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萩旅行記②:松陰神社と東光寺

丹陽

 「艦これ」に中華民国の駆逐艦丹陽(たんやん)登場。……といっても雪風を改装した姿ですが。太平洋戦争の激闘を生き延びた奇跡の駆逐艦・雪風は、復員船の役目を終えた後に賠償艦として中華民国に引き渡され、丹陽としてなりました。就役しました。乗組員たちが最後まで入念に点検、整備を行っていた雪風は、艦の状態が非常に良く、「敗戦国の軍艦でもかくも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と、立ち会った各国の高級軍人から高い評価を得たそうです。国共内戦に敗れた蒋介石総統が台湾に逃れる際に乗艦したとか、故宮博物院の財宝を輸送したとされますが、それも雪風時代の強運ぶりにあやかったんでしょうか。

雪風改二

 実はさらに「雪風改二」に改装可能なんですが、丹陽にするのにも使った改装設計図をさらに2枚も必要とするので、当面改装は無理です。もうすぐイベント開催なので資源を浪費できないし、おそらくは来年になってしまうと…。でも丹陽も可愛いので、もう一隻雪風を育てようかしらん。

丹陽と雪風改二

 それは本題の萩旅行記の続きです。ホテル選びの際に大浴場かバイキングで大浴場を選択したので、朝食はおにぎり二個の軽食風。でもおにぎりは「おかわりもいいぞ!」なので食べようと思えばがっつり食べられます。でもおかずがね…。

朝食

 チェックアウト後に向かうは松陰神社。ぶらぶら歩いて行けます。一日目は線路(山陰本線)の西側、本日は東側を攻めていきます。

松陰神社大鳥居

 松陰神社は明治40(1907)年に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。学問の神として厚く信仰を集めているとか。でも松陰の故事から考えて、留学とかのお願いは叶わなそうな(笑)。

松下村塾

 境内には松下村塾があります。幕末から明治期に、日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる有名な私塾ですが、松陰がここで指導したのは2年足らず。ただ、松下村塾自体は叔父の玉木文之進が1842(天保13)年に開設し、松陰死後も再開されて1892(明治25)年に弊塾されています。

村塾内部

 神社内の松下村塾は幕末当時の塾舎で、木造瓦葺き平屋建てで、当初からあった八畳と、熟成が増えて手狭になったので増築した十畳半の部分から成っています。2015年には世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一つとして登録されています。

吉田松陰幽囚の旧宅

 その側には「吉田松陰幽囚ノ旧宅」もあります。黒船密航が叶わず野山獄に入れら、出獄後に幽閉処分となった際の松陰の実家の杉家の旧宅です。8畳3室、6畳3室、4畳、3畳7分、3畳半・3畳および2畳各1室ほか、板間・物置・土間を有する大きい建物ですが、こんなに広いのに松陰は東側にある3畳半の一室で2年近く謹慎生活を送っていたそうです。

謹慎していた部屋

 ここが謹慎室。松陰はここで読書と著述に専念しましたが、家族からの薦めもあって孟子や武教全書などを講じ、次第に多くの若者が参加するようになったことで、松下村塾で指導するようになりました。

松陰神社

 松陰神社本殿。1955(昭和30)年に完成したもので、ご神体として松陰愛用の赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって収められているそうです。

松門神社

 本殿完成以前の旧社殿は、松陰の塾生・門下生を祭神として松門神社となっています。

花月楼

 直接松陰とは関係ありませんが、萩藩7代藩主 毛利重就が、1776(安永5)年(1776)に三田尻(防府市)の別邸宅に建築した茶室「花月楼」も移築されています。

伊藤博文旧宅

 神社周辺には松陰の墓や誕生の地もあるということで、やはりぶらぶら歩いて行ってみます。すぐそばに伊藤博文旧宅もあったのですが、改修中で全面ネットを被っていました。そうでなければ画像のような家が見られたはずなんですが。

玉木文之進旧宅

 その先にある玉木文之進の旧宅。松下村塾の創立者で、吉田松陰の叔父にあたる人です。1876(明治9)年発生の「萩の乱」の際、反対したにも関わらず養嗣子を始め多数の門弟が参加したことから「自己の教育責任を、一死以ってこれを償ふ」と言い残して自刃したという、謹厳、剛直の人です。

東光寺総門

 さらに進むと大きなお寺が。長州藩の殿様・毛利氏の菩提寺である東光寺です。江戸時代に伝えられた新しい禅宗・黄檗宗の寺院で、1691(元禄4)に3代藩主毛利吉就が建立しました。総門は重要文化財に指定されています。

三門

 拝観料300円払って入ると巨大な三門。これも重要文化財ですが、総門は元禄時代のもので、三門は19世紀の文化時代のもの。

大雄宝殿

 本堂。黄檗宗では大雄宝殿と呼びます。元禄時代の建築でこれも重要文化財。本尊は釈迦如来です。明~清代の中国風建築で、障子の桟が日本と逆に外側にあるんだとか。

木魚の原型

 木魚の原型とされる魚板があります。巨大な魚型で、腹の辺りを叩くと音がします。まさに木魚という名前にぴったりの形ですが、このままでは大きすぎて坊さんの傍らに置くというわけにはいきませんね。魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じないことから、寝る間を惜しんで修行に精進しなさいという意味なんがそうで、口にくわえた丸いものは煩悩を表し、魚の背をたたくことで煩悩を吐き出させる、という意味合いが有るのだとか。ポータブルな現代の木魚では、そういった由来もよく判らないような形になってしまっていますね。

毛利氏廟所

 そして東光寺の白眉ではないかと思われる、毛利氏廟所。3,5,7,9,11代の奇数代の藩主とその夫人の墓が並び、その他に側室など近親者20余基があります。重臣諸家の献上したという石灯籠500基がずらりと並び、まるで殿とそばに控える群臣一同といった雰囲気です。

藩主と夫人の墓

 なお初代秀就と偶数代の藩主の廟所は萩市の大照院にあるそうです。そちらには行きませんでしたが、地面の傾斜が急で、藩主の墓の形は五輪塔状なんだそうです。東光寺の墓の形は四角柱というかいわゆる通常形です(大きいけど)。

吉田松陰の墓

 東光寺の巨大な境内に沿うようにある「維新ロード」を登っていくと、吉田松陰の墓が。極めて質素という印象ですが、当時、松陰は幕府から第一級の大罪人とされていたのでやむを得なかったかと。そもそも松陰自身がそんな大仰な墓を喜ぶとも思えませんし。周囲には一族の墓のほか、吉田稔麿、久坂玄瑞、高杉晋作など門人の墓もあります。

吉田松陰誕生地 

 その先にある吉田松陰誕生地。萩市内を一望できる「団子岩」とよばれる高台にあります。今は間取りを示す敷石が残るばかりですが、それにしても小さい家だったようです。元々あった杉家が大火で焼失し、松陰の父が俳人の別荘(樹々亭)を買ったのだとか。松陰神社境内の「吉田松陰幽囚ノ旧宅」に一家が引っ越すまで、松陰もここで過ごしたそうです。

郡司鋳造所遺構広場

 ということで、萩二日目はほぼ吉田松陰の旧跡を訪ねることになってしまいました。当初の計画では萩反射炉とか恵美須ヶ鼻造船所跡(どちらも世界遺産)、さらに池なのに海水魚が棲むという謎の明神池などにも行く予定だったのですが、松陰神社と東光寺で時間を使いすぎました。代わりにといってはなんですが、松陰神社近くにあった「郡司鋳造所遺構広場」に行きました。

大砲もあるよ

 ここでは西洋式大砲を鋳造していたということで、一番深いところで4.5mもある石組大砲鋳造遺構が復元されています。そばの大砲はここで作ったものということなのでしょう。
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萩旅行記①:関東からは遙かに遠い萩へ

小春日和だ

 晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天を「小春日和」と言いますが、今日辺りは大春日和とでもいいたくなるような暖かさ。まさか夏将軍が戻ってくるんじゃないでしょうね。急に寒くなるのも困るのですが、この時期に20度を越えるというのも季節外れ過ぎて嫌ですね。

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 さて今日は先日の山口・萩訪問について語りたいと思います。元々は大阪居住時代に計画していたんですが、諸事情により実現できませんでした。それをここに来てようやく決行ということにしたのですが、関東から山口は正直遠かったです。大阪発に2時間半+αを足さなければなりませんから。筑波嶺は東京から決行遠いのじゃ。

台湾風ルーロー飯弁当

 晩秋でもあり、日もまだ昇らない時間に起きて、薄暗いうちに出発。博多行きの新幹線で新山口まで向かいます。朝食は駅弁屋祭で「台湾風ルーロー飯弁当」(950円)を買いました。久々に「牛肉どまん中」(1250円)にしようかとも思ってちょっと迷ったのですが、安さで選択(笑)。

Ambitious Japan

 実は新山口まではそんなに遠くありません。新幹線に乗ってるだけで到着しますし。ですが、萩となるとやけに遠い。JRだと、こだまに乗り換えて厚狭まで行って、美祢線に乗り換えて長門市まで。さらに山陰本線に乗り換えてようやく萩。乗り換えが多くて本数の少なさによる待ち時間の長さもあって、3時間くらいかかってしまいます。東海道新幹線に乗ると流れる「Ambitious Japan!」、山口メンバーのあれやこれやで変更されないか心配していましたが、いつもの模様に流れて一安心。故筒美京平の後期の傑作だと思うんですよね。曲に罪はないので、ずっと変えないで欲しいです。

スーパーはぎ号

 最速で行くなら高速バス一択。「スーパーはぎ号」に乗ると1時間で萩に行けます。ただ、直前に時刻表を再チェックしなかったことが、この後の悲劇を生むことになるのであった…

デンスケ

 なにはともあれ昼食だぜ、ということで萩バスセンター近くにある「デンスケ」という洋食屋へ。カレー&ハンバーグセットと生ビールで1600円。

セットメニュー カレー&ハンバーグ

 この店は昭和感というか、とってもノスタルジックな雰囲気に満ち満ちていて、観光客というよりは地元の人のためのお店という感じでした。

唐樋札場跡 

 近くには「唐樋札場跡」が。萩と防府三田尻を結ぶ、萩往還の起点ということで、幕府や藩からの「御触書」が掲げられた高札が立っていたそうです。

明倫学舎

 そして「萩観光の起点」とされる明倫学舎へ。萩藩の藩校明倫館の跡地に建てられ、2014(平成26)年3月まで明倫小学校として使われていた校舎が、明倫学舎として生まれ変わったものです。

明倫小学校の新校舎

 明倫小学校はどこに行ったのかといえば、すぐそばに新校舎が建っていました。まだまだ新しい校舎のはずですが、デザインはとってもレトロ風です。藩校を起源に持つ小学校というのも珍しいですね。児童達は誇りを持って通えるんじゃないでしょうか。

おれは直角

 小山ゆうのデビュー作「おれは直角」の舞台となっていたのが明倫館でしたね。何かと騒ぎを起こす直角に、城代家老なんかが「天下の名門・萩明倫館が~」と嘆いていたような記憶があります。よく考えると小山ゆうはデビュー時から絵が上手かったんですね。

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 300円払って2号館の「世界遺産ビジターセンター」と「幕末ミュージアム」を見学。2015(平成27)年に「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産登録されましたが、萩は登録された8つのエリアの一つで、
「萩反射炉」「恵美須ヶ鼻造船所跡」「大板山たたら製鉄遺跡」「萩城下町」「松下村塾」が資産としてエントリーされています。

萩城下町

 じっくり見てから、「萩城下町」へ。といっても明倫学舎からは遠くありません。山陽道・山陰道の8か国に112万石を領有していた大大名の毛利氏は、広島を本拠としていましたが、関ヶ原の戦いの後で、領地を周防・長門の2国30万石に削減されて以降は、萩に藩庁を置いていました。

萩城下町2

 街路や水路、武家建築、町家建築、寺社建築などの建築物が今なお多く残り、萩藩御用達の旧家や幕末に活躍した“維新の志士”達の侍屋敷等の面影も残っています。

高杉晋作誕生地
木戸孝允旧宅

 当日は雨。晩秋の雨降る城下町というのも風情があってそれはそれでいいのですが、やはり観光には雨が降らない方がいいですね。木戸孝允誕生の旧宅、高杉晋作誕生地を訪ねました。他にも第26代首相田中義一誕生地、日本屈指の蘭学医・青木周弼旧宅などもありました。木戸邸は実際に入れるんですが、高杉邸は狭いということで入れず、外から眺めるだけ。

サンリブ萩

 ショッピングモールのサンリブ萩で惣菜と酒を買い込み、向かうは松本川を越えたすぐ先にある東萩駅前の萩ロイヤルインテリジェントホテル。晩秋ということもあり、大浴場があることが選択基準となりました。

萩ロイヤルインテリジェントホテル
大浴場
露天風呂

 大浴場のみならず、露天風呂もあります。三つ並んだ円形の湯船には、キンモクセイ、日本酒などの入浴剤が入っており、私は日本酒風呂ばかり攻めてしまいました。

ボンルージュプラスカシス

 いつもはチューハイでカイジ豪遊ごっこなんですが、秋も深くなると醸造酒が飲みたくなりますね。萩の地酒でも選びたいところですが、地下帝国の豪遊が本当に豪遊になってはいけないので、メルシャンのボン・ルージュプラスカシスという全国どこでも買える酒を選んじゃったりして。アルコール分8%と比較的軽く、カシスとブルーベリーが入っていて飲みやすい赤ワインです。

男梅サワー追いレモン

 あと男梅サワーにレモンを加えた「男梅サワー追いレモン」というのも見つけたので買ってしまいました。アルコール分9%のストロング系はあまり好きではないのですが、これは5%と身体に優しそうだったので。それにしてもたまに酒を飲むとやたら爆睡してしまいますね。次回2日目です。

高岡旅行記②:瑞龍寺、古城公園、金屋町など

秋は夕暮れ

 平安中期の才女・清少納言は「枕草子」で「秋は夕暮れ」と指摘しました。私も全面的に賛成ですが、秋の夕暮れを題材にした秀歌は平安末期にならないと登場してこないようです。思い浮かぶのは小倉百人一首の良暹法師の「淋しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ」ぐらいでしょうか。

三夕の歌

 新古今和歌集の「三夕の歌」とか小倉百人一首の寂蓮法師の「村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ」とか。清少納言のセンスが時代に先行していたのか、末法思想とかが影響したものか。ちなみに「村雨の」の和歌は個人的小倉百人一首のベスト3です。他は文屋朝康の「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」と左京大夫顕輔(藤原顕輔)の「秋風に 棚引く雲の 絶間より もれ出づる月の 影のさやけさ」。秋の歌ばっかりですが、やはり秋が好きだからでしょうか。

家持くん

 唐突に和歌の話題でしたが、高岡市のマスコットキャラに大伴家持をモデルにした「家持くん」がいたのです。家持といえば「万葉集」編纂者の最有力候補ですが、歌人としても有名。家持は30才になる前に越中国司として高岡に赴任(越中国の国府は高岡市郊外にありました)し、在任した五年間に220首余りの秀歌を詠んだそうです。これにより高岡市は“万葉の里”と呼ばれ、越中文化発祥の地と称しているのです。

利長くん

 マスコットキャラはもう一人いて、それは「利長くん」。百万石でおなじみの加賀藩初代藩主前田利長が、隠居した後に住んだのが高岡で、「高岡」と命名したのもこの人です。

リアル家持くんと利長くん

 現在の富山県の県庁所在地は富山市ですが、高岡の方が歴史と伝統は長いように思えます。実際、見所も高岡市の方が多いような気がしてこちらに泊まったのですよね。

瑞龍寺その1

 一日目に訪ねた「雨晴海岸」は「家持くん」が和歌に詠んだ「有磯海」(ありそのうみ)だったので、二日目は「利長くん」にも配慮して瑞龍寺に向かいました。利長から家督を受けて二代目の加賀藩主になった前田利常(利長の異母弟)が、この地で亡くなった利長を弔うために建立した曹洞宗の寺院です。

瑞龍寺その2

 現在の伽藍は江戸時代前期の建築で、前田家の手厚い保護を受けました。山門、仏殿、法堂が一直線に並び、左右に回廊をめぐらして諸堂を対称的に配置する伽藍配置は大変美しいです。現在は東司(トイレ)と浴室が失われていますが、CGで再現されていたりして。

上空から見た瑞龍寺

 山門、仏殿、法堂が国宝とされていて、総門、大庫裏、僧堂、大茶堂、回廊が重要文化財とされています。富山県の国宝はこの瑞龍寺が現在まで唯一だそうです。拝観料は500円ですが、さすが加賀百万石と唸らずにはいられない立派なお寺です。

八丁道

 瑞龍寺から利長の墓所を一直線に結んでいる参道が八丁道。長さが八丁(約870メートル)あることからこの名前になったとか。昭和末の頃には当時の面影も失われていましたが、歴史的景観を再現するために大々的な整備事業が行われ、現在は石畳の遊歩道を中央に、左右に1車線ずつの車道を設けています。車の心配のないこういう道を散歩するのは大変気持ちがいいので、近所の人達が羨ましいですね。

前田利長墓所

 八丁道の終点には前田利長墓所。やはり利常が造営したもので、国の史跡に指定されており、武将のものとしては日本最大規模だそうです。利常は跡継ぎのなかった利長の養子になりましたが、異母弟である自分を百万石の後継者としてくれたことへの謝意が墓所や瑞龍院の見事さに表れているというのが定説だそうで。もっとも墓所の敷地は中学校やテニスコートになっていて、往時の三分の一程度になってしまっています。

古城公園マップ
古城公園

 続いて高岡古城公園へ。高岡城は前田利長の隠居城として1609年に築城されましたが、1615年の一国一城令によって廃城とされ、城があったのはごく短期間でした。しかし廃城後も加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが置かれ、軍事拠点としての機能は密かに維持されており、濠もそのまま残されていました。現在も築城当時の濠塁をほぼそのまま残していて、総面積は約21万m2(71,261坪)。

空から見た古城公園

 駅から徒歩10分で市民の憩いの場となっています。財団法人日本城郭協会が2006年に定めた「日本100名城」に富山県から唯一選ばれており、また桜の名所としても有名で、春には18種約1800本の桜が咲き誇り、日本さくら名所100選にも選定されています。

金屋町

 いい加減足も疲れてきましたが、ここまで来たらもう一踏ん張りだと金屋町へ。高岡城の城下町の繁栄を図った前田利長が、鋳物師を住まわせて高岡銅器産業の中心となった町です。現在も千本格子造りの街並みが残り、石畳の道と相まって高岡市の観光地のひとつになっています。雰囲気としては金沢の茶屋街に近いものを感じました。

富山駅

 というところでお昼になり、帰りの新幹線の時間もあるので高岡市を後にして富山市に向かいました。2時間半は歩き通しましたね。各所とも高岡駅を中心とするとさほど離れていない場所にありますが、全部を回るとそれなりに疲れます。富山駅も北陸新幹線が通って立派になりました。

富山城址公園

 少し時間があったので富山城址にも行きました。「日本100名城」には入れませんでしたが、やはり財団法人日本城郭協会が2017年に定めた「続日本100名城」には選ばれました。米沢城、秋田城、浜松城、大垣城なんかも「続」の方で選ばれているんですね。現在は本丸と西の丸の一部だけが残っています。ほぼ全域が残る高岡古城公園に比べるとやはり小さいですね。昼食は久々にサイゼリアに入ろうと思ったら混んでいたので中華料理店で油淋鶏定食。全然富山と関係ありません(笑)。

高岡のドラえもんキャラ像

 忘れていましたが、高岡は藤子不二雄(藤子・F・不二雄)の出身地で、ドラえもんをはじめ多くのキャラクターに出会える場所が点在しています。隣の氷見市は藤子不二雄(A)(本当は○の中にA)の出身地で、忍者ハットリくんや怪物くんなどのキャラが点在しているそうです。子供の頃はよく読みましたね。でも、今興味があるかと言われると…なのでほぼガン無視してしまいました。お好きな方はそれ目的で高岡・氷見に行ってもいいんじゃないかと思います。
 

高岡旅行記①:雨晴海岸、高岡大仏と山町筋

秋の夕暮れ

 台風が上手い具合に海にそれてくれたおかげで大きな被害がなくて良かったですね。それにしても一気に秋めいた気候になりました。今年の夏は8月1日に始まり、9月18日に終わったという感じでしょうか。ただしこれは単なる「夏」ではなくて「猛暑」の日々のことなので、50日近く続けばもうお腹いっぱいです。ああ、秋は尊いですね。

富山県マップ

 先日の4連休を利用してちょっくら富山に行ってきたので今回はその話題を。実は最近「47都道府県に一泊しよう」という企画を考えつきまして。それで今までどれくらい泊まってきたかなと考えたら、出張とか研修といった仕事がらみを含めたら結構いろんな所に行っていて、42都道府県に泊まっていました。昨年高知、福井、鳥取、今年の夏に香川をクリアし、今回富山に初宿泊したことで43都道府県をクリア。残りは岡山、徳島、山口、佐賀の4県です。どこが最後まで残るんでしょうか。一つだけ残して「最後まで泊まらなかった県」というのがあってもいいかも知れません。

富山の薬屋

 富山県は比較的小さくてこじんまりとまとまった印象のある県ですが、それでも一泊二日で全容を把握できるわけもなく。今回は高岡市を中心に攻めてみました。というのも富山市は10年位前に列車の遅れで2時間位滞在せざるを得ないという事があって、薬屋とか豪農の家とかをちょっと観光したことがあったんですよ。それとぜひ雨晴海岸に行ってみたいと思っていたので。

北陸新幹線

 北陸新幹線で富山駅へ。そこから「あいの風とやま鉄道」に乗りかえて高岡駅へ。さらにJR氷見線に乗り換えて雨晴駅へ。雨晴海岸は能登半島国定公園の一部で、日本の渚百選にも選ばれています。富山湾は深くて、急に深海に落ち込んでいるので浅い海底がほとんどありませんが、雨晴海岸は富山湾では貴重な白砂青松の海岸です。

立山連峰が見える雨晴海岸
雨晴海岸

 何よりも富山湾越しに立山連峰の3,000メートル級の山々を望むことができるのが人気の理由なんですが、まだようやく暑さが収まったという時期ではこういう絶景は望むべくもなく。それでも綺麗な海岸ですけどね。

女岩

 立山連峰と一緒に望むことになる女岩だけはちゃんと見られました。周囲の小さな岩が母親とたくさんの子供のように見えることから「女岩」と呼ばれるようになったとか。

義経岩

 「雨晴(あめはらし)」の名前の由来は、源義経一行が奥州平泉へ向かう途中でこの地で雨に遭い、弁慶が岩を持ち上げたその陰で雨宿りをしたという伝説です。その雨宿りした岩が「義経岩」として残っていて、岩の上には義経神社が建立されているほか、「義経の腰掛」や「弁慶の足跡」といわれる跡が残っています。

道の駅雨晴

 義経岩と道路を挟んだ向かい側には道の駅雨晴があって、絶景を楽しめるスポットとなっています。雨晴海岸は非常に眺めの良い場所なので皆さんぜひ一度は訪れて欲しいのですが、食事処がないという致命的欠点(?)が。道の駅には一応お店がありますが、混み合っていて利用する気になれませんでした。ここを除くと自販機しか見当たりません。

雨晴駅

 じゃあ高岡駅に戻ってランチを…と思ったら、次の列車は1時間40分待ちというまさかの事態に。ローカル線と言っても一時間に一本位はあるだろうと甘く見てちゃんとチェックしていなかったのがいけないのですが、これは…。いやあ、スマホゲーが進みましたよ(笑)。スマホがなかったらえらいことでした。雨晴駅からも海は見えますが、いくら風光明媚でも100分も見ていられません。

らぁめん次元

 何とか高岡に戻って、やっと遅い昼食。富山というと富山ブラックというラーメンが有名で、駅近くの「らぁめん次元」という店に入ろうと思ったのですが、昼食時は過ぎているはずなのに待たなければ入れない状態で。腹ペコペコで待ってられないので地下街のタイショウカリーという店に変更。ラーメンがなければカレーを食べればいいじゃない。

タイショウカリー

 「お得なセットメニューNo.3」(カレーL+とろとろチーズ+メンチカツ)と角ハイボールで1500円。ラーメンとカレーは日本人の国民食ですね。どちらか選んで、選ばなかった方は二度と食べられないなんてことになったらどちらを選びますか?

高岡大仏

 カレーを食べたら3時過ぎ。正直ホテルにチェックインしてひとっ風呂浴びて「カイジ豪遊ごっこ」をしたくなったのですが、雨晴海岸だけで市内を全然観光しないのもいかがなものかと、近場にある高岡大仏に向かいました。大仏は露天で設置されており、台座の内部にも無料で入れます。奈良の大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大仏なんだそうですが…実は建造されてまだ100年も経っていません。

牛久大仏

 大きさだけでいうなら我が筑波嶺には牛久大仏というのがあってですね。「グラップラー刃牙」の「全選手入場」風に言えば「デカァァァァァいッ説明不要!!120メートル!!!4000トン!!!牛久大仏だ!!!」…ということになるんですが、立っているあたりが反則かも知れません。しかし座らせたって絶対奈良の大仏より大きいはず。

土蔵造りのまち資料館

 大仏のそばには山町筋というのがあって、伝統的建造物が数多く残っているということなので、4時近くになっていましたが足を伸ばしてみました。高岡では1900(明治33)年に大火災があって、市街の6割が焼失したそうですが、山町筋では土蔵造りの家屋が焼け残ったことから、周辺の建物は土蔵造りで再建されたということです。「高岡市土蔵造りのまち資料館(旧室崎家住宅)」では、土蔵造りの商家を一般公開していました。

菅野家住宅
旧富山銀行

 他にも重要文化財に指定されている菅野家住宅や、赤レンガの旧富山銀行本店などがあります。銀行はなんか東京駅に似ているなと思ったら、東京駅を設計した辰野金吾が監修したそうです。

7基の御車山

 山町筋では毎年5月1日に高岡御車山祭が開催され、7基の御車山(みくるまやま)が優雅な囃子とともに旧市街を巡行するそうですが、その御車山を展示し、祭礼及び山町の由緒と歴史を辿ることができるのが、高岡御山車山会館。

御車山会館

 内部では7基の山車の内の1基と、展示用に制作された実物大レプリカ 「平成の御車山」1基が常設展示されています。233インチ大型4Kスクリーンシアターでは祭礼の様子を紹介する映像も上映されますが、なんと私一人のために上映してくれました。42席もあるシアターで一人で座っているというのはなんとも贅沢というか申し訳ないというか。

御車山巡行

 映像で見るだけでも華やかかつ雅な祭礼であることは判りましたが、今年は新型コロナ禍で開催されなかったそうです。来年は開催できるといいですね。

ルートイン高岡駅前

 さて5時を過ぎてホテル着。今宵のホテルは駅前の「ルートイン高岡駅前」。2017年3月にオープンしたまだ新しいホテルです。GoToトラベルキャンペーンなどのおかげで安く泊まれましたが、もともととってもコストパフォーマンスの良いビジネスホテルです。高層階のコンフォートフロアに泊まっちゃいました。

ルートイン高岡駅前大浴場

 そして最近はまっている大浴場。下田のホテルマルセイユには残念ながらなかったけど、高松のドーミーインでもお世話になりました。涼しくなって風呂がまた快適になってきたので、朝も入ってしまいました。

コンフォートルーム

 例の如く一人で「カイジ豪遊ごっこ」を繰り広げたのですが、今回スーパーに行ったのが遅かったせいか惣菜が少なくて、「豪遊」史上もっとも質素だったと思います。でもその分ホテルの自販機で酒を買い足したりして、飲む方は史上最多になってしまったような。でも二日酔いはしないのだ。二日目は明日の記事で。

カイジ豪遊

下田旅行記②:下田観光と石廊崎

残暑ネコ

 台風10号は相変わらず北に一直線ルート。おかげでコースから外れた筑波嶺ですが、影響はないわけではなく、雨が断続的に降っています。天気が良くないせいで暑さは一段落ですが、まだまだ秋の長雨という感じではないですね。本格的な秋はいつ来るのやら。

寝姿山ロープウェイ

 昨日の続きで下田旅行の話です。サフィール踊り子に乗るのは主目的とはいえ、せっかく下田まで来たのに乗ってきた列車で帰るのはあんまりなので、一泊していくことにしました。

ロープウェイ乗り場

 まず向かったのは寝姿山ロープウェイ。乗り場は駅のそばです。寝姿山には以前行っているのですが、もう10年ぐらい前なのでもう一度行ってみようかと。

寝姿山

 山容が仰向けに寝ている女性の姿に似ているということで寝姿山という名前が付いたそうですが、ロープウェイに乗ったらすぐに山頂に到着します。山頂からは下田市街に下田港、伊豆七島が一望。大島はもちろんのこと、利島、式根島、神津島、新島、鵜渡根島、三宅島まで見ることが出来ます。これで一応七島ですが、下田から見える島=伊豆七島という訳ではないようです。

愛染堂
黒船見張所

 寝姿山には展望台のほか、愛染堂、石割楠、黒船見張所跡、ハーブ園などがあります。

ペリーの下田上陸

 下界に降りたら、ペリーロードに向かうことにします。1854年に日米下田条約締結に向かうペリーが、300人の部下を引き連れ下田港から了仙寺まで行進した約400メートルの道のりがペリーロードと呼ばれています。

宝福寺

 その途中には坂本龍馬と唐人お吉に縁のある宝福寺。龍馬の場合は、勝海舟が宝福寺に投宿していた山内容堂と会見して脱藩の罪を許してもらったというエピソードがあり、唐人お吉については墓があります。たった三日でハリスの下から帰されたのに後生の小説・映画といったフィクションのせいでことさら悲劇の人物にされてしまった観がありますが、そのおかげ(?)で宝福寺には唐人お吉記念館があったりします。

欠乏所跡

 欠乏所跡。日米和親条約に基づいて下田が開港された後、入港してくる外国船の乗組員たちに薪・水・食料などの「欠乏品」を提供する拠点として使われたのが「欠乏所」ですが、欠乏品=相手が持っていないものという拡大解釈が行われ、事実上の貿易が始まりました。商人のしたたかさを感じますが、しっかり税を取っていた幕府もなかなか…。現在は民家風のカフェになっています。

了仙寺

 了仙寺。日米和親条約の付属条約、下田条約が締結された場で、黒船ミュージアムが併設されています。

ペリーロード1
ペリーロード2

 そしてペリーロード。石倉やなまこ壁の町並みが残る風情のある川沿いの小径です。ペリー云々は抜きにしても良い感じの通りです。

下田グランドホテル

 ペリーロードから下田公園内にある下田グランドホテルの廃墟の姿が。幼少の頃、家族旅行でここに泊まった記憶があるのですが、廃墟としてなお残っていたとは。

下田海中水族館
下田湾クルーズ

 下田公園を抜けると下田海中水族館。また下田港内めぐりをする黒船風の遊覧船もありますが、ちょっと前にどちらも体験したので今回はパス。下田海中水族館は特に特にお勧めです。次から次へとイベントが開催されるので楽しいです。

ホテルマルセイユ

 宿泊は駅前のホテルマルセイユ。下田は観光地だし温泉が出るのでリゾートホテルや旅館ばかりなのですが、例によってビジホを選択しました。ここはビジホという訳ではないかも知れませんが、駅のそばだしすぐそばにスーパーもあるので便利です。大浴場があればな…なんて欲張ったことを思ったりもしましたが、真夏のように暑かったのでなきゃないで。夜は例によって「キンキンに冷えてやがる!」と「カイジ豪遊ごっこ」にいそしみました。

石廊崎行きのバス

 翌日。まだ行ったことがなかった伊豆半島最南端の石廊崎に行ってみます。タクシーで豪遊した頃もありましたが(確か…さ、佐渡…うっ、頭が…)、駅前から出る路線バスで行きます。路線バスだけど片道1020円もかかってしまいますが、綺麗な海や海岸を見られるので元は取れるような。

石廊崎オーシャンパーク
ジャングルパーク廃墟

 石廊崎。かつては「石廊崎ジャングルパーク」という植物のテーマパークがありましたが、2003年に閉園し、廃墟となっていましたが、2019年に「石廊崎オーシャンパーク」として開園されています。

石廊崎灯台

 岬の先端付近には石廊崎灯台。「日本の灯台50選」にも選ばれている中型灯台です。石廊崎は古来航海の難所だったということで、灯台設置は1871(明治4)年と早く、日本では10番目に古い洋式灯台でした。現在の灯台は二代目。ここが岬の突端のように思えますが、まだ下に降りる階段があり…

石室神社

 灯台の先にある石室(いろう)神社。社殿は海岸の岩窟上に立てられています。

石室神社の帆柱

 社殿の下には千石船の帆柱があり、一部ガラス張りになっていて見ることが出来ます。海面に近づいたとはいってもなお30メートル以上はあり、どうしてこんな断崖絶壁に帆柱があるのか。伝説によると、石廊崎沖で嵐に遭った千石船が、帆柱を石廊権現に奉納すると誓って祈ったところ、無事に江戸に到着することができましたが、帆柱奉納のことをすっかり忘れていた帰路、何故か石廊崎の沖で船が進まなくなり、天候が急変して暴風雨となりました。誓いを思い出した船主が千石船の帆柱を斧で切り倒すと、帆柱はひとりでに波に乗り、断崖絶壁を石廊権現の社殿あたりまで、まるで供えたかのように打ち上げられ、同時に暴風雨も鎮まったそうですが、神様はそんなに帆柱が欲しかったんかい(笑)。「石廊崎権現の帆柱」として伊豆七不思議の一つに数えられています。

熊野神社

 ここが最先端かと思いきや、なお先があります。50メートルほど先に進むと熊野神社が。ここが最突端。こちらは縁結びに御利益があるとされており、恋人達のパワースポットになっているとか。神社というよりは祠で、石室神社には人がいるけどこちらは無人です。

熊野神社の祠

 神社とか伝説より、とにかく海と海岸が素晴らしですね。石廊崎は日本最南端でも本州最南端でもないのですが、そう言われたら信じてしまいそうに雰囲気があります。私は乗りませんでしたが石廊崎岬めぐりの遊覧船も出ています。 

空から見た石廊崎
石廊崎遊覧船

下田旅行記①:サフィール踊り子のプレミアムグリーンに乗りました

台風10号の予想進路

 9月に入りましたが相変わらず暑い日が続いていますね。大型で非常に強い台風10号も恐いですね。いつもだと台風はシュート回転するかのように日本列島を縦断するようなコースを取ってくるのですが、今年は先日の台風9号といい今回の10号といい、比較的ストレートに北上していくような。おかげで筑波嶺方面は比較的心配がないのですが、台風の予想コース上の方々にはお見舞い申し上げます。特に熊本は7月に豪雨の水害があってまた台風が来るのではたまったものではないですね。

伊豆イラストマップ

 先日下田に行ってきたので本日はその話題を。佐渡や高松に比べると近場ですが、伊豆は首都圏に近いのですが、下田と含む南伊豆エリアは妙に南国っぽい独特の雰囲気がありますね。首都圏から近い観光地なのでこれまでに何度も訪れたことがあり、下田だけでも5~6度は訪れているのですが、ブログに書くのは今回初めてですね。

サフィールイメージ

 何度も訪れた下田に今更どうして、と問われるならば、新型特急に乗りたかったから、と答えることになります。そう、「乗り鉄」の気があるんですよワタシ。本年3月にデビューした「サフィール踊り子」。「サフィール(Saphir)」はサファイアを意味するフランス語だそうで、「青く美しい伊豆の海と空」をイメージしているのだとか。あえてフランス語を使うあたりがすかしているというか何というか。

スーパービュー踊り子

 それまでは「スーパービュー踊り子」が走っていました。1990年デビューということで30年も走っていたんですね。JR初のリゾート仕様のデザインは、今見ても古さを感じさせませんが、さすがに30年も使っていたのなら替え時と言わざるを得ないですね。

サフィール踊り子

 「スーパービュー踊り子」はグリーン席から埋まっていくと言われましたが、それならばと全席グリーンにしてしまったのが「サフィール踊り子」。通常のグリーン席とグリーン個室(4人用と6人用)の他、プレミアムグリーン席が設定されました。

新幹線のグランクラス

 グリーン席を超えるグレードの席といえば、東北・北海道新幹線及び北陸新幹線に設定されたグランクラスがありますが、プレミアムグリーンとはいかなるものなのか。千反田える並に「私、気になります!」となったので、どうせ乗るならプレミアムグリーン!と決意したのですが、意外な落とし穴が。

みどりの窓口

 私は通常「えきねっと」などネット予約サービスで席を予約するのですが、プレミアムグリーン席はどういうわけか「えきねっと」で予約ができないのです。じゃあどうすればいいのかと言えば、駅の「みどりの窓口」か指定席券売機で購入するしかないんですね。「えきねっと」が利用できない理由は不明ですが。さらにグリーン個室になると「みどりの窓口」でしか買えないという。

指定席券売機

 弱冠理不尽さを感じつつも、駅は毎日のように利用するので特に問題なく指定席券売機でプレミアムグリーン席を購入できました。さて、当時は東京駅11時発です。ということは昼食が必要ということで、東京駅地下のグランスタに向かいました。

駅弁屋祭

 東京駅で駅弁を買うということになると、「駅弁屋祭」あたりがポピュラーかと思います。私も何度となく利用していますし、全国各地の有名駅弁や人気駅弁が買えるので大人気です。しかし、弱冠高いのですよね。たまの旅行、駅弁にもちょっと張り込もうかという乗客の心理を巧妙に突いているのでしょう。もちろんそれで全く問題ないのですが、私は最近グランスタで弁当を物色するのが好きになっていて。

グランスタ

 グランスタは8時開店なので、遠距離に旅立つ場合はまだ開いていない場合も多くて、そういう場合は駅弁屋一択なんですが、8時を回っていたらとりあえずグランスタに行きます。お店が沢山遭って品数豊富ということもありますが、駅弁屋より弱冠安いんですよね。もちろん種類によっては駅弁屋の駅弁と同じくらいだったりもっと高いもの弁当もあるのですが、三桁の弁当があるというところが決定的な差。プレミアムグリーンに乗ろうというわりには非情にセコい話をしていますが、全方位に贅沢できるほどの財力がないもので(笑)。

ごちそう海苔弁当

 で、購入したのがまい泉の「ごちそう海苔弁当」999円。ギリ1000円を切っているあたりが泣かせますが、袋が有料になったので結局トータルでは4桁になってしまうという。スーパーやコンビニはいざ知らず、これから旅立つという時に弁当屋で袋なしで弁当を買うというのはあまりにも…駅の弁当屋は例外で無料にしてもいいんじゃないですかね?

サフィール踊り子
プレミアムグリーンのマーク

 さてサフィール踊り子です。プレミアムグリーンは1号車。下田に向かう際は先頭ですが、東京に向かう際は最後尾になります。座席は2席×10列で車両定員は20人。カウルに覆われた座席は電動リクライニングで、倒しても後席に影響は出ません。フットレストも出ます。

プレミアムグリーンその2

 しかし…新幹線のグランクラスと比べるとどうかというと、明らかにグランクラス>プレミアムグリーンですね。リクライニングの角度が全然違います。ま、東京から下田まで乗っても2時間半強程度なのでそんなに疲れはしないのですが。

プレミアムグリーン

 あとカウル。妙に光沢があるので、前席のカウルにきもいおっさんの姿が映って快適性に悪影響が。これは人によってはイケメンとか美女が映るので何ら問題ないということになるかも知れませんが、マットに仕上げた方が良かったと思います。それとリクライニングするとカウルが邪魔で外が見にくいのと、二人で隣同士に座った場合も会話がしにくそうです。

2列で通路

 じゃあ他人同士ならいいのかというと、距離感が微妙で。また席の間隔があんまり広くないので、窓際の席から通路に出ようとする場合通路側の席の人のフットレストはとっても邪魔になります。二席の中央を通路にするか、もっと座席の間隔を広くすれば良かったと思います。

外が見にくい席

 あと窓。リゾート列車だし伊豆の海や伊豆七島を見るというのが楽しみの一つだと思いますが、座席によっては妙に窓の面積が狭いです。新幹線ならともかく、リゾート特急で外が見にくい席があるというのはいただけません。私が座った5Aは眺望という点ではかなり駄目な席でした。しかもカウルが邪魔をするので、リクライニングすると余計に見づらくなります。しかし帰りも5Aに乗ったのですが、上りになって座席が反転したらあら不思議、やたらに眺望のいい席に変身していました。窓と、窓と窓の間のピラーの位置をもっと考慮に入れた座席配置をするべきだったんじゃないかと思います。

サフィールのグリーン車

 結論。グリーン席でいいと思います。2+1の三席配置ですが、一人席に座ればプレミアムグリーン席と遜色ないような。一人席は山側になるので海は見にくいかも知れませんが、プレミアムグリーン席の窓際でも席によっては見づらいから(笑)。

駅から湯煙

 あとこれはサフィールに限った話ではありませんが、風景が良くなるのはほぼ熱海以降。なので乗車時間にしてほぼ半分の熱海で降りると車窓的には極めて残念なことになります。もちろん熱海は熱海で楽しいと思いますが、せっかくサフィールに乗るなら最低伊東駅までは行きたいところではないかと思います。熱海に行くなら新幹線で。速いし。個人的には駅からも湯煙が見える熱川駅までは乗って貰いたいところです。

高松旅行記②:私の「屋島作戦」

処暑の候

 昨日処暑を過ぎましたが、朝夕はちょっと過ごしやすくなってきた気がします。気候よりも時の移ろいを明確に示しているのは日の入りで、夕方の気配がだんだん早まってきました。早く涼しくならないかなと思いますが、夏が過ぎ去るのを感じるのも寂しいものです。

金刀比羅宮の階段
敗北をプレゼントしよう

 さて昨日の続きで高松旅行記です。二日目は屋島へ。当初は金刀比羅宮を考えていたのですが、この猛暑の中、800段近い階段を上り下りするのは敗北を知りたい最凶死刑囚くらいだとある人から忠告されまして。

死ぬわアイツ

 階段は好きな方なんですが、とにかく今年一番クラスの猛暑。無理に挑んでも多分こんな風にディスられるのがオチですね。ということで日和って行き先を変更しました。

屋島

 屋島はその名のとおりかつては島でしたが、現在は浅い海が埋め立てられて陸続きになっています。屋根のような形状から屋島と名付けられました。周辺は風化に弱い花崗岩ですが、屋島は安山岩に覆われていて大地として残ったようです。

ことでん志度線

 ホテルからは瓦町駅まで歩いて高松琴平電気鉄道(通称ことでん)の志度線に乗って琴電屋島駅へ。駅を出るとすぐそばに屋島山上行きのことでんバス屋島山上線のバスが待っていました。もちろん徒歩で上ることも可能なんですが、屋島は一番高いところで292メートルあり、山上まで登ったら金刀比羅宮行きとあまり変わらない気がしたので、ここは文明の利器を使わせて貰いましょう。
ことでんバス

 シャトルバスは100円で、屋島スカイウェイを登っていきます。以前は有料道路だったそうですが、2017年7月に無料化されました。

屋島寺 

 山上でまず向かったのは屋島寺。京都の仁和寺を総本山とする真言宗御室派の寺院で、四国八十八箇所霊場の第八十四番札所でもあります。奈良時代の開創ですが、弘法大師空海が場所の屋島の北嶺から南嶺に移したそうです。国有林を除くと、屋島山上の敷地のほとんどは屋島寺が所有しているそうです。

瑠璃宝の池

 敷地には「瑠璃宝の池」という池がありますが、別名はなんと「血の池」。源平合戦の武士たちが血の付いた刀を洗ったことからそう呼ばれるようになったそうです。今は全く血の色はありません。

芭蕉の句碑

 境内には芭蕉の「夏艸やつはものどもの夢の跡」という句碑がありましたが、これって平泉で詠んだ句では…。屋島も古戦場だからということでしょうか。

屋島の戦い

 屋島といえば有名なのが治承・寿永の乱、いわゆる源平合戦の戦いの一つ、屋島の戦いですね。1185年3月、源義経は小勢で四国に渡り、陸側から強襲しました。周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけたこともあり、海上からの攻撃のみを予想していた平氏軍は狼狽し、船で海上へ逃げ出します。その後源氏側が小勢であることを知った平氏側は船上から反撃を行い、激しい矢合戦となりました。

那須与一

 夕刻になり休戦状態となった時、平氏側から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発してきたのに対し、下野国の武士・那須与一が見事射貫き、両軍が賛嘆したという風流というか悠長というかというエピソードは有名ですね。

ヤシマ作戦

 ちなみに「新世紀エヴァンゲリオン」第六話「決戦、新第3東京市」で第5使徒ラミエルを撃破するべく行われた「ヤシマ作戦」の名前は、作戦が超長距離狙撃であったことから、屋島の戦いの上記エピソードを由来としています。

壇ノ浦の戦い
衣川の戦い

 屋島の陥落により、平氏は四国における拠点を失い、その頃既に九州は義経の兄・範頼の大軍が制圧していたため、平氏は孤立してしまいます。そして義経は水軍を編成し、最後の決戦である壇ノ浦の戦いに臨むことになります。見事平氏を滅亡させたヒーロー・義経も、数年後には奥州・衣川で没することになりますが、それはまた別のお話。

深屋島水族館

 猛暑にめげつつ、周辺を散策。新屋島水族館がありました。海はすぐそばとはいえ、標高約300mの山上にあるという珍しい水族館です。館内は涼しいかも…とそそられましたが、おっさんが一人で水族館というもどうかと(いや、全然問題ないんですけどNE!)思ってパス。

談古嶺からの眺め

 屋島の戦いの舞台を眼下に望める談古嶺展望台。小豆島、五剣山なども一望できる屋島三大展望台の一つです。明治30(1897)年に源平の武士達を偲んで命名されたというので、そんなに古いものではありません。

ホテル甚五郎

 ヒャッハーな輩に壊された旅館(ホテル甚五郎)がありました。おそらくヒャッハーが襲撃してこうなったのではなく、つぶれた後にヒャッハーが来たのだと思いますが。後で調べたら2002年倒産ということで、結構年季が入っていました。廃墟ホテルとして結構有名なんだそうです。心霊スポットという噂もありますが、何しろ暑くてヘロヘロだったので何も感じず通り過ぎました。

四国村

 再びバスに乗って麓にある四国村へ。日本の江戸時代から明治時代の民家を中心とする古建築をテーマとする博物館で、1976年開館。とにかく敷地が広大で、ほぼ全ての建造物が文化財の指定・登録を受けているそうです。料金は千円。

かずら橋

 ヘロヘロついでに中を歩きますが、入り口のかずら橋(吊り橋)でめげてしまいました。手すりはあるので下には落ちないにしても、足がずぼっとはまりそうで。7,8歩進んで転進しましたが、迂回路があるので平気です。

河野家住宅

 いろんな古民家を見て回りますが、スズメバチらしき大型の蜂が威嚇するように飛んできたりしてビビりまくりました。暑さもあって全部は見きれませんでしたが、7,8割方は見ましたかね。

風鈴飾り

 琴電屋島駅と屋島山上を結ぶバスは四国村にも停まるのですが、屋島駅からだと歩いても数分という距離なので、利用者はもっぱら山上から降りてきた人でしょう。敷地が広いせいか、コロナウイルスのせいか、とにかく人気が少ないです。高松が全般的に人気が少なかった気もしますが(笑)。

一鶴

 昼時を過ぎたので昼食。昨日に続いて讃岐うどんでもいいのですが、骨付鳥も高松名物なんだそうです。知人にお勧めされた一鶴という店が琴電屋島駅のすぐそばにあったので入ってみました。本店は丸亀で、創業1952年、以来骨付鳥一筋だそうです。

骨付鶏にとりめし

 鶏もも肉をまるごと一本、独自のスパイスで味付けして蒸し焼きにしています。“おやどり”と“ひなどり”が選べますが、ここは大きめなおやどりを選び、炊き込みご飯のとりめしも注文。そして生ビールと、一鶴推奨三点セット。豪快にかぶりつくのが正しい食べ方だということで、やらせていただきました。大変美味しいですが、初々しいカップルの初デートには向かないかも知れません(笑)。骨付鳥にかぶりつく姿を見せ合ってこそ本物なんでしょうけどね。

高松市遠景

 高松、いいじゃないですか。次に来るときは夏以外にして、今度こそ金刀比羅宮を訪ねたいですが、讃岐うどんと骨付鳥はまた味わいたいですね。

高松旅行記①:玉藻公園と栗林公園

土砂降り

 昼前に土砂降りに見舞われた筑波嶺です。暑さは一段落しましたが湿気が凄くて、あの長かった梅雨が戻ってきたようです。猛暑も辛いけど梅雨もなあ。速いところ秋の長雨モードに移行して貰いたいものです。

あたいの夏休み

 さて35年近く前に中島みゆき出した「あたいの夏休み」というシングルに“やっと三日貰えるのが夏休み”というくだりがありましたが、私もやっと貰った三日の夏休みで高松に行ってきましたので本日はその件を。

マリンライナー

 高松なら大阪勤務中に行けば近かったのですが、近いが故にイマイチそそられず、代わりに高知に行ったりしていました。在来線特急とか乗りたいんですよね。新幹線で岡山まで行って、快速マリンライナーに乗り換えて高松。岡山-高松間は一時間足らずなので、両都市間は通勤も可能ですね。

高松駅

 高松駅は近代的に整備されています。愛称は「さぬき高松うどん駅」。香川県の愛称(?)は「うどん県」だそうですが、本当に讃岐うどんが好きみたいですね。美味いことでは定評のある讃岐うどん、私も早速食べてみました。

岡じま
温玉肉うどん

 お店は「岡じま」。温玉肉ぶっかけうどん(冷)で、カボチャの天ぷらとメンチカツ、さらに半熟卵の天ぷらをトッピングしたりして。卵二つって何だ(笑)。某板○英○の生き霊にでも取り憑かれたのか…いやいやあの人が好きなのはゆで卵。私のはどちらも半熟なのでちょっと違いますから。讃岐うどんはとにかく「コシ」ですね。

玉藻公園

 その後まず向かったのは高松城跡。現在は市の所有で「玉藻公園」となっています。城跡というのは公園となって市民の憩いの場と化している例が多いですが、玉藻公園は200円とはいえ有料なのでそんなに人がいません。

月見櫓

 現在は天守閣がなく、櫓としては月見櫓、艮(うしとら)櫓、渡櫓が残っていて重文指定されています。艮櫓はその名の通り城の縄張りの丑寅(北東)にあったのですが、現在は南東に移されています。じゃあ辰巳櫓に改名しろとツッコみたくなりますね。

披雲閣

 大正時代になって殿様だった松平家が建てた「披雲閣」も重文指定されています。別邸だそうですが、建築面積1,916平方メートルで本邸でもおかしくない規模です。武士の商法とか言って明治になって没落した士族が多い中、さすがに殿様は没落しないのでしょうか。

濠の鯛

 高松駅のすぐそばという抜群の立地、濠にに海水が引き込まれ、城内に直接軍船が出入りできる海城という日本では珍しい城郭であるということで、高松を訪れた観光客はほぼ必ず来るんではないかと思います。濠には黒鯛などが泳いでいて、エサをやることができます。江戸時代も殿様が食べる鯛は濠から獲ってたりして。

栗林公園入り口

 続いて向かったのは栗林公園。国の特別名勝に指定されている回遊式の大名庭園(日本庭園)です。江戸時代の庭園といえば三名園(偕楽園、兼六園、後楽園)が有名ですが、栗林公園は三名園に勝るとも劣らぬ名園とされています。

栗林公園全体図

 16世紀後半、地元の豪族佐藤氏によって作られた庭園が基礎となり、その後生駒氏から松平氏に藩主が変わり、1745年に庭園が完成しました。2009年に「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で最高評価の三つ星を獲得しています。

栗林公園

 6つの池と13の築山を配し、紫雲山を借景にしており、面積は約75haと国内最大の広さの庭園です。季節が良かったら隅々まで歩いていきたいところでしたが、この日はとにかく暑くて。玉藻公園で既にへろへろだったので、栗林公園は半分くらいしか見られませんでした。

栗林公園の錦鯉

 こちらの池には錦鯉がたくさん。玉藻公園で鯛にエサをやったので、こちらもやらんとと思って暑いのを我慢してエサをばらまきました。食べれば鯛の方が美味いのでしょうが、餌付けはやはり鯉の方が面白いですね。人面魚みたいなのもいたりして。

高松中央公園前

 お宿はドーミーイン。高松には二つもドーミーインがあるのですが、私は新しい高松中央公園前の方を選びました。ドーミーインといえば大浴場ですが、ここは露天風呂やサウナもついている豪華版です。とにかく暑かったので露天風呂にさっくりと入っただけでしたが、夏以外の季節ならもっとじっくり堪能できたのに。部屋にもシャワーブースがあって、夏場はこれだけでも十分です。

高松中央公園前の朝食

 コロナウイルス対策で、バイキングが変則になっていえ、全て小皿に盛られてラップに包まれていたので、やたらかさばりましたが、味の方は結構でした。朝カレーや天ぷらもあり、讃岐うどんもありました。二日目に続きます。

佐渡旅行記②:佐渡と言えばやはり金山

豪雨

 今年の梅雨は長いですね。梅雨明けは8月にずれ込むとの見方もあるようです。梅雨明け前は豪雨になりやすいそうですが、今朝も豪雨で目が覚めました。慌てて窓を閉める午前4時過ぎ。

本来の朝食

 さて昨日の続きで佐渡旅行記のその2です。たびのホテル佐渡の朝食は本来バイキングだそうですが、コロナ禍のせいで店員さんがおかずを色々載せたお盆を持ってきてくれます。ご飯味噌汁はおかわりOKだそうですが、おかずがたっぷりなので十分でした。まあ好きな物をたっぷり取れるバイキングの方が好きではありますけどね。

佐渡総合病院

 昨日はレインメーカーとなってタクシーを使いまくったのですが、カイジの如く一夜明けて豪遊を反省しました。本日は路線バスで佐渡金山に向かうことにします。乗り場はホテル近くの佐渡総合病院にありました。佐渡初のコロナウイルス患者が入院しているそうです。

新潟交通佐渡のバス

 新潟交通佐渡の本線で佐渡金山前まで。全ての便がダイレクトで金山に行けるわけではないようですが、約1時間かけて金山着。途中「きらりうむ佐渡」「相川博物館前」「佐渡版画村」など、心引かれるような名前の停車場もあったのですが、なにはともあれ佐渡金山。

佐渡金山入り口

 佐渡金山のイメージといえば、江戸の無宿者を捕まえて無理矢理佐渡に送り、鉱山で死ぬまでこき使われるというものでしたが、これは見せしめの意味合いが強かったそうで、実際には普通の労働者の方が圧倒的に多かったようです。給与水準が高かったので農家の次男三男などが働いたほか、女性や子供にも専門の仕事がありました。そのため、周辺の町は大変栄えたようです。

お得な共通券

 個人での見学は江戸時代の宗太夫坑と明治時代の道遊坑。料金はそれぞれ900円ですが、セットだと1400円とお得になります。初めて来て二度来るかどうかわからないのなら、セット一択というものです。

人形による再現

 宗大夫坑は江戸初期に開発された坑道・採掘跡で、人形が採掘作業を再現しています。暗い鉱山内での仕事はきつそうですし、「酒が飲みたい、馴染みの女に会いたい」なんてぼやいている人形もいましたが、専門技術者も多く、彼らへの待遇は決して悪いものではなく、我慢して働けば実入りはしっかりあったようなので、カイジの地下帝国強制労働施設とは全然違います。

新鉱脈発見のお祝い

 坑道内の気温は年間を通じて約10度前後ということで、涼しいというよりは寒いくらいですが、暑い中働くくらいならこれくらいの気温の中で働いた方が楽な気もします。今と違って電気がないから灯りとか換気の問題はあったでしょうが。

動遊坑

 もう一つは道遊坑は明治期に開削され、平成の休山時まで使用された坑道で、トロッコや機械類がそのままの姿で保存されています。

動遊の割戸

 元々は最初期の採掘地とされ、当時は露天掘りをされていました。金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿になっており、「動遊の割戸」と呼ばれています。明治以降はこの割戸の下で大規模な開発が行われました。

必ず通る売店

 宗太夫坑を見てから入り口に戻って動遊坑を見るという形になっていますが、どちらも終点は同じ売店に接続しているという資本主義の罠が(笑)。もう閉山したというのに金製品が多く売られています。

金の延べ棒

 そうそう、資料館には金の延べ棒があって、30秒の間に小さな穴から取り出してみようというチャレンジ企画となっていますが、重いのなんの。6000万円以上の価値とはいえ、12キロの重さは持ち運びに不便極まりないですね。時代劇では千両箱を肩にかついで屋根伝いに飛び移る盗賊の図なんてよく出てきますが、重さは20kg以上になることもあるんだそうで、実際にはとても無理だろうと思います。

割戸遠景

 二つの坑道を見た上に、動遊の割戸を見に行ったりしたらそれなりの時間がかかってしまいました。やはり逆レインメーカーとして路線バスに拘るわけですが、金山から両津港にはダイレクトに行けず、相川バスステーションで乗り換え。乗り換え時間が30分もあり、両津港に着いたらジェットホイルの出発まであまり時間がないことが判明。「食事処よろこんで」再訪の夢は露と消え、待ち時間に近くのスーパーで惣菜パンを買って昼食としました。

割戸アップ

 そして帰りもあまり面白くないジェットホイル、新幹線、在来線を乗り継いで、筑波嶺に帰還。大した旅をしていないなあと自分でも思いますが、日常生活を離れて普段乗らない乗り物に乗り、普段行かない場所に行き、いつもと違う所に泊まるだけで“旅”という感じを味わえるので(個人の感想です)、きままな旅というのはたまに行かないといけませんね。

金山施設の廃墟

佐渡旅行記①:宿根木のレインメーカーにおれはなる?

不安の東京

 新型コロナウイルス禍、都内の感染者が空前の300人超ということで、全く収まる気配が見えませんね。この四連休も都内では極力ステイホームが呼びかけられていましたが、1ヶ月前に予約してしまったこともあって、5ヶ月ぶりの旅に出かけてしまいました。都民じゃないので勘弁してつかあさい。

上越新幹線

 とはいえ佐渡に行くためには一度東京に行かなければならない(筑波嶺からだと、どこに行くにも大抵東京に行かなければならないのですが)ということで、上野を気分的にダッシュで通過して上越新幹線で新潟へ。新幹線は旅情が感じられないとか情緒がないとか散々言っていますが、やはり早いので使わない訳にはいきません。

タルタルチキン弁当

 というか、新幹線に乗って弁当食べて酒を呷っているだけで十分旅の気分は出るんですよね。朝早く出たので朝食ということになりましたが、今回選んだのは塚田農場の「特製チキン南蛮弁当」。2015年に「唐揚げグランプリ」金賞受賞、2016年に「惣菜・べんとうグランプリ」金賞受賞という名品です。チキン南蛮はそのままでも十分美味しいのですが、付属のタルタルソースが意外にもとても美味しくて、もっとつけてくれればと思いました。調べたら、タルタルソースを2倍にした「タルだく若鶏のチキン南蛮弁当」もあるそうなので、そう思ったのは私だけではなかったんですね。

定番レモン

 久しぶりの酒だぜということで、朝っぱらから檸檬堂の「定番レモン」とサントリーの「こだわり酒場のレモンサワー」を買ってしまいました。「こだわり酒場のレモンサワー」は、去年の夏に飲んだらとっても美味しかったので贔屓にしているのですが、今回は檸檬堂の方が美味しく感じました。レモンサワーがブームのせいか、各社様々な新製品を投入しているようです。正直レモンサワーなんて何飲んでもおんなじようなものだろうと思っていましたが、飲み比べると全然違いますね。

すいせい

 そして新潟港からは佐渡汽船のジェットフォイルに乗って佐渡・両津港へ。ジェットフォイル、初めて乗りました。ボーイング社が設計し。川崎重工業がライセンス生産した水上ジェット機で、いわゆる水中翼船です。昔のイメージでは、水中翼船は高速航行時に水中翼の一部が水面上に出るものと思っていましたが、そういう半没翼型水中翼船は既に過去の遺物となっており、現在は水中翼の全てが水面下にある全没翼型水中翼船が主流になっているそうです。

すいせいの勇姿

 停止時や低速航行では通常の船と同様に船体の浮力で浮いて航行しますが、速度が上がると翼に揚力が発生し、しだいに船体が浮上し離水、最終的には翼だけで航行する、「翼走」という状態になり、「テイクオフ」と呼ばれています。ジェットホイルが高速航行しているのを見ると格好いいのですが、実際に乗っているとイマイチ高速感が感じられません。

速きこと、島風の如し

 最高速度は46ノット(時速約85キロ)。「艦これ」で最速駆逐艦として名を馳せ、“速きこと島風の如く”と威張っている島風の最高速度が過負荷全力公試で40.9ノット(時速約76キロ)なので、島風をもぶっちぎる速度ということになります。私が乗ったのは「すいせい」。艦爆みたいな名前ですが、陸攻みたいな名前の「ぎんが」もありました。乗船中はシートベルト装着など、ジェット機に乗るときと同じ感覚でした。飛行機嫌い、列車好きの私としてはあんまり好きな乗り物ではないかも知れません。

食事処よろこんで

 佐渡到着後、両津港のターミナル内にある「食事処よろこんで」で中生とユーリンチー定食。なんで佐渡まで来て油淋鶏なんだと自分でも思いましたが、メニューを見た瞬間ビビビッと来たので(松田聖子か)。油淋鶏も大皿でしたが、付け合わせにブリの中落ちとかアラ煮が付いていてボリューム満点でした。正直大して期待していなかったせいもあって大満足で、明日も来て別なメニューを頼もうと心に誓ったのですが…

佐渡島図

 今回佐渡に来たのは、特に大きな理由があった訳ではなく、単に来たことがなかったからです。一昨年あたりに47都道府県の全て足跡を残したいと思い始め、とりあえず一泊したら足跡を残したことにするというマイルールも密かに制定したのです。新潟はとっくに出張で泊まったことがあったので、律令国としては佐渡国として越後国とは別の国だった佐渡に行ってみようと。しかし律令国はうかつに持ち出せませんね。例えば千葉でも安房、下総、上総と三国もあったし、一昨年に鹿児島に行ったけど、薩摩国と大隅国があるぞとか。福島、宮城、岩手、青森が入る陸奥国というのもあるけど。

三角屋敷と吉永小百合
吉永小百合と宿根木

 そういう訳で佐渡といえば金山くらいのイメージしか無かったのですが、金山は二日目に行くとして、初日はどうしようかと考えた結果、行くことにしたのが宿根木(しゅくねぎ)。JR東日本の「大人の休日倶楽部」のCMで吉永小百合が散策していたのです。

宿根木の家屋

 宿根木は佐渡金山繁栄期の江戸寛文期(1661~1678年)に廻船業の集落として発展した町で、入り江の限られた敷地に多くの民家が立ち並ぶ町並みは、独自の板壁の連続です。千石船の船板をはめ込んだ民家や石畳の露路など、当時の面影がそのまま残っていて、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

宿根木の位置

 地図でおわかりのように、両津港からはかなり遠くて、タクシーで1万5千円超。佐渡の経済を回したる、俺がレインメーカーだと妙なノリで行ってしまいました。改めて佐渡島って大きいなと実感できましたね(主に金額面で)。

たらい舟

 そういえば佐渡といえばたらい舟という名物もあったなと思い出しましたが、あれは佐渡のどこでも見られるものではなく、宿根木とか小木といった佐渡南西部だけのものだそうです。

佐渡国小木民俗博物館

 お目当ては宿根木の町並と佐渡国小木民俗博物館にある千石船だったんですが、私が佐渡を訪れた22日に島内初の新型コロナウイルス感染者を確認したということで、博物館は臨時休館となっていました。毎日200人だ300人だと行っている辺りとは反応が全然違って初心というか何というか。面白いと言えば面白いのですが、せめて通知してくれよと思いました。

世捨小路

 せっかくなので宿根木の町並だけは見て回りました。そんなに広くないのですぐに見終わりますが。「世捨小路」という異様な名前の集落で一番古い石畳の道。「え?ここ通ってもいいの?」と確認したくなるほど狭い小路です。

清九郎

 狭い敷地で快適に暮らすため、総二階とすることで間取りを増やし、日本海から吹き付ける強風や塩害から建物を守るため、「サヤ」と呼ばれる杉板が縦板張りされている家が多いのも特徴です。使えなくなった船板を再利用している家も多く、舟には使えなくても建材としては十分に利用価値があったんですね。

三角家

 吉永小百合のポスターの撮影場所として有名な「三角家」。その名の通り三角で、狭い土地に密集して住むために時価の高い東京の家屋のようになってしまったようです。「東海道四谷怪談」に深川三角屋敷というのが登場しますが、やはり江戸が人口密集地だったせいか三角形の敷地だったようです

伊三郎 
称光寺境内称光寺
白山神社

 他に船主の豪邸「清九郎」や宿泊施設になっている「伊三郎」などがあり、奥には白山神社や称光寺。規模なんかは全然違うのですが、モンテネグロのアドリア海沿いの町・コトルを思い出しました。石畳の道から小さな教会とかがにょきにょきと生えてきたかのような印象を持ちましたが、それが木造の家屋だと宿根木になる、なーんて。

宿根木海岸

 すぐそばには宿根木海岸。こんな所に千石船が停泊したそうですが、本当に大丈夫なんかいなと言いたくなる岩礁が一杯です。

たびのホテル佐渡
たびのホテル佐渡の大浴場

 また1万円以上かけてタクシーで今宵のお宿へ。佐渡市千種にある「たびのホテル佐渡」。大浴場付きですが、部屋の風呂もビジネスホテルにしては広めでした。寝間着になるほか、ホテル内を徘徊可能な部屋着がゆったりしていて素敵でした。

エーコープ金井店

 そしてスーパーがすぐそばという好立地。通りの向かいにJA佐渡ジェイエイ・エーコープ佐渡金井店がありました。酒と惣菜、ポテチも買って気分はカイジ。大浴場で一風呂浴びて、冷蔵庫で冷やしたビール(ホテルのサービス)を持って「キンキンに冷えてやがる!」。久しぶりに「カイジ豪遊ごっこ」を楽しんだらすぐ眠くなって10時前にバタンキューでした。しかし普段飲んでないと効きますねえ。

キンキンに冷えてやがる
カイジ豪遊
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