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紫雲山:高松市中心部に秘境あり

栗林公園

 GWも完全に終わって明日から通常の日々。ちょっとアンニュイな気分なので本日は遠出をせず、栗林公園に行って年間パスポートでも買おうと思ったら、なんと臨時休園。“新型コロナウイルス感染症拡大の現状を踏まえ”とのことですが、5月一杯休園するようです。いや、香川では緊急事態宣言は出てないのですが…

栗林公園の向こうが紫雲山

 ぶうぶう言ってもやっていないものは仕方ありません。栗林公園というと、背後にある紫雲山が借景として良い仕事をしています。これも栗林公園の一部と言ってもいいほどです。今回は紫雲山の話を。

屋島

 高松の有名な観光地である屋島は、メサ(卓上台地)と呼ばれる地形の典型例とされています。風化しやすい花崗岩の上を硬い溶岩が覆ったため、浸食作用で周囲が削れていく中、テーブル上の台地として残りました。 

ダイヤモンドヘッド

 私は屋島を見る度に、ハワイのダイヤモンドヘッドに似てるなと思うのですが、どうでしょうかね。

空から見たダイヤモンドヘッド
上空から見た屋島

 しかし側面から見た姿は似ていても、ダイヤモンドヘッドはメサではなく火山。上空から見た姿は屋島とは似ても似つきません。

讃岐富士

 で、メサがさらに浸食を受けると、台地から丘の姿に変わります。これはビュート(孤立丘)と呼ばれます。讃岐富士こと飯野山もビュートです。

石清尾山塊

 そして栗林公園を引き立てる紫雲山もビュートです。正式には石清尾(いわせお)山塊と呼ばれるビュートの一部。この画像だとメサと言いたくなりますが。石清尾山塊の中でも稲荷山と室山の二峰の山塊を紫雲山と呼んでいます。北側の稲荷山が166m、南側の室山が199.8mとごく低い山なんですが、高松市の市街地の中にぬっと立っているので実際よりも高く見えます。

石清尾古墳群

 石清尾山塊には峰や尾根を中心に、古墳時代の前期から後期にわたる120基を超す積石塚と盛土墳が分布しており、全国的に知られる古代遺跡として史跡に指定されています。古墳時代の高松は、山塊付近まで海が迫っていたようです。

栗林公園周辺のグーグルマップ

 大して高い山ではないのですが、最初から登ろうと思ってはいなかったので、どうしたものかと思ってグーグルマップを見ていたら、栗林公園と紫雲山の境に「紫雲原生林」の記載されたハイキングコースが表示されているのを発見。これなら行けまっせということで探索することに。

駅前に鳥居

 稲荷山の名前は、麓にある中野稲荷神社に由来すると思われます。JR栗林公園駅北口のすぐそばにあります。1743年に高松藩5代藩主の松平頼恭が創建したそうですが、じゃあ稲荷山という名前になったのはそんなに昔ではないということに。鳥居が駅と合体したかのように見えます。

中野稲荷神社

 境内は小さいですが、拝殿を右に折れていくと登山道があります。山は登らないので左に折れると山腹を縫っていく遊歩道があります。

紫雲原生林その1

 市街地のまっただ中のはずなのにこの秘境感。イノシシ注意という看板も雰囲気を出してきます。札幌だとヒグマに注意だったので、危機感はだいぶ違いますが、イノシシもかなりヤバイらしいので油断は禁物です。

紫雲原生林その2

 全く人に出会うことなくずんずん進んでいきます。無人の野を行くが如しと思っていたら、突如人が携帯型の椅子に座っているのに出くわして驚いたり。栗林公園の西側を歩いているのですが、木々が生い茂っていて庭園はよく見えません。

ハローズ

 民家の軒先といった場所に出て散策は終了。スズメバチとイノシシにさえ出くわさなければかなり良い感じの散歩道になりますね。帰途、ハローズ栗林公園店という大型スーパーを発見。初めて入るスーパーマーケットは心躍りますね。いつも使っているマルナカよりいろいろと安いんでないかい。時々自転車で買い物に来ることにしましょう。
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岡山遠征(その1):岡山城と後楽園

美しい五月

 緊急事態宣言が5月一杯まで延長されました。四国は対象地域ではないんですが、感染者は増加傾向なので、気持ち的には日本全土で発令されているようにも感じます。美しい五月だというのになんとも鬱陶しいことですが、世界史に残るビッグイベントということになるんでしょうね。未来の受験生が勉強しながら「サリンとコロナはどっちが先だっけ?」なんて言ってたりして。

寡黙なデューク東郷

 自粛自粛のGWでしたが、感染に気をつけてればいいかなと、岡山に出かけてきました。海を隔てているとはいえ隣県ですし。一人旅で、当然マスク着用で、会話は必要最低限という、まるでデューク東郷になったかのようでしたが、それでも家にくすぶっているよりは外出したいんじゃ。筑波嶺では家に閉じこもっていて全然へいきなんですが、転勤先だと出かけがちになる不思議。観光に便利な地域に住むからなのでしょうか。

マリンライナー

 ということでマリンライナーに乗って岡山へ。JR四国とJR西日本の共同運行ですが、おそらくJR四国が一番力を入れている路線です。基本1時間に2本出ていて5両編成。ラッシュ時は7両編成にもなります。首都圏の列車事情を知る身としては15両編成くらいじゃないと物足りないですが、こっちに来てからは10両編成以上なんて見たことがないですね。

瀬戸大橋
柱が邪魔

 「世界一長い鉄道道路併用橋」としてギネス世界記録に認定されている瀬戸大橋からは、瀬戸内海の絶景が楽しめる…のですが、上部が道路、下部が鉄道という構造上、しばしば鉄骨が視界を遮ります。多分自動車で走った方が景色はいいんでしょうね。

岡山駅

 大都会岡山。駅の大きさも高松とは比較になりません。さすが70万都市。昔B&Bという漫才コンビ(80年代初頭の漫才ブームの中でも一番人気のコンビだった)がコンビの出身地である広島アゲ、岡山サゲのネタをやっていましたが、人口は確かに広島の方が多いし、中国地方の中心都市といえば広島と言わざるを得ないのですが、交通的には山陰や四国へのハブとして重要なのは岡山の方だと思います。

烏城

 その岡山駅から東に真っ直ぐ進むと見えてくるのが岡山城。4重6階の天守は黒漆塗で、「烏城(うじょう)」の別称もあります。隣県兵庫の姫路城が「白鷺城(はくろじょう)」と呼ばれるのと好対照です。岡山城も戦前までは天守が残り、国宝とされていましたが、空襲で焼失してしまいました。現在のものは鉄筋コンクリートでの再建です。

月見櫓

 江戸初期に建造された月見櫓は現存しており、重文となっています。城跡は烏城公園として整備されて、復元天守の内部は博物館となっています。高知城・姫路城・丸亀城と、現存天守は登らずにはいられない私ですが、復元天守にはあんまり興味が無く、実は大阪城にも登っていません。今回は登ろうかなと思ったのですが、入り口が意外に込んでいたので、このコロナ禍に3密はヤバイと思って止めてしまいました。

月見橋

 日本三名園の一つである後楽園は旭川をはさんで対岸の中州にあります。月見橋という鉄橋で結ばれているのですが、その優雅な名前にそぐわない武骨さが意外というか場違いというか。この橋がないと不便なのでなくせなんて言えませんが、デザインはもうちょっと考えてもいいんではないですかね。

後楽園
見せてもらおうか

 江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園であり、国の特別名勝に指定されている後楽園。わが高松にも国の特別名勝・栗林公園があり、三名園に勝るとも劣らないと評されていますので、「見せてもらおうか、岡山の後楽園の性能とやらを」というシャアのような気分で訪れました。

後楽園マップ

 面積は13.3ha。兼六園の11.7ha、偕楽園の13ha(平成になって隣接する千波公園や桜川緑地などと合わせて水戸県立自然公園として管理・運営しており、合計面積は300haとなっていますが、本来の偕楽園の面積ではありません)よりも広く、三名園では一番広いですが、栗林公園は16ha。でかけりゃいいというものではないでしょうが、大きいことはいいことだとも言います。栗林公園の場合は隣接する紫雲山が背景となるのでさらに広く感じます。

唯心山

 唯心山は標高6メートル。栗林公園には飛来峰と芙蓉峰の二つの山があり、飛来峰は多分唯心山より高いと思います。もちろん山は“高き故に貴からず”ですけどね。

唯心山頂上から

 唯心山からの眺めです。料金は後楽園も栗林公園も410円。ちなみに兼六園は320円で偕楽園は300円。値段イコール内容の良さという訳では必ずしもないかもしれませんが、三名園で一番料金が高い後楽園と肩を並べる栗林公園。そこからも栗林公園のハイクオリティーを推して知るべし、です。

後楽園遠景

 いや、わざわざ後楽園に来てまで栗林公園を推しても仕方ないのですが、栗林公園に日参できる距離に住んでいるのでどうしてもひいき目になってしまうというか。後楽園に日参できる距離に住んだら、やはり後楽園推しになるんでしょうね。栗林公園も加えて四天王名園とかにしたらいいんじゃないでしょうかね。なお偕楽園は名勝、他は特別名勝なので、四天王最弱は自ずと明らかに…。

ドーミーイン大阪谷町

 宿泊はドーミーイン大阪谷町。なに!このご時世に大阪とな!?と目を剥かれてしまうかも知れませんが、緊急事態宣言発出前に予約してたもので。本当なら大阪で旧知の人々と飲むつもりだったのですが、緊急事態宣言で居酒屋が軒並み臨時休業となってしまい、叶わず。なら宿もキャンセルしようかとも考えたのですが、新幹線の切符も取ってしまっていたので、経済回したろ!と行くだけ行きました。

カイジ豪遊

 例によってスーパーで酒と肴を買って「カイジ豪遊ごっこ」をしてきました。感染者の少ない地方ほど、コロナ汚染地帯とか怖れるかも知れませんが、こちとら年明けに感染者が爆増していた頃に東京に毎日通勤していたんでい!それで全然感染しなかったんでい!再びシャア気分で「当たらなければどうということはない」。でも朝になったらそそくさと大阪を退去して岡山に戻ったのでした(笑)。

当たらなければどうということはない

琴弾公園の銭形砂絵:「銭形平次」のOPで見たあの場所へ

今年のGW

 ゴールデンウィークが始まりました。人にとっては29日からとっくに始まっていたかも知れませんが、私はしがなくカレンダー通りなもので。去年や今年のGWはコロナ禍真っ只中なので、積極的にロンバケを取ろうという気にもなりませんな。あと年末年始もそうなんですが、長く休めば休むほど仕事に行くのが辛くなるので。

琴弾公園

 筑波嶺では休日はひらすら怠惰に過ごすのが常なのですが、初めての場所に来ると取りあえず好奇心が怠惰心に打ち勝ちますね。ということで今回は観音寺市の琴弾公園に行ってきました。

観音寺市
観音寺市の位置

 観音寺市は香川県の西端で、愛媛県はもうすぐそこ。そういえば香川県は47都道府県で一番面積が狭いのです。大阪府だと思っていましたが、およそ20㎢の差で香川を上回っていました。香川の人に言わせると「大阪は関空を埋め立てて香川を上回りやがった」のだそうです。面積は小さくても、災害が比較的少なく、都市と自然が調和した良いところだと私は思いますが。都市と自然の調和といえば札幌でも感じましたが、あそこには中央区でもヒグマが出るという妙な調和もありました。あ、決して嫌いなのではありません。札幌も北海道も今でも愛してます。

観音寺駅

 いかにも地方の駅といった感じの観音寺駅。あ、「かんのんじ」ではなく「かんおんじ」と読みます。名前の由来は香川の誇る弘法大師空海が聖観世音菩薩を安置した寺が観音寺と呼ばれるようになったことからですが、そのお寺の方は普通に「かんのんじ」と読む不思議。四国八十八箇所霊場の第六十九番札所になっています。

銭形平次

 昔大川橋蔵主演の「銭形平次」という時代劇をテレビでやっていました。全888話といのは史上最長の連続ドラマで、ギネスブックでも世界記録として認定されているとか。アニメもドラマも1クールが多数となっている日本では、この記録を抜くことはもうないんじゃないでしょうか。

銭形平次のOP

 それはさておき、「銭形平次」のOPで、平次はなぜか十手を二刀流にして大勢の侍達と戦っていたのですが、その場所が平次が投げる銭である寛永通宝を象った巨大な砂絵の中でした。見てた頃は撮影のためにわざわざ作ったのかと思っていましたが、なんと観音寺市内に実在する場所だったのです。

銭形平次のOP2

 それが名勝・琴弾公園内の有明浜にある銭形砂絵。江戸時代に作られたそうです。縦(東西)122メートル、横(南北)90メートルの楕円形をしていて周囲は345メートル。巨大すぎて、近寄って見ても何が何だか良く判りません。

地上から見た砂絵

 ナスカの地上絵は日本にもあった?とMMRが飛んできそうですが、琴弾公園内にある琴弾山(58メートル)山頂から見るとちょうど真円に見えるようになっています。「1633(寛永10)年に、当時讃岐一国を支配していた生駒高俊が領内巡視する折りに、土地の人々が砂浜に鍬を入れて一夜にして作りあげた」と伝えられていますが、寛永通宝が鋳造される3年前だし、生駒高俊が巡視した事実もないという。この人は政務を放り出して美少年たちを集めて遊興に耽った(ウホッな人か)ため、藩で内紛(生駒騒動)が起きてしまい、その責を問われて1640(寛永17)年に領地を没収され、流罪となってしまいました。

銭形砂絵砂ざらえ
砂ざらえ中

 その他「1855(嘉永7)年 に丸亀藩第7代藩主京極朗徹に見せるために造営された」説や、「もとは豊臣氏の瓢箪紋だったが、寛永10年に江戸幕府の巡検使が来ることを知って一夜で作り変えられた」という説もあるそうですが、決定打はないとか。前者の説はともかく、後者の説だとやはり寛永通宝が鋳造される前なので無理がありそうですね。

砂絵遠景 

 それはともかく、江戸時代からあること、太平洋戦争中に米軍が軍事機密かと思って偵察を繰り返したが、終戦まで正体が判らなかったというエピソード、そしてなによりも「銭形を見たものはお金に不自由しない」という言い伝えがあるということで、ぜひ行かねばと思っていました。

結城友奈のタペストリー

 商店街を中心に、市内ではやたらアニメキャラが推されていました。私は来るまで全然知らなかったのですが、「結城友奈は勇者である」というアニメの舞台が観音寺市なのだそうです。面白いなら見てみようかな…世間の評判はどうなんでしょう?

琴弾山

 琴弾山の標高は60メートル弱。金刀比羅宮のある琴平山(538メートル)はもとより、丸亀城のある亀山(66メートル)よりも低いのですが登ってみるとやはり舐めてはいかんなと。いや登れることは登れるのですが、息荒くして汗かいて登ることになります。汗一つかかずに笑いながら登れる山なんてないんですね…。

琴弾八幡宮本宮

 山頂には琴弾八幡宮があります。飛鳥時代の703(大宝3)年、日証上人という坊さんが山頂で修行していたら、琴を弾く翁を乗せた船が麓の有明浜に漂着したのだそうです。その翁は「八幡大菩薩」と名乗って消えたということで、日証上人は残された船と琴を山頂に運んで祀り、それが神社の由来となっています。そして琴弾八幡宮に付属して作られた神宮寺に弘法大師が観音菩薩を安置したことで観音寺となり、それが市の名前の由来になっているという。

若宮
住吉神社

 八幡神として応神天皇・その母である神功皇后、初代天皇・神武天皇の母である玉依姫命を祀っています。

象ヶ鼻岩

 琴弾八幡宮のすぐ下に象ヶ鼻岩展望台があります。この岩に登って銭形砂絵を見るとよく見えるという。

砂絵その1
砂絵その2

 これが銭形砂絵。例年春と秋に「銭形化粧直し」として砂ざらえをするほか、台風などで砂が流されるなどした際には、市民総出で補修工事が行われるそうです。きっと「銭形平次」OP撮影後も補修されたことでしょう。砂絵内は立ち入り禁止になっていますが、よく見ると結構足跡があったような…

砂絵夕景

 日没から午後10時まではライトアップされます。年末年始は終夜ライトアップするそうです。琴弾八幡宮に初詣に来ると、ライトアップした銭形砂絵が見られるわけですね。

有明浜

 砂絵が作られている有明浜も、日本の渚百選に選ばれているほか、日本の水浴場55選に選ばれている有名な海岸で、海浜植物の群生地があって「有明浜の海浜植物群落」として観音寺市指定天然記念物に指定されています。

砂絵と伊吹島

 銭形砂絵の向こうに浮かぶ島は伊吹島。観音寺市に属する香川県西端の有人島で、いりこの産地として有名です。その右手に小さく見えるのは円上島(まるがみしま)で、これも観音寺市に属しますが、現在は無人島です。

美しい瀬戸内海

 やはり海はいいですね。というか、瀬戸内海はいい。環境汚染が言われて久しいですが、それでもやはり多島海は美しいです。彦摩呂風に言えば「日本のエーゲ海や!」

綺麗な瀬戸内海

丸亀城:日本一高い石垣を持つ現存十二天守の一

3度目の緊急事態宣言

 本日から3回目の緊急事態宣言。一回目は全日本的に発令されましたが、この冬の二回目と今回は地域が限定されており、私の住む香川は発令地域外なのですが、3月まで東京で働いていた身としてはとても他人事ではありません。首都圏や近畿圏に比べて圧倒的に発症者の少ない四国で発症するというみっともない真似だけはできないので、警戒感は以前とあまり変わりませんね。

丸亀城遠景

 とはいえ、県内の移動は特に制限もされていないので、「どっきん四国」は続けていこうと思います。ということで、今回は丸亀城を紹介しましょう。日本城郭協会が選定した「日本100名城」の一つにして、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている「現存十二天守」の一つでもあります。

丸亀城マップ

 香川県の前身である讃岐国には、高松藩と丸亀藩が置かれていたので、江戸幕府の一国一城令により高松城と丸亀城が存在していました。これだけ聞くとごく自然ですが、実は江戸時代初期までは生駒氏が讃岐一国を支配していました。生駒氏は高松城を本城とし、亀山城を支城としていました。江戸幕府が一国一城令を出したため、本来高松城以外は破却しなければならず、実際生駒氏は高松城以外は破却したと報告していたのですが、生駒氏がお家騒動により改易となった際、実は丸亀城を破却していなかったことが明らかになりました。樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限して秘密にしていたとか。

大手二の門

 その後讃岐の東側に松平頼重(徳川光圀の同母兄)が、西側に山崎家治が入封し、高松藩と丸亀藩が並立することになりました。こうなってみると、亀山城の健在は幕府の法令違反だったものの、山崎家からすると、改修は当然しなければならないものの、ゼロから城を築くよりはよっぽど楽だったろうと思います。

高い石垣

 山崎家は年足らずの治世で断絶してしまい、その後は京極家が明治まで丸亀城を居城としました。改修は京極家も引き続き行って完成させましたが、標高60メートルの亀山を利用した平山城で、石垣は山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60メートルになり、総高としては日本一高くなっています。

快速サンポート南風リレー号

 丸亀までは予讃線で向かいます。JR四国は高松-松山よりも、高松-岡山や松山-岡山など、本州との連絡を最重視しているようで、岡山行きのマリンライナーで坂出まで行って乗り換えるということもしばしばなのですが、ちょうど快速サンポート南風リレー号という直通便に乗れました。これは岡山-高知を結ぶ特急南風(なんぷう)と接続するための列車ですが、香川県西部の観音寺まで直通してくれます。

サンポート高松

 サンポートってなんじゃいと思われるでしょうが、これは高松駅や高松港のある高松市の再開発されたウォーターフロント地区の名称です(サンポート高松)。高松シンボルタワー、JRホテルクレメント高松、高松サンポート合同庁舎、高松港旅客ターミナルビルなどの大規模施設が立地します。

讃岐塩屋駅

 降りる駅は当然丸亀駅なんですが、うっかりスマホを見ていたら乗り過ごしてしまい、隣の閑散とした讃岐塩屋駅まで行ってしまいました。快速だと一駅といってもかなりの距離になりそうですが、坂出駅から西は各駅停車になっているので事なきを得ました。

骨付鳥
とり奉行骨付じゅうじゅう

 丸亀といえば讃岐うどんと並ぶ香川名物・骨付鳥の創始である「一鶴」の本店があります。丸亀市ではご当地グルメとして骨付鳥を全国に広める活動を行っており、公式ガイドブック「骨付鳥大百科」を作成したり、骨付鳥をキャラクター化したゆるキャラ「とり奉行 骨付じゅうじゅう」が丸亀市の公式観光キャラクターとして活動していたりします。

丸亀製麺

 丸亀と言えば丸亀製麺もあるだろう?いやいや、あれは丸亀市発祥ではなく、もともとは兵庫県の企業なんですね。というか、丸亀製麺は高松には店舗がありますが、丸亀市には店舗が存在しません。だからあれは讃岐うどんの店ではないと、讃岐うどんファンからは冷ややかに見られているということですが、ここではこれ以上触れません。ググればこの件についてのサイトやYouTube動画が見つかると思いますので、興味がある人はどうぞ。

高松城址

 香川県で100名城になっているのは高松城と丸亀城の二つ。藩が二つだったので当然といえば当然ですが、高松城の方は天守は破却されており、なんとか北の丸の月見櫓と渡櫓、東の丸の艮櫓が城らしさを残しています。だいたい各地の城跡は城址公園として市民の憩いの場となっている例が多いのですが、高松城址は市立玉藻公園となっているものの、有料なので観光客は来ますが、イマイチ市民の憩いの場とはなっていないような。

天守への坂

 丸亀城の方は、天守以外は亀山公園として無料で入れるので、間違いなく市民の憩いの場です。なにしろ山の上に天守があるので、向かうには坂を登らなければなりません。「見返りの坂」と呼ばれていますが、傾斜が急で、時々立ち止まって振り返りたくなることから、いつしかそう呼ばれるようになったとか。たかが高さ60メートル程度、金刀比羅宮の1368段を踏破した身には赤子の手を捻るようなものよなんて舐めていたら痛い目に遭います(実感)。

見返りの坂

 一度折れた、天守に向かう坂は一層急で、登るのはともかく、降りはかなり膝にきます。雨の日なんかは滑って危なそう。

井戸

 二の丸には井戸があります。二の丸で相当な高さなのですが、日本一深い井戸と言われているそうです。絵図には深さ36間(約65メートル)と。やはり籠城となると水は不可欠ですからね。

石垣の美

 4重の石垣は日本一の高さですが、名人と謳われた羽坂重三郎によるものだそうです。城主が「この石垣を登れるものはあるまい」と言ったところ、重三郎は短い鉄の棒を使って登ってしまったそうで、これを見た城主は敵に通じるのを怖れ、重三郎を井戸に埋め殺してしまったという伝説がありますが、その井戸かここだとか。以来夜な夜な重三郎の幽霊が…という話は伝わっていません。というか井戸で埋め殺したら井戸が使えないじゃん。

丸亀城天守

 天守は江戸時代に建てられた御三階櫓で、唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られています。高さはガンダムより小さい15メートルほどしかなく、現存天守の中では最も小規模です。高松城は櫓しか残っていませんが、大きさではその櫓にも負けそう。

丸亀城天守内部

 高知城もそうですが、現存天守はやたら階段が急で、階段というよりほぼはしご状態で、膝に爆弾を抱える身としては非常に危険なんですが、三階建てなのが幸いしてなんとか大丈夫でした。というか高松に来てから腰も膝も良い感じなんですよね。特に膝が元気なのはありがたいです。この調子を維持できれば…

瀬戸大橋を望む

 本丸から見る瀬戸大橋。ちょっと曇っていて残念ですが、きっと江戸時代の本丸から美しい瀬戸内海や城下町が楽しめたことでしょう。

讃岐富士

 金刀比羅宮からも遠く見えた讃岐富士(飯野山)が近くから見られます。なお讃岐には○○富士が七つもあって、「讃岐七富士」と呼ばれています。「○○富士がやられたようだな」「フフフ…奴は讃岐七富士の中でも最弱…」みたいなことになってそう。他の七富士は「三木富士」「御厨富士」などと呼ばれており、単独で讃岐富士と呼ばれるのは飯野山だけなので、飯野山が讃岐七富士の中でも最強なんじゃないかと思います。

屋島
メサとビュート

 脆い花崗岩が崩れ、硬い安山岩に覆われた部分だけが小高い丘として残り、その後河川の堆積作用によってできた沖積平野が讃岐平野です。硬い安山岩により浸食が遅れ、テーブル状の台地(メサ)となったのが屋島で、さらに浸食が進んで孤立丘(ビュート)となったのが讃岐富士ではないかと。讃岐平野には孤立丘と思われる小山がたくさん見られるので、地学が好きな人には興味深い土地ではないかと思います。

大手一の門

 大手一の門は大手の正門らしい威厳と風格を備えた櫓門です。太鼓を打って刻を知らせていたことから”太鼓門”とも呼ばれています。二階の櫓部分には無料で入ることができます。

大手門二階内部

 春の日曜日の丸亀城、いつもならさぞや人出がと思いますが、コロナ禍のせいで金刀比羅宮以上にガラガラでした。丸亀市の市街地も歩いている人は本当に少なくて。しかし車は結構な量が走っているので、人がいないのではなく、徒歩の人が少ないだけなのかも。都会より地方の方が車社会だという話は聞いていましたが、まさに四国は車社会なのか。

  

金刀比羅宮:1368段の石段に挑戦

どっきん四国

 せっかく四国に来たのに本格記事の第一弾がアニメの感想じゃ全然ご当地感がありません。これからは四国のあちこちに出かけて記事を作っていきたいと思います。カテゴリも新設して「どっきん四国」。

マリンライナー

 むかしむかし(そうさのう、昭和末から平成初のころじゃったかのう)、富田靖子が起用されたJR四国の瀬戸大橋線のキャッチフレーズが「どっきん四国」でした。瀬戸大橋で四国と本州がドッキングということなんでしょう。岡山-高松間はマリンライナーが走っていて、発車の合図の音楽は「瀬戸の花嫁」です。



 私は飛行機より断然列車派なので、四国と本州が列車で繋がっているのはとてもありがたいです。北海道だと、例えば東京-札幌には無理をすれば列車で行けないことはないですが、時間が掛かり過ぎて非効率かつ不経済です。東京-高松だと、そりゃあ乗ってる時間は飛行機の方が圧倒的に短いですが、空港までのアクセスとか待ち時間とか価格を比較すると、新幹線&マリンライナーで勝負にならないと言うことはありません。

お座敷遊び

 ということで新カテゴリ「どっきん四国」の第一弾は香川県、いや四国を代表する観光地の一つ、金刀比羅宮です。♪こんぴらふねふね 追風(おいて)に帆かけてシュラシュシュシュ♪という香川の民謡「こんぴらふねふね」は、お座敷遊びの定番だそうですが、金刀比羅宮が題材となっています。神仏分離以前は金毘羅大権現と呼ばれ、「こんぴらさん」の名で親しまれています。金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社と呼ばれる神社は全国に約600もあるそうですが、その総本宮です。

絵馬殿

 特に海上交通の守り神として、漁師・船員、海保・海自などの海事関係者から厚く信仰されており、境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られます。祭神は大物主神と崇徳天皇。大物主神は農業・殖産・医薬・海上守護などに御利益のある神とされていますが、金刀比羅宮のある琴平山(別名象頭山)はかつて瀬戸内海に浮かぶ島だったとの伝承があり、そこから特に〝海の守り神〟として知られるようになったとか。

琴電

 高松から金刀比羅宮に列車で行くには、JRと琴電の二つの方法があります。JRだと乗り換えがあり、琴電だと駅数が多いので一長一短ですが、私は江ノ電を彷彿とさせるレトロな雰囲気の琴電で行くことにしました。2両編成でガタコト揺られて行くというのもなかなかいいものです。

琴平駅

 ここが琴電琴平駅。なかなかに趣がありますね。後ろに何やら櫓のようなものが見えます。

高灯籠

 それはこの高灯籠。幕末の1860年完成で、高さ約27m。日本一高い灯籠だそうです。かつては瀬戸内海を航海する船の指標となり、船人がこんぴらさんを拝む目標灯となっていたそうです。

JR琴平駅

 こちらはJR琴平駅。こちらも雰囲気があります。琴電琴平駅の方が金刀比羅宮に200メートルくらい近いというメリットがあります。

大宮鳥居

 琴電琴平駅のそばに立つのが大宮鳥居。もう境内かと驚きますが、まだまだ。大宮橋を渡って金倉川を越え、左に曲がってずんずん進みます。

表参道

 そしてやってきた表参道。土産物屋、うどん屋、旅館などが並ぶ門前町から石段が始まります。100段目までは大したことないのですが…

貸し竹杖

 お店では竹杖を貸し出しています。一本100円。念のため一本借りました。イベント終了後の感想としては、本宮までならなくても大丈夫ですが、奥社まで行くならあったほうが無難かなという感じです。

一之坂鳥居

 一之坂。急な石段となり、最初の難関です。

大門

 365段目に辿り着くのが、松平高松藩初代藩主頼重が寄進した大門。この人は水戸黄門こと光圀の兄ですが、将軍家光への拝謁が遅れたため、水戸家は光圀が継ぐことに。光圀はこれを心苦しく思ったらしく、頼重の子を養子に迎えて水戸家を継がせ、自分の子は頼重の養子としました。なので水戸家出身の「最後の将軍」慶喜の直系のご先祖は光圀ではなく頼重ということになります。

大門正面

 立派な門なので、これを本宮と間違える人多し(笑)。確かに急な石段がやっと終わって「は~着いた着いた」という気持ちになるのですが、金刀比羅宮においてはまだ序の口。というか、ここから先が境内なので、金刀比羅宮参拝はここからスタートするとも言えます。

五人百姓
加美代飴

 宮域で特別に商売が許された「五人百姓」が「加美代飴」という名のベッコウ飴を売っています。付属の木のハンマーで割って、皆で仲良く食べてねということらしいです。

旭社

 628段目に辿り着くのが旭社。正直登っている最中は石段の数なんて数えられないので、今度こそ着いたと思ってしまいますが、違います。1837年に建てられた立派な建築で、江戸時代末期に参拝した森の石松は本殿へ行かず、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられているとか。「徒然草」に登場する“仁和寺のある法師”かお前は。しかし森の石松って実在の人物なんですかね?

賢木門

 ちょっと行くと賢木門。1584年に四国平定を目指していた長曽我部元親が寄進しましたが、一本の柱を逆さまにつけてしまったということで、当初は逆木門と呼ばれていました。元あった門が邪魔だと火を付けたら神罰に当たって慌てて作り直したという伝承がありますが、実は創作のようです。

一段下がる場所

 この先に、山に登っているのになぜか一段下がる場所があります。誰もが「あれ?」と思うので記憶に残りやすいと思いますが、一説には本宮までの石段が786段で、語呂合わせで「なやむ」となってしまうので、一段下げて785段にしたとか。本当かどうかは定かではなく、私も上りなんだから一段増やせばいいんじゃないかと思います。

本宮ラス前石段

 本宮までの最後の難関・御前四段坂。133段の石段が4段階に分かれています。踊り場で一息入れつつなんとか登っていきましょう。

本宮

 そして辿り着いた本宮。石段785段目、海抜251メートルです。創建はかなり古いようですが定かではなく、何度も改築され、現在の社殿は1878年の改築によるものだそうです。

讃岐富士が見える
讃岐富士

 本宮から讃岐平野を見下ろせます。正面にあるのが讃岐富士こと飯野山。「○○富士」と呼ばれる郷土富士は各地にありますが、讃岐富士は標高422メートルなので十分の一スケール富士山と言いたくなりますね。

奥社に向かう道

 ここで終わってもいいと思いますが、全1368段ならまだ半分くらい残っているはず。そう、奥宮に行かないと全てを登り切ることはできないのです。では行かねばなるまい。なぜかって?そこに石段があるからSA!ということで本宮右奥から奥宮を目指します。

白峰神社

 途中には常磐神社、白峰神社、菅原神社があります。白峰神社は崇徳天皇、菅原神社は菅原道真を祭っています。日本の三大怨霊のうち二人までがここに。菅原道真はともかく、崇徳天皇は本宮で祭っているのでもういいんじゃないかと思いますが、崇徳天皇の廟所がある白峯寺(坂出市)にある頓証寺殿を1878(明治11)年に白峯神社として金刀比羅宮の摂社にしていたものを、1898(明治31)年に白峯寺へ返還し、当地に新たに白峰神社を創建したのだそうです。

白峯

 上田秋成の「雨月物語」第一話の「白峯」は、西行と崇徳院の怨霊が論争するという話ですが、一瞬その白峯とはここのことかと思ってしまいました。年代的に明らかに違いますね。

奥社に向かう石段

 菅原神社まではわりと緩やかな上りで、大したことないように思えるのですが、残り500メートルの立て札から先が大関門。本宮の時もそうですが、金刀比羅宮はラス前に難敵が登場するRPGのようです。幸い石段の一段一段はそんなに高くなく、整備もよくされているので何とか登れます。

厳魂神社

 そして遂に現れた奥社。正式名称は厳魂(いづたま)神社。高松松平家の前に讃岐国を支配した生駒家の元家臣で、戦国の兵火により荒廃した金毘羅大権現の再興に尽力した金剛坊宥盛を明治に入って厳魂彦命として祀ったものだそうです。

天狗と烏天狗

 金剛坊宥盛は「死して永く当山を守護せん」と言い残し、天狗と化して忽然と姿を消したと伝えられているそうで、そばの断崖には天狗とカラス天狗の彫物が掛けてあります。奥社の標高は421メートル。讃岐富士の頂上とほぼ同じ高さです。山に登ったというからには、本宮の251メートルではちょっと不足で、奥社の421メートルならまあいいかなという感じです。

金刀比羅宮イラストマップ

 登りは息が切れるし汗はかくし疲れますが、降りは膝に来ます。登った分だけ降らなければならないという基本中の基本を忘れていたせいで、琴電琴平駅に着く頃にはへとへとに。しかしまあ、竹杖の助けを借りたとは言え、やれば出来るもんですね。筑波嶺時代、腰痛と膝痛に結構悩まされていたのですが、高松に来てから徐々に痛みが軽くなってきました。特に膝は良い感じなので、これからもいろんな所に行けそうです。
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