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出雲国紀行:パワースポット探索と日本一の庭園

五輪開幕

 月曜日に梅雨が明けたら一気に猛暑日和に。今年も来てしまいましたね、地獄の季節が。観客もないままにオリンピックも始まりましたが、コロナはともかく、よくこんな暑い時季に日本でオリンピックをやろうと思いますね。前回(1964年)の東京オリンピックは10月に開催されましたが、どうして今回も秋とかにできなかったのか。この時期はオリンピック以外に世界的なスポーツイベントが少ないため、テレビ局が多額の放映権料を支払うからだと言われますが、こんな過酷な時期に開催しておいて“アスリート・ファースト”とは一体…

島根県

 ともあれ、オリンピックのせいで降って湧いたような四連休。コロナ感染に気をつけろという声はありますが、今現在コロナ感染者の少ない四国に住んでいるので、コロナの危険地帯を避ければ旅をしてもよかろうと勝手に決めつけ、山陰の島根県に行ってきました。関東では鳥取と島根の位置関係がイマイチ曖昧という話がありますが、関西では栃木と群馬の位置関係があいまいなのでおあいこみたいなものですね。島根といっても結構細長く、旧国名でいえば東部が出雲国、西部が石見国、さらには島嶼部が隠岐国となっています。今回は出雲国部分のみ観光です。47都道府県のうち、これまでに45都道府県に泊まっていますが、全てをクリアしたとしても、今度は旧国目68カ国クリアという新たな目標が生まれるのでしょうか。

特急やくも

 恒例のマリンライナーで岡山に到着した後は、特急やくもで出雲市駅に。私が乗車したやくもは、旧国鉄時代の381系でした。2006年にリニューアル化されて「ゆったりやくも」となっていますので、乗り心地は悪くありません。最近は新幹線よりもこういう地方の在来特急の方が旅情をそそられるように感じますね。

出雲市駅

 出雲大社の大社造りを彷彿とさせる出雲市駅の駅舎。ここから一畑バスに乗って出雲大社に向かいます。一畑電鉄でも行けますが、電車だと乗り換えが必要なのと、ICカードが使えないということで、バスの方が楽だと思います。特にキャッシュレス派という訳ではないのですが、バスの料金支払いは両替が面倒なので、バスに限ってはICカード万歳ですね。
 
出雲大社 正門

 出雲大社正門。実は出雲大社は数年前に訪れたことがあるのですが、タクシーを利用したら大注連縄のある神楽殿そばまで付けてくれたので、参道を通っていなかったのです。特に信心深いわけではないのですが、神社の参道ってすがすがしい雰囲気があっていいですよね。下鴨神社の糺の森なんか大好き。

松の参道
出雲大社拝殿

 参道をずっと歩いて銅の鳥居をくぐると拝殿。拝殿の注連縄も結構大きいですが、よく言われる出雲大社の大注連縄は、拝殿から神楽殿の左手(西側)にある神楽殿のものです。

神楽殿の大注連縄

 こちらが神楽殿の大注連縄。流石の迫力ですね。長さ約13メートル、重さ5.2トンに及ぶそうです。ところで神社の本殿って、伊勢神宮もそうですが、なかなかはっきり見られないようになっていますね。出雲大社の本殿も目の前まで行ってみることはできませんが、なにしろ大きいから塀の向こうからちらちら見えます。

ストーンヘンジ
モンサンミッシェル

 しかし今回は穴場のパワースポット巡りをしたくて来たのでした。YouTube見てたら出雲大社よりその周辺にヤバイのがあったという動画を見つけたもので。私もいわゆるパワースポットという場所には何カ所も行ったことがあるのですが、全然そのパワーとやらを感じられないのですよね。霊感がないということなのか。イギリスのストーンヘンジとかフランスのモンサンミシェルなんかも行ったことあるんですけど、観光名所以上のものは感じられず。

見せてもらおうか
素鵞社

 「見せてもらおうか、出雲大社のパワーとやらを」とシャアのような気分で向かったのは本殿裏手にある素鵞社(そがのやしろ)。境内最大のパワースポットとの声も。なぜなら出雲大社の祭神である大国主神の先祖である須佐之男(すさのお)命を祀っているからです。天照大御神の弟にしてヤマタノオロチ退治の英雄。メガテンシリーズでも強力な破壊神として登場していました。スサノオはイザナギに海を治めろといわれたけど、ママンであるイザナミのいる根の国に行きたいと言って断っというエピソードがありますが、いろいろ冒険した挙げ句に結局根の国に行ったみたいですね。

社家通

 次いで社家通りを通って出雲大社の東側に向かいます。細いけど、いい雰囲気の通りですね、社家通り。

命主社

 向かったのは命主社。正式名称は神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)。祭神は神産巣日大神(かみむすひのおおかみ)です。日本神話では、天之御中主神、高御産巣日神とともに天地開闢の時にあらわれた造化の三神で、天津神の中でも特別な存在である「別天津神」と呼ばれます。大国主神が八十神らによって殺されたとき、命を救ったということで出雲大社と縁が深いのですが、出雲系の神々の祖のような性格があるようですね。

命主社のムクノキ

 社は小さいですが、側に樹齢1000年を超えるといわれるムクノキが。これが“命”の力の象徴なんでしょうか。

真名井遺跡

 そして命主社の裏手に今回最大のお目当てである真名井遺跡が。ここには元々大きな石があり、江戸時代(1665年)に出雲大社造営の際、石材として切り出したところ、その下から銅戈と勾玉が発見されたのだそうです。つまりここにあった大石は祭祀場だったらしいですね。故に“遺跡”と。ぱっと見何があるという訳ではありませんが、いわゆる霊感が強い人がここに来ると気圧されるらしいです。私はどうということはありませんでしたが。

銅戈と勾玉のレプリカ

 県立古代出雲歴史博物館に、真名井遺跡から出土した銅戈と勾玉のレプリカが展示されていました。銅戈は北九州製、勾玉は新潟県糸魚川産である可能性が高いとか。古代出雲は広く各地と交流があったということでしょうか。

真名井の清水

 さらにその東にある真名井の清水。島根の名水百選に選ばれる湧き水で、出雲大社の重要な神事に使われる水だそうです。“真名井”とは、湧き水に対する最大限の敬称なのだそうで、日本全国に存在します。私が訪ねた時は老夫婦が柄杓でペットボトルに清水を詰めていました。しかし周囲が住宅地のせいもあり、私も飲んでみようという気にはなりませんでした。

出雲グリーンホテルモーリス

 いろいろ面白い場所を訪ねてみた訳ですが、結論からいうと特にパワーを感じることはなく。霊感的にはギャルゲーの主人公のような鈍感力の塊のようです。出雲市駅にバスで戻って、泊まりは駅前の出雲グリーンホテルモーリス。中国地方にしかないチェーンですが、ドーミーイン系に近いサービスをしてくれ、その上安いという結構なホテルです。またも「カイジ豪遊ごっこ」を展開したのですが、そろそろこれも飽きてきましたしね。というか酒飲むのがあんまり楽しくなくなってきたというか、酒に弱くなったというか。今後はお茶でスイーツでもいただこうかしらん。

足立美術館

 翌日は安来駅まで行って足立美術館に。乗ったのは鳥取に向かう特急スーパーまつかぜでしたが、特に言うことのない列車でした。駅前からは美術館行きの無料シャトルバスが出ています。

足立美術館庭園その1

 足立美術館は地元出身の実業家・足立全康が開館した美術館で、質量ともに日本一だという横山大観作品のほか、近代日本画壇の巨匠たちの作品や北大路魯山人(「美味しんぼ」の海原雄山のモデル)の陶芸などを所蔵しています。

足立美術館庭園その2

 しかしこの美術館が有名なのは広大な日本庭園のおかげでしょう。足立全康は「庭園もまた一幅の絵画である」と語ったそうで、面積5万坪の庭園は毎日手入れや清掃が行われて絵画のように美しく、国内はもとより海外でも高い評価を得ています。

足立美術館庭園その3

 米国の日本庭園専門雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングでは、初回の2003年から「18年連続日本一」に選出されており、またフランスの旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」や「Guide Bleu Japon」でも、それぞれ三つ星(最高評価)を獲得しています。

足立美術館庭園その4

 確かに綺麗な庭園には違いありませんが…美術館から眺めるだけで、人は通行できないんですよね。自由にいろんな所に歩いて行って眺めることが出来るという点では、栗林公園の方がいいかな、なんちゃって。まあ有名な旅行代理店の催行する山陰ツアーなどでは必ずといってよいほど入っている有名な美術館なので、一度行ってみたかったのです。先週行けなかった倉敷の大原美術館もそのうちリベンジを。
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倉敷美観地区:江戸情緒豊かな町並みが素敵

明けない梅雨

 日本各地で梅雨明けが発表される中、そもそも梅雨入りしていない北海道を除けば唯一梅雨が明けていない四国。本日もどんより空で雨も降ったりして。5月15日に梅雨入りして2ヶ月のロングランとなっていますが、それなら水はたっぷりかと思いきや、香川には水の供給量を20%カットする第一次取水制限が始まっています。香川には結構降っていても、肝心の水瓶(高知県の早明浦ダム)に雨が降っていないということで、自前の水源がないあたり、首都圏と似ているような気がします。

瀬戸大橋

 そういう訳(?)で、一足先に梅雨明けした中国地方にでも遠征するかということで、岡山県は倉敷市に行ってきました。香川から最も近い本州・岡山。瀬戸大橋を渡れば一時間足らずで高松市から岡山市に到着する訳ですが、瀬戸大橋自体は実は倉敷市に所在しているという。

吉備国分割

 かつては岡山県全域に広島県東部、兵庫県西部に跨がった吉備国。製鉄技術を有し、巨大な勢力を誇ったことが警戒されてか、律令時代に備前国・備中国・備後国に三分割され、さらに備前国から美作国が分離するという四分割時代が明治まで続きました。この長い分裂状態のせいか、岡山県内にあっても備前国の中心・岡山市と備中国の倉敷市はなにかと張り合う構図になっているとか。

倉敷駅

 山陽本線で岡山駅からたったの4駅で倉敷駅。人口50万弱で岡山で二番目に人口の多い市ですが、高松市より大きいですね。駅舎にも情緒を感じます。8階建てだった駅ビルは2015年に減築され現在の姿になったそうですが、やはり近距離に大都市があると辛いのでしょうか。

倉敷美観地区

 倉敷美観地区は駅から歩いて行ける距離です。南口から中央通りを南下して500メートルほど進むと見えるのが美観地区。向こうにこんもりと盛り上がっているのは鶴形山。後で行ってみましょう。

大原美術館

 一番の目的は大原美術館でした。倉敷の名士・大原孫三郎が昭和5年に設立した日本最初の西洋美術中心の私立美術館で、モネの「睡蓮」をはじめ、ルノワール、ゴーギャン、エル・ゴレコなどの名画が展示されています。しかーし、事前にちゃんと調べておかなかった自分がうかつなんですが、開館時間が短縮されており、入館は11時30分まで、開館は12時までだったのです。私が付いたのは昼前。コロナじゃ!みんなコロナがいけんのじゃ!と「はだしのゲン」風に嘆いてもどうにもなりません。

大原家住宅

 仕方が無いので近くの旧大原家住宅へ。倉敷の名士・大原家が代々家族とともに暮らしてきた家で、国指定重要文化財となっています。しかし…いや、500円払って入館したのだからはっきり言いましょう。この金額分の価値はないと。もうちょっと大邸宅の中をいろいろ見られたら良かったんですけどね。去年行った富山県高岡市の土蔵造りのまち資料館(旧室崎家住宅)なんか、入場料300円だったけど家の中をたっぷり見られてずっと面白かったです。

観龍寺

 あてが外れた感を抱きつつ鶴形山に登っていきます。階段を昇った先には観龍寺という真言宗の寺がありました。平安時代の設立で1000年以上の歴史があるそうです。

阿智神社への道

 観龍寺はまだ鶴形山の中腹といった感じで、さらに登っていきます。この鬱蒼と茂った森の中の階段、その先に阿智神社があります。

阿智神社

 応神天皇時代の漢人系渡来人の阿知使主の一族が作った古代庭園が元になっているとか。旧倉敷村(倉敷中心街)の総鎮守です。

阿知の藤

 阿智神社の裏手(北側)には「阿知の藤」があります。推定年齢300年とも 500年ともいわれる藤の名木で、アケボノフジと呼ばれる藤の一品種としては日本一の巨樹だそうです。近年では老衰のためか,樹勢の衰えが目立つようになり、花の着生も少なくなってきたため、活性剤の注入や各種の有機肥料を与えるなどさまざまな処置が施され、樹勢は回復しつつあるそうです。

春の阿知の藤

 夏だったので花のカケラもありませんでしたが、春はこんな感じだそうです。藤の花は古くから魔除けの力があるとされていますが、「鬼滅の刃」おかげで鬼に特効のある特別な植物として一層有名になっていますね。個人的には山野に自生するたくましいつる植物というイメージがあります。

倉敷アイビースクエア

 山を下りて向かったのは、大原一族が創立した倉敷紡績所(現クラボウ)の本社工場をホテルなどの複合施設として改修したアイビースクエア。アイビー(蔦)は、工場時代に温度管理のために植えられたのだそうです。明治の産業遺産といった感じですが、実際2007年に国の近代化産業遺産に認定されています。ホテルには泊まってみたいですが、大浴場とかはあるんでしょうか。最近私はドーミーイン系のような大浴場のあるビジホがお気に入りでして。

運河と渡し船

 倉敷美観地区の中心ともいえる倉敷川。江戸時代に港町として栄えた倉敷に物資を運んでくる運河として利用されていました。運河としての機能は既にありませんが、観光利用に整備され、橋や船着場などには江戸情緒が残っています。かつては倉敷川をはさんで建てられた物資貯蔵用の土蔵が蔵屋敷、倉鋪、蔵鋪、倉子城などの名称で呼ばれており、それが倉敷の由来になったとか。

有隣荘

 運河沿いを歩いていると、一際目立つ緑の屋根瓦が。これは再三登場する倉敷の名士・大原家の旧別邸「有隣荘」。昭和天皇も宿泊したという由緒ある建物で、年2回の特別公開の時期を除き、内部は一般公開されていないそうです。旧大原家住宅は期待外れでしたが、こちらはすごいんじゃないかという気がします。

倉敷の商店街
レトロな商店街

 行きは中央通りを通りましたが、同じ道を使うのも芸がないので、帰りは商店街を通ります。美観地区の町並みに溶け込むようなレトロな雰囲気がなかなか素敵です。商店街を歩くのは好きだけど買い物はあんまりしないという金離れの悪い客ですいません。貧乏じゃ!みんな貧乏がいけんのじゃ!

情緒ある倉敷

サンポート高松:ふと海が見たくなって

ナリタタイシン
セイウンスカイ

 今のところ無課金でプレイしている「ウマ娘 プリティダービー」ですが、CV鬼頭明里の☆3ウマ娘セイウンスカイのピックアップをやっているところ、貯まっていた石でガチャを引いたら、最初の10連でナリタタイシンが、次の10連でセイウンスカイが来ました。どちらも思ったより強く、2回のトライでURAファイナルに勝利できました。特にセイウンスカイは3冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)ウマ娘になったほか、15戦14勝という無双ぶりで、最長距離(3200メートル)の天皇賞(春)だけ惜しくも2位でした。

水着サレン

 じゃあガチャ運が強いのかといえば、さにあらず。同じくCygamesの「プリコネR」で強い強いと言われていてずっと欲しかった水着サレンに待望のピックアップが来たのでガチャを引いたいたら、200連やって☆3はクロエ(聖学祭)の1枚しか出ず、水着サレンは天井での交換となりました。あちらが良ければこちらはダメと、ある意味バランス取ってきますねCygames。200連引くのに必要な石は3万個。金額に換算するとなんと6万円という大金になりますが、なんだかんだと石が貯まっていくゲームでもあるので、金を掛けずに7万個くらい持っていたのでなんとか平気でした。今怒濤の水着キャラのガチャラッシュが来ていますが、現状でも手持ちキャラが多すぎて育成に手が回らない状態になっているので、「絶対取れ」と言われているキャラ以外はスルーする方針です。

高松港

 今日はゲームの話なのかと言えばさにあらず。梅雨の晴れ間、ふと海が見たくなったので、ぶらっと高松港に行ってきましたのでその話題をば。歩いて30分ほどでサンポート高松に行けるのですが、海まで徒歩30分という場所に住むのもこれまでなかったことです。

サンポート高松

 高松港とその周辺約42ヘクタールの再開発プロジェクトは「サンポート高松」と呼ばれています。1988年に瀬戸大橋が出来るまでは宇高連絡船が就航して四国の玄関口となっていましたが、小豆島や直島行きのフェリーが就航しているほか、高松駅と岡山駅がマリンライナーでつながれているので、旅客と観光客で賑わっています。

シーフロントプロムナード

 高松駅から数分でシーフロントプロムナード。視界を遮る防波堤などなく、海の眺望を楽しめます。望んでいるのは太平洋とか日本海のような大きな海ではなく、内海の瀬戸内海ですが、島がたくさんあるのは眺め的にむしろいいように思います。海だけの景色ってすぐに飽きちゃうんですよね。多島海はいい。彦摩呂風に言えば瀬戸内海は日本のエーゲ海や!

高松の海
女木島

 高松港の正面にあるのは女木島。泳いで渡れそうな距離のように見えます。実際4キロほどしか離れていないようなので、泳ぎが達者は人なら渡れそうです。桃太郎の伝説は岡山が本場のように思っていましたが、5月15日付の「岡山遠征(その2)」(高松港とその周辺約42ヘクタールの再開発プロジェクト)で触れたように、高松も桃太郎ゆかりの土地とされており、女木島が鬼ヶ島のモデルであると言われています。

鬼ヶ島大洞窟

 女木島で大正時代に発見された人口の洞窟(紀元前100年頃に作られたと言われています)は、鬼ヶ島大洞窟と呼ばれて観光スポットになっています。

高松の海その2

 こちらは高松港から西側を写した画像。左側に写っているのは大槌島、小槌島、高松西部の大崎の鼻などです。

イノシシに注意
海のイノシシ

 海沿いの歩道のフェンスにはなぜかネットが張られています。海に落ちないように?いや、所々に注意文書が貼られています。“イノシシに注意”。山ならともかく、なんで海にイノシシがと思って注意文を読むと、海からイノシシが泳いでやってくるとのこと。ネットはイノシシの上陸を防ぐためのものなんですね。どこから来るのかと考えたら、やはり一番近い女木島のような気がします。鬼ヶ島ならぬシシが島なのか。

屋島

 こちらは東側を写した画像。高松東港の工業地帯のその先に屋島が見えます。昔は島でしたが今は陸続きになっています。硬い溶岩に覆われたせいで浸食に耐えた、典型的な卓上台地(メサ)となっています。遠くからも目立つので古来から瀬戸内海の海路の目印となってきた、高松のシンボルです。

玉藻防波堤

 北東に延びた玉藻防波堤を歩いてみます。540メートルもあるそうで、散策にとても良い場所ですね。

せとしるべ

 防波堤の先には灯台が。通称「せとしるべ」と呼ばれる高松港玉藻防波堤灯台です。全体が赤い色をしていますが、世界初の総ガラス張りの灯台で、内部から灯台を照明するという珍しい灯台です。

夜のせとしるべ

 こちらが夜のせとしるべ。灯台そのものが赤く発光しています。98年の改築前も塗料で赤く塗られて「赤灯台」と呼ばれたそうですが、夜も赤いのはいいですね。シャア専用灯台とか言ったら信じるガンオタもいたりして。

霞む小豆島

 防波堤先端からの光景です。折しもフェリーが出航していきました。左に豊島、小豊島、右手に大島が見える中、中央付近にうっすらと見えているのが小豆島です。地図で見ると目と鼻の先のようですが、実際に見ると遙か彼方にあるような。小豆島はぜひ一度行きたいんですよね。

直島行きのフェリー

 先ほどのフェリーはこれ。「なおしま」と書かれていますので、直島行きですね。

直島といったらこれ

 直島といったらアートの島。草間彌生作のカボチャがシンボルとなっています。こちらにも一度は行ってみたいと思っています。小豆島にしても直島にしても高松港からフェリーが出ているので個人的にはとても便利ですね。

玉藻防波堤から見た高松市街

 防波堤から振り返って高松市街を見るとこんなふう。高松シンボルタワーやホテルクレメント高松が見えます。これらの建物にはオサレなレストランがあったりするそうですが、一人だとちょっと行く気にならないですね。誰か遊びに来た時に使うのに良いかも知れません。

謎のモニュメント

 ぶらりと海沿いを散策するのは予想以上に気持ちが良かったですね。真夏はともかく、秋なんか視界も良くなって一層いいんじゃないでしょうか。また来ましょう。

紫雲山登頂と石清尾八幡宮:Because it's there.

ダミアン少年

 6月6日は、映画「オーメン」における悪魔の子ダミアンの誕生日として有名です。なんともう45年前の作品か。正確には午前6時生まれで、頭に「666」のアザがあるのですが、これは新約聖書内の「ヨハネの黙示録」で「獣の数字」とされる数字ですね。

梅雨の緑 

 梅雨時の緑はどんどん濃くなっていく印象ですね。「言の葉の庭」を思い出します。今はまだそれほど暑くなくていいのですが、そのうちどんどん暑くなっていくんでしょうね。

ジョージ・マロリー

 というわけで、暑くなりすぎないうちにと、紫雲山に登ってみました。なぜ登るのか?と問われれば、そこにあるからだ(Because it's there.)とジョージ・マロリーを気取ってしまうわけですが、何とかと煙は高いところに上りたがるという方が近いかも知れません。

栗林公園と紫雲山

 特別名勝・栗林公園の重要な借景となっている紫雲山は稲荷山(166メートル)と室山(199.8メートル)の二つの峰から構成されている山塊ですが、石清尾(いわせお)山塊の一部でもあります。石清尾山塊は、紫雲山の他、同山の西にある石清尾山(232.4メートル)、南西にある浄願寺山(239.5メートル)から構成されていて、全域に古墳時代前期~後期にわたる120基を超す積石塚と盛土墳が分布しています。

石清尾山塊

 上記4つの峰を四天王とするならば、高さ的な意味で四天王最弱は166メートルしかない稲荷山でしょう。ということで稲荷山に登ります。稲荷山の名称は、麓になる中野稲荷神社から来ていると思われますが、この神社は18世紀創建ということでそんなに古くないので、それ以前は別の名前があったんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょうか。

中野稲荷神社

 前回は山裾を廻ったのですが、今回は登山。前回は左に進んだ神社境内の分かれ道を、今度は右に進みます。前とあんまり変わらない景色のようにも思えますが、やはり道は上り坂。

序盤の登り

 つづら折りの道もあるのですが、そんなに高い山ではないせいか、ショートカットの直線路もあります。なぜか思い出した「おだやかな道とイバラの道の二通りの道があるとすればイバラの道を進め」というキン肉王家三つの心得の一つを胸に、直線路を行ってみます。低い山とはいえ、流石に息が切れます。
 
中盤の登り

 中高生の運動部がトレーニングするのにいいんじゃないかと思いながら喘ぎつつ登り切り、稲荷山の頂上に。何の表示もないのでちょっと心許ないのですが、周囲で一番高い場所なのでここでいいんでしょう。さすが低山、緑に溢れています。

稲荷山頂上部

 ここから南に向かって室山方面に向かいます。尾根伝いの道は快適ですね。それはいいのですが、木々に遮られて風景は見えません。海の方が見えたら良かったのですが。まあ下から見た稲荷山も木々で覆われて人の姿など見えないので仕方ないかも知れませんね。

稲荷山から東を見る

 ちょっと木が途切れた部分から東の方が見えました。向こうに見えるのは徳島との県境になっている讃岐山脈でしょうか。

稲荷山姫塚

 そして到着したのが稲荷山姫塚。4世紀後半築造で、積石で築かれた全長約58mの前方後円墳だそうですが、ぱっと見なんだか良く判りません。石は山中にごろごろあるので、それを使ったんでしょうか。これらの石のおかげで風化に抵抗できて山として残ったのか。

小鳥の泉

 「小鳥の泉」というのがあるはずなのですが…もしかしてこれ?ここを真っ直ぐ南に向かえば室山のはずですが、前回山裾ながら室山には向かっていたので、二回続けてというのも面白くないので、西に向かいます。西には石清尾山がありますが、そこまで向かうのはちょっと遠いので、紫雲山山腹から石清尾山にかけて広がる緩斜面、通称「峰山」と呼ばれるあたりでお茶を濁しましょう。

紫雲の広場

 しばらく歩くと「紫雲の広場」に向かう標識。「冒険の森」というのもあるようですが矢印が折れています。

降り道

 ここから段々下り道に。登りは息が切れて疲れますが、降りは膝にきます。別のルートを辿れば峰山へどんどん続いたのでしょうが、疲れたのとスズメバチが恐い(クマバチかも知れないけど、頭上でブンブンいう)のでそのまま降りてしまいます。

栗林トンネル

 車道に出ました。ここを頻繁に車が通るので、せっかくの奥山散策の雰囲気をしばしばぶち壊されるのですが、中心部の山塊なんで仕方ないですね。その先には栗林トンネルが。歩道があるようなのでトンネルをくぐって北に向かいます。

百舌坂

 トンネルの先は百舌坂。目の前にあるのは稲荷山です。緩やかに降っていきますが、左手になにやら緑の屋根のゆかしい建物が見えてきました。

石清尾八幡宮遠景

 これが石清尾八幡宮。石清尾山塊や石清尾山の名前の由来になっている神社ですね。せっかくなので行ってみましょう。百舌坂を下りて八幡通りを西に進むと一直線でした。

石清尾八幡宮鳥居

 石清尾八幡宮は高松の総鎮守で、平安時代の国司が京都の石清水八幡宮の分霊を亀ノ尾山上に祭ったという由緒があるそうです。それで石清水と亀ノ尾の名を併せて石清尾八幡宮と称したと。八幡大神が石清尾山の山頂に現れたという言い伝えもあります。

石清尾拝殿 

 下拝殿。上拝殿や本殿にはただの観光客は入れないようです。ちょうど結婚式があったようで、和装の花嫁さんがいました。今でも和装を選択する人がいるんですね。もちろん好き好きですが。

蜂穴神社

 境内右手に道が続いていて、その先には蜂穴神社がありました。南北朝時代に北朝側についた細川頼之が伊予の河野氏と戦ったおり、神夢を見て戦に勝利したということで、伊予三島大明神を祭ったと言われております。細川頼之は四国を平定し、室町幕府三代将軍義満を補佐する管領となりました。

髪綬神祠

 側には髪授神祠というものがあります。昭和31(1956)年に香川県理容生活衛生同業組合有志によって建立された新しい神社です。髪に関わる飽昨能宇斯神と、理容業の開祖である藤原正之公の二柱を合祀しており、薄毛や白髪の防止、体毛の発育などの御利益があるとか。

昔の石清尾八幡宮境内図

 さらに奥に石清尾八幡宮社叢という鬱蒼とした森が広がっています。なにしろ山の麓なので緑は豊か。道をどんどん進んでみたらケアハウスに辿り着いてしまいました。それ以上行って石清尾山に登るつもりはないので、今回はここで引き返しましょう。
 

大塚国際美術館:米津玄師が2018年の紅白歌合戦で「Lemon」を歌った場所

高松の海

 今日も良い天気で梅雨はどこ行ったという感じです。今週は中頃から雨になるみたいですが、週末はまた回復する見込みということで、暮らしのサイクル的にはありがたい感じです。
 
特急うずしお

 本日はGW中に行った大塚国際美術館の話をば。高松駅から高徳線で特急うずしおを利用すると1時間強で徳島駅に到着します。隣県なんだから普通電車で行けよと言われそうですが、高徳線は基本単線なもので、特急やら向かいの列車の通過待ちが多く、やたら停車時間が多いので不効率です。うずしおも時間によりますが基本2~3両編成。これが特急かと思うとちょっと寂しいですが、四国の特急はだいたいこんなもんなようです(涙)。

徳島バス

 漠然と大塚国際美術館は徳島市内にあるものだと思っていたのですが、実は徳島の北にある鳴門市所在でした。徳島駅前から路線バスがありますが、小一時間かかります。豪勢にタクシーを利用するというのもありなんでしょうが、どういう訳か四国に住み始めてからしみったれになっているので、バス一択。

大鳴門橋

 大塚国際美術館は大毛島にあり、淡路島との間に渦潮で有名な鳴門海峡とその上に掛かる大鳴門橋があります。。瀬戸内海国立公園の一部である鳴門公園の中にあり、その名の通り大塚製薬グループが創業75周年事業として1998(平成10)年に開館した美術館です。

大塚国際美術館エントランス

 特徴は西洋名画等をオリジナルと同じ大きさに複製し展示する陶板名画美術館であることです。鳴門市は大塚グループの創始者である大塚武三郎の出身地で、大塚グループの発祥企業である大塚製薬工業部(現大塚製薬工場)も鳴門市で創立されました。武三郎の息子の正士が大塚グループの相談役だった時代に、それまでコンクリートの原料として阪神方面に売られていた鳴門海峡の砂浜の砂に付加価値を付けて販売するため、砂からタイル(陶板)を作る事業が提案されました。

大塚国際美術館

 折悪しく石油ショックが発生して陶板の受注は低迷してしまいましたが、技術を生かすべく陶板に絵を描いて美術品を作ることを思いつき、その技法を確立します。陶板技術の集大成と大塚グループの75周年記念事業として、10年の歳月をかけて美術館の建設・設置に至りました。大鳴門橋そばに建設されたのは、淡路島経由で四国に来る人の流れを、そのまま通過させずにせき止めるためだそうです。そういえば徳島県のイメージって、阿波踊りくらいでした(笑)。

鳴門公園

 立地が国立公園内ということで、景観維持のために一旦山を削り取り、地下5階分の構造物を含めた巨大な美術館を造ったうえで、また埋め戻すという難工事を行っています。なので入館料も高め。ネットの前売り券を利用しても3160円かかりましたが、十分元を取れる内容となっています。なにしろ全て複製ですが、古今東西の世界の著名な作品を原寸大で展示しており、陶板画は色彩の退行に非常に強く、約2,000年以上にわたってそのままの色と形で残ることから、写真撮影も許可されているので、コストパフォーマンスは非常にいいかも知れません。

最後の晩餐修復前
最後の晩餐修復後

 また、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の修復前後、戦火で失われたゴッホの「ひまわり」、戦災で各地に分散されたエル・グレコの大祭壇衝立などが復元展示されており、もう見られないものが見られるというのも興味深いですね。

システィーナ礼拝堂

 一番有名なのは入場者がまず訪れることになるバチカンのシスティーナ礼拝堂を再現した「システィーナ・ホール」です。

米津玄師紅白出演記念

 米津玄師が2018年の紅白歌合戦で「Lemon」を歌ったのもここで、米津自身が描いたCDジャケットが陶板となって展示されていました。

スクロヴェーニ礼拝堂

 他にもイタリア・パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂、トルコ・カッパドキアの聖テオドール聖堂の内部が再現されている他、散逸してしまったエル・グレコの大祭壇衝立が復元されたりしています。

ゴヤの家 

 フランシスコ・デ・ゴヤが、晩年に自身の住居の部屋の壁に描いた一連の絵画“黒い絵”も「ゴヤの家」として再現されています。よくこんな部屋に住めるなあと思いますが、自作の絵なら恐くなかったのでしょうか。

モナリザ
レンブラントの夜警
ナポレオンの戴冠式

 他にもダ・ヴィンチの「モナ・リザ」はもとより、レンブラントの「夜警」、「ナポレオンの戴冠式」、モネ・ゴッホら印象派の作品など、有名どころの作品は一通り網羅されています。

モネの庭
大塚国際美術館の内部

 入り口の地下3階が古代・中世、地下2階がルネサンス・バロック、地下1階がバロック・近代、地上1階と2階が現代となっています。正直地下1階でもうお腹いっぱいというか疲れ果ててしまい、お帰りと言うことになってしまいました。ここは一回で全て見るのは困難ですね。繰り返し見に来た方がいいのでしょう。私は現代美術はあまり好きではないので、地下の作品だけで十分でした。

サンルート徳島

 当日は大雨で、傘を差しながら帰りのバスを待っている間にずぶ濡れになってしまいました。宿を取っておいて良かったです。今宵の宿は徳島駅前のサンルート徳島。最近お気に入りのドーミーインは徳島にありませんでしたが、このホテルにも天然温泉の大浴場がありました。

阿波おどり会館

 隣県なのに一泊したのは、翌日眉山に行こうと思っていたからなのですが、眉山ロープウェイの山麓駅がある阿波おどり会館はコロナ禍で休業していました。ちゃんと調べておけよ自分…

金長まんじゅう

 なので予約していた切符を変更して、午前中にとっとと高松に帰ることにしました。お土産は徳島銘菓「金長まんじゅう」。「金長」というのはタヌキの名前だそうですが、昭和12年の誕生という古くからあるチョコ饅頭です。饅頭の皮にチョコが入っていますが、中身は白餡。よく似たお菓子を食べた記憶があるなあと思ったら…

ヤマザキチョコまん

 思い出しました。ヤマザキの「チョコまん」です。もしや金長まんじゅうをパクったのか。目隠しテストをして区別が付けられるのかとっても興味があるところです。

グレコの祭壇

 何はともあれ、徳島にも一泊したので、これで泊まったことのない県は岡山と佐賀を残すのみとなりました。徳島は死ぬまで泊まらなかった県として残しておこうかとか思っていたのですが、運命はわからないものです。全県制覇の日も近いのか、それともどちらがを死ぬまで泊まらなかった県として残るのか…未来は読めないものですね。

ヴィーナス誕生

岡山遠征(その2):吉備津神社と吉備津彦神社

梅雨入り

 本日、四国は九州北部、中国と共に梅雨入りしたとみられるとの発表が。平年より21日も早く、統計史上最も早い梅雨入りだそうです。瀬戸内海地方は雨が少ないとかねて聞いていたところ、私が四国に来てからは結構雨が降っているなあと思っていたところでしたが、梅雨まで早く来るとは。今年とんでもない雨男が四国に来たんでしょうかね。多分私ではないと思うのですが…。ま、晴女とか雨男とか、そんなオカルトありえませんけどね。

大阪緊急事態

 先週に続いて岡山遠征の話です。岡山は16日から北海道・広島と共に緊急事態宣言の対象となっていますが、訪問はそれ以前の話なのであしからず。予約してしまったので大阪に泊まった私ですが、予定していた飲み会は緊急事態宣言のせいで当然開催できず、朝すごすごと退散しました。

吉備線

 そして再び岡山に。岡山駅で桃太郎線の愛称を持つ吉備線に乗り換えて吉備津駅に向かいます。発車の際の音楽は当然「桃太郎」。♪お腰につけたきびだんご 一つわたしに下さいな♪犬・猿・雉に命をかけた忠誠を誓わせるマジックアイテム「きびだんご」。黍(きび)の粉で作った団子で黍団子だと思っていましたが、岡山には名物・吉備団子というものが。もしや桃太郎が持っていたのはこっちなのか!?これについては後ほど。

吉備津駅

 吉備津駅で下車。吉備線もいかにもローカル線な雰囲気ですが、吉備津駅も鄙びた田舎駅の風情です。無人駅だし。しかしICカード対応の簡易型自動改札機は設置されています。吉備津神社の最寄り駅ということで、年末年始は駅員が配置されるそうです。

吉備の中山

 備中国一宮・吉備津神社に向かいます。岡山市は備前国だと思っていましたが、市内西部は備中国だったんですね。後で備前国一宮・吉備津彦神社にも向かいますが、どちらも吉備の中山という200メートル足らずの小山の麓にあります。静岡県掛川市にある小夜の中山は知っていましたが、吉備の中山は知りませんでした。Wikipediaに記事も立っていないし。

吉備の中山

 しかし、地元では超有名な場所だったのです。備前国・備中国・備後国が分割される前は吉備国と呼ばれていましたが、その頃の中心地ではないかとされ、山中には古墳が多数あり、山麓に一宮が二つもあるということがそれを裏付けていますね。

吉備津神社マップ

 駅から歩いてほどなくして吉備津神社です。元は吉備国の総鎮守でしたが、三国に分割されたので備中国一宮になりました。こうした経緯から「吉備総鎮守」「三備一宮」とも呼ばれます。祭っているのは吉備津彦命。第7代孝霊天皇の皇子で、ある。四道将軍の1人として西道(山陽道)に派遣されたとされます。

四道将軍

 四道将軍…なんか四天王みたいですね。第10代崇神天皇の時代に、北陸、東海、西道、丹波(丹波・丹後・但馬の三丹)に派遣された皇族の将軍のことです。神武天皇と、綏靖~開化のいわゆる“欠史八代”の天皇については、実在性が希薄とされており、崇神天皇がヤマト王権初の天皇という説があります。四道将軍についても、初期ヤマト王権による支配権が地方へ伸展する様子を示唆しているという説があります。

温羅

 さて山陽道に派遣された吉備津彦命は、この地で温羅(うら)という鬼と戦ったそうです。温羅は異国から飛来して吉備に至り、製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点として一帯を支配したとされています。

鬼ノ城

 鬼ノ城は岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に実在しますが、おそらく7世紀後半に築かれた古代山城だろうとされています。白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗したため、当時の大和朝廷は連合軍の襲来に備えて対馬~畿内に至る要衝に様々な防御施設を築きましたが、そのうちの一つなのでしょう。崇神天皇は実在するなら3~4世紀の頃の天皇と推測されているので、吉備津彦と温羅の戦いが本当にあったとしても、鬼ノ城建設とはかなり時代が違うのですが、なにしろ古い伝承なので勘弁してやって下さい。

吉備津彦命の二本打ち

 吉備津彦命は、温羅討伐に際し、吉備津神社の地に本陣を構え、それぞれ矢と岩をぶつけ合う遠距離射撃戦を展開しましたが、吉備津彦命が矢を2本同時に射たところ、1本は岩に撃ち落とされたものの、もう1本は温羅の左眼を射抜きました(飽和攻撃のはしりですな)。温羅が雉に化けて逃げると、吉備津彦命は鷹に化けて追い、さらに温羅が鯉に身を変えて逃げると、吉備津彦命は鵜に変化してついに捕らえたとのことです。

吉備津彦命相関図

 吉備津彦命は、犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに温羅を討ったということで、これが「桃太郎」のモチーフになったともいわれています。この三人の家来については、「犬養縣主(犬)」「猿女君(猿)」「鳥飼臣(雉)」という豪族だという説もあるそうなので、「黍団子」に象徴される何か(金品とか)で懐柔して仲間にしたということだと更にリアリティがありそうな。MMR風に言うと「黍団子は山吹色のお菓子だったんだよ!」「な、なんだってー!!」という感じでしょうか。

吉備団子

 黍団子と吉備団子。音は完全に一致していますが、吉備団子は黍を主原料とはしていません。吉備団子は幕末の頃に考案されたとされますが、明治時代に入って“桃太郎のきびだんご”として販売促進に利用し、昭和に入ってから桃太郎は吉備津彦命に由来するとの説がおこり、戦後からは地域をあげて桃太郎との関連をアピールしているそうです。岡山は地域を挙げて桃太郎ゆかりの地であることをアピールしていますが、山梨県大月市、愛知県犬山市、奈良県田原本町にも桃太郎ゆかりの地とされる場所があります。

鬼ヶ島大洞窟

 なによりわが香川県高松市もその一つで、高松港沖に浮かぶ女木島は「鬼ヶ島」のモデルだとされ、「鬼ヶ島大洞窟」があったりします。香川県には浦島太郎の伝承もあるので、“三太郎”のうち二太郎までを占める勢い。浦島太郎が香川県の人だったとすると、竜宮城は瀬戸内海にあったということになるんでしょうか。“三太郎”のうち、金太郎だけはさすがに香川県には伝承はないようですが、足柄山のある静岡で決まりかと思いきや、長野説とか新潟説といった異説もあるそうです。まあ昔話ですからねえ。

拝殿

 閑話休題、吉備津神社の本殿と拝殿は室町時代中期の造営で、接続されて一体化しており、「吉備津造」と呼ばれています。併せて一棟として国宝に指定されています。

長い回廊

 400メートル近い長さの回廊は戦国時代の造営とされます。所々で摂社末社への出入り口が開いています。

 岩山宮

 中でも山へ登るような階段があったのでつい登ってみたらあったのが岩山宮。地主神・建日方別命を祭っているそうです。吉備津彦命や温羅よりも古い神ですね。

御釜殿

 御釜殿。江戸時代の再建で、上田秋成の「雨月物語」中の一篇「吉備津の釜」でも描かれている「鳴釜神事」が行われます。先ほどの温羅という鬼、吉備津彦命に首を刎ねられますが、首はその後ももうなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしても、御釜殿の下に埋葬してもなおうなり続けたそうです。これに困っていた吉備津彦命の夢枕に温羅が現れ、温羅の妻である阿曽媛に神饌を炊かさたら、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げようと答えたということで、これが神事の始まりだそうです。

鳴釜神事

 釜の上置いた蒸篭の中に米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を焚いた時に鳴る音の強弱・長短等で吉凶を占います。一般に、強く長く鳴るほど良いとされますが、音を聞いた者が、各人で判断するものだそうです。「雨月物語」の「吉備津の釜」では婚礼の吉凶を占うのに使われ、釜は全く鳴りませんでした。明らかに凶なので婚礼は止めたら良かったのですが…

一童社

 一童社。菅原道真と天鈿女命を祭る学問・芸能の社で、江戸時代の国学者も信仰したそうです。「祈願トンネル」というものが設置されており、中は進学に関する絵馬で埋め尽くされていました。

円墳に鼻ぐり塚

 続いて吉備津彦神社へ。吉備の中山の麓に「吉備の中山みち」があるので、一本道を歩いて行けば到着します。途中に「鼻ぐり塚」というものがありました。鼻ぐりとは牛の鼻輪のことで、死んだ牛が残す唯一の形見とも言え、これを供養することで、人のために奉仕した畜類への感謝を示すものだそうです。が、この塚、元々あった円墳を利用しているんですよね。誰の墓かは知りませんが、本人はそれでいいんでしょうか?

吉備津彦神社マップ

 とことこ歩いてやってきました吉備津彦神社。吉備津神社と名前が非常に似かよっていますが、吉備国を分割した際に祭神も分霊したのだそうです。神社だとよくある話ですね。備前国一宮として崇敬され、中世以後宇喜多氏、小早川秀秋、池田氏など歴代領主の崇敬を受けてきました。

吉備津彦神社拝殿
吉備津彦神社本殿

 こちらは吉備津神社とは異なり、拝殿と本殿は離れています。拝殿裏手の本殿は江戸前期の再建で、間に祭文殿や渡殿があります。夏至の日に正面鳥居から朝日が差し込んで祭文殿の鏡に当たるようになっているとかで、吉備津彦神社の別名は「朝日の宮」。

摂社群

 子授け・安産に霊験があるという子安神社からずらりと並ぶ末社群。境内の北側にあります。

温羅神社

 境内南側にも摂社末社がありますが、注目はこの温羅神社。吉備津彦命が討った鬼なのに神として祀るあたりがいかにも日本風です。温羅の、平和や恵みの働きがあるという和魂を祀っているそうです。

吉備津彦神社入り口

 吉備は、出雲、筑紫、毛野(栃木+群馬)と共に古代には独自の勢力を持った文化圏だっとされており、それが故に度々征討を受けて勢力を削減されています。三分国(後に備前から美作が別れて都合四分国)も、吉備勢力の伸張や統一を抑制するためだったのでしょうか。分国の余波は、同じ岡山県内の岡山都市圏(備前国)と倉敷都市圏(備中国)の対立や、備後国が安芸国と一体化して広島県になるという形で、現在まで影響しているとか。京都では平安時代、奈良では奈良時代や飛鳥時代に思いを馳せましたが、岡山では古墳時代。段々古代に進んでいくような気が。

古墳時代の勢力図

紫雲山:高松市中心部に秘境あり

栗林公園

 GWも完全に終わって明日から通常の日々。ちょっとアンニュイな気分なので本日は遠出をせず、栗林公園に行って年間パスポートでも買おうと思ったら、なんと臨時休園。“新型コロナウイルス感染症拡大の現状を踏まえ”とのことですが、5月一杯休園するようです。いや、香川では緊急事態宣言は出てないのですが…

栗林公園の向こうが紫雲山

 ぶうぶう言ってもやっていないものは仕方ありません。栗林公園というと、背後にある紫雲山が借景として良い仕事をしています。これも栗林公園の一部と言ってもいいほどです。今回は紫雲山の話を。

屋島

 高松の有名な観光地である屋島は、メサ(卓上台地)と呼ばれる地形の典型例とされています。風化しやすい花崗岩の上を硬い溶岩が覆ったため、浸食作用で周囲が削れていく中、テーブル上の台地として残りました。 

ダイヤモンドヘッド

 私は屋島を見る度に、ハワイのダイヤモンドヘッドに似てるなと思うのですが、どうでしょうかね。

空から見たダイヤモンドヘッド
上空から見た屋島

 しかし側面から見た姿は似ていても、ダイヤモンドヘッドはメサではなく火山。上空から見た姿は屋島とは似ても似つきません。

讃岐富士

 で、メサがさらに浸食を受けると、台地から丘の姿に変わります。これはビュート(孤立丘)と呼ばれます。讃岐富士こと飯野山もビュートです。

石清尾山塊

 そして栗林公園を引き立てる紫雲山もビュートです。正式には石清尾(いわせお)山塊と呼ばれるビュートの一部。この画像だとメサと言いたくなりますが。石清尾山塊の中でも稲荷山と室山の二峰の山塊を紫雲山と呼んでいます。北側の稲荷山が166m、南側の室山が199.8mとごく低い山なんですが、高松市の市街地の中にぬっと立っているので実際よりも高く見えます。

石清尾古墳群

 石清尾山塊には峰や尾根を中心に、古墳時代の前期から後期にわたる120基を超す積石塚と盛土墳が分布しており、全国的に知られる古代遺跡として史跡に指定されています。古墳時代の高松は、山塊付近まで海が迫っていたようです。

栗林公園周辺のグーグルマップ

 大して高い山ではないのですが、最初から登ろうと思ってはいなかったので、どうしたものかと思ってグーグルマップを見ていたら、栗林公園と紫雲山の境に「紫雲原生林」の記載されたハイキングコースが表示されているのを発見。これなら行けまっせということで探索することに。

駅前に鳥居

 稲荷山の名前は、麓にある中野稲荷神社に由来すると思われます。JR栗林公園駅北口のすぐそばにあります。1743年に高松藩5代藩主の松平頼恭が創建したそうですが、じゃあ稲荷山という名前になったのはそんなに昔ではないということに。鳥居が駅と合体したかのように見えます。

中野稲荷神社

 境内は小さいですが、拝殿を右に折れていくと登山道があります。山は登らないので左に折れると山腹を縫っていく遊歩道があります。

紫雲原生林その1

 市街地のまっただ中のはずなのにこの秘境感。イノシシ注意という看板も雰囲気を出してきます。札幌だとヒグマに注意だったので、危機感はだいぶ違いますが、イノシシもかなりヤバイらしいので油断は禁物です。

紫雲原生林その2

 全く人に出会うことなくずんずん進んでいきます。無人の野を行くが如しと思っていたら、突如人が携帯型の椅子に座っているのに出くわして驚いたり。栗林公園の西側を歩いているのですが、木々が生い茂っていて庭園はよく見えません。

ハローズ

 民家の軒先といった場所に出て散策は終了。スズメバチとイノシシにさえ出くわさなければかなり良い感じの散歩道になりますね。帰途、ハローズ栗林公園店という大型スーパーを発見。初めて入るスーパーマーケットは心躍りますね。いつも使っているマルナカよりいろいろと安いんでないかい。時々自転車で買い物に来ることにしましょう。

岡山遠征(その1):岡山城と後楽園

美しい五月

 緊急事態宣言が5月一杯まで延長されました。四国は対象地域ではないんですが、感染者は増加傾向なので、気持ち的には日本全土で発令されているようにも感じます。美しい五月だというのになんとも鬱陶しいことですが、世界史に残るビッグイベントということになるんでしょうね。未来の受験生が勉強しながら「サリンとコロナはどっちが先だっけ?」なんて言ってたりして。

寡黙なデューク東郷

 自粛自粛のGWでしたが、感染に気をつけてればいいかなと、岡山に出かけてきました。海を隔てているとはいえ隣県ですし。一人旅で、当然マスク着用で、会話は必要最低限という、まるでデューク東郷になったかのようでしたが、それでも家にくすぶっているよりは外出したいんじゃ。筑波嶺では家に閉じこもっていて全然へいきなんですが、転勤先だと出かけがちになる不思議。観光に便利な地域に住むからなのでしょうか。

マリンライナー

 ということでマリンライナーに乗って岡山へ。JR四国とJR西日本の共同運行ですが、おそらくJR四国が一番力を入れている路線です。基本1時間に2本出ていて5両編成。ラッシュ時は7両編成にもなります。首都圏の列車事情を知る身としては15両編成くらいじゃないと物足りないですが、こっちに来てからは10両編成以上なんて見たことがないですね。

瀬戸大橋
柱が邪魔

 「世界一長い鉄道道路併用橋」としてギネス世界記録に認定されている瀬戸大橋からは、瀬戸内海の絶景が楽しめる…のですが、上部が道路、下部が鉄道という構造上、しばしば鉄骨が視界を遮ります。多分自動車で走った方が景色はいいんでしょうね。

岡山駅

 大都会岡山。駅の大きさも高松とは比較になりません。さすが70万都市。昔B&Bという漫才コンビ(80年代初頭の漫才ブームの中でも一番人気のコンビだった)がコンビの出身地である広島アゲ、岡山サゲのネタをやっていましたが、人口は確かに広島の方が多いし、中国地方の中心都市といえば広島と言わざるを得ないのですが、交通的には山陰や四国へのハブとして重要なのは岡山の方だと思います。

烏城

 その岡山駅から東に真っ直ぐ進むと見えてくるのが岡山城。4重6階の天守は黒漆塗で、「烏城(うじょう)」の別称もあります。隣県兵庫の姫路城が「白鷺城(はくろじょう)」と呼ばれるのと好対照です。岡山城も戦前までは天守が残り、国宝とされていましたが、空襲で焼失してしまいました。現在のものは鉄筋コンクリートでの再建です。

月見櫓

 江戸初期に建造された月見櫓は現存しており、重文となっています。城跡は烏城公園として整備されて、復元天守の内部は博物館となっています。高知城・姫路城・丸亀城と、現存天守は登らずにはいられない私ですが、復元天守にはあんまり興味が無く、実は大阪城にも登っていません。今回は登ろうかなと思ったのですが、入り口が意外に込んでいたので、このコロナ禍に3密はヤバイと思って止めてしまいました。

月見橋

 日本三名園の一つである後楽園は旭川をはさんで対岸の中州にあります。月見橋という鉄橋で結ばれているのですが、その優雅な名前にそぐわない武骨さが意外というか場違いというか。この橋がないと不便なのでなくせなんて言えませんが、デザインはもうちょっと考えてもいいんではないですかね。

後楽園
見せてもらおうか

 江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、元禄文化を代表する庭園であり、国の特別名勝に指定されている後楽園。わが高松にも国の特別名勝・栗林公園があり、三名園に勝るとも劣らないと評されていますので、「見せてもらおうか、岡山の後楽園の性能とやらを」というシャアのような気分で訪れました。

後楽園マップ

 面積は13.3ha。兼六園の11.7ha、偕楽園の13ha(平成になって隣接する千波公園や桜川緑地などと合わせて水戸県立自然公園として管理・運営しており、合計面積は300haとなっていますが、本来の偕楽園の面積ではありません)よりも広く、三名園では一番広いですが、栗林公園は16ha。でかけりゃいいというものではないでしょうが、大きいことはいいことだとも言います。栗林公園の場合は隣接する紫雲山が背景となるのでさらに広く感じます。

唯心山

 唯心山は標高6メートル。栗林公園には飛来峰と芙蓉峰の二つの山があり、飛来峰は多分唯心山より高いと思います。もちろん山は“高き故に貴からず”ですけどね。

唯心山頂上から

 唯心山からの眺めです。料金は後楽園も栗林公園も410円。ちなみに兼六園は320円で偕楽園は300円。値段イコール内容の良さという訳では必ずしもないかもしれませんが、三名園で一番料金が高い後楽園と肩を並べる栗林公園。そこからも栗林公園のハイクオリティーを推して知るべし、です。

後楽園遠景

 いや、わざわざ後楽園に来てまで栗林公園を推しても仕方ないのですが、栗林公園に日参できる距離に住んでいるのでどうしてもひいき目になってしまうというか。後楽園に日参できる距離に住んだら、やはり後楽園推しになるんでしょうね。栗林公園も加えて四天王名園とかにしたらいいんじゃないでしょうかね。なお偕楽園は名勝、他は特別名勝なので、四天王最弱は自ずと明らかに…。

ドーミーイン大阪谷町

 宿泊はドーミーイン大阪谷町。なに!このご時世に大阪とな!?と目を剥かれてしまうかも知れませんが、緊急事態宣言発出前に予約してたもので。本当なら大阪で旧知の人々と飲むつもりだったのですが、緊急事態宣言で居酒屋が軒並み臨時休業となってしまい、叶わず。なら宿もキャンセルしようかとも考えたのですが、新幹線の切符も取ってしまっていたので、経済回したろ!と行くだけ行きました。

カイジ豪遊

 例によってスーパーで酒と肴を買って「カイジ豪遊ごっこ」をしてきました。感染者の少ない地方ほど、コロナ汚染地帯とか怖れるかも知れませんが、こちとら年明けに感染者が爆増していた頃に東京に毎日通勤していたんでい!それで全然感染しなかったんでい!再びシャア気分で「当たらなければどうということはない」。でも朝になったらそそくさと大阪を退去して岡山に戻ったのでした(笑)。

当たらなければどうということはない

琴弾公園の銭形砂絵:「銭形平次」のOPで見たあの場所へ

今年のGW

 ゴールデンウィークが始まりました。人にとっては29日からとっくに始まっていたかも知れませんが、私はしがなくカレンダー通りなもので。去年や今年のGWはコロナ禍真っ只中なので、積極的にロンバケを取ろうという気にもなりませんな。あと年末年始もそうなんですが、長く休めば休むほど仕事に行くのが辛くなるので。

琴弾公園

 筑波嶺では休日はひらすら怠惰に過ごすのが常なのですが、初めての場所に来ると取りあえず好奇心が怠惰心に打ち勝ちますね。ということで今回は観音寺市の琴弾公園に行ってきました。

観音寺市
観音寺市の位置

 観音寺市は香川県の西端で、愛媛県はもうすぐそこ。そういえば香川県は47都道府県で一番面積が狭いのです。大阪府だと思っていましたが、およそ20㎢の差で香川を上回っていました。香川の人に言わせると「大阪は関空を埋め立てて香川を上回りやがった」のだそうです。面積は小さくても、災害が比較的少なく、都市と自然が調和した良いところだと私は思いますが。都市と自然の調和といえば札幌でも感じましたが、あそこには中央区でもヒグマが出るという妙な調和もありました。あ、決して嫌いなのではありません。札幌も北海道も今でも愛してます。

観音寺駅

 いかにも地方の駅といった感じの観音寺駅。あ、「かんのんじ」ではなく「かんおんじ」と読みます。名前の由来は香川の誇る弘法大師空海が聖観世音菩薩を安置した寺が観音寺と呼ばれるようになったことからですが、そのお寺の方は普通に「かんのんじ」と読む不思議。四国八十八箇所霊場の第六十九番札所になっています。

銭形平次

 昔大川橋蔵主演の「銭形平次」という時代劇をテレビでやっていました。全888話といのは史上最長の連続ドラマで、ギネスブックでも世界記録として認定されているとか。アニメもドラマも1クールが多数となっている日本では、この記録を抜くことはもうないんじゃないでしょうか。

銭形平次のOP

 それはさておき、「銭形平次」のOPで、平次はなぜか十手を二刀流にして大勢の侍達と戦っていたのですが、その場所が平次が投げる銭である寛永通宝を象った巨大な砂絵の中でした。見てた頃は撮影のためにわざわざ作ったのかと思っていましたが、なんと観音寺市内に実在する場所だったのです。

銭形平次のOP2

 それが名勝・琴弾公園内の有明浜にある銭形砂絵。江戸時代に作られたそうです。縦(東西)122メートル、横(南北)90メートルの楕円形をしていて周囲は345メートル。巨大すぎて、近寄って見ても何が何だか良く判りません。

地上から見た砂絵

 ナスカの地上絵は日本にもあった?とMMRが飛んできそうですが、琴弾公園内にある琴弾山(58メートル)山頂から見るとちょうど真円に見えるようになっています。「1633(寛永10)年に、当時讃岐一国を支配していた生駒高俊が領内巡視する折りに、土地の人々が砂浜に鍬を入れて一夜にして作りあげた」と伝えられていますが、寛永通宝が鋳造される3年前だし、生駒高俊が巡視した事実もないという。この人は政務を放り出して美少年たちを集めて遊興に耽った(ウホッな人か)ため、藩で内紛(生駒騒動)が起きてしまい、その責を問われて1640(寛永17)年に領地を没収され、流罪となってしまいました。

銭形砂絵砂ざらえ
砂ざらえ中

 その他「1855(嘉永7)年 に丸亀藩第7代藩主京極朗徹に見せるために造営された」説や、「もとは豊臣氏の瓢箪紋だったが、寛永10年に江戸幕府の巡検使が来ることを知って一夜で作り変えられた」という説もあるそうですが、決定打はないとか。前者の説はともかく、後者の説だとやはり寛永通宝が鋳造される前なので無理がありそうですね。

砂絵遠景 

 それはともかく、江戸時代からあること、太平洋戦争中に米軍が軍事機密かと思って偵察を繰り返したが、終戦まで正体が判らなかったというエピソード、そしてなによりも「銭形を見たものはお金に不自由しない」という言い伝えがあるということで、ぜひ行かねばと思っていました。

結城友奈のタペストリー

 商店街を中心に、市内ではやたらアニメキャラが推されていました。私は来るまで全然知らなかったのですが、「結城友奈は勇者である」というアニメの舞台が観音寺市なのだそうです。面白いなら見てみようかな…世間の評判はどうなんでしょう?

琴弾山

 琴弾山の標高は60メートル弱。金刀比羅宮のある琴平山(538メートル)はもとより、丸亀城のある亀山(66メートル)よりも低いのですが登ってみるとやはり舐めてはいかんなと。いや登れることは登れるのですが、息荒くして汗かいて登ることになります。汗一つかかずに笑いながら登れる山なんてないんですね…。

琴弾八幡宮本宮

 山頂には琴弾八幡宮があります。飛鳥時代の703(大宝3)年、日証上人という坊さんが山頂で修行していたら、琴を弾く翁を乗せた船が麓の有明浜に漂着したのだそうです。その翁は「八幡大菩薩」と名乗って消えたということで、日証上人は残された船と琴を山頂に運んで祀り、それが神社の由来となっています。そして琴弾八幡宮に付属して作られた神宮寺に弘法大師が観音菩薩を安置したことで観音寺となり、それが市の名前の由来になっているという。

若宮
住吉神社

 八幡神として応神天皇・その母である神功皇后、初代天皇・神武天皇の母である玉依姫命を祀っています。

象ヶ鼻岩

 琴弾八幡宮のすぐ下に象ヶ鼻岩展望台があります。この岩に登って銭形砂絵を見るとよく見えるという。

砂絵その1
砂絵その2

 これが銭形砂絵。例年春と秋に「銭形化粧直し」として砂ざらえをするほか、台風などで砂が流されるなどした際には、市民総出で補修工事が行われるそうです。きっと「銭形平次」OP撮影後も補修されたことでしょう。砂絵内は立ち入り禁止になっていますが、よく見ると結構足跡があったような…

砂絵夕景

 日没から午後10時まではライトアップされます。年末年始は終夜ライトアップするそうです。琴弾八幡宮に初詣に来ると、ライトアップした銭形砂絵が見られるわけですね。

有明浜

 砂絵が作られている有明浜も、日本の渚百選に選ばれているほか、日本の水浴場55選に選ばれている有名な海岸で、海浜植物の群生地があって「有明浜の海浜植物群落」として観音寺市指定天然記念物に指定されています。

砂絵と伊吹島

 銭形砂絵の向こうに浮かぶ島は伊吹島。観音寺市に属する香川県西端の有人島で、いりこの産地として有名です。その右手に小さく見えるのは円上島(まるがみしま)で、これも観音寺市に属しますが、現在は無人島です。

美しい瀬戸内海

 やはり海はいいですね。というか、瀬戸内海はいい。環境汚染が言われて久しいですが、それでもやはり多島海は美しいです。彦摩呂風に言えば「日本のエーゲ海や!」

綺麗な瀬戸内海

丸亀城:日本一高い石垣を持つ現存十二天守の一

3度目の緊急事態宣言

 本日から3回目の緊急事態宣言。一回目は全日本的に発令されましたが、この冬の二回目と今回は地域が限定されており、私の住む香川は発令地域外なのですが、3月まで東京で働いていた身としてはとても他人事ではありません。首都圏や近畿圏に比べて圧倒的に発症者の少ない四国で発症するというみっともない真似だけはできないので、警戒感は以前とあまり変わりませんね。

丸亀城遠景

 とはいえ、県内の移動は特に制限もされていないので、「どっきん四国」は続けていこうと思います。ということで、今回は丸亀城を紹介しましょう。日本城郭協会が選定した「日本100名城」の一つにして、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている「現存十二天守」の一つでもあります。

丸亀城マップ

 香川県の前身である讃岐国には、高松藩と丸亀藩が置かれていたので、江戸幕府の一国一城令により高松城と丸亀城が存在していました。これだけ聞くとごく自然ですが、実は江戸時代初期までは生駒氏が讃岐一国を支配していました。生駒氏は高松城を本城とし、亀山城を支城としていました。江戸幕府が一国一城令を出したため、本来高松城以外は破却しなければならず、実際生駒氏は高松城以外は破却したと報告していたのですが、生駒氏がお家騒動により改易となった際、実は丸亀城を破却していなかったことが明らかになりました。樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限して秘密にしていたとか。

大手二の門

 その後讃岐の東側に松平頼重(徳川光圀の同母兄)が、西側に山崎家治が入封し、高松藩と丸亀藩が並立することになりました。こうなってみると、亀山城の健在は幕府の法令違反だったものの、山崎家からすると、改修は当然しなければならないものの、ゼロから城を築くよりはよっぽど楽だったろうと思います。

高い石垣

 山崎家は年足らずの治世で断絶してしまい、その後は京極家が明治まで丸亀城を居城としました。改修は京極家も引き続き行って完成させましたが、標高60メートルの亀山を利用した平山城で、石垣は山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60メートルになり、総高としては日本一高くなっています。

快速サンポート南風リレー号

 丸亀までは予讃線で向かいます。JR四国は高松-松山よりも、高松-岡山や松山-岡山など、本州との連絡を最重視しているようで、岡山行きのマリンライナーで坂出まで行って乗り換えるということもしばしばなのですが、ちょうど快速サンポート南風リレー号という直通便に乗れました。これは岡山-高知を結ぶ特急南風(なんぷう)と接続するための列車ですが、香川県西部の観音寺まで直通してくれます。

サンポート高松

 サンポートってなんじゃいと思われるでしょうが、これは高松駅や高松港のある高松市の再開発されたウォーターフロント地区の名称です(サンポート高松)。高松シンボルタワー、JRホテルクレメント高松、高松サンポート合同庁舎、高松港旅客ターミナルビルなどの大規模施設が立地します。

讃岐塩屋駅

 降りる駅は当然丸亀駅なんですが、うっかりスマホを見ていたら乗り過ごしてしまい、隣の閑散とした讃岐塩屋駅まで行ってしまいました。快速だと一駅といってもかなりの距離になりそうですが、坂出駅から西は各駅停車になっているので事なきを得ました。

骨付鳥
とり奉行骨付じゅうじゅう

 丸亀といえば讃岐うどんと並ぶ香川名物・骨付鳥の創始である「一鶴」の本店があります。丸亀市ではご当地グルメとして骨付鳥を全国に広める活動を行っており、公式ガイドブック「骨付鳥大百科」を作成したり、骨付鳥をキャラクター化したゆるキャラ「とり奉行 骨付じゅうじゅう」が丸亀市の公式観光キャラクターとして活動していたりします。

丸亀製麺

 丸亀と言えば丸亀製麺もあるだろう?いやいや、あれは丸亀市発祥ではなく、もともとは兵庫県の企業なんですね。というか、丸亀製麺は高松には店舗がありますが、丸亀市には店舗が存在しません。だからあれは讃岐うどんの店ではないと、讃岐うどんファンからは冷ややかに見られているということですが、ここではこれ以上触れません。ググればこの件についてのサイトやYouTube動画が見つかると思いますので、興味がある人はどうぞ。

高松城址

 香川県で100名城になっているのは高松城と丸亀城の二つ。藩が二つだったので当然といえば当然ですが、高松城の方は天守は破却されており、なんとか北の丸の月見櫓と渡櫓、東の丸の艮櫓が城らしさを残しています。だいたい各地の城跡は城址公園として市民の憩いの場となっている例が多いのですが、高松城址は市立玉藻公園となっているものの、有料なので観光客は来ますが、イマイチ市民の憩いの場とはなっていないような。

天守への坂

 丸亀城の方は、天守以外は亀山公園として無料で入れるので、間違いなく市民の憩いの場です。なにしろ山の上に天守があるので、向かうには坂を登らなければなりません。「見返りの坂」と呼ばれていますが、傾斜が急で、時々立ち止まって振り返りたくなることから、いつしかそう呼ばれるようになったとか。たかが高さ60メートル程度、金刀比羅宮の1368段を踏破した身には赤子の手を捻るようなものよなんて舐めていたら痛い目に遭います(実感)。

見返りの坂

 一度折れた、天守に向かう坂は一層急で、登るのはともかく、降りはかなり膝にきます。雨の日なんかは滑って危なそう。

井戸

 二の丸には井戸があります。二の丸で相当な高さなのですが、日本一深い井戸と言われているそうです。絵図には深さ36間(約65メートル)と。やはり籠城となると水は不可欠ですからね。

石垣の美

 4重の石垣は日本一の高さですが、名人と謳われた羽坂重三郎によるものだそうです。城主が「この石垣を登れるものはあるまい」と言ったところ、重三郎は短い鉄の棒を使って登ってしまったそうで、これを見た城主は敵に通じるのを怖れ、重三郎を井戸に埋め殺してしまったという伝説がありますが、その井戸かここだとか。以来夜な夜な重三郎の幽霊が…という話は伝わっていません。というか井戸で埋め殺したら井戸が使えないじゃん。

丸亀城天守

 天守は江戸時代に建てられた御三階櫓で、唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られています。高さはガンダムより小さい15メートルほどしかなく、現存天守の中では最も小規模です。高松城は櫓しか残っていませんが、大きさではその櫓にも負けそう。

丸亀城天守内部

 高知城もそうですが、現存天守はやたら階段が急で、階段というよりほぼはしご状態で、膝に爆弾を抱える身としては非常に危険なんですが、三階建てなのが幸いしてなんとか大丈夫でした。というか高松に来てから腰も膝も良い感じなんですよね。特に膝が元気なのはありがたいです。この調子を維持できれば…

瀬戸大橋を望む

 本丸から見る瀬戸大橋。ちょっと曇っていて残念ですが、きっと江戸時代の本丸から美しい瀬戸内海や城下町が楽しめたことでしょう。

讃岐富士

 金刀比羅宮からも遠く見えた讃岐富士(飯野山)が近くから見られます。なお讃岐には○○富士が七つもあって、「讃岐七富士」と呼ばれています。「○○富士がやられたようだな」「フフフ…奴は讃岐七富士の中でも最弱…」みたいなことになってそう。他の七富士は「三木富士」「御厨富士」などと呼ばれており、単独で讃岐富士と呼ばれるのは飯野山だけなので、飯野山が讃岐七富士の中でも最強なんじゃないかと思います。

屋島
メサとビュート

 脆い花崗岩が崩れ、硬い安山岩に覆われた部分だけが小高い丘として残り、その後河川の堆積作用によってできた沖積平野が讃岐平野です。硬い安山岩により浸食が遅れ、テーブル状の台地(メサ)となったのが屋島で、さらに浸食が進んで孤立丘(ビュート)となったのが讃岐富士ではないかと。讃岐平野には孤立丘と思われる小山がたくさん見られるので、地学が好きな人には興味深い土地ではないかと思います。

大手一の門

 大手一の門は大手の正門らしい威厳と風格を備えた櫓門です。太鼓を打って刻を知らせていたことから”太鼓門”とも呼ばれています。二階の櫓部分には無料で入ることができます。

大手門二階内部

 春の日曜日の丸亀城、いつもならさぞや人出がと思いますが、コロナ禍のせいで金刀比羅宮以上にガラガラでした。丸亀市の市街地も歩いている人は本当に少なくて。しかし車は結構な量が走っているので、人がいないのではなく、徒歩の人が少ないだけなのかも。都会より地方の方が車社会だという話は聞いていましたが、まさに四国は車社会なのか。

  
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