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宮崎紀行:宮崎といえば青島だぁ(もはや死語)

デジたん登場

 「ウマ娘プリティーダービー」が半年強で1000万DLを突破したということで、10連ガチャを2回無料で引ける3000個のジュエルを貰いました。それなら引かねばなるまいと、同時に実装されたアグネスデジタルのピックアップガチャを引いてみたところ、なんと10連でやって来てくれました。

トレーナーになりたいウマ娘

 公式のプロフィールが“愛する美少女ウマ娘を特等席で見るためにトレセン学園へやってきた、オタク気質のウマ娘”ということですが…つまりこの人はウマ娘の皮を被ったキモオタ風味のアイドルオタクですね。多分不慮の死を遂げたキモオタが異世界転生したに違いない。この世界ではウマ娘がアイドルなので、必然的にウマ娘推しになったと。

デジたんガチャ演出

 自称「平凡なウマ娘」のアグネスデジタル(自称デジたん)ですが、他のウマ娘に並々ならぬ愛を持っており、日々ウマ娘達の姿をガン見して、百合チックに仲良くする姿に悶えています。我を忘れた時の暴走ぶりは凄まじく、かのゴールドシップでさえ本気で焦らせ、やべーやつとまで言わしめるほどです。

キモオタがウマ娘に転生か 

 妙齢の乙女がしてはいけない表情や挙動が多いデジたんですが、レースやウイニングライブはしっかりこなしており、ちゃんとしてればやはり美少女です。しかもアリストテレスや孔子の言葉を引用するなど、何気に高い教養を持っている様子。恋愛はちょっと考えられないけど、一緒にいると楽しそうです。プレイヤーはウマ娘育成担当のトレーナーなんだから、職業倫理的に担当ウマ娘といちいち恋に落ちていてはいけないですよね。

普通にしてれば美少女

 ウマ娘としては馬場適性が驚異の芝・ダート共にA。距離適性はマイルと中距離がAで、脚質は先行と差しがA。なので初期から様々なレースに出走することができます。ストーリーでは芝とダートのどちらでもウマ娘を堪能したいからだということになっていますが、元の馬が国内外11の競馬場で走り、芝とダートでGⅠを勝利した「オールラウンダー」です。JRAのキャッチコピーは「真の勇者は、戦場を選ばない。」ですが、一部ファンは「変態」と呼んだとか。それがウマ娘としてのキャラに反映されてしまったのね(笑)。

水着シズル

 「プリコネR」もそうですが、10連で来てくれる子は本当に激ラブ。天井の子は本当にイヤ。なので最近で言えば「ウマ娘」ではデジたんとヒシアケボノが、「プリコネR」では水着お姉ちゃんことシズル(サマー)がお気に入りです。「ウマ娘」ではまだ微課金ですが、いずれ「プリコネR」並に数万円課金とかしちまうんでしょうか。Cygames繁栄の糧にされてしまうのか。

宮崎県

 話はがらりと変わりますが、ワクチンも2回打ったということで、遅い夏休みを取って宮崎に行ってきましたので、今回はその話を。JR九州はJR北海道と並んでユニークな特急が走っているということで、なんちゃって乗り鉄の私としてはぜひいろんな特急に乗ってみたいところです。今回宮崎を選んだのは、博多から大分まで特急ソニック、大分から宮崎まで特急にちりんに乗るということを考えたからなのですが、高松からネット予約しようとすると、どうしても新幹線で鹿児島中央まで行ってしまうルートになってしまうのですよね。「みどりの窓口」で対面予約すればいいのかも知れませんが…面倒くさいので鹿児島中央から宮崎まで特急きりしまに乗ることにしました。

黒毛和牛の四種盛り弁当

 ということで例によって瀬戸大橋を渡って岡山から新幹線さくらに乗って鹿児島中央まで。お昼は岡山駅で「黒毛和牛の四種盛り弁当」を買いました。1480円は駅弁としてもかなり高額でしたね。味はさすがでしたが、量はちょっと控えめ。食いでは「牛肉ど真ん中」の方があるように思います。

新幹線さくら

 九州新幹線は3年前に全線乗車しているので特に言うことはありませんが、博多-鹿児島って、すごく遠いように感じていましたが案外近いんですよね。博多-広島と同じくらいで、東京-仙台や東京-名古屋よりはずっと近い。

特急きりしま

 で、鹿児島中央からは特急きりしま。黒一色で精悍な印象の787系。大分-宮崎間を走る特急にちりんも同じ車両らしいので、代替策としては悪くなかったか。博多-大分間の特急ソニックも、先日乗った博多-長崎間の特急かもめと同じ885系らしいので、まあいいかなあと思っちゃったりして。それにしても秘境じみた場所を走ります。最初は鹿児島湾の湾奥部(桜島の北側)を走っているのですが、後はひらすら山林。スマホの電波もしばしば途切れたりして、北海道の秘境とどっこいどっこいじゃないかと思ったり。

浅香唯デビューコピーフェニックス

 高松から宮崎。直線距離だと大したことないのですが、いざ陸路で行くとなると結構な旅程で、着いた頃にはもう夕方。昔浅香唯という宮崎出身のアイドルがいて、デビュー時のキャッチフレーズは「フェニックスから来た少女」でした。フェニックス(カナリーヤシ)は宮崎県の県木なんですね。

ヤシ並木

 街路樹はフェニックスより背の高いワシントンヤシ。さすが南国。しかし徳島にもなぜかヤシの街路樹があったなあ。あっちはそんなに南国感がない県なのに。

ドーミーイン宮崎

 宿泊はドーミーイン宮崎。ご贔屓のドーミーイン。全ての都市にある訳ではありませんが、あればやはり予約してしまいますね。

大浴場

 サウナ付きの大浴場。サウナと水風呂を繰り返して「ととのう」のが好きという人も多いそうですが、まだまだ暑いのでサウナはパスしました。例によってスーパーで酒と惣菜を買って「カイジ豪遊ごっこ」。普段酒を飲まなくなったので効きます。9%は悪酔いするようになったので、7%以下の商品をチョイス。2リットルの十六茶をチェイサーにして二日酔い対策は万全だ。

無作法というもの

 実は宮崎には24~5年ほど前に会社の出張で訪れたことがあったのですが、なにしろ前世紀のことですし、空路だったので記憶も薄れてしまって。なんちゃって乗り鉄なので、鉄道に乗るのが旅の主眼とはいえ、かつて(昭和30~40年代)は新婚旅行のメッカでもあった宮崎に来て観光地の一つも行かないのは無作法というもの。

青島遠景

 ということで名高い青島に行ってきました。青島は青島海岸にある周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島です。橋がかかっていますが、ほぼ地続きになっているような。

青島だァー

 かつて東京都知事を務めたこともあるマルチタレントの青島幸男は、「スーダラ節」などクレージーキャッツ関連の作詞をこなしたほか、放送作家を務めた伝説のバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」で自身も出演して「青島だぁ」というギャグを放っていました。これに対抗してクレージーキャッツ谷啓(「ガチョーン」が有名)が「谷だぁ」と叫んで、「青島だぁ」「谷だぁ」の掛け合いが人気を博しました。そんな昭和中期のギャグはもはや誰も知らないでしょうが、青島幸男は「青島だァー」というレコードまで出してたりして。

鬼の洗濯板

 青島と言えば有名なのが「鬼の洗濯板」と呼ばれる隆起波食台。砂岩と泥岩が交互に重なった地層が沈降して海に浸かり、波に侵食された後に隆起したものだそうで、ぱっと見、人工物じゃ?と思ってしまうような形状をしています。珍しい地形であることから天然記念物に指定されています。

まるで人工物
歩きづらい洗濯板

 「鬼の洗濯板」に入っていって歩くことは可能ですが、かなり歩きづらいです。

まるで古代遺跡

 古代の遺跡だとか言ったら信じる人もいそうな感じがしますね。ムーやMMRは騒がなかったのでしょうか。沖縄の与那国海底地形を遺跡云々と言うのであれば、こっちも行けそうな気がするんですが。

空中から見た青島

 島の中央部は森になっていますが、熱帯性及び亜熱帯性の植物が27種もあり、北半球最北の亜熱帯植物群落となっています。。中でもワシントンヤシに似たビロウの大群落は貴重で、特別天然記念物に指定されています。

青島神社

 森の中には青島神社が。日本神話の海幸彦山幸彦で有名な山幸彦の彦火火出見命とその妃の豊玉姫命、
潮流を司るという塩筒大神を祀っています。彦火火出見命と豊玉姫命は初代天皇である神武天皇の父方の祖父祖母ということになりますが、豊玉姫命は妹の玉依姫が神武天皇の母になるので、伯母でもあるという。

本宮への参道

 かつては青島自体が霊域として崇められ、江戸時代まで全島が禁足地とされていたそうです。平安時代には既に崇敬されていたそうですが、江戸時代の大地震で旧記古文書類が失われてしまい、古いことはよくわからないようです。

元宮

 青島神社の元宮と伝えられる元宮跡からは、弥生式土器、獣骨等が出土し、古い時代から小祠があり、祭祀が行われたと推定されるようです。本宮までの参道は鬱蒼と茂ったビロウの真っ只中にあり、日本とは思えない雰囲気。しかしビロウが枯れかかっているのが気になります。

日向青島灯台

 せっかく来たので青島を一周します。南側から歩いて行ってこちらが最東端。日向青島灯台が建っています。グーグルマップだと海の中になっていますが、干潮時は歩いて行けそうです。

北側の洗濯板

 青島北側の洗濯板。先日の台風で宮崎にも結構な被害があったようで、日南線は青島以南は不通になっていました。

北側のビロウの森

 北側のビロウの森。日本の中では南国宮崎とはいえ、本来なら寒さで枯死する高緯度の場所に熱帯性及び亜熱帯性植物の植物群が存在する理由としては、黒潮によりフィリピンや沖縄方面から南方系の植物の種子や生木が漂着し繁栄したという海着帰化植物説と、新生代第三紀前の温暖期に日本で繁栄していた高温に適する植物がこの場所でだけ繁栄し続けたという遺存説があります。現在は遺存説が有力視されているそうですが…。

宮交ボタニックガーデン

 青島のそばには宮交ボタニックガーデン青島(県立青島亜熱帯植物園)が。色鮮やかな南国の木や花々を眺めることができ、なにより無料。温室もいくつかありましたが、コロナ禍のせいで立ち入り禁止となっていたのは残念。

ばくだんおむすび2

 ということで、昼過ぎには宮崎名物(らしい)ばくだんおむすびなどを駅のコンビニで買って宮崎を旅立ち、ふたたび特急きりしまと九州新幹線を乗り継いで午後7時過ぎに高松着。やはり陸路だと中々に遠いですね。もし大分経由のルートを採ったとしたらもっと時間がかかったはずなので、やはり新幹線は偉大だった。そういえば途中の停車駅に都城がありました。

ガンバリマン

 都城といえば都城酒造(私だけ?)。「後悔なんか時間の無駄だ 飲んで忘れろ!どんなに嫌でも明日はくるんだ!」という伝説のコピーで有名な「ガンバリマン」という焼酎は残念ながらもうないようです。

がぶがぶ君

 しかし、ガンギマリのアル中浪人が描かれた「がぶがぶ君」は健在。言うても乙類の本格焼酎なんで、甲類焼酎(ホワイトリカー)のペットボトルに手を出す手合い(かつての私だよ!)よりは高級路線なんですが、なにしろこの絵面のインパクトが強すぎて。見学とか試飲とかが可能であれば寄ってみたい気もするのですが、そういうのはないみたいで残念。

福山紀行:まん防措置前最後の旅

夏の夕暮れ

 四国の日の入りは関東に比べるとずっと遅く、夏至の頃は7時を過ぎてもなかなか暗くならなかったのですが、8月も下旬に入った最近はだいぶ早くなってきて、季節の移ろいを感じさせます。暑いのは嫌いなんですが、夏が過ぎ去るのを感じる時って、どうして寂しいのでしょうね。

緊急事態宣言とまん防措置

 20日から我が香川県もまん延防止等重点措置の実施区域となりました。今回はその直前に旅した福山について一くさり述べたいと思います。ちなみに福山のある広島県も20日からまん防措置が適用されています。最近は旅だけが楽しみになっていたので、どこにも行けないとなると辛いのですが、仕方ないですね。ワクチンの2本目を打つ日を待ちつつ、二次元にでも旅しましょうか。

福山市

 高松から福山は、最短ならマリンライナーで岡山に行き、新幹線に乗り継げばすぐに着いてしまいますが、それではあまりに旅情が少ないので、今治からしまなみ海道を通って向かうことにしました。

特急しおかぜ

 まずは高松から今治へ。JR四国で一番特急らしい特急である「しおかぜ」に乗りますが、岡山-松山間を運行しており、高松からダイレクトには乗れません。宇多津という駅まで行ってから乗り換えです。なんとなく高松がないがしろにされている感がありますが、本州からの観光客を迎えるのが最重要なので仕方がないですね。JR四国には他にも特急は色々ありますが、先頭車がいかにも特急という雰囲気を出しているのは「しおかぜ」ぐらいですね。

しまなみライナー

 タオルで有名な今治から高速バスのしまなみライナーに乗ってしまなみ海道を行きます。終点の福山まで片道2600円。予約できないので当日バス乗り場の案内所で切符を買いましたが、こういうご時世なのでバス内部はがらがらでした。こっちもその方がありがたいですが。

ろんぐらいだぁすのしまなみ海道
しまなみ街道

 しまなみ海道については、JDがサイクリングする「ろんぐらいだぁす!」というアニメの最終回で登場し、絶景だということだったので、ぜひ一度行ってみたいと思っていました。マイカーでもあればそれで行くのが一番なんでしょうが。

しまなみ街道

 しかし、バスの車窓から見た印象は、海沿いを走る他の道との差はさほどないなあという。島々を次々と通過していく道ですが、各島が結構大きいので、道の両側で海を見るという場所は橋の上ぐらいしかありません。今にも雨が降りそうな曇天だったので、余計そう感じたのかも知れません。

鞆の浦

 福山駅前に到着してから、今度は路線バスで鞆の浦へ。560円で30分ほどです。瀬戸内海の海流は、満潮時には東西から流れ込んで、ちょうど中央付近の鞆の浦沖でぶつかり、また干潮時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出して行きます。そういう訳で沿岸航行時代は鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならず、古代から潮待ちの港として知られていました。

常夜燈
鞆の浦の町並

 鞆の浦の港町には古い町並みが残り、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選に選ばれています。江戸時代からの「常夜燈」は今もシンボルとして残っていますが、当時の港湾施設である「雁木」「波止場」「焚場」「船番所」が全て揃って残っているのはここだけだそうです。

ポニョで描かれた鞆の浦

 近年は「崖の上のポニョ」で、宮崎駿監督が構想を練った地として有名になっています。ポニョは未見なので知りませんでしたが。

鞆城跡

 江戸時代初期には福島正則が「鞆城」を大規模に築城しますが、瀬戸内海中央という戦略的重要地点での大きな築城は徳川家康の逆鱗に触れて廃城とされてしまいます。福島氏移封後は譜代である水野氏の福山藩が誕生し、鞆城跡には鞆奉行所が置かれました。今では鞆の浦歴史民俗資料館が建っていますが、コロナ禍で休館中でした。

平成いろは丸

 古い町並みは風情がありますが、結構車が通るので狭い道路は危険です。おちおち歩いてられない気がしたので仙酔島に行ってみることにします。市営の渡し船「平成いろは丸」に乗れば5分で到着します。往復240円。

仙酔島

 “仙人も酔ってしまうほど美しい島”という意味で名付けられた仙酔島。外周約5キロほどですが、周辺では一番大きな島で、ホテルや国民宿舎・キャンプ施設があります。明治以降、皇室・皇族方が好んで訪問しているそうです。

弁天島と仙酔島

 途中にある弁天島。港と仙酔島との中間にありますが、島というより大きな岩という感じです。無人島ですが、弁天堂が建っています。例年5月にはこの島から花火を打ち上げる「鞆の浦弁天島花火大会」が催され、鞆の浦に初夏の到来を告げる風物詩とされているそうです。

石碑その1

 船着き場から近い御膳山展望台に行ってみます。こんな石碑が建っていました。行啓ということは、皇后とか皇太子が訪れたのでしょうか。

展望台から見た弁天島

 展望台から見た弁天島。まさに岩ですね。

石碑その2

 「名勝 鞆公園」の石碑も。鞆の浦、仙酔島、その他の周辺の島などが「鞆公園」と呼ばれているようです。江戸時代に鞆港に寄泊した朝鮮通信使は「日東第一形勝」と賞賛したそうです。

仙酔島からみた皇后島
仙酔島の砂浜 

 船着き場の裏手になる砂浜。釣りをしている人もちらほらと。五色岩という5色の岩が続く場所があり、パワースポットと呼ばれているそうですが、雨模様なのとパワースポットは全く縁が無い(パワーを感じない)ので今回はパスしました。

ルートイングランディア福山

 福山駅までバスで戻って、今宵の宿であるルートイングランディア福山に向かいます。ご贔屓のドーミーインやグリーンホテルモーリスはありませんでしたが、ここにも大浴場があるのです。というか、大浴場が健康ランドとなっています。それはともかく、駅からちょっと遠いですね。歩いて30分以上かかってしまいました。

ルートインの風呂

 いろんな風呂があって楽しいのですが、健康ランドなので宿泊客以外の客もたくさん来ています。というか、更衣室のスペース的に一般客がメインみたいですね。大浴場は好きですが、もっと落ち着いているとなおいいのですが。

修復中

 翌日はまん防措置が適用されているのでとっとと帰ることにしました。しかし駅前には福山城が。駅から歩いて行ける城というのは、姫路城とか岡山城とか、最近では丸亀城とかを訪れており、結構あるみたいですが、ここまで駅近な城はちょっと珍しいのでは。

福山城伏見櫓

 天守閣は修復中で入れませんでしたが、そうでなくてもコロナ禍では無理だったでしょう。城址は無料で入れます。城址公園というのは普通どこでも無料で、市民の憩いの場となっているのですが、高松城址(玉藻公園)はなぜに有料なのでしょうか。画像は現存する伏見櫓。伏見城から移築された櫓で、現存する最古の櫓のひとつだそうです。

福山城月見櫓

 こちらは月見櫓。これも伏見城からの移築とされています。こちらは戦災で焼失したので再建です。

福山城鐘撞堂

 鐘櫓。近世城郭で唯一本丸内に位置する鐘櫓とされますが、元々は多聞櫓に設置された鐘撞堂で、廃城後に多聞櫓が取り壊される中で鐘撞堂周辺のみが残されて単独で建つ姿になったそうです。

美しい瀬戸大橋

 ということで城址をぶらついて鈍行で岡山へ。約1時間で990円。もちろん新幹線も使えますが、それだと一駅であまりに味気ない。そしてマリンライナーで高松。しみじみ瀬戸大橋を通って、しまなみ海道よりこっちの方がよくね?と思ってしまいました。そういうのも一種の旅の効能なんでしょうかね。

長崎紀行(その2):グラバー園と長崎孔子廟

安らぐ猫

 台風9号の余波で久しぶりの雨になった高松。梅雨明け以来3週間ぶりぐらいでしょうか。暑さも一段落して今日はエアコンを使わずに済みそうです。たまには一息つける日が来ないとやってられないですよね。

グラバー園

 昨日に続いて長崎紀行の続きです。カテゴリー「どっきん四国」なのに四国以外ばかりを訪ねているような気もしますが、瀬戸大橋が四国と本州をドッキングしてくれているおかげで気楽にあちこちに行けるということで、これでいいのだ(笑)。

眼鏡橋

 観光都市長崎には色々見所もあるのですが、訪問2回目(しかも20年ぶり)なので、ひたすらベタに行こうということで、2日目はグラバー園に。

路面電車

 前日みたいに根性出せば歩いて行けない距離ではないのですが、昨日を上回る勢いの暑さにくじけ、科学の力を借りることとして路面電車に乗りました。西日の直射を受けて昨日は軽く死にそうな雰囲気でしたから。長崎の路面電車は一律130円。長崎駅から乗ると、新地中華街で乗り換えなければなりません。現金の場合、乗り換えるとまた130円払わなければなりませんが、ICカードだと乗り換え後が無料になります。Suicaも利用可能なのでここは交通系ICカード利用一択ですね。アナクロな私は未だに買い物は基本現金主義ですが、定期から変更したSuicaだけは利用島倉千代子です。
グラバー園全景

 グラバー園は、幕末に長崎にやってきたイギリス人商人のグラバーをはじめ、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築し、野外博物館のようになっている観光施設です。前日訪れた稲佐山や出島は初めてだったのですが、グラバー園は20年前にも訪れていました。

旧三菱第2ドックハウス

 2015年に登録された世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、8つのエリアに23資産で構成されていますが、旧グラバー邸は長崎エリアの資産の一つになっています。

斜めに動く歩道

 斜めに動く歩道は20年前にも使いました。通常のエスカレーターのように段差がなく、空港などにある「動く歩道」に傾斜についているのですが、ここ以外ではあんまり見ないような気がします。これで一番高い場所にある「旧三菱第2ドックハウス」付近まで登り、後は緩やかに降っていくのがグラバー園散策のお約束です。

旧ウォーカー邸

 旧ウォーカー邸。ウォーカー商会を設立したロバート・ネール・ウォーカーJrの旧邸で、大浦天主堂そばから移築したものです。イギリス商人達の邸宅の中では一番こじんまりとしていますが、済むならこれくらいがいいですね。

旧リンガー邸

 旧リンガー邸。グラバー商会幹部だったフレデリック・リンガーの邸宅です。平屋建てで邸宅という名前にふさわしいだけの床面積があります。

旧オルト邸

 旧オルト邸。イギリス商人ウィリアム・ジョン・オルトの邸宅で、旧リンガー邸よりさらに広い平屋建て。オルトが使用していた時期はさほど長くなく、女学校が使用したりリンガーが買ったりしています。

グラバー邸

 有名な旧グラバー邸。私が訪れた際は修築中でこの姿は見られませんでした。旧リンガー邸、旧オルト邸よりもさらに大きい、イギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーの住居です。日本に現存する木造洋館としては最古のもので、旧リンガー邸・旧オルト邸と共に重要文化財に指定されています。

長崎伝統芸能館

 他にも旧長崎地方裁判所長官舎、旧スチイル記念学校なども移築されています。しかしそれよりも面白かったのは出口付近にある長崎伝統芸能館。有名な「長崎くんち」で使用される龍踊りの白龍、青龍、傘鉾、曳物などの豪華な飾りが展示されており、長崎くんちの映画も放映されています。こういうお祭りも昨今はコロナ禍のせいで…

大浦天主堂

 グラバー園出入り口付近にある大浦天主堂。幕末竣工の日本に現存する最古のキリスト教の教会堂です。入ってみようと思いましたが、拝観料はなんど1000円。神社は基本無料、仏教寺院は拝観料を取るところが多いですが、1000円は破格な気がします。外国の教会堂も無料のところが多かった記憶があって、ちょっと1000円は出せんなという気持ちになったので、外観のみ。

長崎孔子廟

 さて出発時間までにはまだ少し時間があるので、近くにある孔子廟に行ってみました。正式名称は「長崎孔子廟 中国歴代博物館」。拝観料は600円。これもちょっと高いなあと思いましたが、北京故宮博物院の宮廷文化財も展示しているということで入ってみました。

中国歴代博物館

 「中国歴代」なんていうから期待したのですが…。美術品は悪くはないのですが、台湾の故宮博物院に行けばもっと凄いものがゴロゴロしているし、やけに中国政府というか習近平政権の翼賛展示が多くて宣伝臭に辟易。古代中国は好きですが現代中国は…。はっきり言って600円払う価値はありません。2~300円でいいんじゃないかと。

長崎物語

 ということであっという間の長崎訪問でした。お土産には「長崎物語」と「クルス」を買って、休暇明けの職場にご機嫌伺いします。暑いと疲れますが、それでも日常から離れる旅はいいですね。

クルス

長崎紀行(その1):20年ぶりの長崎訪問

バテる猫

 8月もまだ上旬だというのに台風がダブルで日本に接近とか、とんでもないですね。そんな中高松は猛暑の真っ只中で、前から暑い暑いと言っていますが、先々週より先週が、そして先週より今週がアツゥイ!と暑さが右肩上がり。エアコンにオフタイマーを入れて寝るのですが、エアコンが切れると暑くて目が覚めてしまうと言う。そろそろ暑さの峠を越えてくれないものでしょうか。

長崎小夜曲

 こんなに暑くて仕事をやってられっかと謎のブチギレをして、長崎に行ってきました。県を越える移動の自粛が求められている中恐縮でしたが、出発地も到着地も緊急事態宣言やまん防措置の適用地域ではないので勘弁してつかあさい。まだ泊まったことがない佐賀に行こうとも思ったのですが、たまたまYouTubeでさだまさしの「長崎小夜曲」を聞いてしまったもので。代わりにはなわの「佐賀県」を聞いていたらSAGA佐賀を選んだのでしょうか…

長崎は今日も雨だった長崎の夜はむらさき

 長崎市は「長崎小夜曲」の他にも、朝ドラ「エール」にも登場した藤山一郎の「長崎の鐘」、クールファイブの「長崎は今日も雨だった」、瀬川瑛子の「長崎の夜はむらさき」などなど、ご当地ソングがいっぱいです。江戸時代の鎖国体制下でも唯一国際貿易を行っていたという異国情緒が歌心をくすぐるのか。人口は高松市ととんとん程度ですが、観光地としては長崎市に軍配が上がりそうです。

特急かもめ

 例によってマリンライナーで岡山まで行き、新幹線で博多へ。博多から長崎までは特急かもめに乗りました。長崎には20年ほど前に訪れて泊まったことがあるのですが、バスツアーだったので鉄路での長崎入りは初めて。初めて乗る特急はテンション上がります。JR九州はJR北海道と並んで面白い特急を作っていますね。

有明海

 有明海沿いを走る特急かもめ。ここに干潟で生活するというムツゴロウが棲息しているのね。ムツゴロウというと「よーしよーし」と犬猫に寄っていくおじいさんを連想しますが、あの人は愛称が「ムツゴロウ」の作家の畑正憲。「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」は結構長いこと見てたなあ。

雲仙岳

 有明海の向こうには雲仙岳も見えました。大規模火砕流で多くの犠牲者が出たのは30年前。それを思うとぼんやり眺めてていいのかと思ってしまいますが、静まっている山の佇まいは美しいです。

新幹線のかもめ

 来年には西九州新幹線が一部開通するということで、「かもめ」の名は新幹線に引き継がれるそうですが、博多まで接続しないと乗り換えが面倒なので、新幹線の「かもめ」に乗るのは全線開通後になりそうな気がします。

長崎駅

 新幹線開通のためか、長崎駅は工事の真っ最中。それはともかく、駅構内にはドリンクの自販機程度しかなく、キヨスクとかお土産店は全くなし。改札をくぐる前に買い物をしておかないと、駅ナカで難民化してしまいそうです。

稲佐山

 まず向かったのは稲佐山。標高333メートルと、奇しくも東京タワーと同じ高さ。登山道もあるそうですが、猛暑の折登山は考えられず、ロープウェイで山頂へ。麓にある淵神社の脇に駅があります。

稲佐山ロープウェイ 

 私が昇ったのは昼間でしたが、稲佐山は夜景の名所として有名で、函館山、摩耶山(神戸)と共に日本三大夜景の一角とされています。「1000万ドルの夜景」だとか。香港・函館・ナポリが世界三大夜景とされますが、長崎は2012年に認定された世界新三大の一角ともなっています。他は香港とモナコだそうで、香港は必ず入ってくるんですね(笑)。

稲佐山からの夜景

 夜は訪れませんでしたが、こんな感じだそうです。確かに美しいですね。海と街のバランスが三大夜景の条件なんでしょうか。

長崎島嶼部
長崎島嶼部その2

 昼間の景色もなかなかのものです。ご覧あれ。軍艦島(端島)も映っているはずなのですが、よくわかりませんね。

長崎市街地
長崎市街地その2

 こちらは市街地。中華街やグラバー園などが映っています。

長崎北

 長崎市北部。彼方に見える海は大村湾のはず。

在りし日の出島 

 続いて出島へ。長崎の異国情緒の震源地といえばやはり出島でしょう。江戸前期に作られた日本初の本格的な人工島ですが、明治以降は周辺の埋立等により陸続きとなり、在りし日の面影は失われてしまいました。

出島マップ
出島

 しかし、1996年から江戸当時の姿への復元を目指す出島復元整備事業計画が進められており、第2期整備事業が終わった現在でもかなり雰囲気が出ていますが、今後さらに周囲に堀を巡らし、扇形の輪郭を復元する予定があるそうです。完成予定は2050年とのことで、私が実査に見ることができるかどうかは不明ですが。

ミニ出島

 出島内にはミニ出島が作られていました。15分の1スケールだそうです。

ドーミーイン長崎駅前

 長崎駅から稲佐山(麓)、さらに稲佐山から出島まで全て徒歩。歩くのは人生そのものと思っていますが、猛暑の中では軽く死にかけました。今まで熱中症になったことはないのですが、いつまでも若いつもりでいるといつかしっぺ返しを受けそうな気もしますね。今宵の宿は今年1月にオープンしたばかりのドーミーインPREMIUM長崎駅前。新地中華街にもあるので長崎で2軒目ということですね。高松にも2軒あるのですが、ドーミーインは複数展開が好きなんでしょうか。

夜風のトニック

 ちょっと飽きてきたのですが、駅前の西友で買い込んでいつものように「カイジ豪遊ごっこ」。今回、ローソン限定の「トリスハイボール 夜風のトニック」というのが気になったので、わざわざローソンでこれだけ書い足しました。ハイボールといえば角瓶だろうとは思うのですが、トニックウォーターを使っているというのは異色で面白いなと思って。好きなんですよトニックウォーター。シュエップスのトニックウォーターには海外生活時代にお世話になりました。明日は二日目を。
 

出雲国紀行:パワースポット探索と日本一の庭園

五輪開幕

 月曜日に梅雨が明けたら一気に猛暑日和に。今年も来てしまいましたね、地獄の季節が。観客もないままにオリンピックも始まりましたが、コロナはともかく、よくこんな暑い時季に日本でオリンピックをやろうと思いますね。前回(1964年)の東京オリンピックは10月に開催されましたが、どうして今回も秋とかにできなかったのか。この時期はオリンピック以外に世界的なスポーツイベントが少ないため、テレビ局が多額の放映権料を支払うからだと言われますが、こんな過酷な時期に開催しておいて“アスリート・ファースト”とは一体…

島根県

 ともあれ、オリンピックのせいで降って湧いたような四連休。コロナ感染に気をつけろという声はありますが、今現在コロナ感染者の少ない四国に住んでいるので、コロナの危険地帯を避ければ旅をしてもよかろうと勝手に決めつけ、山陰の島根県に行ってきました。関東では鳥取と島根の位置関係がイマイチ曖昧という話がありますが、関西では栃木と群馬の位置関係があいまいなのでおあいこみたいなものですね。島根といっても結構細長く、旧国名でいえば東部が出雲国、西部が石見国、さらには島嶼部が隠岐国となっています。今回は出雲国部分のみ観光です。47都道府県のうち、これまでに45都道府県に泊まっていますが、全てをクリアしたとしても、今度は旧国目68カ国クリアという新たな目標が生まれるのでしょうか。

特急やくも

 恒例のマリンライナーで岡山に到着した後は、特急やくもで出雲市駅に。私が乗車したやくもは、旧国鉄時代の381系でした。2006年にリニューアル化されて「ゆったりやくも」となっていますので、乗り心地は悪くありません。最近は新幹線よりもこういう地方の在来特急の方が旅情をそそられるように感じますね。

出雲市駅

 出雲大社の大社造りを彷彿とさせる出雲市駅の駅舎。ここから一畑バスに乗って出雲大社に向かいます。一畑電鉄でも行けますが、電車だと乗り換えが必要なのと、ICカードが使えないということで、バスの方が楽だと思います。特にキャッシュレス派という訳ではないのですが、バスの料金支払いは両替が面倒なので、バスに限ってはICカード万歳ですね。
 
出雲大社 正門

 出雲大社正門。実は出雲大社は数年前に訪れたことがあるのですが、タクシーを利用したら大注連縄のある神楽殿そばまで付けてくれたので、参道を通っていなかったのです。特に信心深いわけではないのですが、神社の参道ってすがすがしい雰囲気があっていいですよね。下鴨神社の糺の森なんか大好き。

松の参道
出雲大社拝殿

 参道をずっと歩いて銅の鳥居をくぐると拝殿。拝殿の注連縄も結構大きいですが、よく言われる出雲大社の大注連縄は、拝殿から神楽殿の左手(西側)にある神楽殿のものです。

神楽殿の大注連縄

 こちらが神楽殿の大注連縄。流石の迫力ですね。長さ約13メートル、重さ5.2トンに及ぶそうです。ところで神社の本殿って、伊勢神宮もそうですが、なかなかはっきり見られないようになっていますね。出雲大社の本殿も目の前まで行ってみることはできませんが、なにしろ大きいから塀の向こうからちらちら見えます。

ストーンヘンジ
モンサンミッシェル

 しかし今回は穴場のパワースポット巡りをしたくて来たのでした。YouTube見てたら出雲大社よりその周辺にヤバイのがあったという動画を見つけたもので。私もいわゆるパワースポットという場所には何カ所も行ったことがあるのですが、全然そのパワーとやらを感じられないのですよね。霊感がないということなのか。イギリスのストーンヘンジとかフランスのモンサンミシェルなんかも行ったことあるんですけど、観光名所以上のものは感じられず。

見せてもらおうか
素鵞社

 「見せてもらおうか、出雲大社のパワーとやらを」とシャアのような気分で向かったのは本殿裏手にある素鵞社(そがのやしろ)。境内最大のパワースポットとの声も。なぜなら出雲大社の祭神である大国主神の先祖である須佐之男(すさのお)命を祀っているからです。天照大御神の弟にしてヤマタノオロチ退治の英雄。メガテンシリーズでも強力な破壊神として登場していました。スサノオはイザナギに海を治めろといわれたけど、ママンであるイザナミのいる根の国に行きたいと言って断っというエピソードがありますが、いろいろ冒険した挙げ句に結局根の国に行ったみたいですね。

社家通

 次いで社家通りを通って出雲大社の東側に向かいます。細いけど、いい雰囲気の通りですね、社家通り。

命主社

 向かったのは命主社。正式名称は神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)。祭神は神産巣日大神(かみむすひのおおかみ)です。日本神話では、天之御中主神、高御産巣日神とともに天地開闢の時にあらわれた造化の三神で、天津神の中でも特別な存在である「別天津神」と呼ばれます。大国主神が八十神らによって殺されたとき、命を救ったということで出雲大社と縁が深いのですが、出雲系の神々の祖のような性格があるようですね。

命主社のムクノキ

 社は小さいですが、側に樹齢1000年を超えるといわれるムクノキが。これが“命”の力の象徴なんでしょうか。

真名井遺跡

 そして命主社の裏手に今回最大のお目当てである真名井遺跡が。ここには元々大きな石があり、江戸時代(1665年)に出雲大社造営の際、石材として切り出したところ、その下から銅戈と勾玉が発見されたのだそうです。つまりここにあった大石は祭祀場だったらしいですね。故に“遺跡”と。ぱっと見何があるという訳ではありませんが、いわゆる霊感が強い人がここに来ると気圧されるらしいです。私はどうということはありませんでしたが。

銅戈と勾玉のレプリカ

 県立古代出雲歴史博物館に、真名井遺跡から出土した銅戈と勾玉のレプリカが展示されていました。銅戈は北九州製、勾玉は新潟県糸魚川産である可能性が高いとか。古代出雲は広く各地と交流があったということでしょうか。

真名井の清水

 さらにその東にある真名井の清水。島根の名水百選に選ばれる湧き水で、出雲大社の重要な神事に使われる水だそうです。“真名井”とは、湧き水に対する最大限の敬称なのだそうで、日本全国に存在します。私が訪ねた時は老夫婦が柄杓でペットボトルに清水を詰めていました。しかし周囲が住宅地のせいもあり、私も飲んでみようという気にはなりませんでした。

出雲グリーンホテルモーリス

 いろいろ面白い場所を訪ねてみた訳ですが、結論からいうと特にパワーを感じることはなく。霊感的にはギャルゲーの主人公のような鈍感力の塊のようです。出雲市駅にバスで戻って、泊まりは駅前の出雲グリーンホテルモーリス。中国地方にしかないチェーンですが、ドーミーイン系に近いサービスをしてくれ、その上安いという結構なホテルです。またも「カイジ豪遊ごっこ」を展開したのですが、そろそろこれも飽きてきましたしね。というか酒飲むのがあんまり楽しくなくなってきたというか、酒に弱くなったというか。今後はお茶でスイーツでもいただこうかしらん。

足立美術館

 翌日は安来駅まで行って足立美術館に。乗ったのは鳥取に向かう特急スーパーまつかぜでしたが、特に言うことのない列車でした。駅前からは美術館行きの無料シャトルバスが出ています。

足立美術館庭園その1

 足立美術館は地元出身の実業家・足立全康が開館した美術館で、質量ともに日本一だという横山大観作品のほか、近代日本画壇の巨匠たちの作品や北大路魯山人(「美味しんぼ」の海原雄山のモデル)の陶芸などを所蔵しています。

足立美術館庭園その2

 しかしこの美術館が有名なのは広大な日本庭園のおかげでしょう。足立全康は「庭園もまた一幅の絵画である」と語ったそうで、面積5万坪の庭園は毎日手入れや清掃が行われて絵画のように美しく、国内はもとより海外でも高い評価を得ています。

足立美術館庭園その3

 米国の日本庭園専門雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の日本庭園ランキングでは、初回の2003年から「18年連続日本一」に選出されており、またフランスの旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」や「Guide Bleu Japon」でも、それぞれ三つ星(最高評価)を獲得しています。

足立美術館庭園その4

 確かに綺麗な庭園には違いありませんが…美術館から眺めるだけで、人は通行できないんですよね。自由にいろんな所に歩いて行って眺めることが出来るという点では、栗林公園の方がいいかな、なんちゃって。まあ有名な旅行代理店の催行する山陰ツアーなどでは必ずといってよいほど入っている有名な美術館なので、一度行ってみたかったのです。先週行けなかった倉敷の大原美術館もそのうちリベンジを。

倉敷美観地区:江戸情緒豊かな町並みが素敵

明けない梅雨

 日本各地で梅雨明けが発表される中、そもそも梅雨入りしていない北海道を除けば唯一梅雨が明けていない四国。本日もどんより空で雨も降ったりして。5月15日に梅雨入りして2ヶ月のロングランとなっていますが、それなら水はたっぷりかと思いきや、香川には水の供給量を20%カットする第一次取水制限が始まっています。香川には結構降っていても、肝心の水瓶(高知県の早明浦ダム)に雨が降っていないということで、自前の水源がないあたり、首都圏と似ているような気がします。

瀬戸大橋

 そういう訳(?)で、一足先に梅雨明けした中国地方にでも遠征するかということで、岡山県は倉敷市に行ってきました。香川から最も近い本州・岡山。瀬戸大橋を渡れば一時間足らずで高松市から岡山市に到着する訳ですが、瀬戸大橋自体は実は倉敷市に所在しているという。

吉備国分割

 かつては岡山県全域に広島県東部、兵庫県西部に跨がった吉備国。製鉄技術を有し、巨大な勢力を誇ったことが警戒されてか、律令時代に備前国・備中国・備後国に三分割され、さらに備前国から美作国が分離するという四分割時代が明治まで続きました。この長い分裂状態のせいか、岡山県内にあっても備前国の中心・岡山市と備中国の倉敷市はなにかと張り合う構図になっているとか。

倉敷駅

 山陽本線で岡山駅からたったの4駅で倉敷駅。人口50万弱で岡山で二番目に人口の多い市ですが、高松市より大きいですね。駅舎にも情緒を感じます。8階建てだった駅ビルは2015年に減築され現在の姿になったそうですが、やはり近距離に大都市があると辛いのでしょうか。

倉敷美観地区

 倉敷美観地区は駅から歩いて行ける距離です。南口から中央通りを南下して500メートルほど進むと見えるのが美観地区。向こうにこんもりと盛り上がっているのは鶴形山。後で行ってみましょう。

大原美術館

 一番の目的は大原美術館でした。倉敷の名士・大原孫三郎が昭和5年に設立した日本最初の西洋美術中心の私立美術館で、モネの「睡蓮」をはじめ、ルノワール、ゴーギャン、エル・ゴレコなどの名画が展示されています。しかーし、事前にちゃんと調べておかなかった自分がうかつなんですが、開館時間が短縮されており、入館は11時30分まで、開館は12時までだったのです。私が付いたのは昼前。コロナじゃ!みんなコロナがいけんのじゃ!と「はだしのゲン」風に嘆いてもどうにもなりません。

大原家住宅

 仕方が無いので近くの旧大原家住宅へ。倉敷の名士・大原家が代々家族とともに暮らしてきた家で、国指定重要文化財となっています。しかし…いや、500円払って入館したのだからはっきり言いましょう。この金額分の価値はないと。もうちょっと大邸宅の中をいろいろ見られたら良かったんですけどね。去年行った富山県高岡市の土蔵造りのまち資料館(旧室崎家住宅)なんか、入場料300円だったけど家の中をたっぷり見られてずっと面白かったです。

観龍寺

 あてが外れた感を抱きつつ鶴形山に登っていきます。階段を昇った先には観龍寺という真言宗の寺がありました。平安時代の設立で1000年以上の歴史があるそうです。

阿智神社への道

 観龍寺はまだ鶴形山の中腹といった感じで、さらに登っていきます。この鬱蒼と茂った森の中の階段、その先に阿智神社があります。

阿智神社

 応神天皇時代の漢人系渡来人の阿知使主の一族が作った古代庭園が元になっているとか。旧倉敷村(倉敷中心街)の総鎮守です。

阿知の藤

 阿智神社の裏手(北側)には「阿知の藤」があります。推定年齢300年とも 500年ともいわれる藤の名木で、アケボノフジと呼ばれる藤の一品種としては日本一の巨樹だそうです。近年では老衰のためか,樹勢の衰えが目立つようになり、花の着生も少なくなってきたため、活性剤の注入や各種の有機肥料を与えるなどさまざまな処置が施され、樹勢は回復しつつあるそうです。

春の阿知の藤

 夏だったので花のカケラもありませんでしたが、春はこんな感じだそうです。藤の花は古くから魔除けの力があるとされていますが、「鬼滅の刃」おかげで鬼に特効のある特別な植物として一層有名になっていますね。個人的には山野に自生するたくましいつる植物というイメージがあります。

倉敷アイビースクエア

 山を下りて向かったのは、大原一族が創立した倉敷紡績所(現クラボウ)の本社工場をホテルなどの複合施設として改修したアイビースクエア。アイビー(蔦)は、工場時代に温度管理のために植えられたのだそうです。明治の産業遺産といった感じですが、実際2007年に国の近代化産業遺産に認定されています。ホテルには泊まってみたいですが、大浴場とかはあるんでしょうか。最近私はドーミーイン系のような大浴場のあるビジホがお気に入りでして。

運河と渡し船

 倉敷美観地区の中心ともいえる倉敷川。江戸時代に港町として栄えた倉敷に物資を運んでくる運河として利用されていました。運河としての機能は既にありませんが、観光利用に整備され、橋や船着場などには江戸情緒が残っています。かつては倉敷川をはさんで建てられた物資貯蔵用の土蔵が蔵屋敷、倉鋪、蔵鋪、倉子城などの名称で呼ばれており、それが倉敷の由来になったとか。

有隣荘

 運河沿いを歩いていると、一際目立つ緑の屋根瓦が。これは再三登場する倉敷の名士・大原家の旧別邸「有隣荘」。昭和天皇も宿泊したという由緒ある建物で、年2回の特別公開の時期を除き、内部は一般公開されていないそうです。旧大原家住宅は期待外れでしたが、こちらはすごいんじゃないかという気がします。

倉敷の商店街
レトロな商店街

 行きは中央通りを通りましたが、同じ道を使うのも芸がないので、帰りは商店街を通ります。美観地区の町並みに溶け込むようなレトロな雰囲気がなかなか素敵です。商店街を歩くのは好きだけど買い物はあんまりしないという金離れの悪い客ですいません。貧乏じゃ!みんな貧乏がいけんのじゃ!

情緒ある倉敷

サンポート高松:ふと海が見たくなって

ナリタタイシン
セイウンスカイ

 今のところ無課金でプレイしている「ウマ娘 プリティダービー」ですが、CV鬼頭明里の☆3ウマ娘セイウンスカイのピックアップをやっているところ、貯まっていた石でガチャを引いたら、最初の10連でナリタタイシンが、次の10連でセイウンスカイが来ました。どちらも思ったより強く、2回のトライでURAファイナルに勝利できました。特にセイウンスカイは3冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)ウマ娘になったほか、15戦14勝という無双ぶりで、最長距離(3200メートル)の天皇賞(春)だけ惜しくも2位でした。

水着サレン

 じゃあガチャ運が強いのかといえば、さにあらず。同じくCygamesの「プリコネR」で強い強いと言われていてずっと欲しかった水着サレンに待望のピックアップが来たのでガチャを引いたいたら、200連やって☆3はクロエ(聖学祭)の1枚しか出ず、水着サレンは天井での交換となりました。あちらが良ければこちらはダメと、ある意味バランス取ってきますねCygames。200連引くのに必要な石は3万個。金額に換算するとなんと6万円という大金になりますが、なんだかんだと石が貯まっていくゲームでもあるので、金を掛けずに7万個くらい持っていたのでなんとか平気でした。今怒濤の水着キャラのガチャラッシュが来ていますが、現状でも手持ちキャラが多すぎて育成に手が回らない状態になっているので、「絶対取れ」と言われているキャラ以外はスルーする方針です。

高松港

 今日はゲームの話なのかと言えばさにあらず。梅雨の晴れ間、ふと海が見たくなったので、ぶらっと高松港に行ってきましたのでその話題をば。歩いて30分ほどでサンポート高松に行けるのですが、海まで徒歩30分という場所に住むのもこれまでなかったことです。

サンポート高松

 高松港とその周辺約42ヘクタールの再開発プロジェクトは「サンポート高松」と呼ばれています。1988年に瀬戸大橋が出来るまでは宇高連絡船が就航して四国の玄関口となっていましたが、小豆島や直島行きのフェリーが就航しているほか、高松駅と岡山駅がマリンライナーでつながれているので、旅客と観光客で賑わっています。

シーフロントプロムナード

 高松駅から数分でシーフロントプロムナード。視界を遮る防波堤などなく、海の眺望を楽しめます。望んでいるのは太平洋とか日本海のような大きな海ではなく、内海の瀬戸内海ですが、島がたくさんあるのは眺め的にむしろいいように思います。海だけの景色ってすぐに飽きちゃうんですよね。多島海はいい。彦摩呂風に言えば瀬戸内海は日本のエーゲ海や!

高松の海
女木島

 高松港の正面にあるのは女木島。泳いで渡れそうな距離のように見えます。実際4キロほどしか離れていないようなので、泳ぎが達者は人なら渡れそうです。桃太郎の伝説は岡山が本場のように思っていましたが、5月15日付の「岡山遠征(その2)」(高松港とその周辺約42ヘクタールの再開発プロジェクト)で触れたように、高松も桃太郎ゆかりの土地とされており、女木島が鬼ヶ島のモデルであると言われています。

鬼ヶ島大洞窟

 女木島で大正時代に発見された人口の洞窟(紀元前100年頃に作られたと言われています)は、鬼ヶ島大洞窟と呼ばれて観光スポットになっています。

高松の海その2

 こちらは高松港から西側を写した画像。左側に写っているのは大槌島、小槌島、高松西部の大崎の鼻などです。

イノシシに注意
海のイノシシ

 海沿いの歩道のフェンスにはなぜかネットが張られています。海に落ちないように?いや、所々に注意文書が貼られています。“イノシシに注意”。山ならともかく、なんで海にイノシシがと思って注意文を読むと、海からイノシシが泳いでやってくるとのこと。ネットはイノシシの上陸を防ぐためのものなんですね。どこから来るのかと考えたら、やはり一番近い女木島のような気がします。鬼ヶ島ならぬシシが島なのか。

屋島

 こちらは東側を写した画像。高松東港の工業地帯のその先に屋島が見えます。昔は島でしたが今は陸続きになっています。硬い溶岩に覆われたせいで浸食に耐えた、典型的な卓上台地(メサ)となっています。遠くからも目立つので古来から瀬戸内海の海路の目印となってきた、高松のシンボルです。

玉藻防波堤

 北東に延びた玉藻防波堤を歩いてみます。540メートルもあるそうで、散策にとても良い場所ですね。

せとしるべ

 防波堤の先には灯台が。通称「せとしるべ」と呼ばれる高松港玉藻防波堤灯台です。全体が赤い色をしていますが、世界初の総ガラス張りの灯台で、内部から灯台を照明するという珍しい灯台です。

夜のせとしるべ

 こちらが夜のせとしるべ。灯台そのものが赤く発光しています。98年の改築前も塗料で赤く塗られて「赤灯台」と呼ばれたそうですが、夜も赤いのはいいですね。シャア専用灯台とか言ったら信じるガンオタもいたりして。

霞む小豆島

 防波堤先端からの光景です。折しもフェリーが出航していきました。左に豊島、小豊島、右手に大島が見える中、中央付近にうっすらと見えているのが小豆島です。地図で見ると目と鼻の先のようですが、実際に見ると遙か彼方にあるような。小豆島はぜひ一度行きたいんですよね。

直島行きのフェリー

 先ほどのフェリーはこれ。「なおしま」と書かれていますので、直島行きですね。

直島といったらこれ

 直島といったらアートの島。草間彌生作のカボチャがシンボルとなっています。こちらにも一度は行ってみたいと思っています。小豆島にしても直島にしても高松港からフェリーが出ているので個人的にはとても便利ですね。

玉藻防波堤から見た高松市街

 防波堤から振り返って高松市街を見るとこんなふう。高松シンボルタワーやホテルクレメント高松が見えます。これらの建物にはオサレなレストランがあったりするそうですが、一人だとちょっと行く気にならないですね。誰か遊びに来た時に使うのに良いかも知れません。

謎のモニュメント

 ぶらりと海沿いを散策するのは予想以上に気持ちが良かったですね。真夏はともかく、秋なんか視界も良くなって一層いいんじゃないでしょうか。また来ましょう。

紫雲山登頂と石清尾八幡宮:Because it's there.

ダミアン少年

 6月6日は、映画「オーメン」における悪魔の子ダミアンの誕生日として有名です。なんともう45年前の作品か。正確には午前6時生まれで、頭に「666」のアザがあるのですが、これは新約聖書内の「ヨハネの黙示録」で「獣の数字」とされる数字ですね。

梅雨の緑 

 梅雨時の緑はどんどん濃くなっていく印象ですね。「言の葉の庭」を思い出します。今はまだそれほど暑くなくていいのですが、そのうちどんどん暑くなっていくんでしょうね。

ジョージ・マロリー

 というわけで、暑くなりすぎないうちにと、紫雲山に登ってみました。なぜ登るのか?と問われれば、そこにあるからだ(Because it's there.)とジョージ・マロリーを気取ってしまうわけですが、何とかと煙は高いところに上りたがるという方が近いかも知れません。

栗林公園と紫雲山

 特別名勝・栗林公園の重要な借景となっている紫雲山は稲荷山(166メートル)と室山(199.8メートル)の二つの峰から構成されている山塊ですが、石清尾(いわせお)山塊の一部でもあります。石清尾山塊は、紫雲山の他、同山の西にある石清尾山(232.4メートル)、南西にある浄願寺山(239.5メートル)から構成されていて、全域に古墳時代前期~後期にわたる120基を超す積石塚と盛土墳が分布しています。

石清尾山塊

 上記4つの峰を四天王とするならば、高さ的な意味で四天王最弱は166メートルしかない稲荷山でしょう。ということで稲荷山に登ります。稲荷山の名称は、麓になる中野稲荷神社から来ていると思われますが、この神社は18世紀創建ということでそんなに古くないので、それ以前は別の名前があったんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょうか。

中野稲荷神社

 前回は山裾を廻ったのですが、今回は登山。前回は左に進んだ神社境内の分かれ道を、今度は右に進みます。前とあんまり変わらない景色のようにも思えますが、やはり道は上り坂。

序盤の登り

 つづら折りの道もあるのですが、そんなに高い山ではないせいか、ショートカットの直線路もあります。なぜか思い出した「おだやかな道とイバラの道の二通りの道があるとすればイバラの道を進め」というキン肉王家三つの心得の一つを胸に、直線路を行ってみます。低い山とはいえ、流石に息が切れます。
 
中盤の登り

 中高生の運動部がトレーニングするのにいいんじゃないかと思いながら喘ぎつつ登り切り、稲荷山の頂上に。何の表示もないのでちょっと心許ないのですが、周囲で一番高い場所なのでここでいいんでしょう。さすが低山、緑に溢れています。

稲荷山頂上部

 ここから南に向かって室山方面に向かいます。尾根伝いの道は快適ですね。それはいいのですが、木々に遮られて風景は見えません。海の方が見えたら良かったのですが。まあ下から見た稲荷山も木々で覆われて人の姿など見えないので仕方ないかも知れませんね。

稲荷山から東を見る

 ちょっと木が途切れた部分から東の方が見えました。向こうに見えるのは徳島との県境になっている讃岐山脈でしょうか。

稲荷山姫塚

 そして到着したのが稲荷山姫塚。4世紀後半築造で、積石で築かれた全長約58mの前方後円墳だそうですが、ぱっと見なんだか良く判りません。石は山中にごろごろあるので、それを使ったんでしょうか。これらの石のおかげで風化に抵抗できて山として残ったのか。

小鳥の泉

 「小鳥の泉」というのがあるはずなのですが…もしかしてこれ?ここを真っ直ぐ南に向かえば室山のはずですが、前回山裾ながら室山には向かっていたので、二回続けてというのも面白くないので、西に向かいます。西には石清尾山がありますが、そこまで向かうのはちょっと遠いので、紫雲山山腹から石清尾山にかけて広がる緩斜面、通称「峰山」と呼ばれるあたりでお茶を濁しましょう。

紫雲の広場

 しばらく歩くと「紫雲の広場」に向かう標識。「冒険の森」というのもあるようですが矢印が折れています。

降り道

 ここから段々下り道に。登りは息が切れて疲れますが、降りは膝にきます。別のルートを辿れば峰山へどんどん続いたのでしょうが、疲れたのとスズメバチが恐い(クマバチかも知れないけど、頭上でブンブンいう)のでそのまま降りてしまいます。

栗林トンネル

 車道に出ました。ここを頻繁に車が通るので、せっかくの奥山散策の雰囲気をしばしばぶち壊されるのですが、中心部の山塊なんで仕方ないですね。その先には栗林トンネルが。歩道があるようなのでトンネルをくぐって北に向かいます。

百舌坂

 トンネルの先は百舌坂。目の前にあるのは稲荷山です。緩やかに降っていきますが、左手になにやら緑の屋根のゆかしい建物が見えてきました。

石清尾八幡宮遠景

 これが石清尾八幡宮。石清尾山塊や石清尾山の名前の由来になっている神社ですね。せっかくなので行ってみましょう。百舌坂を下りて八幡通りを西に進むと一直線でした。

石清尾八幡宮鳥居

 石清尾八幡宮は高松の総鎮守で、平安時代の国司が京都の石清水八幡宮の分霊を亀ノ尾山上に祭ったという由緒があるそうです。それで石清水と亀ノ尾の名を併せて石清尾八幡宮と称したと。八幡大神が石清尾山の山頂に現れたという言い伝えもあります。

石清尾拝殿 

 下拝殿。上拝殿や本殿にはただの観光客は入れないようです。ちょうど結婚式があったようで、和装の花嫁さんがいました。今でも和装を選択する人がいるんですね。もちろん好き好きですが。

蜂穴神社

 境内右手に道が続いていて、その先には蜂穴神社がありました。南北朝時代に北朝側についた細川頼之が伊予の河野氏と戦ったおり、神夢を見て戦に勝利したということで、伊予三島大明神を祭ったと言われております。細川頼之は四国を平定し、室町幕府三代将軍義満を補佐する管領となりました。

髪綬神祠

 側には髪授神祠というものがあります。昭和31(1956)年に香川県理容生活衛生同業組合有志によって建立された新しい神社です。髪に関わる飽昨能宇斯神と、理容業の開祖である藤原正之公の二柱を合祀しており、薄毛や白髪の防止、体毛の発育などの御利益があるとか。

昔の石清尾八幡宮境内図

 さらに奥に石清尾八幡宮社叢という鬱蒼とした森が広がっています。なにしろ山の麓なので緑は豊か。道をどんどん進んでみたらケアハウスに辿り着いてしまいました。それ以上行って石清尾山に登るつもりはないので、今回はここで引き返しましょう。
 

大塚国際美術館:米津玄師が2018年の紅白歌合戦で「Lemon」を歌った場所

高松の海

 今日も良い天気で梅雨はどこ行ったという感じです。今週は中頃から雨になるみたいですが、週末はまた回復する見込みということで、暮らしのサイクル的にはありがたい感じです。
 
特急うずしお

 本日はGW中に行った大塚国際美術館の話をば。高松駅から高徳線で特急うずしおを利用すると1時間強で徳島駅に到着します。隣県なんだから普通電車で行けよと言われそうですが、高徳線は基本単線なもので、特急やら向かいの列車の通過待ちが多く、やたら停車時間が多いので不効率です。うずしおも時間によりますが基本2~3両編成。これが特急かと思うとちょっと寂しいですが、四国の特急はだいたいこんなもんなようです(涙)。

徳島バス

 漠然と大塚国際美術館は徳島市内にあるものだと思っていたのですが、実は徳島の北にある鳴門市所在でした。徳島駅前から路線バスがありますが、小一時間かかります。豪勢にタクシーを利用するというのもありなんでしょうが、どういう訳か四国に住み始めてからしみったれになっているので、バス一択。

大鳴門橋

 大塚国際美術館は大毛島にあり、淡路島との間に渦潮で有名な鳴門海峡とその上に掛かる大鳴門橋があります。。瀬戸内海国立公園の一部である鳴門公園の中にあり、その名の通り大塚製薬グループが創業75周年事業として1998(平成10)年に開館した美術館です。

大塚国際美術館エントランス

 特徴は西洋名画等をオリジナルと同じ大きさに複製し展示する陶板名画美術館であることです。鳴門市は大塚グループの創始者である大塚武三郎の出身地で、大塚グループの発祥企業である大塚製薬工業部(現大塚製薬工場)も鳴門市で創立されました。武三郎の息子の正士が大塚グループの相談役だった時代に、それまでコンクリートの原料として阪神方面に売られていた鳴門海峡の砂浜の砂に付加価値を付けて販売するため、砂からタイル(陶板)を作る事業が提案されました。

大塚国際美術館

 折悪しく石油ショックが発生して陶板の受注は低迷してしまいましたが、技術を生かすべく陶板に絵を描いて美術品を作ることを思いつき、その技法を確立します。陶板技術の集大成と大塚グループの75周年記念事業として、10年の歳月をかけて美術館の建設・設置に至りました。大鳴門橋そばに建設されたのは、淡路島経由で四国に来る人の流れを、そのまま通過させずにせき止めるためだそうです。そういえば徳島県のイメージって、阿波踊りくらいでした(笑)。

鳴門公園

 立地が国立公園内ということで、景観維持のために一旦山を削り取り、地下5階分の構造物を含めた巨大な美術館を造ったうえで、また埋め戻すという難工事を行っています。なので入館料も高め。ネットの前売り券を利用しても3160円かかりましたが、十分元を取れる内容となっています。なにしろ全て複製ですが、古今東西の世界の著名な作品を原寸大で展示しており、陶板画は色彩の退行に非常に強く、約2,000年以上にわたってそのままの色と形で残ることから、写真撮影も許可されているので、コストパフォーマンスは非常にいいかも知れません。

最後の晩餐修復前
最後の晩餐修復後

 また、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の修復前後、戦火で失われたゴッホの「ひまわり」、戦災で各地に分散されたエル・グレコの大祭壇衝立などが復元展示されており、もう見られないものが見られるというのも興味深いですね。

システィーナ礼拝堂

 一番有名なのは入場者がまず訪れることになるバチカンのシスティーナ礼拝堂を再現した「システィーナ・ホール」です。

米津玄師紅白出演記念

 米津玄師が2018年の紅白歌合戦で「Lemon」を歌ったのもここで、米津自身が描いたCDジャケットが陶板となって展示されていました。

スクロヴェーニ礼拝堂

 他にもイタリア・パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂、トルコ・カッパドキアの聖テオドール聖堂の内部が再現されている他、散逸してしまったエル・グレコの大祭壇衝立が復元されたりしています。

ゴヤの家 

 フランシスコ・デ・ゴヤが、晩年に自身の住居の部屋の壁に描いた一連の絵画“黒い絵”も「ゴヤの家」として再現されています。よくこんな部屋に住めるなあと思いますが、自作の絵なら恐くなかったのでしょうか。

モナリザ
レンブラントの夜警
ナポレオンの戴冠式

 他にもダ・ヴィンチの「モナ・リザ」はもとより、レンブラントの「夜警」、「ナポレオンの戴冠式」、モネ・ゴッホら印象派の作品など、有名どころの作品は一通り網羅されています。

モネの庭
大塚国際美術館の内部

 入り口の地下3階が古代・中世、地下2階がルネサンス・バロック、地下1階がバロック・近代、地上1階と2階が現代となっています。正直地下1階でもうお腹いっぱいというか疲れ果ててしまい、お帰りと言うことになってしまいました。ここは一回で全て見るのは困難ですね。繰り返し見に来た方がいいのでしょう。私は現代美術はあまり好きではないので、地下の作品だけで十分でした。

サンルート徳島

 当日は大雨で、傘を差しながら帰りのバスを待っている間にずぶ濡れになってしまいました。宿を取っておいて良かったです。今宵の宿は徳島駅前のサンルート徳島。最近お気に入りのドーミーインは徳島にありませんでしたが、このホテルにも天然温泉の大浴場がありました。

阿波おどり会館

 隣県なのに一泊したのは、翌日眉山に行こうと思っていたからなのですが、眉山ロープウェイの山麓駅がある阿波おどり会館はコロナ禍で休業していました。ちゃんと調べておけよ自分…

金長まんじゅう

 なので予約していた切符を変更して、午前中にとっとと高松に帰ることにしました。お土産は徳島銘菓「金長まんじゅう」。「金長」というのはタヌキの名前だそうですが、昭和12年の誕生という古くからあるチョコ饅頭です。饅頭の皮にチョコが入っていますが、中身は白餡。よく似たお菓子を食べた記憶があるなあと思ったら…

ヤマザキチョコまん

 思い出しました。ヤマザキの「チョコまん」です。もしや金長まんじゅうをパクったのか。目隠しテストをして区別が付けられるのかとっても興味があるところです。

グレコの祭壇

 何はともあれ、徳島にも一泊したので、これで泊まったことのない県は岡山と佐賀を残すのみとなりました。徳島は死ぬまで泊まらなかった県として残しておこうかとか思っていたのですが、運命はわからないものです。全県制覇の日も近いのか、それともどちらがを死ぬまで泊まらなかった県として残るのか…未来は読めないものですね。

ヴィーナス誕生

岡山遠征(その2):吉備津神社と吉備津彦神社

梅雨入り

 本日、四国は九州北部、中国と共に梅雨入りしたとみられるとの発表が。平年より21日も早く、統計史上最も早い梅雨入りだそうです。瀬戸内海地方は雨が少ないとかねて聞いていたところ、私が四国に来てからは結構雨が降っているなあと思っていたところでしたが、梅雨まで早く来るとは。今年とんでもない雨男が四国に来たんでしょうかね。多分私ではないと思うのですが…。ま、晴女とか雨男とか、そんなオカルトありえませんけどね。

大阪緊急事態

 先週に続いて岡山遠征の話です。岡山は16日から北海道・広島と共に緊急事態宣言の対象となっていますが、訪問はそれ以前の話なのであしからず。予約してしまったので大阪に泊まった私ですが、予定していた飲み会は緊急事態宣言のせいで当然開催できず、朝すごすごと退散しました。

吉備線

 そして再び岡山に。岡山駅で桃太郎線の愛称を持つ吉備線に乗り換えて吉備津駅に向かいます。発車の際の音楽は当然「桃太郎」。♪お腰につけたきびだんご 一つわたしに下さいな♪犬・猿・雉に命をかけた忠誠を誓わせるマジックアイテム「きびだんご」。黍(きび)の粉で作った団子で黍団子だと思っていましたが、岡山には名物・吉備団子というものが。もしや桃太郎が持っていたのはこっちなのか!?これについては後ほど。

吉備津駅

 吉備津駅で下車。吉備線もいかにもローカル線な雰囲気ですが、吉備津駅も鄙びた田舎駅の風情です。無人駅だし。しかしICカード対応の簡易型自動改札機は設置されています。吉備津神社の最寄り駅ということで、年末年始は駅員が配置されるそうです。

吉備の中山

 備中国一宮・吉備津神社に向かいます。岡山市は備前国だと思っていましたが、市内西部は備中国だったんですね。後で備前国一宮・吉備津彦神社にも向かいますが、どちらも吉備の中山という200メートル足らずの小山の麓にあります。静岡県掛川市にある小夜の中山は知っていましたが、吉備の中山は知りませんでした。Wikipediaに記事も立っていないし。

吉備の中山

 しかし、地元では超有名な場所だったのです。備前国・備中国・備後国が分割される前は吉備国と呼ばれていましたが、その頃の中心地ではないかとされ、山中には古墳が多数あり、山麓に一宮が二つもあるということがそれを裏付けていますね。

吉備津神社マップ

 駅から歩いてほどなくして吉備津神社です。元は吉備国の総鎮守でしたが、三国に分割されたので備中国一宮になりました。こうした経緯から「吉備総鎮守」「三備一宮」とも呼ばれます。祭っているのは吉備津彦命。第7代孝霊天皇の皇子で、ある。四道将軍の1人として西道(山陽道)に派遣されたとされます。

四道将軍

 四道将軍…なんか四天王みたいですね。第10代崇神天皇の時代に、北陸、東海、西道、丹波(丹波・丹後・但馬の三丹)に派遣された皇族の将軍のことです。神武天皇と、綏靖~開化のいわゆる“欠史八代”の天皇については、実在性が希薄とされており、崇神天皇がヤマト王権初の天皇という説があります。四道将軍についても、初期ヤマト王権による支配権が地方へ伸展する様子を示唆しているという説があります。

温羅

 さて山陽道に派遣された吉備津彦命は、この地で温羅(うら)という鬼と戦ったそうです。温羅は異国から飛来して吉備に至り、製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点として一帯を支配したとされています。

鬼ノ城

 鬼ノ城は岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に実在しますが、おそらく7世紀後半に築かれた古代山城だろうとされています。白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗したため、当時の大和朝廷は連合軍の襲来に備えて対馬~畿内に至る要衝に様々な防御施設を築きましたが、そのうちの一つなのでしょう。崇神天皇は実在するなら3~4世紀の頃の天皇と推測されているので、吉備津彦と温羅の戦いが本当にあったとしても、鬼ノ城建設とはかなり時代が違うのですが、なにしろ古い伝承なので勘弁してやって下さい。

吉備津彦命の二本打ち

 吉備津彦命は、温羅討伐に際し、吉備津神社の地に本陣を構え、それぞれ矢と岩をぶつけ合う遠距離射撃戦を展開しましたが、吉備津彦命が矢を2本同時に射たところ、1本は岩に撃ち落とされたものの、もう1本は温羅の左眼を射抜きました(飽和攻撃のはしりですな)。温羅が雉に化けて逃げると、吉備津彦命は鷹に化けて追い、さらに温羅が鯉に身を変えて逃げると、吉備津彦命は鵜に変化してついに捕らえたとのことです。

吉備津彦命相関図

 吉備津彦命は、犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに温羅を討ったということで、これが「桃太郎」のモチーフになったともいわれています。この三人の家来については、「犬養縣主(犬)」「猿女君(猿)」「鳥飼臣(雉)」という豪族だという説もあるそうなので、「黍団子」に象徴される何か(金品とか)で懐柔して仲間にしたということだと更にリアリティがありそうな。MMR風に言うと「黍団子は山吹色のお菓子だったんだよ!」「な、なんだってー!!」という感じでしょうか。

吉備団子

 黍団子と吉備団子。音は完全に一致していますが、吉備団子は黍を主原料とはしていません。吉備団子は幕末の頃に考案されたとされますが、明治時代に入って“桃太郎のきびだんご”として販売促進に利用し、昭和に入ってから桃太郎は吉備津彦命に由来するとの説がおこり、戦後からは地域をあげて桃太郎との関連をアピールしているそうです。岡山は地域を挙げて桃太郎ゆかりの地であることをアピールしていますが、山梨県大月市、愛知県犬山市、奈良県田原本町にも桃太郎ゆかりの地とされる場所があります。

鬼ヶ島大洞窟

 なによりわが香川県高松市もその一つで、高松港沖に浮かぶ女木島は「鬼ヶ島」のモデルだとされ、「鬼ヶ島大洞窟」があったりします。香川県には浦島太郎の伝承もあるので、“三太郎”のうち二太郎までを占める勢い。浦島太郎が香川県の人だったとすると、竜宮城は瀬戸内海にあったということになるんでしょうか。“三太郎”のうち、金太郎だけはさすがに香川県には伝承はないようですが、足柄山のある静岡で決まりかと思いきや、長野説とか新潟説といった異説もあるそうです。まあ昔話ですからねえ。

拝殿

 閑話休題、吉備津神社の本殿と拝殿は室町時代中期の造営で、接続されて一体化しており、「吉備津造」と呼ばれています。併せて一棟として国宝に指定されています。

長い回廊

 400メートル近い長さの回廊は戦国時代の造営とされます。所々で摂社末社への出入り口が開いています。

 岩山宮

 中でも山へ登るような階段があったのでつい登ってみたらあったのが岩山宮。地主神・建日方別命を祭っているそうです。吉備津彦命や温羅よりも古い神ですね。

御釜殿

 御釜殿。江戸時代の再建で、上田秋成の「雨月物語」中の一篇「吉備津の釜」でも描かれている「鳴釜神事」が行われます。先ほどの温羅という鬼、吉備津彦命に首を刎ねられますが、首はその後ももうなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしても、御釜殿の下に埋葬してもなおうなり続けたそうです。これに困っていた吉備津彦命の夢枕に温羅が現れ、温羅の妻である阿曽媛に神饌を炊かさたら、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げようと答えたということで、これが神事の始まりだそうです。

鳴釜神事

 釜の上置いた蒸篭の中に米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を焚いた時に鳴る音の強弱・長短等で吉凶を占います。一般に、強く長く鳴るほど良いとされますが、音を聞いた者が、各人で判断するものだそうです。「雨月物語」の「吉備津の釜」では婚礼の吉凶を占うのに使われ、釜は全く鳴りませんでした。明らかに凶なので婚礼は止めたら良かったのですが…

一童社

 一童社。菅原道真と天鈿女命を祭る学問・芸能の社で、江戸時代の国学者も信仰したそうです。「祈願トンネル」というものが設置されており、中は進学に関する絵馬で埋め尽くされていました。

円墳に鼻ぐり塚

 続いて吉備津彦神社へ。吉備の中山の麓に「吉備の中山みち」があるので、一本道を歩いて行けば到着します。途中に「鼻ぐり塚」というものがありました。鼻ぐりとは牛の鼻輪のことで、死んだ牛が残す唯一の形見とも言え、これを供養することで、人のために奉仕した畜類への感謝を示すものだそうです。が、この塚、元々あった円墳を利用しているんですよね。誰の墓かは知りませんが、本人はそれでいいんでしょうか?

吉備津彦神社マップ

 とことこ歩いてやってきました吉備津彦神社。吉備津神社と名前が非常に似かよっていますが、吉備国を分割した際に祭神も分霊したのだそうです。神社だとよくある話ですね。備前国一宮として崇敬され、中世以後宇喜多氏、小早川秀秋、池田氏など歴代領主の崇敬を受けてきました。

吉備津彦神社拝殿
吉備津彦神社本殿

 こちらは吉備津神社とは異なり、拝殿と本殿は離れています。拝殿裏手の本殿は江戸前期の再建で、間に祭文殿や渡殿があります。夏至の日に正面鳥居から朝日が差し込んで祭文殿の鏡に当たるようになっているとかで、吉備津彦神社の別名は「朝日の宮」。

摂社群

 子授け・安産に霊験があるという子安神社からずらりと並ぶ末社群。境内の北側にあります。

温羅神社

 境内南側にも摂社末社がありますが、注目はこの温羅神社。吉備津彦命が討った鬼なのに神として祀るあたりがいかにも日本風です。温羅の、平和や恵みの働きがあるという和魂を祀っているそうです。

吉備津彦神社入り口

 吉備は、出雲、筑紫、毛野(栃木+群馬)と共に古代には独自の勢力を持った文化圏だっとされており、それが故に度々征討を受けて勢力を削減されています。三分国(後に備前から美作が別れて都合四分国)も、吉備勢力の伸張や統一を抑制するためだったのでしょうか。分国の余波は、同じ岡山県内の岡山都市圏(備前国)と倉敷都市圏(備中国)の対立や、備後国が安芸国と一体化して広島県になるという形で、現在まで影響しているとか。京都では平安時代、奈良では奈良時代や飛鳥時代に思いを馳せましたが、岡山では古墳時代。段々古代に進んでいくような気が。

古墳時代の勢力図
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