北九州市・下関紀行(その2):下関と門司港再び

急に春らしくなった、というより春らしくなりすぎた感じですね。充満する花粉で目がムスカ。それはさておき、“俺の嫁”ウマ娘・メジロアルダンのランクををSSにすることが出来ました。出来るトレーナーはそれ以上にもしているんですが、個人的にはよくやったと自分で自分を褒めたいレベルです。

そのせいかチームランクもSS2にアップ。この前までS5だったんですが、大躍進です。しかしこのチームランク、EからUFまで43段階もあり、SS2というのは下から29番目です。まだ上に14も控えているという。SSのランクだけでSS~SS5まで6段階もあります。その上、UGの世界に入る日は来るのでしょうか。

さて先週の続きで先日の旅行の続きです。ドーミーインPREMIUM下関に泊まって“カイジ豪遊ごっこ”をした翌日。“豪遊ごっこ”なので本当に豪勢な惣菜は食べていないのですが、朝食にふく(フグを下関ではこう呼びます)の唐揚げ、ふくの味噌汁、ふくの混ぜご飯があったので、ありがたくいただきました。下関に泊まった甲斐があったというものです。

ホテルを出るとそばに「海峡ゆめタワー」がどーんとそびえています。ここの展望台から下関や関門海峡、そして門司を一望したかったのですが、あいにくの曇天。これでは見晴らしは期待できないので残念ですがあきらめます。

関門海峡沿いをずんずんど東へ歩いていくとあったのが亀山八幡宮。関門海峡鎮護の神社として崇敬を受け、下関の総鎮守とされています。この階段を上るのが地味にきつかった…。御影石の大鳥居や昭和8年建立のもの。

拝殿。応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、仁徳天皇・武内宿禰をあわせ祀っています。皇族のなかにただ一人臣下の武内宿禰がいるのは肩身が狭そうですが、祖先は考元天皇で、自身は景行~仁徳の5代の天皇に仕え、紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏などの中央有力豪族の祖ともされる伝説の人物なので、負けていないかも。

境内にあったふくの像。戦前に建てられた「波のりふくの像」が戦争中の金属供出により消え、ずいぶん後になりましたが平成2年に再建されたものです。ふくの像としては世界一大きいとか。まあよその国にはそもそもふくの像なんかなさそうな気もしますが。

さらに東に向かって歩くと、なにやら竜宮城のような建物が。これは赤間神宮の竜宮城を模した楼門・水天門です。赤間神宮は壇ノ浦の戦いにおいて入水した安徳天皇を祀る神社です。前身は阿弥陀寺で、平家一門を祀る塚もあり、かの有名な階段「耳なし芳一」の舞台ともなった寺ですが、明治の神仏分離で神社となりました。

境内にある安徳天皇阿弥陀寺陵。なお安徳天皇については壇ノ浦で入水しましたが、生き延びて地方に落ち延びたという伝説もあり(源義経とか豊臣秀頼とか、類例は多いですな)、四国では徳島県の祖谷山に落ち延びたという説と高知県の横倉山に落ち延びたという伝説があります。

階段の上には大安殿。また階段か…しかし、亀山神宮に比べると登りやすいような。

大安殿の先には内拝殿。

こちらは大安殿の東側にある日本西門鎮守八幡宮。赤間神宮の摂社になりますが、名前からして日本の西側を守っているというような、ものものしい感じを受けますね。某半島国とか某大国からも守ってください。

摂社といえば他にもあって、さらに東側に出て、さらに坂を登ったところにある紅石稲荷神社。稲荷神社はやたら鳥居を建てますねえ。

こちらは拝殿。モダンというか伝統性が感じられないというか…

その隣に建つ、これも赤間神宮摂社の大連神社。中国の大連がかつて日本の租借地だった頃にかの地に建てられたものを、日本に持ち帰り再建したものだそうです。

大連神社側から降りてきて鳥居をくぐりました。稲荷神社とは対照的に古色蒼然といった感じですね。

さらに東に向かいます。関門橋が見えてきました。雲が低くて今にも降りそうな天気です。

一日に四度潮流が変わるという関門海峡。この時は東の瀬戸内海側から西の日本海側に向けて音を立てて潮が流れていました。その様はまさに川。手こぎボートとかだと流されてしまいそうです。静止画だと伝わりにくいのが残念です。

さらに関門橋に接近。ここを通って門司側に行きたいのですが、残念ながら歩道はないようです。

途中で見かけた群れなすような赤鳥居。ジェットストリームアタックでも仕掛けてきそう。ここは立石稲荷神社で、平家一門が都から下ってきた時に、京都伏見稲荷の分霊を祀ったのだとか。

関門橋直下まで来ました。全長1068メートル、路面幅26メートル、高さ141メートルですが、高さは橋を吊っている主塔の高さだそうです。開通して50年という結構年季の入った橋ですが、開通時点では東洋最長の吊橋でした。

関門橋を越えたすぐ東側にある壇ノ浦古戦場址。言わずと知れた、治承・寿永の乱(通称「源平合戦」)の最後の舞台となった壇ノ浦の戦いの戦場址です。高松にはその前の戦いの場となった屋島があるので、一際感慨深いですね。

源義経・平知盛像。義経は八艘跳び、知盛は錨を担いだ姿で描かれています。錨を担いでいるのは、戦うためではなく、入水するための錘とするためのようです。

関門橋を渡れなければどうやって門司へ行くのでしょうか?昨日みたいにフェリーを使うのが最も楽なんですが、今回東へ東へと延々歩いてきたのは、関門トンネル人道を歩きたいからでした。

全長780メートルの歩行者用海底トンネルは、エレベーターで降ります。自転車や原付(押して行く)は20円ですが、歩行者は無料。海底といっても窓から海底や魚が見えるわけではなく、普通の地下道とそれほど差はありませんね。

壁には水の泡や魚群が描かれていたりしますが、一直線で単調です。この関門トンネルは上下に分かれ、上が車道になっているそうですが、車の音は全然聞こえません。雨や日差しがないというのは、天候や季節によってはありがたいことかもです。

そういう訳で歩いて九州に再上陸しました。門司側から関門海峡の東側を見ています。二つ見える島は干珠島(左)と満珠島です。どちらも無人島ですが、る壇ノ浦の戦いでは源義経率いる源氏軍が拠点としたそうです。

関門海峡めかり駅の近くにあった銀色の電気機関車EF30と客車のオハフ33。EF30は関門トンネルを通過するための交直共用機関車ですが、展示されているのは試作機の1号機だそうです。銀色なのは、防錆用にステンレスを採用しているため。

私が育った鬼の哭く街・A立区のN新井というところには通称「タコ公園」という公園があり、その名のとおり名物がタコの滑り台でした。それを思い出させるタコの滑り台がなんとここ和布刈(めかり)公園にも。N新井のものよりさらに大型ですが、国内最大級だそうです。

門司側から見た関門橋。相変わらず潮の流れは速いです。九州側に来たら小雨がパラパラと。

和布刈(めかり)神社。九州最北端の神社となります。神功皇后の三韓征伐後に創建されたと伝えられる由緒ある神社です。毎年旧暦元日の早朝に関門海峡のワカメを刈り取って神前に供えて航海の安全や豊漁を祈願するという神事を行っているそうです。

また関門トンネル人道を通って下関側に戻ることも考えたのですが、単調だし下関側からまたずいぶんと歩かなければならないので、考えを改めて門司港に向かいました。昨日のようにフェリーに乗ろうという算段です。西へというより南に歩いて門司港に戻って来ました。昨日は跳ね橋「ブルーウイングもじ」が上がっていて行けなかった北九州市大連友好記念館です。

大連市との友好都市締結15周年を記念して建てられた記念館。レトロな雰囲気満点ですが、竣工は1995年なので歴史的建造物の複製建築物ということになります。元ネタはかつて大連にあった、ロシア帝国が1902年に建設した東清鉄道汽船会社事務所だそうです。背後で見切れている高層ビルは門司港レトロハイマート(高さ103メートル)。

こちらは旧門司税関。1912年に建設されましたが、戦災で傷みが激しかったため、1995年に外観を復元しました。

今日は閉じていた「ブルーウィングもじ」。こうしてみると普通の橋ですね。絵面的には跳ね上がっている方が面白いのですが、つまらなくても通れるほうがいいですね(笑)。

ということで、門司港から再びフェリーに乗って下関に戻り、下関駅から小倉駅に戻って新幹線で帰りました。戻るまで荷物を預かってくれたドーミーイン、ありがとう。関門海峡は本当に狭くて、津軽海峡とか本四海峡とは比べものになりませんが、一日に何度も本州と九州を往復できたりしてとっても面白い所でした。
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