルですが、高さは橋を吊っている主塔の高さだそうです。開通して50年という結構年季の入った橋ですが、開通時点では東洋最長の吊橋でした。

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 関門橋を越えたすぐ東側にある壇ノ浦古戦場址。言わずと知れた、治承・寿永の乱(通称「源平合戦」)の最後の舞台となった壇ノ浦の戦いの戦場址です。高松にはその前の戦いの場となった屋島があるので、一際感慨深いですね。

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 源義経・平知盛像。義経は八艘跳び、知盛は錨を担いだ姿で描かれています。錨を担いでいるのは、戦うためではなく、入水するための錘とするためのようです。

関門トンネル人道入り口

 関門橋を渡れなければどうやって門司へ行くのでしょうか?昨日みたいにフェリーを使うのが最も楽なんですが、今回東へ東へと延々歩いてきたのは、関門トンネル人道を歩きたいからでした。

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 全長780メートルの歩行者用海底トンネルは、エレベーターで降ります。自転車や原付(押して行く)は20円ですが、歩行者は無料。海底といっても窓から海底や魚が見えるわけではなく、普通の地下道とそれほど差はありませんね。

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 壁には水の泡や魚群が描かれていたりしますが、一直線で単調です。この関門トンネルは上下に分かれ、上が車道になっているそうですが、車の音は全然聞こえません。雨や日差しがないというのは、天候や季節によってはありがたいことかもです。

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 そういう訳で歩いて九州に再上陸しました。門司側から関門海峡の東側を見ています。二つ見える島は干珠島(左)と満珠島です。どちらも無人島ですが、る壇ノ浦の戦いでは源義経率いる源氏軍が拠点としたそうです。

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 関門海峡めかり駅の近くにあった銀色の電気機関車EF30と客車のオハフ33。EF30は関門トンネルを通過するための交直共用機関車ですが、展示されているのは試作機の1号機だそうです。銀色なのは、防錆用にステンレスを採用しているため。

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 私が育った鬼の哭く街・A立区のN新井というところには通称「タコ公園」という公園があり、その名のとおり名物がタコの滑り台でした。それを思い出させるタコの滑り台がなんとここ和布刈(めかり)公園にも。N新井のものよりさらに大型ですが、国内最大級だそうです。

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 門司側から見た関門橋。相変わらず潮の流れは速いです。九州側に来たら小雨がパラパラと。

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 和布刈(めかり)神社。九州最北端の神社となります。神功皇后の三韓征伐後に創建されたと伝えられる由緒ある神社です。毎年旧暦元日の早朝に関門海峡のワカメを刈り取って神前に供えて航海の安全や豊漁を祈願するという神事を行っているそうです。

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 また関門トンネル人道を通って下関側に戻ることも考えたのですが、単調だし下関側からまたずいぶんと歩かなければならないので、考えを改めて門司港に向かいました。昨日のようにフェリーに乗ろうという算段です。西へというより南に歩いて門司港に戻って来ました。昨日は跳ね橋「ブルーウイングもじ」が上がっていて行けなかった北九州市大連友好記念館です。

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 大連市との友好都市締結15周年を記念して建てられた記念館。レトロな雰囲気満点ですが、竣工は1995年なので歴史的建造物の複製建築物ということになります。元ネタはかつて大連にあった、ロシア帝国が1902年に建設した東清鉄道汽船会社事務所だそうです。背後で見切れている高層ビルは門司港レトロハイマート(高さ103メートル)。

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 こちらは旧門司税関。1912年に建設されましたが、戦災で傷みが激しかったため、1995年に外観を復元しました。

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 今日は閉じていた「ブルーウィングもじ」。こうしてみると普通の橋ですね。絵面的には跳ね上がっている方が面白いのですが、つまらなくても通れるほうがいいですね(笑)。

下関駅

 ということで、門司港から再びフェリーに乗って下関に戻り、下関駅から小倉駅に戻って新幹線で帰りました。戻るまで荷物を預かってくれたドーミーイン、ありがとう。関門海峡は本当に狭くて、津軽海峡とか本四海峡とは比べものになりませんが、一日に何度も本州と九州を往復できたりしてとっても面白い所でした。
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北九州市・下関紀行(その1):小倉と門司港

卒業戦争

 春の日差しがまばゆいばかりの日曜日。これで花粉さえ飛んでなければ…。それはともかく、卒業にふさわしい日和といえましょう。かつて斉藤由貴と菊池桃子が同時期に「卒業」というタイトル被りの歌をリリースした年がありました。なお尾崎豊と倉沢敦美も同時期に「卒業」という曲をリリースしたので、春の「卒業」戦争とでもいった感じでした。

やっぱり才能がないッ

 一番売れたのは菊池桃子で次は斉藤由貴でしたが、菊池桃子の曲(正確には「卒業-GRADUATION-」)は作詞秋元康、斉藤由貴の曲は作詞松本隆でした。こういっては何ですが、両者の才能の差がはっきりわかる歌詞でしたね。いやどっちがどうとか言うのも野暮な話ですが…

下関地図

 本日は先日行ってきた北九州市・下関紀行についてです。北九州・下関と言いたい所なんですが、単に北九州というと九州北部が全部入ってしまうような感じで。小倉市とかで良かったんじゃないですかね。事前に行きたかったのは下関だったのですが、最寄りの新下関駅はのぞみが停まらないという。あと行きたいのは下関駅なんですが、Yahoo!の路線情報で検索すると、小倉駅までのぞみで行って在来線で戻ってくる方が早いという判定でした。

小倉駅

 で、せっかく小倉駅で降りるのなら、これまで博多の一駅前といったイメージしか無かったものの、見所もないではないということで、一日目は小倉や門司港を観光し、下関で泊まって二日目は下関観光をしようということにあいなりました。

旦過市場

 まず向かったのは小倉城。その途中に旦過市場もありましたが、休日だったせいか北九州の台所と言われる割りに、ぱっとしなかったので、早々に退散しました。

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 小倉城は毛利氏の城でしたが、江戸時代初期に細川忠興が改築し、城下町も整備。細川氏が肥後に移封後は譜代大名の小笠原氏が幕末まで居城としました。天保年間に火事で天守や本丸御殿を焼失し、幕末には城そのものを焼却。明治以降は陸軍歩兵第12師団司令部になっていました。今ある天守は外観復興したものです。

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 手前には松本清張記念館が。松本清張は小倉出身だそうですが、自身では広島市で生まれたと話していたとか。ただ少年時代以降は小倉で定住していたので、一番縁がある町であることは間違いないでしょう。

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 旧陸軍歩兵第12師団司令部だったからか、大砲がありました。四年式十五糎榴弾砲。第一次世界大戦前の大正4年制式で、射程の短い旧式砲でしたが、貴重な重砲として第二次世界大戦の終結まで運用され続けたとか。

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 煉瓦造りの第12師団司令部の正門。明治8年に歩兵第14聯隊が設置されたのを皮切りに、第12旅団→第12師団と増強され、本丸跡に司令部庁舎があったそうですが、大正14年、軍縮により司令部は久留米に移転したそうなので、あまり長く使われた訳ではないようです。

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 西側から見た4重5階の大天守。鉄筋コンクリート構造によって復興されたもので、6千万円の費用を掛けて1959年に完成しました。建設資金を提供した地元商工会の要望により、大入母屋破風や千鳥破風・唐破風などの破風が追加されているため、外観は史実と大きく異なるそうです。

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 天守最上階の5階から東側を見たところ。小倉城庭園が見えます。

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 天守を出て庭園に向かいます。途中、何やら法要が行われていましたが、主催は某新興宗教団体のようだったので、君子危うきに近寄らず(君子じゃないけど)。

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 東側からみた小倉城天守。掘りまで下がった石垣が見事ですね。

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 小倉城庭園入り口。細川氏の後を受けた小笠原氏時代には、和歌や茶道などを楽しむ下屋敷だったそうですが、幕末に焼失。なお小笠原氏は、全国の小笠原一族の総領家であり、「小笠原流礼法」の宗家として知られる旗本の小笠原家もその一族だそうです。

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 庭園から書院を見ています。庭園と言ってもかなり小さいですね。お金持ちのお庭程度といった感じでしょうか。大名の庭園ならばもっとこう…兼六園とか後楽園とか栗林公園とか。

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 一応庭園らしい風情でしょうか。一応「池泉回遊式」庭園となっており、池面が周囲よりかなり低くなっているのが特徴。「のぞき池」と言われるそうです。しかしすぐ外側にビルが迫っていてやはり小ささは否めませんね。

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 書院から庭園を見てみました。庭に比べて池の面積がやたらに大きく感じます。

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 城内にある八坂神社。北九州市およびその周辺地域において、もっとも多くの参拝客でにぎわう神社だそうです。

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 小倉駅に戻って在来線で門司港駅へ。関門トンネルが開通するまでは九州の鉄道の玄関口で、対岸の下関駅との間に就航した関門連絡船との連絡中継駅として賑わいました。この素敵な駅舎は重要文化財に指定されています。日本経済新聞が2007年に行った「足を延ばして訪れて見たい駅」のアンケートで第1位だったそうです。

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 関門海峡とその上を跨ぐ関門橋。橋の長さは1068メートル。長いっちゃ長いですが、瀬戸大橋なんかに比べればやはり短いですね。一本だけで繋がってるし、やはり関門海峡は狭い。

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 門司港側から見た下関市。一際高いのは「海峡ゆめタワー」。西日本で最も高い塔で、高さ153メートル。

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 門司港周辺にはレトロな建物が多く、門司港レトロと呼ばれています。その一つ、八角形の塔屋が目を引くのは旧大阪商船。大正6年に建てられた大阪商船門司支店を修復したものです。かつて門司港からは台湾、中国、インド、欧州へ向け、月に60隻もの客船が出航していたそうです。往時の面影を感じさせますね。

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 跳ね橋の「ブルーウイングもじ」。折しも橋が上がっていました。おかげでレトロ建築がある向こう側に行けない(笑)。全長108メートルで日本最大級の歩行者専用跳ね橋だそうで、1日6回、60度の角度で跳ね上がるそうです。橋が戻って最初に渡ったカップルは一生結ばれるということで「恋人の聖地」にもなっているとか。そんなオカルト信じません!

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 跳ね橋の下をゆく遊覧船。どう見ても跳ね上げずに通過できそうな大きさですが。

ハンバーグ焼きカレー 

 門司港の名物は焼きカレーだそうです。ハンバーグ焼きカレーを食べてみました。焼きカレーは函館のラッキーピエロで食べて以来なので、7~8年ぶりでした。

サクラビール

 一緒に頼んだサクラビール。大正時代のビールで、門司から国内外に出荷されたとか。味はまあ…普通のビールでしたね。

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 当初は小倉駅に戻って下関駅に向かうつもりでしたが、門司港から下関の唐戸を結ぶ関門連絡船がありました。所要時間はたった5分で片道400円ということなので、こっちに乗ることにします。

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 到着した唐戸から見た門司港。高いビルは門司港レトロハイマート。タワーマンションで、最上部は展望台になっているそうです。

ドーミーイン下関

 宿は恒例のドーミーイン。関門の湯だそうです。ここは“PREMIUM”と付いていて、観光ニーズに対応し、ツイン・和洋室などが充実しているそうですが、泊まった印象は普通のドーミーインと同じでしたね。

ハローディ

 宿の近くにあったハローデイというスーパーで惣菜を購入。今回、実は正月に飲み残した白州をペットボトルに詰め替えて持って来たので、酒は買いません。ウィルキンソンの炭酸だけ買いました。なんでハイボールはこう美味いんでしょうかね…グビグビ飲んでバタンキューでした。ドーミーイン名物夜鳴きラーメンを食べ損ねてしまいました。二日目は次回。

鹿児島紀行(その2):指宿枕崎線乗車記

栗林公園梅まつり

 早春真っ盛り(?)ということで、この週末は高松の特別名勝・栗林公園では梅まつりが開催されています。3月下旬には桜の開花に合わせて夜間ライトアップも行われ、いよいよ春本番ということになるのでしょう。相変わらず寒さは続いていますが、日はどんどん延びていますね。

天文館

 さて前回の続きで鹿児島紀行です。サントリーローヤルで作ったハイボールを飲んで明けた翌日、ローカル線の指宿枕崎線に乗って枕崎に向かいました。鹿児島市内には繁華街・歓楽街の天文館という場所があり、ドーミーインのすぐそばだったのですが、目もくれずとっとと鹿児島中央駅へ。

鹿児島南西部地図

 枕崎市は鹿児島市の南西にあり、国道225線が両市をほぼ一直線に結んでいます。これが最短ルートになると思いますが、指宿枕崎線は鹿児島湾に沿って南下し、指宿から西に向かう形で枕崎に向かっています。駅数は36で路線距離は87.8㎞。JRで最も南を走る路線です。

枕崎線列車

 列車は古い車両の2両編成でいかにもザ・ローカル線という風情。全線単線でかつ全線非電化。ICカード乗車券は途中の駅までしか使えないので、枕崎まで行く人は使ってはいけません。その旨しきりに鹿児島中央駅でアナウンスされていました。四国でもよくある話です。

枕崎線

 2両編成のローカル線というと、車内はガラガラだろうと思うでしょ?私もそう思っていました。しかし鹿児島中央駅で待っている人は結構いて、いざ乗車してみると満席どころか、立っている人もいっぱい。こんなに乗るならもっと車両を増設した方がいいのではと思いましたが、確か4つめの停車駅である谷山駅あたりでどどっと降りてローカル線らしく。谷山は鹿児島市内でも大きい住宅街で、通勤・通学の需要が大きいそうな。

指宿駅
指宿の砂風呂

 その後は全員座った状態でのんびりローカル線気分で南下していき、中間地点指宿駅へ。砂むし温泉で有名な所ですね。私もここで降りたいところですが、JR最南端の駅に行くという使命(笑)のため、涙を呑んで通過。残っていた乗客も半分以上がここで降りてしまい、車内は一気に過疎化してしまいました。

指宿周辺地図

 指宿を過ぎると、列車は薩摩半島南端を西進し始めます。この先は百名山の一つ開聞岳や、UMA「イッシー」で有名な池田湖などがあります。開聞岳は列車からも見られますが、池田湖は見えませんでした。

イッシー像

 イッシーの正体は池田湖に棲む2メートル級のオオウナギではないかとの説は有力ですが、湖畔のイッシー像は明らかに首長竜風ですね。そうえいばプレシオサウルスなどの首長竜や、イクチオサウルスなどの魚竜は、「竜」という名は付いていますが正確に言えば恐竜ではなく、水性爬虫類とされます。首長竜はトカゲやヘビに近く、魚竜は恐竜より先に出現し、恐竜より先に絶滅しており、恐竜や首長竜よりも古い系統の爬虫類ではないかと言われています。

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 そんなうんちくはさておき、西大山駅に到着。ここです。ここがJR最南端の駅。JR九州も心得ていて、ここで2分ほど停車してくれ、発車前にはベルを鳴らしてくれるというサービスぶり。これは降りてみねばなりますまい。

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 西大山駅は長らく日本最南端の駅でしたが、沖縄にゆいレールが開業したことで「日本最南端の駅」から「本土最南端の駅」になりましたが、「沖縄は本土ではないのか」との意見が寄せられ、表記を「JR日本最南端の駅」へ変えたとか。

最北端の線路

 これまで最北端の稚内駅、最東端の東根室駅(停車サービスがないので通過のみ)はクリアしていたので、残すは最西端のみ。やはりゆいレールが最西端の座も奪っていますが、普通鉄道としては松浦鉄道(M西九州線の「たびら平戸口駅」だそうです。長崎に行ったとき、これが最西端ではないかと思っていましたが違っていました。いつかは行ってみたいですが、果たしていつになるやら。

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 西大山駅からは開聞岳がくっきり。開聞岳は標高924メートルで、百名山としては筑波山(877メートル)と共に千メートル未満の山です。「日本百名山」の著者深田久弥は原則標高1500メートル以上の山としながら、併せて①山の品格 ②山の歴史 ③個性のある山--という三つを選定基準にしていました。そして別に深田自身が登ったことのある山というのが絶対条件だったとか。

筑波山

 筑波山は江戸時代に「西の富士、東の筑波」と並び称された美しさ(富士山が白嶺なら筑波山は紫峰ですね)、「万葉集」など古典への登場ぶり、関東平野に独立峰のように立っていることなどから外せなかったのでしょう。

開聞岳

 一方開聞岳は、海から見事にせり上がった円錐形の山容が美しく、「薩摩富士」の別名も納得です。1000メートルないとはいえ、海抜0メートルからの登山なので、登山の際の標高差は900m以上あります。9世紀末の大噴火で今のような山容になった、比較的若い山です。

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 3時間近くの鉄路の旅の末、辿り着いた枕崎駅。駅舎は結構立派に見えます。格好いいなあと思ったら、2013年にグッドデザイン賞を受賞しているそうです。綺麗な駅舎してるだろ。ウソみたいだろ。無人駅なんだぜ、それで…

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 最北端、最南端との縁で、稚内市とは友好都市になっているそうです。「北と南の始発・終着駅」の看板。確かに鉄路で結ばれていますが、枕崎から稚内に向かう旅は乗り換え頻繁でしょうね。新幹線を使えばかなり楽ですが、普通列車だけで行ってみるなんてのは煩雑そう。あえてやってみるなんて、なんちゃって乗り鉄的にはなかなかそそるものがありますが…腰が死にそうな気もします。

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 駅近くにあった灯台型モニュメント。枕崎市はカツオの水揚げ全国有数規模の枕崎漁港を持ち、気候は温暖ですが、夏から秋にかけては台風の通過が多く、台風銀座の異名を持っています。観光すれば面白そうなところなんですが、休暇は短くこの日のうちに帰らなければなりません。

バスで帰るぜ

 帰りもJRだとまた2時間近く掛かってしまうので、特急バスで鹿児島中央駅に戻ります。国道225線を使って1時間半ぐらいで到着。時間も料金もバスの方がお得ですが、なんちゃって乗り鉄的にはやはり片道だけでも鉄路を使いたい訳です。

薩摩蒸気屋

 鹿児島中央駅にある薩摩蒸気屋でお土産「かすたどん」「銅鑼殿」を買って高松に帰還しました。お店の名前がイカしていますね。「かすたどん」は鹿児島県産の卵を使ったカスタードクリームをスポンジ生地で包んだお菓子で、「銅鑼殿」は北海道産の小豆を使ったどら焼きです。鹿児島といえばかるかん、なのかも知れませんが、名物がウケるとは限らないのでここはウケ狙いに徹しました。

かすたどん

鹿児島紀行(その1):桜島の溶岩なぎさ遊歩道句碑巡り

梅咲きぬ

 今日はまるで春のように暖かい。いや、暦の上では春なんですが、早春というのは真冬並みに寒いことが多いのでありがたいです。また週明けからは寒くなるらしいですが、三寒四温という感じでしょうか。この言葉、本家中国では冬に使うそうですが、日本では早春の時期にぴったりという感じがします。

城山

 本日は昨年末に行った鹿児島旅行についてです。先に取り上げなければならないネタが詰まっていたので、1か月遅くなってしまいました。鹿児島を訪ねたのは2回目で、前回は2018年の夏だったのですが、なぜかブログ記事にしていまぜん(汗)。今となっては理由も忘れてしまいましたが、城山公園や仙厳園、尚古集成館、歴史資料センター黎明館などを訪ねました。印象は、とにかく暑かったなと。

鹿児島中央駅

 今回は、前回行きそびれた桜島を訪ねることと、JR最南端駅である西大山駅に行くために枕崎駅行きのローカル線に乗ることを旅の目的としました。例によってマリンライナーで岡山駅に向かい、そこから新幹線で一気に鹿児島中央へ。東京からの場合、新大阪駅か博多駅で九州新幹線に乗り換える必要がありますが、岡山駅からなら一気に鹿児島中央駅まで行くことが出来ます(博多止まりもあるのでそこは時刻表をチェック)。観覧車が回ってたりして何となく景気のいい駅ですね。

若き薩摩の群像 

 桜島に向には市電でフェリー桟橋付近に向かうのが便利ですが、私は途中のホテルに荷物を預けるつもりもあって、えいやっと徒歩で移動。タクシーならぬテクシーというやつですね。鹿児島中央駅東口には「若き薩摩の群像」という像が建っていました。薩英戦争後にイギリスに派遣した薩摩藩遣英使節団の留学生一行の像だそうです。

ドーミーイン鹿児島

 荷物を預けるために夕方になる前に訪れた「天然温泉 霧桜の湯 ドーミーイン鹿児島」。今後本気で日本全国ドーミーイン巡りをしようかしらん。快適なホテルですが、お値段はやや高め。高級ビジネスホテルとでもいいましょうか。もちろん荷物預かりは快諾して貰えました。チェックイン時間よりずっと早かったけど、ついでにチェックインも。

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 さらにてくてく歩いて、桟橋近くのウォーターフロントパークへ。ここから桜島がしっかり見えます。寒波が来たせいで上の方はうっすらと雪化粧しています。

桜島フェリー

 フェリーターミナルから桜島フェリーに乗ります。鹿児島市営で、5隻が1日60~65往復で24時間運航しているそうです。それなら最終便に乗り損ねて島に置き去りにされるという心配はないですね。料金は1人200円とお安いですが、車があればもちろん別途航走運賃が必要です。

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 桜島港フェリーターミナルに到着。早速降りてすぐそばにある月讀神社が気になりました。上り坂の参道には蘇鉄が植わっていたりして、さすが南国です。

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 月讀神社本殿。社殿は新しめですが、和銅年間(708〜715年)には創設されたと伝わる由緒ある神社です。パワースポットとしても人気の高い場所だそうですが、例によって私は何も感じませんでした。

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 神社の展望台から見た桜島と鹿児島市内です。木々が遮るので桜島は隠れてしまいます。鹿児島市内は栄えていますね。海のそばっていいものです。高松も海のそばですが。

ビジターセンター

 そこから桜島ビジターセンターに向かいます。桜島に来たらまずはここ、なんだそうです。桜島の噴火と成長の歴史、植物の遷移、地域の観光情報や防災活動などが紹介されています。

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 霧島錦江湾国立公園の看板。当初はバスに乗ってぐるっと桜島を一周してみようかと思っていたのですが、溶岩なぎさ公園というのが気になりました。どうやら海岸沿いに遊歩道がある様子。

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 袴腰烏島溶岩探勝路という名前がそそります。大正3(1914)年の桜島の噴火により流出した溶岩によりできた溶岩の遊歩道だそうです。これは歩かねばなるまい。この近年最後の大噴火である大正大噴火により、桜島は大隅半島と陸続きになりました。つまり桜島はそれ以降島ではないのですが、鹿児島市のある薩摩半島側からは相変わらず海を隔てています。

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 海岸の溶岩。100年以上前のものですが、まだまだ荒涼とした風景ですね。

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 鹿児島と桜島を往復するフェリー。さすが往来は頻繁です。

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 冬の陽は早くに落ちてしまいます。どんどん歩いて行きましょう。目前の溶岩がまるで怪獣のようです。植物の生命力は強いので、このままいけば溶岩も次第に草むしていくことでしょう。

高浜年尾

 高濱年尾の句碑。高名な俳人高浜虚子の長男だそうです。“溶岩色を重ねて古りて冬ざれて”「溶岩色」を「らばいろ」と読んでいます。1953年の作。月讀神社の近くにパパンの高浜虚子の句碑もあるそうですが、見落としました。読めなかった、このリハクの目をもってしても!(いやリハクだからだ)

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 桜島には句碑が多く、特になぎさ遊歩道には点在しているということで、これはもうなんちゃって俳句詠みとしては見て回らねばなるまい。

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 金子兜太の句碑。“黒い桜島折れた銃床海を走り”1960年の作。初めて訪れた桜島に自身の戦争体験が重なった句だそうな。

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 横山房子の句碑。“マグマ湯の赫く溢れて梅雨の月”これは新しくて1992年の作。とはいってももう30年以上前か。あまり有名な俳人ではありませんが、外科医にして俳人だった横山白虹の奥さんだそうです。マグマ湯とは、地下千メートルの地層からポンプアップしたもので、鉄分と化石化した塩分で濃い褐色だそうです。句碑と説明文を一緒に写そうとしたので、句碑が読めませんね(汗)。正直句碑は読みにくくて、正直説明文の方がわかりやすい。

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 桜島の沖合にある沖小島。薩英戦争時には砲台があって、英艦隊を砲撃しましたが、威力不足で損害を与えることができなかったとか。現在は無人島。

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 句碑の在処を知らせる立て札。右三つはもう見たぞ。でも疲れてきたので秋桜子まではちょっとなあ…

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 なんとか知っている人のは見ておこうと、ちょっと内陸部に入って角川照子の句“火の島の左右に紫春の暁”。角川書店(現KADOKAWAグループ)創業者角川源義の奥さんです。
 その隣の“地に垂りていよいよあをきさくらかな”は角川春樹の句。言うまでも無い角川源義の長男。照子と14歳しか離れていなくて驚きましたが、照子は後妻で春樹は前妻の子だそうです。しかし句碑を同じくしているので仲は良かったのでしょう。

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 さらに近くに見える桜島。結構歩きました。パトラッシュ、ぼくもう疲れちゃったよ。

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 相変わらず海岸は溶岩で荒涼としています。そろそろ帰りましょう。

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 帰路、だいぶ陽が傾いた時間の桜島。実は溶岩なぎさ公園には人懐こい猫がたくさんいて、戯れてしまいましたが、戯れに専念しすぎて写すのを忘れていました。

夜のドーミーイン

 フェリーで鹿児島に戻って、ホテル近くのスーパーで惣菜を買い、ドーミーイン鹿児島で恒例の夜の一人宴会。今回は正月用に買ったサントリーローヤルを半分ほどペットボトルに入れて持って来たので、ハイボール大会に。

ローヤルスリムボトル 

 昔のローヤルはサントリーのフラッグシップで、1本でお中元お歳暮の贈答品になっていました。優しく癖がなく、とても飲みやすいウイスキーです。高度成長期にはこういう酒が好まれたのでしょうか。あるいは人材もそうだったのかも。いや、今飲んでも充分美味しいのですが、個性の強さがウリのシングルモルトに親しんでくると、やや物足りなさを感じてしまうかも。次回は枕崎線の旅です。

鳥取再び(その2):米子超短期観光

ライトアップ始まる

 昨夜から栗林公園で恒例の秋のライトアップが始まっています。こういう幻想的な光景が随所に…といいたいところですが、これは明らかにプロの仕業。こんなのはなかなか撮れません。
 
私のベストショット

 昨年行った私のベストショットはこれ。まだ見たことがないという方はぜひ一度ご覧頂きたいですが、年パスも切れてしまったので私は今年はいいかな。

普通の境線

 さて鳥取紀行の続きです。境港に泊まった翌日、境線で米子に戻りました。行きはねずみ男列車でしたが、帰りは普通の列車。

米子駅

 米子駅で特急やくもに乗り換えになりますが、まっすぐ帰るには早すぎるし、米子を訪れるのは何気に初めてなので、ちょっと観光に。米子駅は工事中。

新駅舎

 来春にはこういうふうに変わるそうです。おしゃれですね。でも私は鄙びた駅舎も好きですよ。

 さて途中下車して向かうは米子城址。湊山という90メートルぐらいの小山というか丘の上に建っていましたが、城郭は明治期に取り壊されました。戦国時代には隣接する飯山に砦がありましたが、江戸時代になって湊山に近世城郭が築かれました。

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  四重天守と四重櫓を有し、30棟の櫓と20棟の門が建てられ、城域の周囲に張り巡らされた堀には海水をひき入れていたそうです。なので城としては平山城にして海城ということになるでしょうか。本丸に向かう道はこんな感じでした。

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 仰ぎ見る本丸跡。中腹には石仏がたくさんあって、四国霊場八十八ヶ所に対応しているそうです。つまり米子城址を巡ると四国八十八カ所が巡れるという。ただし単純に山頂を目指している場合は全部を回ることはできません。私は巡礼に興味がないのでとにかく山頂を目指します。疲れるのが判っているのに高いところに登りたがるのは“性”というやつでしょうか。

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 やっと辿り着いた山頂。ここに本丸がありました。小山ですが、頂上からの眺めはなかなかのものです。

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 西側には日本で5番目に大きな湖である中海が見えます。中海は日本海に開いた湾口が砂州で塞がれてできた潟湖で、東は境水道で日本海とつながり、西は大橋川を通じて宍道湖と繋がっています。中海と宍道湖は日本で数少ない連結汽水湖でもあります。

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 北側。町並の向こうに弓ヶ浜、そして日本海が見えます。

裾野だけの大山

 東側。伯耆富士こと大山が見えるはずなんですが、この日が雲が多くて裾野しか見えませんでした。残念。

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 城郭はなくなっても石垣だけは残っています。米子城は1600(慶長5)年に城主となった中村一忠が築きました。パパンは豊臣家の三中老の一人・中村一氏。五大老と五奉行との意見が合わないときの仲裁役が三中老とされますが、三中老制度が実際にあったかについては疑問の声もあります。

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 折しも晩秋。荒城の月の歌詞が思い浮かばれますね。11歳で大名となった一忠は、わずか20歳で急死し、伯耆一国17万5000石を支配した米子藩はあえなく断絶。その後因幡の国主だった鳥取藩の池田光政が伯耆も所領としました。米子城は家老の荒尾但馬家が城代として駐在しました。1615(慶長20)年に一国一城令が発布され、諸大名に対し、居城以外のすべての城の破却が命じられましたが、一つの大名家が複数の令制国に跨がって領有している場合は、各令制国ごとに一城は認められました。なんと池田家は因幡、伯耆の二令制国で三城の所有が認められ、居城の鳥取城の他、米子城と倉吉城を持っていました(但し倉吉城は陣屋扱い)。鳥取池田家は徳川将軍家の親戚でもあって信用絶大で、西の毛利家への備えという点からも特別に三城が許されたのではないかと言われています。

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 こちらは内膳丸に向かう道。湊山と峰続きの丸山(標高52メートル)にあります。中村一忠の家老である横田内膳正村詮が担当して構築したため「内膳丸」と呼ばれるいます。この人は幼少の一忠の後見役として家康が派遣した人物で、城下町の建設、検地、運河の造成などで現在の米子市の礎を築いた優秀な才覚を発揮しましたが、これによって一忠の側近に妬まれ、暗殺されることに。しかし天下人の家康が派遣した人物を暗殺したらどうなるか、考えなかったのでしょうかね。

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 内膳丸跡から本丸を見上げています。今は秋風が吹くばかり。

大連

 運動してお腹が空きました。駅弁を買ってやくもの車中でいただくのもいいのですが、まだ時間があったので米子駅近くの中華料理店「大連」に。

チャーラーセット

 名物は元は賄いだったみそちゃんぽんだそうですが、店長オススメのセットメニュー「ちゃーラーセット」を頼みました。チャーハン小盛+ラーメン小盛で800円。チャーハンはカレーチャーハンも選べます。ラーメンもチャーハンも美味しかったです。

因幡の白うさぎ
因幡の白ウサギ

 ホテルで貰ったクーポン券を使わねばと、お土産を買いました。メルカリが昨夏行った企画「インディーズ土産全国デビューへの道」でNO.1土産に選ばれた「因幡の白うさぎ」。ウサギ型で可愛いですが、頭から痛快丸かじりしてしまうことになるという。

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 米子駅前には、今にも空に舞い上がろうとしている銀河超特急999のようなモニュメントが。造られたのは1995年4月だそうで、“「山陰鉄道発祥の地」米子の交通拠点としてのイメージと「21世紀の国際交流都市」を目指した街づくりの姿をダイナミックな蒸気機関車のフォルムに重ね合わせ、天空へと向かって今走り出す瞬間を造形化しています”とのことです。山陰地方で最初に鉄道が開通したのは1902年のことで、境港~米子~御来屋間だったそうな。しかしどうみても999…いや、いいんですが。

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 特急やくもに乗ってさらば鳥取。車窓から、米子城では見えなかった大山が姿を見せてくれました。まるで別れの挨拶をするよう。

鳥取再び(その1):妖怪天国?境港

晩秋猫

 今日は小春日和というには少し暑いくらい。この時期、もう最高気温20度超えはいいんじゃあと言いたくなりますが、来週からはそういうこともなくなりそうです。ハロウィンが終わるや否やクリスマスソングを流している店もありますが、もっと晩秋を楽しみましょうよ。

因幡国と伯耆国

 ということで、晩秋を満喫すべく鳥取に行ってきました。鳥取は3年前に旅したことがありますが、その時は東側の旧因幡国に当たる鳥取市だったので、今回は西側の旧伯耆国をということで、境港と米子に行ってきました。47都道府県を一応制覇したので、今後は令制国を制覇しよう中という気持ちも弱冠あったりなかったり(やる、とは言っていない)。

特急やくも

 例によってマリンライナーで岡山に出て、特急やくもで米子へ。鳥取島根方面に行くのに便利かつ重要な列車で、これが3回目の乗車ですが、旧国鉄時代の381系電車がなお使われています。中村草田男が「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠んだのは、昭和6年だそうです。間にはさまる大正時代が15年と平成時代の半分しかなかったことを考えると、令和の今、過去を振り返って「昭和は遠くなりにけり」と思う方がずっと時間間隔は空いているのですが、ここではなお昭和の遺物が走っています。トイレを洋式にしたりと近代化改修は行っていますが、SLに乗るかのようなレトロ趣味に浸れるので個人的には悪くないですね。ただ、2024年春には新型車両が導入さるらしいので、昭和の列車を体感したい人は今のうちに乗っておきましょう。

ねずみ男列車

 やくもは出雲市駅まで向かいますが、今回は境港に向かうので米子で境線に乗り換えます。いかにもローカル線といった風情ですが、ここが他と違うのはやたら「ゲゲゲの鬼太郎」推しなところです。私が乗ったのは「ねずみ男列車」。ねずみ男は日本一不潔で、「三百年生きているのにまだ一度も風呂に入ったことがない」と自称し、吐息は鬼太郎を悶絶させるほど臭いというヤバいヤツなので、出来れば鬼太郎列車とかねこ娘列車に乗りたかったのですが、まあ車両が臭いとかいうことはなかったです(笑)。

のんのんばあとオレ

 また始発駅の米子駅は「ねずみ男駅」、終着駅の境港駅は「鬼太郎駅」など、沿線各駅には「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪の愛称が付けられており、車中アナウンスで鬼太郎、目玉おやじ、ねこ娘らが紹介してくれます。「ゲゲゲの女房」がNHKの朝ドラで放映されたのは2010年で、これで一気に境港が水木しげるゆかりの地であることが全国的に広まったように感じますが、境線で「鬼太郎列車」の運行を開始したのは1993年で、各駅に妖怪の愛称がついたのは2005年とそれよりだいぶ早かった模様。水木しげるの自伝的エッセイで、平成初期にテレビドラマ化された「のんのんばあとオレ」の影響の方が強いのかな?

傘化け駅

 妖怪駅の一例。河崎口駅の愛称は傘化け駅で、水木しげるの絵で舌を出した傘化けとそれを見てビビりまくる少年達の姿が描かれています。私がアニメで見たのは第2シリーズ(それも再放送)かと思いますが、空を飛んだり回転して攻撃を跳ね返したり目から熱線を出したりとかなりの強敵でした。

境港市の位置
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 境港は弓ヶ浜半島の北端にあって、三方を水に囲まれています。東は日本海、西は汽水湖の中海、そして北は中海と日本海を繋ぐ境水道。境水道の向こうには島根半島の東端です。

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 高所から見た境水道。隠岐に向かうらしいフェリーの姿があります。

御宿野乃

 今宵の宿は駅前にそびえる御宿野乃。ご贔屓のドーミーイン系列で、和風プレミアムというコンセプトで、廊下は畳敷き。ロビーで靴を脱ぐシステムとなっています。ホテルではいつもの癖でサンダルとかスリッパを履きたくなりますが、畳敷きなのでそういうものはありません。旅行支援開始前に予約したのですが、ダメ元でワクチン接種証明を持っていったら現地で5000円も値引きしてくれました。さらに3000円分のクーポン(鳥取限定)も。皆さん、旅に出る時は接種証明を持っていきましょう

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 チェックインして荷物を置いたら市内観光(徘徊とも言いますが)。とりあえず有名な水木しげるロードに向かいます。両側は商店街となっており、歩道には大小100体を超す妖怪たちの銅像が設置されています。1993年にオープンしてから次第に拡充されてきました。

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 水木しげるロードにある「妖怪神社」。小さな神社ですが、鳥居が一反木綿。御神体は中央にある約3メートルの黒御影石と、樹齢300年の欅だそうです。しかし神社の看板には「御神体」ではなく「御身体」と記載されていました。

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 目玉石。「御身体」の黒御影石から突然めくれ落ちたもので、その場所はちょうど水木しげるが「目玉をつけたらいい」と言っていた場所だったということで、この名が付いたそうです。

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 水木しげる記念館。2003年開館。水木しげるが世界中から集めた妖怪関連コレクションや独自に制作したオブジェの展示などを中心に、水木しげると妖怪の世界を展示・紹介する博物記念館だそうです。周辺は人で賑わっていましたが、実は入りませんでした。水木しげるも鬼太郎も知っていますが、実はそこまで大ファンという訳ではなく。

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 水木しげるロードで一番大きいと思われるねずみ男の銅像。みんなここで記念撮影していましたが、親世代はともかく、子供達は知っているんでしょうかね?

境台場公園

 800メートルほどの水木しげるロードを越えてさらに東に向かうと、道が「おさかなロード」に変わって魚のオブジェが置かれています。そこをさらに東に進むと境台場公園があります。幕末の1863年に鳥取藩が築いた砲台場跡です。六角形の木造灯台(復元)は山陰最古だったとか。

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 公園内にひっそりと建つ慰霊塔。100年近く前の1927年に起きた美保関事件(夜間演習中の海軍艦艇の多重衝突事件)のもので、死者100名以上、駆逐艦1隻沈没、軽巡2隻中大破、駆逐艦1隻大破という大事件でした。

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 境台場公園そばにある「海とくらしの史料館」。水のない水族館で、日本最大級の魚の剥製ミュージアムを名乗っています。入館料は410円。建物は明治時代の酒蔵を改修したもです。

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 剥製なので撮影OK。700種4000点が展示されていますが、間近に見るホオジロザメは迫力です。

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 日本一巨大なマンボウの剥製。山陰地方には滅多に現れなかったらしく、江戸時代には怪魚扱いされていたとか。確かにみてくれからして怪しい魚ですが。

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 鮫各種の剥製とリュウグウノツカイ。背後にも多数の魚介類の剥製があります。海洋堂とかボークスがフィギュア化しそうな気がしないでもないですが、需要があるかどうか。

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 ハリセンボンのトンネル。忍者屋敷とかで天井からハリセンボンがバラバラと落ちてくるという仕掛けはどうでしょうか。え?それなら栗の毬でいい?それもそうですねぇ。猫に投げてやったらどういう反応するか興味深いです。いつもどおりネコパンチを入れてとげとげを痛がったりするんでしょうか。

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 史料館外には境水道。向こうの橋は境水道大橋。歩いても渡れるそうですが、橋が高い上に歩道が狭く、車が通ると揺れて怖いそうです。

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 境水道越しに島根半島を見る。向こうは島根県松江市になります。山頂にぽつんと天文台のようなものが見えますが、航空自衛隊のレーダードームのようです。

夜の野乃

 てなとこで秋の日は釣瓶落としで夕方になったので、スーパーで惣菜を買ってホテルに帰り、ひとっ風呂浴びた後で例の如くカイジ豪遊ごっこ。飽きたというわりに性懲りなくやってます。秋なのでしみじみ赤ワインでも、と一本買ったのですが、持て余し気味でした。やはり醸造酒より蒸留酒なのか。次回に続きます。

ことでん全線踏破計画(その2):志度線の終点には寺あり伝説あり

晩秋たけなわ

 晩秋の11月、ようやく秋たけなわといった感じの今日この頃ですが、明日は立冬。毎年テレビなどで「暦の上ではもう冬」などと報じられる日ですね。“秋が極まり冬の気配が立ち始める日”ということなので、実際には秋真っ盛りといった状態な訳ですが。考えてみれば立秋は夏真っ盛りだし、立春も冬真っ盛りですよね。

志度線駅

 さてそんな行楽の秋なので、先週に引き続き「ことでん」全線踏破を目指していきましょう。今回は最後に残った志度線(瓦町駅-琴電志度駅 12.5Km、16駅)に乗車しました。国道11号線やJR四国の高徳線と平行して走っているので、ライバルが多いという感じですが、その中では一番北側を走っています。

志度線

 ラインカラーはローズピンク。12.5Kmしかないのに16駅もあるということで、間隔が1キロない駅が多いです。まるでバス…。平行して走っている高徳線は駅数が少なく、特急も走っているので、所要時間の少なさでは高徳線に分がありますが、運転本数は志度線の方が多いようです。

海沿い列車

 海沿いを走るので海岸線が楽しめるほか、屋島や五剣山といった名所も見ることが出来るので、ことでん三線で一番乗っているのが楽しい路線ではないかと思います。屋島には四国八十八カ所第八十四番札所の屋島寺、五剣山には第八十五番札所の八栗寺があります。

南からみた五剣山

 五剣山は五つの大きな峰があることからこの名前が付きましたが、今見ると峰は四つしかありません。一番西側の五の剣は1707年の宝永地震で割れてしまったそうです。他の峰も風化が激しく危険なため、入山禁止となっています。

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 では終点の志度駅には何があるかと言うと、第八十六番札所の志度寺があります。前回訪れた長尾線終点の長尾駅には第八十七番札所の長尾寺がありましたが、両寺の距離は直線にして5キロくらいです。最後の札所である第八十八番札所の大窪寺は長尾寺の南南東10キロくらいの所にあって、最後は巡礼者に結構苦労させるようになっているような気がします。屋島寺から長尾寺までの四寺の間隔は地図上そんなにありませんが、屋島寺と八栗寺は山の上にあるので、登り降りは結構大変かも。

琴電志度駅駅舎

 琴電志度駅の駅舎。いかにもレトロな木造駅舎です。日曜ということもあったかもですが、乗客が非常に少なく、それも途中で降りていくので、ここまで乗ったのは私だけでした。

源内記念館

 実はこの志度という場所、江戸時代中期のマルチタレント・平賀源内の生誕地でもあります。どれだけマルチだったかと言うと、Wikipediaで“本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家”と記載されているほどです。志度寺に向かう途中に平賀源内記念館がありました。入らなかったので外見だけ。

翔んでる!平賀源内

 平成初期に「水戸黄門」とか「大岡越前」といった時代劇を放映していたTBS系「ナショナル劇場」で、「翔んでる!平賀源内」が放映されたことがありました。もちろん主人公は平賀源内で、西田敏行が演じていました。源内が発明品を使って様々な事件を解決していくという勧善懲悪ものでしたが、続編は制作されなかったですね。

平賀源内肖像

 「日本のダ・ヴィンチ」とさえ呼ばれ、天才の名を欲しいままにした源内ですが、当時は色物扱いされて社会に受け入れらることがなく、失意の中で誤って人を殺傷して投獄され、破傷風で獄死することに。

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 墓は浅草付近にあるそうですが、志度寺そばの自性院が平賀家の菩提寺で、源内の義弟が建てたという墓がありました。意外に質素なので見落としそうですが、「源内さんの墓」という立て札のおかげですぐ判りました。

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 志度寺の山門。長尾寺のように巨大な草鞋がありますが、その背後にはちゃんと仁王像もありました。長尾寺と比べてかなり境内が大きい寺です。重要文化財。

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 長尾寺にはなかった五重塔もあります。1975年建立ということでわりと最近のものですが。高さ33メートル。

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 本堂。高松藩初代藩主松平頼重の寄進で、1670年建立。重要文化財。

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 大師堂。志度寺は真言宗なので弘法大師で間違いなし。以前は中に入れたそうですが、今は外から見るのみ。

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 閻魔堂。十一面閻魔大王が鎮座しているそうですが、外からは見えません。

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 薬師堂。薬師如来坐像が鎮座しているそうです。

お辻の井戸

 お辻の井戸。仇討ちものの歌舞伎「花上野誉石碑」で、主人公坊太郎の乳母お辻が水垢離した井戸だそうです。歌舞伎は興味がないので深く突っ込まないようにしましょう。

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 曲水式庭園。室町時代に四国管領であった細川氏によって造成された庭園だそうですが、久しく整備されていないらしく、庭園というより石のある野原みたいな感じに。拝観料を取られないので文句は言えませんが…ご覧の有様だよ。

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 実はこの志度寺、八十八カ所の札所というだけでなく、「海女の玉取り伝説」の舞台でもあります。この石塔群が海女の墓とされるもので、伝説では千基の石塔があったとか。今は20基余ほどが残っています。この伝説はかなりスケールが大きいものです。

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 伝説によると、藤原氏の祖であり飛鳥時代の大物政治家である藤原鎌足が亡くなった際、唐の三代皇帝高宗に嫁いでいた娘・白光が追善のために三つの宝物を贈りましたが、宝物を乗せた船が志度浦にさしかかった時、竜神が三つの宝物のうち「面向不背(めんこうふはい)の玉」を奪ってしまったそうです。

歌川国芳“龍宮玉取姫之図”

 鎌足の子不比等は、玉を取り戻すために身分を隠して志度へ赴きますが、その際現地の海女と恋に落ち、一子房前をもうけました。不比等は素性を明かし、海女に玉の奪還を頼んだところ、海女は房前を藤原家の跡取りにする約束でこれを承諾。海女は竜神に襲われて命を落としましたが、玉を取り戻すことには成功しました。

藤原房前 

 約束どおり房前は藤原家を継ぎ、大臣に出世しましたが、ある日不比等から母の死の理由を聞かされたことで、志度を訪問し、千基の石塔を志度寺に建て、菩提を弔いましたった。

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 史実からすると、鎌足の娘が唐の皇帝に嫁いだという話なんてそもそもなく、不比等の次男房前は実在の人物ですが母は蘇我娼子(兄の武智麻呂、弟の宇合も同じ)なので、志度の海女の出てくる余地はないのですが…房前が祖となる藤原北家は藤原四家の中で最も繁栄し、五摂家の他、明治維新時に137家あった堂上家(上級貴族)のうち93家を藤原北家が占めていました。

房前駅

 そして志度駅の二つ手前には房前駅があります。藤原房前は「ふささき」と読みますが、駅名は「ふさざき」です。

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 志度寺の前には今も海が。右側は八栗寺がある五剣山、左側は屋島寺がある屋島です。

ことでん全線踏破計画(その1):長尾線を終点まで乗ると、すぐそこに長尾寺

秋のライトアップ

 恒例の栗林公園秋のライトアップ、今年は11月18日(金)~27日(日)の10日間だそうです。一見の価値はあるので、高松旅行を考えている人はぜひ。いつまであるか判らないサンライズ瀬戸を利用して、なんてオツかも知れませんね。

ことでんグループ

 秋は行楽シーズンなので、私も小さな旅をしているところですが、ふと思ったのは、「ことでん」を全線踏破してみようということです。ことでん、正式名称「高松琴平電気鉄道」は香川県唯一の私鉄で、キャッチフレーズは「うみ・まち・さと - 心でむすぶ」。

ことでん路線図

 現在3つの路線を持っており、そごうグループと提携したのが仇となって、そごうグループの経営破綻の余波を受けて21世紀早々に経営難に陥ったりもしましたが、なんとか再建を果たしています。

琴平線のカラーリング

 本線にあたる琴平線(高松築港駅-琴電琴平駅 32.9Km、23駅)は、昨春金刀比羅宮に行くのに利用して踏破を完了しているので、今回は残る長尾線(瓦町駅-長尾駅 14.6Km、16駅)と志度線(瓦町駅-琴電志度駅 12.5Km、16駅)のうち、まず長尾線を攻略します。

長尾線のカラーリング

 琴平線の電車はラインカラーが黄色ですが、長尾線は緑色。ことでんは軌間、すなわち線路の幅が1435mm。これは標準軌と呼ばれ、世界で最も普及している軌間です。JRだと新幹線だけがこれで、大半の路線は1067mm(狭軌)です。狭軌の方が曲がりやすいとか低コストといった特徴がありますが、1900年代以降に建設された私鉄は標準軌を採用する例が多いようです。ことでんの走る香川平野は急カーブもトンネルもないので、鉄道は敷きやすかったことでしょう。

瓦町FLAG


 路線は水田と民家が合い混ぜになった中を走り、電車が走るすぐそばに住宅があったりするあたり、江ノ電を彷彿とさせます。始発駅は高松築港駅ですが、瓦町駅まで琴平線を走ります。無人駅も多く、全列車に車掌が乗務しており、精算や車内補充券の発売、IC乗車カード(IruCa)へチャージ、無人駅での集札、車内放送などを行っており、大忙しな様子です。瓦町駅は駅ビル(瓦町FLAG)が建っており、JR高松駅よりもシティライクな雰囲気があります。
ことでん長尾駅

 終点長尾駅はまるで民家のような駅舎。個人的にはローカル線の終着駅的な味わいがあって嫌いじゃありません。ここには何があるのかと言えば、四国八十八箇所の長尾寺があります。開業当初は長尾寺への参拝路線という性格があったそうですが、今では郊外路線。

長尾寺

 それでは長尾寺に行ってみましょう。四国八十八箇所霊場の第八十七番札所ということで、ブービー賞な(?)寺です。

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 こちらが山門。仁王がいるべき場所になぜか巨大な草鞋がぶら下がっています。江戸時代前期の1670年建立で、三つ棟木という珍しい工法が使われており、Wikipediaには“日本三大名門の一つという。”との記述がありますが、こんな小さな門が?「あなたの感想ですよね」「なんかそういうデータあるんですか?」とツッコみたくなりますね。

南禅寺の三門

 日本三大門というと南禅寺(京都府・上画像)、東福寺(京都府)、久遠寺(山梨県)が挙げられていますが、日本三大名門というのはググっても出てきません。麻布・開成・武蔵といった私立男子御三家や、桜蔭、女子学院、雙葉といった女子御三家が出てきたりします。た、たしかに名門だが。

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 この山門の手前に出来損ないの石灯籠のようなものがあります。これは経幢(きょうどう)と呼ばれ、鎌倉時代のもので、左側(東側)が1286年、右側(西側)が1283年のもの。経幢は多角形の長い石柱に、尊勝陀羅尼経などを刻んだもので、中国の唐代に始まり、日本でも鎌倉中期頃から作られたそうです。長尾寺のものは屈指の古さということで、重要文化財に指定されていますが、凝灰岩製なので風化が激しいようです。

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 境内の巨木。クスノキで、樹高19m、胸高幹周5.45m、枝張り25×22.1m。香川の保存木となっています。

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 本堂。奈良時代の739年に有名な行基がこの地を訪れ、霊感を得て柳の木で聖観世音菩薩像を彫り、堂宇を建立して安置したのが始まりだそうです。

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 大師堂。大正時代に再建された者。四国八十八箇所霊場は弘法大師に縁のある寺なので、長尾寺も真言宗でしたが、江戸時代に天台宗に改宗されており、今も宗派は天台宗。ではここの大師とは弘法大師ではなく実は伝教大師だったりして(笑)。

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 薬師堂(上)と護摩堂(下)。

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 長尾天満自在天神宮。平安時代の長尾寺の住職と讃岐国司を務めた菅原道真は親交があったそうで、道真が太宰府へ左遷された際には互いに別れを惜しんだという古事があります。建立は江戸時代中期。

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 静御前剃髪塚。源義経の愛妾だった静御前については、吉野で義経と別れた後母の磯禅師と共に鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられ「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しきなどと歌って」などと義経を慕う歌を唄い、その後義経の子を産んだものの男子だったため由比ヶ浜に沈められてしまいました。

静御前

 その後北条政子や大姫(頼朝と政子の娘)に多くの重宝を与えられて母と共に京に帰され、それからの消息は不明となっていますが、各地に様々な伝承が残っています。ここ長尾寺には、母と共に母の故郷である讃岐に帰り、長尾寺で得度を受け、宥心尼と名を改めて信仰の日々を送った後、24歳で短い生涯を閉じたという伝承があります。小野小町もそうですが、美人だと各地に伝承が残りますね。

石原さとみ版静御前

 長尾寺は小さいお寺でしたが、拝観料を取られないのがいいですね。私が訪問した時は檀家らしき方々が境内の清掃を行っていました。八十八箇所巡礼をちゃんとした場合、次が最後の寺(大窪寺)なんですが、距離は15kmもあるという。

長尾線のルート

謎の仏生山を行く:法然寺と平池

見返り秋猫

 値上げの秋と言われてますが、実際スーパーでもコンビニでもいろんな商品が微妙に値上げしていますね。所得は全然増えていないのでまいっちんぐです。ウクライナ問題や円安も影響しているのでしょうが、困ったものです。日本経済的には円安を利用した海外からの観光客の落とす金に期待といったところでしょうが、一緒にコロナウイルスを振り撒かなきゃいいですが。ジャパンマネーとかエコノミックアニマルといった言葉が本当に今は昔。

仏生山エリア

 本日も「どっきん四国」。今回は紛れもない四国ネタをやりましょう。といっても近すぎるんですが、高松市内です。地図を見ていて謎の地名「仏生山」を発見しました。仏が生まれる山?これはあれか、キリストの墓が青森にある的なオカルトネタで、釈迦が生まれたのは実は高松だったというヤツなのか?

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 仏生山はかつては香川郡仏生山町で、1956年に高松市と合併しました。この変わった名前の由来は、町内にある法然寺という寺に由来します。江戸時代初期、香川県の前身である讃岐国は生駒氏が所有していましたが、1640年にお家騒動により改易されてしまいます。その後、讃岐国は二分され、西讃は山崎氏、後を継いで京極氏が丸亀城を本城として治め(丸亀藩)、東讃は松平頼重が高松城を本城として治めることになりました(高松藩)。

松平頼重像

 この松平頼重、かの有名な徳川光圀の実兄(しかも同母兄)なのですが、将軍家光へのお目見えが遅れたために次男扱いされてしまいました。そもそもパパンの頼房が、頼重懐妊を聞いた際に、将軍家や尾張家・紀伊家にまだ嫡男が誕生していないことを憚り、堕胎を命じたそうで、家老の計らいで密かに出産・養育していたそうです。これは光圀も同様だったのですが、パパンへのお目見えが光圀の方が早くなってしまったことが、二人の運命を分けました。

養子に迎える

 兄を差し置いて水戸徳川家の世子となったことは、光圀に複雑な気持ちを持たせたとされ、彼は若い頃は派手な格好で不良仲間(旗本奴)と出歩いたり、かなりの狼藉を働いたりしたようです。後に光圀は自身の長男を頼重の養子とし、頼重の長男を自身の養子とします。この養子が早世してしまったので、光圀はさらに頼重の次男を養子に迎えています。つまり光圀直系の子孫は高松藩主となり、頼重直系の子孫が水戸藩主となったわけで、光圀としてはこれで“ねじれ”を解消したとの思いがあったのでしょう。

門前町

 で、高松入りした頼重は、1668年に松平家の菩提寺として法然寺を建立します。そこには鎌倉前期に建てられた生福寺という寺があったので、復興という形になりますが、その際、仏舎利が出てきたことから、山号を「仏生山」と名付けたということです。法然寺の正式名は、仏生山来仰院法然寺。その門前町となったので、町の名前も仏生山町になりました。

法然

 なお、法然寺の名前の由来ですが、浄土宗の開祖である法然にちなんでいます。専修念仏をモットーとする新興の浄土宗は、比叡山延暦寺など既存宗派と対立することとなり、後鳥羽上皇の命で讃岐に流罪となりました。その際、法然が立ち寄った場所に建てられたのが生福寺だったので、頼重が再興の際に法然寺と改名したそうです。

仏生山駅

 ことでん琴平線の仏生山駅を降りて南東に向かっていくと法然寺があります。

法然寺本堂

 本堂は1907(明治40)年再建。法然自作と言われる阿弥陀如来立像が本尊として祀られています。幔幕に三つ葉葵の紋が。

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 三仏堂は、釈迦涅槃像を安置されているので涅槃堂とも呼ばれます。

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 寺に行くと見ずにはいられない五重塔。法然寺のはやたら新しそうに見えますが、それもそのはず、2011(平成23)年完成という新品です。

前池
仏生山公園

 門前には前池という門前池があり、高松市により仏生山公園という総合公園として整備されています。
 
平池

 仏生山公園の西側にあるのが平池(へいけ)。香川県内に数多ある溜め池の一つで、平安末期の1150年頃に造られたとされます。古い溜め池ですが、県内には飛鳥時代の700年代に造られ、平安前期に空海が改修したという日本最大の溜め池・満濃池もあります。

平池の看板

 しかし平池には「いわざらこざら」という悲しい伝説があり、繰り返し堤防が決壊するのに困っていたところ、“明朝、ちきり(機織り道具)をもった娘が通る。その娘をとらえて人柱に立てれば、うまく治まるであろう”というお告げがあり、翌朝実際に一人の娘が通りかかり、人夫達が娘を取り囲んで何を持っているのかと尋ねたところ、素直に“ちきり”ですと答えたので、堤防に人柱として埋められてしまったといいます。む、惨い…

伝説の地

 その後はどんなに大雨が降っても堤防が切れることはありませんでしたが、堤防の岩の間から流れ出る水の音が、娘がすすりなくような悲しげな音で「いわざらこざら」と聞こえてくるようになったそうです。それは「いわざらましこざらまし」、つまり言わなければよかった来なければよかったという意味です。

乙女の像

 人柱にされてしまった娘の像。悲しそうに池を見つめています。

石灯籠

 また平池には石灯籠が立っています。ここにはもともと人柱にされた娘を祀るちきり神社があったそうですが、平池改修のため水没することになったために山の上に遷され、その記念に石灯篭を建立したのだそうです。本人は人柱にされ、その神社まで水没では踏んだり蹴ったり(いや、神社は遷されたからまあいいのですが)。

お告げをする坊さん

 「いわざらこざら」伝説にはバリエーションがありますが、私が参考にした香川県庁バージョンでは坊さんらしい人物がお告げをしたみたいなイラストが付いています。しかし仮にも仏門の僧が人柱を推奨してはいかんのではないでしょうか。夢に出てきたとかいうことならまあ仕方ないですが。

ちきり神社

 ちきり神社には「身代わり守」があります。人柱伝説というのは日本だけでなく世界中にあるそうですが、むごい話です。建造物を守るよりも怨霊化して破壊しそうな気がするのですが、そういうふうには考えなかったんですかね。

いわざら乙女身代わり守

山口線紀行(その2):おいでませ山口へ

キンモクセイ

 金木犀の香がどこからともなく漂ってきて秋真っ盛りという感じですが、今日は暑いですね。晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天を小春日和と言いますが、今日みたいな陽気は小夏日和とでも言いたくなります。もしやアンデッド化したのか夏。

益田駅

 さて昨日の続きで山口線の旅。一夜明けても雨は止まず、めいってしまいましたが、津和野に続く今回の目的地、山口に向かいます。益田は泊まったのみで観光は全くなし。というのもスーパーおきの発車時間が9時前と早く、これを逃すと1時まで特急が来ないとためです。山口線は幹線ではなく地方交通線(赤字路線)なので、仕方ないかも知れませんが、不便は不便ですね。

山口駅

 山口駅は山口市の中心部にありますが、山陽新幹線が停まる新山口駅からは10キロくらい離れています。横浜駅と新横浜駅、大阪駅と新大阪駅など、ターミナル駅と新幹線駅が離れているところなたくさんありますが、山口駅と新山口駅の離れっぷりはなかなかのものです。特急でもダイレクトではなく、間に一駅(湯田温泉駅)挟みますし。

クリスマス発祥の地 

 山口市は室町・戦国時代に山陽山陰・北九州の6カ国を実効支配した守護大名・大内氏の本拠地となり、日明貿易を行ったほか、乱を逃れてきた京の文化人を歓迎して「西の京」として栄えました。1552年に山口で布教活動をしていた宣教師が日本で初となるクリスマスの祝いを催したことから、日本のクリスマスの発祥の地ともされています。

萩の町並

 毛利氏が支配するようになってからも長門周防の政治的中心地であり続けましたが、関ヶ原の戦いの後、毛利氏は萩に居城を構えたため、約260年もの間政治の中心地ではなくなりましたが、幕末の1863年に山口に居城を移しています。関ヶ原の戦いに敗れて広島城を失った毛利輝元は、新たな居城候補地を山口としていたものの、幕府の指示により萩に築城したとか。萩も雰囲気のある良い街なんですが、山口の方が南北に海を抱える領内の統制がとりやすいのだそうです。

山口県庁

 県庁所在地ですが、人口は下関市の方が多く、市内総生産でも周南市・下関市に次ぐ県内3番目。さらに民間調査会社・ブランド総合研究所による主要都市の「認知度」調査(2018年)では、山口市は下関市や萩市を下回っており、47都道府県の県庁所在地の中で最下位だったそうです。県名と市名が同じなのになんたることだ。そのせいか明治半ばから戦後復興期にかけて度々県庁移転運動が起こっています。候補地は防府市とか下関市か。

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 山口駅から北西に延びる駅前通りを進むと、やがて道は北向きになり、パークロードと名前を変えます。道の両側は美術館や図書館、博物館が点在する亀山公園。さらに進むと山口県庁にぶつかります。

香山公園 

 一旦東に向きを変えて少し進み、北向きの小道に入ってしばらくすると見えてくるのが山口市を代表する観光名所の香山公園。桜や梅の名所であり、国宝の五重塔がある瑠璃光寺の他、様々な史跡が点在しています。

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 まず赴くのは当然五重塔。室町時代の1442年建立で、屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、大内文化の最高傑作と呼ばれています。当時は香積寺の五重塔でしたが、毛利氏が香積寺を萩に移転させたため、跡地に瑠璃光寺が移転してきました。

法隆寺五重塔

 瑠璃光寺の五重塔は日本三名塔の一つとされています。昨日も三大稲荷という話題がありましたが、日本人は本当に三大○○が好きですね。残りの二つはというと、法隆寺の五重塔と醍醐寺の五重塔だそうです。法隆寺はまあ、そりゃあそうでしょうとなりますね。一度焼失したとはいえ再建されたのも飛鳥時代で1300年以上の歴史を持っていますから。

醍醐寺五重塔

 豊臣秀吉が花見を開催したことで有名な醍醐寺の五重塔は平安時代の951年建立で、京都最古の木造建造物であると共に、京都に残る数少ない平安時代建築として貴重な存在。

室生寺五重塔

 この二つに比べると瑠璃光寺の五重塔はかなり新しいので、個人的には奈良時代に建立された薬師寺の三重塔(東塔)とか、日本で一番高い東寺の五重塔(江戸時代再建)、二番目に高い興福寺の五重塔(室町時代再建だけど、それでも瑠璃光寺の五重塔よりちょっとだけ古い)、法隆寺のものに次いで古い五重塔である室生寺五重塔(画像)、東山のランドマークである八坂の塔あたりが「ちょっと待ったコール」(古い!)をしてきそうに思えますが。

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 三大五重塔ということにして薬師寺の三重塔をはじき、江戸時代再建で新しいからということで東寺の五重塔をはじき、国宝じゃないからということで八坂の塔ははじくとしても、なお興福寺や室生寺の五重塔が残るし、他にも東北最古の羽黒山五重塔あたりが名乗りを挙げてきそう。「日本三名塔」については選者不明なので、「あなたの感想ですよね?」とか「なんかそういうデータあるんですか?」とツッコめないのが残念。

五重小塔

 個人的には意表を突いて海龍王寺の五重小塔なんかどうでしょうと言いたいですね。約4メートルと「模型か!」とツッコみたくなるコンパクトさですが、建造物として国宝指定されていますし、奈良時代のものだけど屋内に安置されていたので傷みも少ないし。

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 香山公園は瑠璃光寺の境内でもあるらしいので、瑠璃光寺の拝観料はなし。お寺なのに無料なんて素晴らしい。でも瑠璃光寺本体(?)は正直言って大したことなかったです(下の画像)。

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 ただ、香山公園内には色々と史跡があって、例えば毛利家の墓所となっている香山墓所。長州藩主の墓所は萩に3カ所あって、そのうち東光寺は見てきましたが、香山墓所は明治以降の当主の墓のようです。東光寺の壮大な廟所に比べると非常にこぢんまり。

枕流亭

 薩長連合結成の密議のため、西郷隆盛らが訪れて長州側と面談したという枕流亭。香山公園内には最近移築されたのだそうです。

露山堂

 幕末に倒幕の密議が行われていた茶室の露山堂。現在も茶室として茶会など開催されているそうです。

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 うぐいす張りの石畳。香山墓所手前の石段の前にある石畳は、強く踏みつけたり手を打ったりすると、「キュ」という音が返ってくるのでこう呼ばれています。音は周囲の地形や石段による音響効果のためなんだそうで、意図して作ったものではなく偶然の所産だと考えられています。城内や屋敷内のうぐいす張りの廊下なら、忍者などの侵入を察知するためのものなんて言われますが、墓所前の石畳をあえてうぐいす張りにする必然性は確かにありませんね。手を叩いてみましたが、残念ながらそういう音はしませんでした。

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