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城崎温泉旅行記②:玄武洞公園と城崎文芸館

3月のイメージ

 3月になりました。弥生三月となるとさすがにもう春と言わざるを得ませんね。冷たい雨の昨日から一転して麗らかな春の日になっていますが、今年の場合は2月にもしょっちゅうこんな日があったような気がします。

玄武洞駅

 さて昨日に続いて城崎温泉旅行記です。カイジ豪遊ごっこから一夜明けて、ホテルの朝食バイキングを楽しんだ後、玄武洞公園に向かうことにしました。豊岡駅と城崎温泉駅の中間に玄武洞駅があるんですが、玄武洞は駅から見て、やたら川幅の広い円山川の向こう岸にあるんですね。

雄大な円山川

 豪遊の続きでタクシーで行くという選択肢もあるんですが、それだと本当に豪遊になってしまいます。ここんところ膝の調子が良くないとはいえ、平地を歩く分にはまだまだ大丈夫なので、豊岡から歩いていこうかとも思いましたが、荷物があるのがネックです。また、豊岡駅から歩くと6.4㎞、城崎温泉駅から歩くと4.6㎞の距離になるそうな。

城崎大橋

 ということで、城崎温泉駅までJRで行き、コインロッカーに荷物を預けて歩くことに。荷物の有無は決定的に違いますね。城崎大橋を渡って向こう岸に行きます。二車線は厳しい細い橋ですが、なにしろ川幅が広いので延長は200メートル以上。沈下橋ですと言いたくなりますが、欄干はあるので沈下橋ではありません。というかこれだけ長細い橋なのに車も通るのでは、欄干なしでは厳しすぎます。

玄武洞の看板

 玄武洞は国の天然記念物に指定されており、山陰海岸国立公園の一部です。玄武洞のほか、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞があって、合わせて玄武洞公園として整備されています。「洞」と言っていますが、奥深い洞窟ではなく、見た目は絶壁です。無料で見られるのが嬉しいですね。

玄武洞

 約160万年前の噴火で噴出したマグマが冷却され、河川による侵食によって岩塊がむき出しとなったということですマグマは冷却される際に体積が小さくなることで柱状節理(割れ目)が出来、切り出しやすくなっていたので、古来人々が採掘して石材として利用してきました。その採掘跡が玄武洞ということで、つまり天然のものではなく、採掘跡地ということに。切り出された岩石は、周辺地域で漬物石や石材として使われており、現在でも城崎温泉の大谿川護岸や豊岡の石積みなどで見ることができるそうです。

玄武洞公園図

 なお玄武洞の岩石は玄武岩なのですが、江戸時代にここを訪れた幕府の儒学者が、伝説上の動物玄武の姿に見えるということで「玄武洞」と名付け、玄武岩は、明治になって玄武洞にちなんで命名されたそうです。日本全国に玄武岩はたくさんありますが、ここが元祖だったとは。

玄武像
四神

 玄武といえば中国の四神の一つで、北方を守護するとされます。「玄」は「黒」を意味し、黒は五行説では「北方」の色とされ、「水」を表すそうです。脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多く、古代中国では亀は「長寿と不死」の象徴、蛇は「生殖と繁殖」の象徴とされたそうです。

青龍洞

 ということで方角を示す四神の一つを名前に入れたら、他の三神も入れたくなるのが人情。ということで、玄武洞の南には東を守護する青龍洞があります。高さ33メートル、幅40メートル。最も長い節理は15メートルあります。なんで南にあるのに青龍?という話ですが、うねるように伸びる柱状節理が「龍が昇る姿に似ている」ということで青龍洞と呼ばれるようになったとか。また柱状摂理が最も美しいとされます。大きさでいうと玄武洞と青龍洞がトップツーですね。青龍洞も天然記念物に指定されています。玄武洞は明治になって採掘が停止されましたが、青龍洞は明治前期まで採掘が続いていたそうです。

白虎洞

 玄武洞の北には西を守護する白虎の名を冠した白虎洞が。柱状節理が横に延びています。玄武洞・青龍洞に比べると小さいですが、その分間近に寄ることができます。摂理が細かいですが、一般に柱状の節理はゆっくりと冷えたところほど太くなるのだそうです。つまり白虎洞付近では溶岩が速く冷えたということで、溶岩の周縁部に近かったということが判ります。

北朱雀洞

 さらに北にある南を守護する朱雀の名を冠した北朱雀洞。朱雀が羽を広げた姿に似ているからだそうですが、これは苦しい(笑)。星座を作るくたいのイマジネーションが必要ではないでしょうか。

南朱雀洞

 そしてその隣の南朱雀洞。南朱雀洞脇の岩石には節理が見られず、ごつごつとしていることから、溶岩流の先端に当たる部分ということが判ります。

円山川

 そうしてまた再び元来た道を歩いて城崎温泉へ。ちんたら歩いているので疲れませんが、歩道がちゃんとない道は恐いですね。片道5㎞弱だと自動車ではあっという間なので、往復するなら自転車あたりがちょうど良いかもしれません。

城崎文学館

 さて温泉街に戻ったので、志賀直哉に倣っていもりに石を投げつけたいところだったんですが、まだ冬なのでいもりはいませんでした。仕方がないので城崎文学館へ。豊岡市立で1996年開館。志賀直哉が湯治のため城崎温泉を初めて訪れたのが1913年。滞在中の出来事を書いた「城の崎にて」(1917年刊)は志賀作品を代表する短編となり、志賀が中心となっていた白樺派を中心に、多くの文人墨客が訪れたことから、城崎温泉は「歴史と文学といで湯の街」として知られるようになったという。

城崎文学館の手湯足湯

 正直、文学に興味のあまりない人だと入館料500円は高いかも。入り口の手湯足湯でも利用してもとを取って欲しいですね。結局温泉街を訪ねたのに外湯には一度も入らず。ついでに昼食も取らず。だって混んでるし高いんだもん。サンドイッチやおにぎりを買って、チューハイと共に特急こうのとりでいただきました。やはり本気で温泉街を堪能するなら、泊まって夕方や夜にそぞろ歩きする必要がありそうですね。

夜の城崎温泉
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城崎温泉旅行記①:電車に跳ねられたわけではありませんが

猖獗を極める新型コロナウイルス

 新型コロナウイルスが猖獗を極めていますね。実際の感染者はまだまだインフルエンザ患者より少ないと思いますが、日本のみならず世界が恐れおののいているようです。

コロナビール

 “立って飲むのがお行儀です”のキャッチコピーで知られるコロナビールが風評被害で売れ行きに陰りがあるとかないとか。そういえば昔トヨタもコロナという車を作っていました。日産のブルーバードと共にマイカーの代表車種という感じでしたが、どちらもとっくに生産終了していたんですね。

城の崎にて

 本日は先日行ってきた城崎温泉旅行記です。確か高校の現国の教科書に志賀直哉の「城の崎にて」が載っていて、授業でやったらどうかは覚えていませんが自主的に読みました。当時は授業でやるかどうかはともかく、国語の教科書をよく読んでいましたね。どうすれば山手線に跳ね飛ばされるんだとツッコんだりしてましたが、当時(大正時代)の山手線は今とはかなり違っていたんでしょうね。

城崎温泉の温泉街

 そういう関西地方に来たからには一度は行ってみたい、イモリを石で殺したいと思っていたのですが、人気の観光地だし混んでるだろうなとか思ってこれまでなかなか足が向きませんでした。今般、新型コロナウイルスの影響で客足が落ちていないかと妙な期待をして行ったみたわけですが、結論から言うとやはり混んでました。

城崎温泉地図

 城崎温泉は、飛鳥時代とも奈良時代とも言われるほど古い開湯伝説を持っており、有馬温泉と共に近畿を代表する温泉として知られます。江戸時代の温泉番付では西の関脇。西の大関は有馬温泉なのですが、やはり地理的京都・大阪に近い有馬温泉の方が有利ということでしょうか。

城崎亜莉咲

 各地の温泉を擬人化した「温泉むすめ」という地域活性クロスメディアプロジェクトでは、城崎亜莉咲(きのさき ありさ)として登場。“いつもツンケンして小生意気だが、本当は純粋で心優しい地元が大好きなツンデレむすめ。有馬姉妹を何かとライバル視しており、難癖をつけたり、突っかかってしまい後で後悔する。浴衣に強いこだわりと見識を持ち、多くの種類の浴衣を持っている。”と説明されています。やはり有馬温泉がライバルなのか。有馬温泉が姉妹で擬人化されているのは、やはり金泉銀泉があるせいですかね。

有馬姉妹

 しかし、城崎温泉の宿は高いんですよ。温泉街の宿なんてそんなもんかも知れませんが、一人旅の友であるビジホが全然ない。仕方ないので温泉じゃないけど豊岡駅のそばのビジホを取って、城崎温泉は見学するに留めました。城崎温泉も豊岡市の一部なんでギリセーフかなんて。

特急こうのとり

 大阪駅から特急こうのとりで城崎温泉へ。隣県なんですが、城崎温泉が日本海側ということもあって2時間半以上乗車します。距離が遠いというよりは山間部を通るので速度が出てないという感じでしたが、ぶらり旅なのでノープロブレム。むしろゆっくり気味の方がいいです。しかし、せっかくの特急なのに車内販売はおろか自販機すらないというのは寂しい限りです。予め駅の売店などで仕入れておかないと飲まず食わずになってしまうので、余裕を持って駅に向かうのが吉です。

城崎温泉駅

 城崎温泉駅にはちょっとしょぼいカニの鋏のオブジェが。城崎温泉はカニ料理の本場としても有名なんですね。カニ料理とか出すから余計に宿代が高いんでしょう。

温泉街その2

 駅前が賑わっているのは観光地なら当然なんですが、駅通りを過ぎて大谿川(おおたにがわ)沿いの温泉街に入ってもやはり人混みでごった返しています。おまけに狭い道路に車がバンバン。新型コロナウイルスの影響で中国人が来ないとか観光地が閑古鳥という聞いていたのですが、城崎はどこ吹く風。

外湯めぐり

 城崎温泉には七つの外湯があり、宿泊客は浴衣で外湯巡りをするのがお約束なんだそうですが、こんなに混み合っているとそれも大変そうです。夜になるとまた違うんでしょうかね。画像のように。

温泉寺山門

 まずは温泉寺に。城崎温泉の開祖ともされる道智上人がは天平10年(738年)に開いたとされる、高野山真言宗の別格本山です。山号は末代山。山号と寺号は聖武天皇から賜ったという由緒のある古寺ですね。本堂は山の中腹にあって、麓には山門や薬師堂があります。

温泉寺の階段

 根性出して登ってみたのですが、三百数十段でギブ。もうちょっと頑張れば行けた気もしますが、膝の調子が悪いのと、どうせロープウェーに乗るしと思ったもので。

城崎温泉ロープウェー 

 降りの方が膝に悪いなと思いつつ城崎温泉ロープウェーに。こちらも乗り場まで結構階段を上るのでもう汗だくです。このロープウェーは山麓駅と山頂駅の間に温泉寺駅があるのですが、中間駅があるロープウェーというのは全国的に珍しいそうです。山麓から山頂までで往復910円。

城崎温泉ロープウェーその2

 山頂からは城崎温泉街が一望できます。まるで湖のように見えるのは円山川。延長68キロという短い川のわりに、やたらに川幅が広いです。城崎温泉がある豊岡盆地が比較的広く、流れが非常に緩やかになっているせいで、下流域には河原がなく、海水が浸入して鏡のような水面になっています。 

山頂から見た温泉街

 山頂には温泉寺の奥の院がありますが、ロープウェーで来たせいで有り難味は全然なし。平成22年(2010年)再建ということもあるのかも知れません。

温泉寺奥の院

 売店で皆さんが群がって買っているので何かと思ったら「かわらけ」。厄よけなどの願いを掛けて、高い場所から素焼きや日干しの土器(かわらけ)を投げる訳ですね。日本各地で行われていますが、的が小さいのでとても当たりそうにありません。私は買わず(ケチだなあ)、そそくさと帰りのロープウェーに乗って降りました。

かわらけ

 というのも、かなりお腹が空いていたからなんですね。しかし、温泉街には食堂がたくさんあるもどこも混み合っていて。何よりも高い!カニとか但馬牛とかじゃなくていいから2,3千円とかしないのを食べたい。これは温泉街にいては無理だと判断して、今宵の宿のある豊岡駅に行きます。電車で二駅、200円。

豊岡駅
駅ビルAity

 豊岡駅にはAityという立派な駅ビルが。3時前になっていましたが、中にあったレストラン白樺亭で生ビールと白樺プレートCを注文。これはカレーピラフ&ナポリタン&トンカツ&から揚げが一つの皿に乗っているというトルコライス的なもので、ボリューム満点でした。1280円は結構なお値段ですが、温泉街値段を見てきたせいで非常にコスパがいいなあと思ってしまいました。

白樺亭

 Aityにはスーパーマーケットもあったので、ビジホで最近はまっている「カイジ豪遊ごっこ」をやるために酒と肴を買い込みました。満腹状態で買ったのでいつもよりは控えめだったような。宿は鳥取でもお世話になったグリーンホテルモーリス。兵庫、広島、鳥取、島根で5軒のホテルを運営しているようですが、部屋が広くて綺麗、大浴場(サウナ、ジェットバス、マッサージ機あり)、朝食がバイキング、そしてリーズナブルな料金と言うことのないホテルです。早めにチェックインして誰もいない大浴場を独り占めするのが好きですね。

豊岡グリーンホテルモーリス

 そして「キンキンに冷えてやがる!」と一人芝居をしながらカイジ豪遊ごっこをしつつ豊岡の夜は更けていったのでした。ポテチは買ったけど、ビールの代わりにチューハイ、焼き鳥の代わりに鶏の唐揚げ、チーズちくわの代わりにちくわの天ぷらでした。明日は二日目です。

カイジ豪遊ごっこ

鳥取旅行記②:鳥取城址と渡辺美術館

冬至ですよ

 緩やかな流れに薄日射す冬至(冬空)
 という訳で冬至です。別名一陽来復。明日からはまた昼の時間が長くなって行くわけですが、まあ1月一杯ぐらいは夜が長いと思い続けることでしょう。昔は早く夜になる方が好きだった(陰キャ?)のですが、最近はそこそこがいいなあと思うようになりました。昼が長くてもいいんですが、暑いのがちょっと。

久松山と鳥取城址

 さて昨日の続きで鳥取の旅です。豪遊の夜(笑)が明けた翌日、鳥取城址に向けて歩きます。鳥取城は戦国時代末に羽柴秀吉が兵糧攻めしたので有名です。「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」(信長公記)というこので、秀吉は比較的血を見るのは嫌いな武将だったようですが、血を見なければいいというものです…。江戸時代になって池田氏が入り、国持大名の城らしく拡張さました。

山上の丸

 現在は城郭は一切なくなり、石垣だけが残されています。周辺は久松公園として整備され、鳥取市民の憩い場に。2006年度から30年の歳月と莫大な予算をかけて、鳥取城を幕末期の姿へ復元する計画が続いています。

仁風閣

 そばには仁風閣という洋風建築があり、明治期に池田家当主が別邸として建てたもので、重要文化財に指定されています。ぜひ入ってみたかったのですが、あいにく休館日でした。残念無念。

鳥取城址階段

 仕方ないので鳥取城址に登ります。鳥取城は久松山という263メートルの山の麓に建てられ、山頂には山上の丸が、山麓には天球丸、二の丸、三の丸などがあります。昨年は談山神社裏の談山(566メートル)、御破裂山(608メートル)に登ったこの私、300メートル足らずの山などなにほどのものか…と言いたいところですが、今年は膝の調子がことのほか悪く、しかも“この先は道が険しいから危ないで”という趣旨の看板もあったので、山上の丸訪問はあっさり断念。

山上の丸に向かう道

 行ったところで石垣程度しかないのでモチベーションも上がらなかったということもありますが、代わりに行ったのが天球丸。麓では二の丸より一段高いところにあります。これは他家に嫁いでいた城主の姉が戻ってきて住んだ場所だということです。天球丸なんて格好いい名前なので、南蛮渡来の天球儀でも置いてあったのかとか想像してしまいますが、この姉の出家後の法名が天球院だったことにちなんでいるそうです。

球面石垣

 ここには江戸時代後期、石垣のたわみを防ぐため、補強として球面の巻石垣が作られていることでも知られています。巻石垣は、港や河川の工事に用いられるのが主で、城郭の補強に用いられるのは、きわめて珍しい例だそうで、日本ではここが唯一だとか。

二の丸から見る

 二の丸は江戸時代に藩主の御殿が置かれ、鳥取城の中心ででした。本丸が山頂部なので、太平の世にいちいち行ってられなかったのでしょう。三の丸は現在県立鳥取西高校の敷地となっています。山の麓とはいえ、不規則な石段が多くて上り下りは結構疲れます。

渡辺美術館

 膝のせいで垂直方向の移動は不得手になってしまったので、せめて水平方向にはなるべく歩こうと、徒歩で次に向かったのは渡辺美術館。医師であった渡辺元が収集した3万点余りの美術品が収蔵されています。入場料はちょっとお高めの900円。砂の美術館の半券があれば割引を受けられるそうなのですが、知らなかったのでホテルのゴミ箱行きでした。

刀剣類

 大太刀を含む日本刀や甲冑などの東洋古美術品が常設展示されており、その数1万5千点で、国内屈指の量を誇ります。最近は“刀剣女子”呼ばれる、名刀鑑賞を愛好する女子の方々もいるそうなので、鳥取に来たら寄ってみてもいいんじゃないかと思います。バス停もありますし。鳥取駅から砂丘までの中間地点あたりになりますね。

山ほどの甲冑

 刀剣以上に多いのが甲冑。甲冑女子というのは聞いたことがないのでブームは来ていないようですが、約250両の甲冑を所蔵し、うち約100両を常設展示しているという。戦いは数だよ兄貴!

赤い甲冑。

 赤い甲冑もこんなに。井伊の赤備えが再現出来るというか武田騎馬軍団を再現出来るというか。それにしても収蔵品が多くて見て回るだけでもかなり疲れます。

洋食堂コロンバ

 疲れますが駅前まで再び徒歩で。後日スマホを調べたら、ホテル→鳥取城址→渡辺美術館→駅前で11キロ以上歩いていました。いやバスはあるんですけどね、なるべく自分の足で歩きたかったんです。お昼は洋食堂コロンバへ。

土鍋ハンバーグ

 福井の時のようにサイゼリアがあれば行ったのですが、あいにくなかったので食べログの評価が高いこの店をチョイスしていみました。名物は土鍋ハンバーグ。注文してから手ごねで焼き、二日以上煮込んだデミグラスソースを使うという本格派です。大変美味しゅうございました。

ハートランドビール

 ハンバーグと共に本当に久々にハートランドビールを注文。麦芽100%ですが苦みが弱くとても飲みやすいです。これは日本のビールとしてはサッポロクラシックと並んでマイ双璧かも知れません。チーズのトッピングやご飯大盛りなどもしたので、合わせて2000円強でした。

ショコラクランチ

 帰る前に駅の売店でお土産選び。選んだのはすなば珈琲カフェショコラクランチと、白バラコーヒーとコラボしたカントリーマアム。コーヒーが被ってしまいましたが、鳥取はスタバもたじろぐコーヒー先進県だから仕方がない(笑)。あ、二十世紀梨という名産もあったのですが、もう21世紀だからなあと無視してしまいました。ちなみにこのお土産、同僚達によると白バラコーヒーの方が美味しかったそうです。すなば珈琲のはちょっと苦み強めで大人の味だったかも知れません。

白バラコーヒーカントリーマアム

 ということで鳥取旅行記はこれにて終了。二日とも結構歩きました。歩くとなると夏よりは断然冬の方がいいですね。砂丘も城址も歩きまくれば足腰が鍛えられそうなので、鳥取はトレーニングにいいところかも知れません。ただし、翌日の筋肉痛にはご用心。

鳥取旅行記①:鳥取砂丘と砂の美術館

イベント完遂

 艦これ2019秋イベント、完遂しました。現在新規艦娘との邂逅を目指して“掘り”を行っているところです。その成果についてはまた日を改めて報告したいと思いますが、今回は比較的小物ばかりになりそうです。

鳥取駅

 さて先日鳥取に行ってきましたので今回はその件について。鳥取も福井同様、関東からだとかなり遠いのですが、近畿からだと比較的近い場所です。また、これまで行ったことがなかったのでちょうど良いかなと。

スーパーはくと

 大阪駅から特急「スーパーはくと」で一路鳥取へ。「はくと」は白兎、つまり因幡の白兎にちなんだ命名です。乗ったことのない特急に乗るのはいつもわくわくしますね。しかもこの特急、JR西日本ではなく私鉄の車両なんです。

スカイライナー

 まあ私鉄の特急と言ってもそう珍しいものではありません。関東なら東武のスペーシア、西武のレッドアロー、京成のスカイライナー、小田急のロマンスカーなどがあり、関西でも南海、近鉄、京阪などで専用車両を使った特急が走っています。しかし、「スーパーはくと」は智頭急行というマイナーな第三セクター鉄道が保有しているのです。

智頭急行路線

 智頭急行の路線は兵庫県の上郡駅-鳥取県の智頭駅間の56.1kmで、兵庫・岡山・鳥取の三県をまたいでいます。こんな短い路線なら特急は必要ないようでもありますが、京阪神と鳥取を結んでいるの「スーパーはくと」の収益が非常に大きく、第三セクター鉄道の中では収益性トップの座にあるそうです。「スーパーはくと」は京都駅-倉吉駅間の293.3キロを結んでおり、「乗り鉄」なら当然始発駅と終着駅を極めるところなんでしょうが、私はなんちゃって乗り鉄なので大阪-鳥取間だけ乗りました。一応210キロくらいは乗っているので勘弁して下さい。

消えゆく車内販売

 それにしても車内販売、どんどん消滅していますね。「スーパーはくと」にもありませんでした。自販機はありますが、寂しい限りですね。まあそんなに買うかと言われれば駅の売店で買っているので買わないんですけど。そうしているのは私だけじゃないということですね。

広い砂丘

 鳥取駅に到着したら早速バスで鳥取砂丘へ。私のイメージでは、鳥取と言ったら一に砂丘、二に梨という感じでしたが、その反面、海岸なら砂浜があって当然じゃん。砂浜のちょっと大きいのがそんなに面白い?とも思っていました。が、実際目の当たりにするとそのスケールに驚きました。やはり自分の目で見ないと実感できないものって多いですね。

砂丘で遊ぶ人々

 広義の鳥取砂丘は南北2.4km, 東西16kmに広がりますが、植林や農地開発などが行われたため、砂丘らしさが残っているのは浜坂砂丘と呼ばれる東西1.8km、545ヘクタールの部分です。まず目に付くのは通称「馬の背」と呼ばれる第二砂丘列。高さは50メートルほどですが、その前がすり鉢状にえぐれているので高低差はもっとあります。当然砂なので登りにくく、また急斜面にもなっているので、やや迂回して比較的なだらかな場所から登りましたが、それでも結構きつかったです。

馬の背
馬の背から下を見る

 中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっているそうで、海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と、海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込ませる卓越風の働きで砂丘が形成されているそうな。風が強いと目に砂が入ったりして大変だと思いますが、当日は幸いほぼ無風で助かりました。

日本海の荒波

 かつてはこの斜面に大学生達が落書きしたとして問題になったりもしましたが、私が見ている中では、子供達が砂まみれになるのも厭わず斜面ででんぐり返しをしたりしていました。微笑ましくていいのですが、そんままだと車やホテルの部屋が砂だらけになりそう。

茫漠たる砂丘

 一見砂漠のようですが、海のそばのせいか砂はちょっと掘ると湿っていて、靴は思ったよりは沈み込みません。長靴レンタルもありますが、レンタルしなくても概ね大丈夫です。しかし歩きづらいことに変わりはないので、馬の背まで行って帰って上り下りすると、想像以上に疲れます。

すなば珈琲

 かつて鳥取にスターバックスコーヒーがなかった頃、知事が「鳥取にはスタバはないけど、日本一のスナバがある」と言いました。♪スナバはいてもスタバはいないなんて、某けもフレのOPみたいですが、この発言を元に2014年に「すなば珈琲」という店ができました。翌年にスタバも開店したので、“スナバはいてもスタバはいない”状況はたった1年で終了してしまいましたが、他社とのコラボして関連商品を作ったりして、西日本では結構有名になっています。

白バラコーヒー

 鳥取には“最強のコーヒー牛乳”との呼び声も高い大山乳業農業協同組合の「白バラコーヒー」もあり、何気にコーヒーが強いような。実際、鳥取は国内トップクラスのコーヒー好きな県のようです。砂丘がコーヒー牛乳の色っぽいとか、コーヒー栽培に適している…なんて話は聞いたこともないんですが、スタバの鳥取進出が遅れた原因の一つは、鳥取県民がコーヒーを家飲みしているからだったとか。

大山鶏の唐揚げ定食

 昼食は砂丘会館で大山鶏唐揚げ定食&中生で1800円。大山は鳥取西部にあって鳥取市からはだいぶ遠いですが、県内だからまあいいでしょう。

砂の美術館

 続いて徒歩で砂の美術館へ。入場料600円。2006年に開館して以来、砂を素材にした砂像を展示しています。「砂で世界旅行」を基本コンセプトとし、毎年テーマを変えて展示を行なっているということで、今年は南アジア編となっていました。これは来年早々には終了して、しばらくは砂像制作期間となって、春からチェコ&スロバキア編が始まるそうです。

砂の美術館その1
砂の美術館その2
砂の美術館その3
砂の美術館その4
砂の美術館その5
砂の美術館その6
砂の美術館その7 

 もうすぐ破壊されてしまう運命の見事な砂像の数々。展示されて8ヶ月経過しているとは思えないほど保存状態が良いのでもったいない感じもしますね。着ぐるみの怪獣姿になって壊せるとイベントをやったら儲かりそうな気も。

グリーンホテルモーリス鳥取

 本日のお宿は鳥取駅前のグリーンホテルモーリス。全室ダブルベッドで部屋も広め。「カイジ豪遊」ごっこをやるにはもってこいのホテルですね。

大浴場

 以前は大浴場があっても目もくれず、部屋のシャワーを浴びていたのですが、福井のドーミーイン以来、大浴場の魅力にはまってしまいました。グリーンホテルモーリスには大浴場の他、サウナやジェットバス、マッサージチェアもあって実に良かったです。翌朝も入ってしまいましたよ。

カイジ豪遊の夜

 スーパーで酒と肴を買って、「キンキンに冷えてやがる!」「贅沢ってやつはさ、小出しじゃダメなんだ。やる時はきっちりやった方がいい。それでこそ次の節制の励みになるってもんさ」と、一人でカイジになったり大槻班長になったりしつつ“豪遊”しました。傍目には部屋飲みしているだけなので何が豪遊なんだと突っ込まれそうですが、カイジの気持ちになりきれば立派な豪遊。私はビールよりチューハイ派、焼き鳥より唐揚げ派なんですが、昼も唐揚げを食べて夜もまた唐揚げは流石にどうなんでしょう。ポテチだけはしっかり押さえておきましたが。

福井旅行記②:永平寺と養浩館庭園

12月になっただけでいきなり

 12月になりました。たった一日で秋から冬へ。気温は大差ないんですが、気分はガラッと変わりますね。なのでトップ画像も雰囲気ある秋から華やかな夜景に変えてみました。もうあと一月で新年…毎度のことながら時が過ぎるのは早いですね。

永平寺ライナー

 本日は昨日に引き続き、先日行ってきた福井旅行記です。ビジホでの“豪遊”後、一夜明けて向かったのは永平寺。こちらも京福バスを利用します。永平寺ライナーという特急バスで片道約30分。料金は750円です。リムジンバスなんて名前を使うほど豪華な内装でもない気がしますが、まあ普通の乗り合いバスに比べれば違うといえば違います。

永平寺全景

 永平寺は日本曹洞宗の大本山で、開祖である道元が開山しました。宋に渡って曹洞宗の高僧・如浄に師事し、ひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を学び、帰国後は世俗化した当時の仏教を批判し、仏陀本来の精神に立ち帰ることを唱えましたが、比叡山など旧仏教勢力から迫害を受け、越前の土豪波多野氏に招かれて越前入りし、1244年に傘松峰大佛寺を建立、1246年に山号寺号を吉祥山永平寺に改めました。

永平寺①

 800年近い歴史を持っている古刹ですが、兵火などによる火災で度々焼失しており、現存する伽藍は全て近世以降のものとなっています。このため、建物については古くても300年未満ですが多くが重要文化財に指定されています。また永平寺は修行場として有名で、かつ永平寺での修行は禅宗の中で最も厳しいと言われています。現在も約160名の雲水と呼ばれる修行僧が修行生活を送っています。写真撮影は自由ですが、雲水に直接カメラを向けることは禁止されています。拝観料は500円。

傘松閣

 永平寺は33万平方メートルの敷地に70を超えるお堂と楼閣がありますが、なかでも「七堂伽藍(しちどうがらん)」という修行に欠かせない7つの建物が回廊で結ばれており、ここを拝観するのが永平寺観光の目玉となっています。7つの建物とは「山門」「仏殿」「僧堂」「大庫院(だいくいん)」「東司(とうす)」「浴室」「法堂(はっとう)」のことで、建物の並びは坐禅を組んだ人の形にも例えられ、法堂は頭、仏殿は心臓などとも言われているそうです。

天井のアップ

 最初に向かうのは2階建ての「傘松閣(さんしょうかく)」。1階は参拝者の控室や研修・宿泊用の部屋ですが、2階には156畳敷きの大広間があり、天井には昭和初期の有名な画家144人による230枚の日本画が埋め込まれています。別名「絵天井の間」。

永平寺②

 「七堂伽藍」は回廊で繋がっていますが、段差があるので階段が続きます。運動が苦手な人にはややきついかも知れません。回廊は毎日雲水が雑巾掛けしているそうで、ちり一つ落ちていません。雲水は大勢居ると言っても回廊も長大なのでさぞや大変なことでしょう。それも修行か。

晩秋の永平寺

 拝観中も度々雲水とすれ違ったり追い越されたりします。色々と忙しそうですが、永平寺では365日の生活すべてが修行だと言われていて、起床は朝3時半だとか。その頃に眠るという“ニートな午前3時”な人も多いかと思いますが、なんと食事当番は1時半に起きるそうで、一体何時に寝ているんだろと思います。スマホ中毒の人は雲水になると抜け出せるかも知れませんが、一日耐えられるかどうか。

霧たちのぼる

 晩秋の古寺ということで雰囲気は満点ですね。霧たちのぼる秋の夕暮れ、なんて感じがしますが、実際には昼前の撮影です。未明には雨が降っていましたが、朝からはどんより曇っていたものの、傘はほぼ使わずに済みました。

養浩館

 さて永平寺ライナーで福井駅に戻りましたが、思いのほか時間があることが判ったので、時間があったら行こうと思っていた養浩館庭園に行ってみることにしました。福井市中心部にある福井藩主松平家の別邸が原型になっています。

養浩館庭園

 拝観料は220円。福井の見所は安くて助かりますね。国の名勝に指定されているほか、米国の日本庭園専門雑誌“The Journal of Japanese Gardening(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)”が毎年行っている日本庭園ランキングには、2006年以来登場しており、2008年から2010年にかけては3年連続で第3位に選ばれるなど、高い評価を受けています。最近では2016年に5位に選ばれていますが、1位は一貫して足立美術館、2位も不動の桂離宮で、3位以下は結構変動するという感じですね。

晩秋の庭園①

 養浩館は江戸時代は「御泉水(せんすい)屋敷」と呼ばれており、明治になって幕末の四賢侯の一人である松平春嶽によって「養浩館」と改称されました。現在の建物は、戦災で焼失した当時のものを復元したものです。養浩館は、建築物の全体が池に囲まれていて、一部は、建築物に池の水がかぶさっていたり、建築物の下を池の水が渡っていて、庭園と建築物が具合よく釣り合っていて、なじみやすくなるようにできています。

晩秋の庭園②

 庭園は回遊式庭園という兼六園や後楽園と同じ形式。三名園に比べると規模は小さいですが、「こういうのでいいんだよ」と言いたくなる位のちょうど良い広さで、池を巡る石組や樹木などに四季折々の趣があります。折しも晩秋ということで、一番趣がある季節に訪れることが出来た気がします。

晩秋の庭園③

 ここに住んで風雅な日々を送りたいな…なんて思ってしまいますが、やはり冷暖房テレビパソコンがないと一日で飽きてしまいますかね。あと純和風住宅は見る分にはいいんですが、住むならベッド・洋室派なのでその辺もちょっときついですね。

福井城址
福の井

 福井城址も見ようと思いきや、本丸跡の石垣の中には、城の代わりに県庁と県警本部が建っていました。橋とか門の復元はやっているようですが、元の名前は北ノ庄城。「北」の字が「敗北」にあたって不吉であるとして、「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名されましたが、天守台のそばに「福の井」という井戸があって、この井戸が「福井」の語源由来となったとか。

サイゼリア

 遅くなりましたがランチは駅のそばのサイゼリアで。昨日福井名物を食べたので完全に趣味に走りました。というか、実はサイゼリアに入ったことがなかったんですよ。ワンコインでランチが食べられる激安イタリアンですが、あえて贅沢にグランドメニューからチーズたっぷりミラノ風ドリアとハンバーグステーキ。そしてデカンタでワインを注文してしまいました。昼酒は正月と旅の時くらいですね。

サイゼリアの激安ワイン

 しかしここのワインは安い!250mlで200円、500mlで399円です。嬉しくなってつい赤ワインを500mlで注文してしまいましたが、利益出てるんですかねこれ。昼に軽く飲むには多過ぎる気もしましたが、まあこの程度ならせいぜいほろ酔いなのです。これでお値段は合計1200円を切っていました。昨日のランチとの値段差に愕然です。ランチはサイゼリア、はっきりわかんだね。

福井名物水ようかん

 帰りのサンダーバードに乗ってから重要な忘れ物に気づきました。福井の冬の名物・水ようかんを買い忘れたのです。せめて食べてくれば…。一般的に水ようかんは夏のお菓子ですが、福井では窓の外の雪景色を眺めながら、こたつに入ってみかんとお茶と水ようかんを食べることが、冬のお楽しみなのだそうです。福井以南では気温が高くて腐ってしまい、福井以北では気温が低すぎて凍ってしまうということで、福井の冬の縁側は水ようかんを保存しておくのに最適な天然の冷蔵庫だったとか。甘さ控えめで、水分たっぷりでとろけるような柔らかさなんだそうで…うーむ、食べ逃がしたのは残念無念。でも気分的には水ようかんはやはり夏に食べたいですね。

おいしそうだけど

福井旅行記①:一乗谷朝倉氏遺跡

晩秋の京都

 霜月つごもり。ここのところ大阪も急に冷え込んできて、着る毛布を出したりしています。早くもコートを着込んでいる人を見て、そろそろ冬物のスーツを出さなきゃなんてようやく思い始める暑がりな私ですが、そこからコートを引っ張り出すまではあっという間だったりして。

ほくりくちほー

 さて本日は先日行ってきた福井旅行の話です。かつて北陸地方というのは東京からだと意外と遠い場所でした。もちろん飛行機を使えばあっという間なんですが、鉄道だと新幹線から在来線を乗り継がなければならなかくて。北陸新幹線が開通したので金沢までは便利になりましたが、福井はなお未開通なのでやはり乗り換え必須。

サンダーバード

 ところが大阪からだと新幹線はなくとも特急サンダーバード一本で2時間足らずで到着します。というか地図を見ると福井の西半分(旧若狭国)は近畿の一部のように思えます。近畿地方の範囲は法律上の明確に定義されていませんが、通例大阪府・京都府・兵庫県・奈良県・三重県・滋賀県・和歌山県の7府県を指すようです。

福井駅

 三重県については東海地方に含まれる場合もありますが、その逆で福井県が近畿地方に含まれる場合もあるようです。でも若狭国はともかく、福井の東半分である旧越前国は、越中・越後・能登・加賀と合わせてかつては越国(こしのくに)の一部だったので、やはり北陸地方にカテゴライズするのが適当だと思います。

恐竜モニュメント

 福井といえばサスペンスドラマのラストシーンでおなじみの東尋坊とか恐竜とかが名高く、駅前には動く恐竜のモニュメントがどーんとあったりします。しかし、今回の私のお目当ては一乗谷朝倉氏遺跡と永平寺です。東尋坊は以前訪問したことがあり、恐竜は小学生時代は好きだったのですが今は特に…という感じなので。

朝倉氏遺跡フリーきっぷ

 まずは一乗谷へ。駅前から京福バスで行きますが、朝倉氏遺跡フリーきっぷ(900円)がお得です。フリー区間で乗り降りしなくても、単に往復するだけでも680円×2なので。

姉川の戦い

 一乗谷朝倉氏遺跡は、福井市内にある戦国時代の遺跡です。戦国好きなら「姉川の戦い」で知っている人も多い朝倉義景の本拠地です。朝倉氏は戦国時代に一乗谷城を中心に5代100年に亘って越前国を支配していました。遺跡は山城だった一乗谷城と山麓の朝倉氏および家臣の居館、商工人などの町からなる城下町で構成されています。

一乗谷川

 遺跡全体が国の特別史跡で、うち4つの日本庭園は一乗谷朝倉氏庭園の名称で国の特別名勝に指定されており、遺跡の出土品は重要文化財となっています。パンフレットではこれを受けて“国の三重指定”なんて記載されています。

朝倉館跡庭園

 朝倉氏の支配する越前国は、畿内から近いこともあって、応仁の乱により荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちの避難先となったため、一乗谷では華やかな京文化が開花し、「北ノ京」なんて呼ばれたりもしました。全盛期には人口1万人を超え、越前の中心地として栄えていました。

朝倉義景の墓

 室町幕府10代将軍足利義稙や将軍になる前の足利義昭が来訪するなど、足利将軍家に頼りにされていた朝倉氏ですが、結局時流に乗り損ねてしまい、1573年(天正元)年に織田信長に大敗した朝倉義景は、一乗谷を放棄して逃走、一乗谷は信長の軍勢に火を放たれて灰燼に帰してしまいました。時代的に略奪とかはやむを得ないかも知れませんが、焼かずに残して占領するというわけにはいかなかったんでしょうかね。

復原町並裏

 その後信長から越前を任された柴田勝家は北ノ庄を拠点としたため、一乗谷は辺境となって土砂や田畑の下に埋もれてしまいましたが、それが却って幸いし、当主館や侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋、庭園から道路に至るまで、戦国時代の町並みをほぼ完全な姿で発掘することができました。遺跡からは約5,000基の遺構が検出され、160万点を超える遺物が出土しており、“日本のポンペイ”なんて呼ばれたりもしています。

復原町並

 城下町の一部は、1995(平成7)年に200メートルにわたって当時の町並みが復元され、復原町並として公開されています。バス停の名前も「復原町並」。原寸大の立体模型は日本初だそうです。遺跡はだいたい無料なのですが、復原町並と朝倉資料館だけは有料です。といってもセット料金で250円なのでごく安いものですが。

武家屋敷

 当時の武家屋敷や庶民の町屋が、映画のセットのように再現されています。家の中も見学でき、台所や井戸、中庭、厠、店舗など、当時の暮らしの様子がリアルに感られます。一部人形も置かれており、特に武家屋敷では将棋(現在とは駒の種類が違う)を指していたり料理をしたりしています。

唐門

 全て復原町並になっていると非常に楽しいのですが、残念ながら大半は平面復原。想像力豊かな人ならこれを見て在りし日の姿を脳裏に浮かべることができるのでしょうが。ま、無料なので文句は言えませんね。城跡は高いところにあって谷底からでは疲れるのでパスして、朝倉館跡に向かいます。そばに立派な唐門が建っていますが、これは朝倉氏の遺構ではなく、朝倉義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の寺門で、江戸時代中期に再建されたものだそうです。

朝倉館跡

 高いところから見た朝倉館跡。平時の居館ですが、土塁や櫓があったようです。日本最古の花壇の跡や朝倉義景の墓もあります。また庭園跡もほぼ完全な姿で残っていますが、発掘前から庭石の一部は露出していたそうです。

一乗谷レストラント

 食事は一乗谷レストラントで。“料理のジャンルや食材にとらわれずに一乗谷レストラントでしか味わえない「美味しいもの」 をお出しする”ことをコンセプトにしているそうですが、付近に他に食べられそうなとこらがないという罠。

ソースカツ丼と越前おそしそばセット

 せっかく福井に来たので、名物のソースカツ丼とおろし蕎麦のセット(1400円)と、グランドキリンIPA(700円)。近畿では禁酒しているんですが、北陸地方に来たのでアルコール解禁。しかしメニューも高いけどグラスビール700円もめちゃ高い
です。普通の生ビールで良かったんですが、他のアルコール類が見当たりませんでした。ま、旅先くら贅沢してもいいですよね。福井の景気は私が回す!

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

 食後朝倉資料館へ。正式名称は福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館。フリーきっぷを使えば無料でバスに乗れますが、歩くのが好きなので歩きました。歩くのは苦ではないのですが、歩道が整備されていないのがちょっと残念でした。資料館の入館料は100円ですが、セットの切符を買ったので実質30円で入れました。地形の模型や朝倉義景館の復元模型、一乗谷の発掘調査で出土した陶磁器、石製品、木製品、金属製品などを展示したごくごく真面目な資料館です。

ドーミーイン福井

 資料館からはバスに乗って福井駅に戻りました。今宵の宿はドーミーイン福井。大浴場がある代わりに部屋にはシャワーしかありませんが、部屋のバスタブはそもそも使わないのでこれで充分。ビジネスホテルに泊まると、部屋で一人「カイジ豪遊ごっこ」をやりたくなるので、酒と肴を求めに外に出たのですが、どうも近所にはスーパーもコンビニもなくて。仕方なく西武百貨店の地下で唐揚げと餃子を調達しましたが、豪遊と言ってもデパ地下では私には豪華過ぎです。確かに美味かったけど高かった…。さてお酒も入ってしまったので、二日目の永平寺は明日にしたいと思います。

カイジの豪遊

高野山金剛峯寺:“戦国”好きもトリコにする魅力あふれる大名刹

即位パレード

 即位パレードの日ということで東京は大騒ぎのようですが、大阪は当然ながら平常運転。それにしても秋晴れの良い天気です。秋の午後はクラシックが似合う気がするのですがどうでしょう。ちなみに秋の夜はボサノバあたりですかね。

高野山マップ

 本日は先日行ってきた高野山の話をば。昨年に比べて今年の秋はテンションが低いので、あんまり小さな旅をしていないのですが、このまえ記事にした姫路城と共に、高野山だけは行っておかなければと思っていました。平安仏教の巨人といえば最澄と空海。だいぶ前に最澄の比叡山は訪ねていたので、いつか空海の高野山にも行きたいと思っていましたが、京都から比較的簡単に行ける比叡山と比べると高野山はかなり遠いように感じます。個人的にはかつて“関東の高野山”の異名を持つ西新井大師の近くに住んでいたので、空海の方に親近感があるのですが。

天下茶屋駅

 南海高野線の特急「こうや」に乗って天下茶屋駅から極楽橋駅へ。天下茶屋駅には地下鉄堺筋線も来ていますが、乗り換えが非常に便利です。

南海特急こうや

 「こうや」はその名の通り高野山の麓である極楽橋駅まで直通の全席指定特急列車で、これに乗らないと途中の橋本駅で乗り換えなければなりません。橋本~極楽橋間には「天空」という特別列車も走っていて、なんちゃって乗り鉄としては乗ってみたい気もしたのですが、やはり直通の便利さには勝てませんでした。

高野山・世界遺産きっぷ

 「高野山・世界遺産きっぷ」というお得な切符があって、電車割引往復乗車券、高野山内バス2日フリー乗車券の他、特典として金剛峯寺、金堂、根本大塔、霊宝館の拝観料2割引サービス券と店指定のお土産・飲食1割引サービス券が付いています。有効期間が2日間なので宿坊などで一泊する人にも便利ですね。

極楽橋

 「こうや」の終点は極楽橋駅。駅名の由来となった極楽橋は駅の北側にあります。ここで標高535メートルあるのですが、さらに高野山ケーブルに乗り換えて高野山駅に向かいます。

ケーブルカー

 高野山ケーブルの正式名称は南海鋼索線。2両連結の車両が高低差328メートル、最大568.2‰の勾配を往復しています。今年の春から新型車両に換装されています。

高野山駅

 高野山駅は高野山の玄関らしく、頂上に宝珠を載せるなど寺院風で、2005(平成17)年に国の登録有形文化財に登録されています。ここで南海りんかんバスに乗り換えますが、高野山は鉄道・ケーブルカー・バスとすっかり南海三昧です。

高野山遠景

 高野山は山といっても、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの盆地上の平地です。高野町の中心となっていて、警察も消防あって門前町となっています。2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されており、世界中から多くの観光客が訪れていますが、過去に1万人以上あった人口は3000強まで減少しています。高所にあるので温暖な和歌山にあっては例外的に冬の寒さが厳しく、夏も涼しいようです。

一の橋付近

 広い上に見所が多い高野山。宿坊に一泊してじっくり観光するのが正しいのだろうと思いますが、 大阪に住んでいて隣県に一泊もないだろうと日帰りにしてしまったので、ネットで効率の良い観光ルートを参照しまして、まずはバスで奥の院に向かいました。

信長の墓

 奥の院には空海の御廟があります。バス停「奥の院」ではなく「一の橋」でバスを降りて2キロの参道を歩くのが正式な参拝ルートだそうです。この参道の両脇には皇室、公家、大名などの墓が多数並び、総数は20万基以上とか。戦国大名の6割以上の墓所があって、有名どころでは織田信長、武田信玄・勝頼父子、明智光秀、石田三成、豊臣家などの墓があります。他に伊達家、前田家、島津家、有馬家などの墓も。信長と光秀の墓が共にあるというのも凄い話ですが、高野山の懐の深さということでしょうか。

奥の院

 歴女にはたまらないであろう参道を過ぎ、玉川にかかる御廟橋を越えると真言宗の聖域として撮影禁止エリアになります。御廟では弘法大師空海が現在も肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入っており、人々へ救いの手を差し伸べているという入定信仰があります。

奥の院参道の紅葉

 鬱蒼とした杉の大木の立ち並ぶ奥の院を出て、次にバスで向かうは金剛峯寺。金剛峯寺は元は高野山全体の呼称(比叡山延暦寺も同様)ですが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは青巌寺と興山寺という2つの寺院が合併したもので、高野山真言宗の総本山となっています。

金剛峯寺

 境内には日本最大の庭園「蟠龍(ばんりゅう)庭」があります。今年は秋になっても暑かったので紅葉が遅れているようですが、さすが高山にあるせいで、高野山ではすっかり色づいています。

蟠龍庭園その1
蟠龍庭園その2
蟠龍庭園その3

 なお青厳寺時代の文禄4(1595)年、柳の間で豊臣秀次が切腹したということで「秀次自刃の間」と呼ばれています。数少ない血縁の甥を切腹させたばかりか、係累のほぼ全てを三条川原で処刑するという秀吉の無残な大粛清の理由は謎ですが、天正19(1591)年の千利休切腹事件といい、晩年の秀吉は認知症にでもなっていたのでしょうかね。

根本大塔

 金剛峯寺から歩いて壇上伽藍へ。ここは一般寺院でいう本堂の区画で、奥の院と並ぶ高野山の二大聖地です。朱色のが美しい根本大塔は真言密教の根本道場として建立された、日本最初の多宝塔です。本尊は胎蔵大日如来で、周りを金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲んでいます。

金堂

 金堂は高野山全体の総本堂で、高野山での主な宗教行事が執り行なわれています。現在の建物は7度目の再建で、昭和7(1932)年の完成です。

御影堂

 空海の持仏堂として建立された御影堂と、その奥は空海が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立したと伝えられる准胝観音を本尊とする准胝堂です。

不動堂

 国宝に指定される不動明王を本尊とする不動堂。現在の建物は14世紀前半に再建されたもので、堂の四隅はすべて形が違い、四人の工匠がそれぞれの随意に造ったと伝えられています。

六角経蔵

 鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うために建立した六角経蔵。現在の建物は昭和9(1934)年の再建です。経蔵の基壇付近に把手がついており、回すことができるようになっていて、一回りさせると一切経を一通り読誦した功徳が得られるとか。私が見た時は子供が回していました。

三昧堂

 他にも三昧堂、孔雀堂、西塔、東塔、御社、山王院など様々な伽藍がありますが、この辺にして霊宝館へ。金剛峯寺をはじめ、高野山に伝えられている仏画・仏像などの国宝・重要文化財等を保護管理し、一般にも公開する目的で大正10(1921)年に開設されました。高野山には日本の国宝の2%があるとか。建物は宇治平等院を模して建造され、高野山でも数少ない大正建築として登録指定文化財に指定されています。

霊宝館

 この他、高野山全体の総門である大門、三代将軍家光建立の徳川家霊台、女人禁制時代は女性はここまでしか入れなかったという女人堂、そして金剛峯寺の修行僧が居住のために作った草庵を起こりとする117もの子院群がありますが、流石に日帰りでは観光を見送らざるを得ませんでした。一泊される方は是非観光して下さい。

女人堂

 ざっとしか見られませんでしたが、それでも高野山の偉容は感じることができました。特に奥の院は参道を含めてまさに聖地の趣も深く、一見の価値があります。私のように無信心者でも、続々と現れる有名な戦国武将の墓には感嘆せざるを得ませんでした。かつては女人禁制でしたがもちろん今は昔の話なので、特に歴女の方々は是非とも。

姫路城:世界遺産にして国宝、さらに特別史跡の“三冠王”は大人気観光スポット

吾妻ひでお逝く

 本日即位礼正殿の儀で祝日。そちら方面の前振りをするのが当然なんでしょうが、個人的には漫画家の吾妻ひでお逝去の報道の方が衝撃が大きくて。私が彼の作品を知ったのは、少年チャンピオンで連載されていた「ふたりと5人」からですが、人気はさておき好きになったのはその後の「チョッキン」からですね。彼の不条理ギャグとSFテイストが本当に波長に合いました。彼が青年誌やマニア誌に活動の場を移して以降は、とり・みきこそがポスト吾妻ひでおだと思って愛好していましたが、70年代後半にはジャンプすら凌ぐ人気を誇ったチャンピオン(嘘だと思うでしょうが本当なんです)は、80年代に急速に失速していき、私も購読誌をジャンプに変えたのでした。

怪作チョコレート・デリンジャー

 80年代前半には作品のアニメ化などブームが起きた吾妻ひでおですが、80年代半ばから低迷期に入ってしまいます。その頃については「失踪日記」「失踪日記2 アル中病棟」「うつうつひでお日記」などで描かれているので興味のある方は一読していただければと思います(当ブログにも取り上げた記事があります)。とにもかくにも早すぎる死が残念でなりません。ご冥福を心からお祈りいたします。

秋の姫路城

 さて、そんな傷心の中、本日は姫路城に行ってきました。本当に傷心なのかとツッコまれそうですが、久々に「京の夢大阪の夢」です。昨秋は京都と奈良を中心に攻めたのですが、今年はいつまでも暑かったせいでモチベーションが上がらず、ようやく本日半年以上ぶりに再開となりました。ま、高知や高山に行っている番外編もありますけど。

 大阪住まいの間に行っておきたいなと思っていたところは昨秋で概ね廻ってしまい、あとは高野山と姫路城ぐらだななんて思っていた(本当はまだまだたくさんあるんですが)ところ、これまで兵庫はほとんど攻めていなかったので姫路城を選択してみました。神戸は女性に大人気のようですが、おっさん的にはあまりそそられなかったので、飛び越して姫路へ。新幹線を使わなければならないかと思ったのですが、JRの新快速が想像以上に早かったので、これを使いました。

姫路駅

 姫路駅からまっすぐ北に延びる大通りの先に姫路城が見えます。バスもありますが、とにかく道が直線なので歩いても楽勝です。それにしても「姫路」、美しい名前ですね。古名の「日女路(ひめじ)の丘」に由来するそうで、カイコの事をヒメコ(蚕子)と呼んでいたことから、かつてこの地が養蚕業の盛んな地域であった事に因んで付けられた名称のようです。

プリンセスロード

 直訳するとプリンセスロード。綺麗なお姫様が豪華な馬車に乗って通り過ぎるような印象ですね。姫路・神戸と東京を結ぶ神姫バスには3列シートの高速バス「プリンセスロード」があります。しかし個人的には昔見た18禁OVA「プリンセス・ロード 薔薇と髑髏の紋章」を思い出してしまいます。なぜか1巻しか出なかったので話が尻切れトンボになっていますが、売れなかったんでしょうかね。最初から1・2巻セットで販売して欲しかった。2巻で終わるのかどうかは知りませんが。

斜めからの姫路城天守閣

 世界で最も名の知れた日本の城というと、大阪城や名古屋城を抑えて姫路城ではないかと思います。ユネスコ世界遺産にして国宝、そして特別史跡である“白鷺城”。江戸時代以前に建設された天守が残り、ほとんどの城域が特別史跡になっており、現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、74棟の各種建造物が重要文化財に指定されています。

姫路城天守閣アップ

 姫路城は戦国時代より前の室町時代前期(南北朝時代)の14世紀中盤頃に築城されたのが始まりとされますが、当時は小規模な砦のようなものだったそうです。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、山陽道上の交通の要衝である姫路に置かれた姫路城は本格的城郭として発展していき、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって大規模な城郭へと拡張されました。

姫路城遠景

 西国の外様大名監視のために西国探題が設置され、池田氏以降は親藩・譜代大名が配属されていました。明治期には陸軍の兵営地となり、この際に多くの建物が取り壊されましたが、大小天守群・櫓群などが国費によって保存される処置がとられたことは幸いでした。太平洋戦争時には空襲被害もありましたが、奇跡的に焼失を免れ、大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残しています。今では姫路公園の中心として周辺一帯も含めた整備が進められ、祭りや行事の開催、市民や観光客の憩いの場になっているほか、戦国時代や江戸時代を舞台にした時代劇などの映像作品の撮影が行われることも多く、姫路市の観光・文化の中核となっています。

正面からの姫路城

 入場料は千円。お金を払えば当然天守閣に登ることになります。天守閣への道はぐるっと回り込むようになっていて、中々近づくことができません。やはり戦を想定してのことなんでしょう。幸いにも姫路城は大規模な戦火に晒されることはないまま現代に至っていますが。外国人観光客がたくさん来ており、さすが人気スポットのようです。

見上げる天守閣

 天守は6層で標高45.6mの姫山の上に建ち、石垣が14.85m、大天守が31.5mなので合計すると海抜92m。最上層からの眺めはなかなかですが、なにしろ窓が小さくて観光客が多いのでゆっくり見ていられません。江戸時代から現存する城にはありがちですが、階段がとにかく急で、膝に大きな負担がかかります。高知城ほどじゃないけど姫路城も膝クラッシャーな城ですね。駅の階段なんかが本当に優しく感じます。なお天守閣各層には特に展示物はなく、外国人にはちょっとつまらないかも知れません。刀とか鎧とか飾っておけば喜びそうですが。

腹切丸

 天守を出てすぐのところに「腹切丸」という物騒な名前の櫓があります。建物の形状やその薄暗い雰囲気などから切腹の場を連想させることからそう呼ばれるようになったようですが、こんな天守と至近距離に切腹するような処刑場が作られるとは思えないので、ただの俗称ではないかと。

お菊井戸その2

 天守下にはお菊井戸と呼ばれる古い井戸があります。「播州皿屋敷」のヒロインお菊が皿をなくしたと因縁を付けられて責め殺され、投げ込まれたといわれる例の井戸です。以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたとか。江戸を舞台とした有名な怪談「番町皿屋敷」は、この「播州皿屋敷」をモデルにしたともいわれています。

渡櫓の長局

 西の丸には渡櫓(長局)と化粧櫓が残っています。渡櫓は長さ約121間(約240m)に渡って連なっており「百間廊下」と呼ばれています。城外に向けては石落としや狭間、鉄砲の煙出しの窓も付設されている一方、城内側は奥女中達の部屋があって、長局となっています。

化粧櫓

 その先にある化粧櫓は、徳川家康の孫にして豊臣秀頼の妻であった千姫が、当時姫路藩主だった本多忠政の嫡男忠刻に再嫁する際に化粧料として与えられた10万石で建てられたものだそうです。忠刻は31才で早世してしまい、藩主は弟の政朝が継ぐことになりました。千姫が姫路城に住んだのは10年程度で、その後は娘の勝姫と共に本多家を出て江戸城に入り、出家して天樹院となって竹橋御殿で暮らしたそうです。千姫は美貌で知られるお市の方の孫でやはり美しかったそうで、祖父家康や父秀忠から可愛がられ、弟家光とも仲が良かったらしく、幕府も千姫の処遇に関しては細心の注意を払ったとか。

鈴木その子の居城? 

 2009年から2015年まで行われた「平成の修理」により、白漆喰の塗り替えが行われた結果、想像以上に白くなりまさに白鷺城の異名に恥じない白さになりました。鈴木その子が住んだなんて嘘伝説が出来たりして。

長壁姫

 なお姫路城の天守には長壁姫(おさかべひめ)という妖怪が隠れ住んでいるという伝説があり、年に1度だけ城主と会い、城の運命を告げていたとか。天守最上階には姫路城の守護神である刑部(おさかべ)明神がまつられているので、刑部姫とも言われます。「Fate/Grand Order」(最近話題として取り上げていませんが、今も無課金で細々とプレイしています)では「刑部姫」の名称でサーヴァントとして登場し、引きこもりのオタク女子として描かれていますが、城の神なのか狐の化け物なのか、正体は不明です。

FGOの刑部姫

 古文書では見るからに怪しい妖怪なんですが、FGOでは完全に萌えキャラ化していますね。クトゥルー神話の旧支配者や外なる神すら萌えキャラにしてしまう恐るべき日本なので、もはやこれくらいでは驚きませんが。なおかの剣豪宮本武蔵が怪異の相次ぐ天守閣で怪異を調伏したというエピソードもあり、そこでは怪異の正体は古狐となっています。

本しめじ

 どうでもいい話ですが、江戸っ子は「ひ」を発音できず「し」になってしまうそうで、実際私の高校時代の江戸っ子世界史教師は「ヒッタイト」を「シッタイト」、「ヒクソク」を「シクソク」と言っていました。同級生達は「テストで“シッタイト”って描いたら○くれるんだろうか」なんて言い合っていましたが、もしこの先生が「姫路城」を発音したら「シメジ城」になってしまうんでしょうね。優美なプリンセスロードがいきなりキノコ化。

高山に行ってきました:「哀愁の高山」で納涼したかった

処暑を過ぎて

 処暑を過ぎたせいか若干涼しくなってきたような気がします。昨夜は雷雨もあって涼風が吹いてきたので、久しぶりにエアコンを切って窓を開けて寝ました。気がつけばずいぶん日暮れも早くなってきたような。猛暑は大嫌いなんですが、夏の終わりを感じると寂しくなるのはなぜなんでしょうね。

 さて本日は先日行った旅行の話です。7月には高知に行ってきましたが、「高」つながりという訳でもないのですが、今回は飛騨・高山に行ってきました。高地なので若干は涼しいかなと期待もしたんですが…別にそんなことはなかったZE! 

哀愁の高山

 高山というと思い出すのは「哀愁の高山」。おそらく若い人は全然知らないでしょうけど、盲目の演歌歌手・竜鉄也の歌です。大ヒットしたデビュー曲「奥飛騨慕情」は有名ですが、私はあんまり売れなかったらしい「哀愁の高山」もなぜか覚えています。地元高山を中心に飛騨地方を舞台にした歌が多いようですが、若い頃は高山でアコーディオンを抱えて流しをしていたそうです。「哀愁の高山」の歌詞には竜鉄也の若い頃の体験が反映されているようです。彼が流しをしていた60年代は流しは人気があったそうですが、カラオケの登場により急速に駆逐されてしまいました。北島三郎や五木ひろしといった大御所も、若い頃は流しをやっていたそうです。

ワイドビューひだ

 なんちゃって乗り鉄なら今回も高山本線に乗るのが目的だろうと言われるかも知れませんが…まさにその通りです。が、前回の特急南風と違い、高山本線のワイドビューひだにはこれまで4回ほど乗ったことがあるので初めてという訳ではありません。が、季節的には冬と春だったので盛夏は初めてでした。飛騨川に沿って飛騨の山間部を走る高山本線、どの季節も趣があっていいですね。秋もきっと素晴らしいんでしょう。以下、余った鍾乳洞の画像を意味なくちりばめていますがどうか気になさらずに。

七福神宝船外の石碑

 高山本線は岐阜から富山までの区間ですが、ワイドビューひだには名古屋から乗りました。岐阜で進行方向が変わるため、バックの状態で発車するのが面白いです。実は大阪発もあってこれに乗ると乗り換えの手間がないのですが、ちょっと時間が早かったのでパスしました。一人旅はのんびり行きたい派なんです。その名の通り窓が大きく、通路と座席に段差があって眺望を楽しめるようになっています。これに比べると新幹線の窓のなんと小さいことでしょう。風景よりスピードなのでしょうがないんでしょうが。

赤の鍾乳洞

 最近のトレンドなのかワイドビューひだにも車内販売はありません。しょっちゅう買うのかと言われれば実際そんなに買わないのですが、全然ないというのも寂しいですね。駅のコンビニとかキオスクで買う余裕があれば問題ないのですが、時間ギリギリに乗車した時などは飲まず喰わずの旅になってしまいます。飲み物の自販機はありますが、品目は少ないし酒は売っていません。

高山駅

 高山は「飛騨の小京都」と呼ばれ、中心部では江戸時代以来の城下町・商家町の姿が残されています。海外でも「日本の原風景を残す街」として紹介されているらしく、外国人観光客が非常に多いです。ミシュランの実用旅行ガイド「ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン」や「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では必見の観光地として3ツ星を獲得しています。これは日本人としても負けずに観光せねばと思いますが、何しろ暑かったので、市内観光はまだしも凌ぎやす予報の翌日として、一日目は避暑に専念したいと思いました。

新穂高ロープウェイ

 そう思った人の多くは新穂高ロープウェイに乗りに行くと思います。2基のロープウェイを乗り継いで標高2000メートル以上の展望台で北アルプスの山並みを見渡せばきっと爽快に違いありません。が、高山駅前からは結構遠い。バスはあるんですが、片道で2時間近くかかります。行って帰ってくるともう暗くなってそう。夜は例によってホテルの部屋で「カイジ豪遊ごっこ」をやりたいので、あんまり遅くなると買い出しに支障を来しそうだということで、飛騨大鍾乳洞に行くことにしました。

鍾乳洞入り口の石碑

 飛騨大鍾乳洞は新穂高ロープウェイに行くのと同じバスに乗って途中下車します。大橋外吉という人が1965年に発見し、1968年から観光鍾乳洞として一般公開されています。標高900mに位置し、日本では一番標高が高い場所にある観光鍾乳洞だそうです。

王冠
夢の宮殿

 鍾乳洞内部の気温は12度。しばし外界の暑さを忘れます。観光化のために洞内は積極的に掘削が行われているほか、やたらライトアップされているので、内部の歩行は楽なのですが、本来の環境はかなり損なわれているようで、なんとなく遊園地のアトラクションのような感じもします。

ストロー鍾乳石
竜宮の夜景

 鍾乳洞は第1洞から第3洞までありますが、鍾乳洞らしい見所は第1洞に集中しています。第2洞は上り坂や階段が多く、第3洞は急坂、急階段となっています。このため第1洞終了地点と第2洞終了地点には出口が設けられていて、足弱の人はリタイヤ可能となっています。ケチな私は1100円払ったモトを取らねばと最後まで攻略しましたが、確かに第3洞は結構疲れました。高知城天守閣の急階段もそうでしたが、最近調子の悪い膝に響きます。鍾乳洞を進むうちにかなり登っていたらしく、帰りは下りの道を結構歩きました。

大橋コレクション館

 併設の大橋コレクション館では大橋外吉が集めた中国など外国の壺などの美術品、装飾品などが展示されています。目玉は意外にも金塊。

金塊レプリカ
変換された金塊

 これは鍾乳洞発見25周年を記念して2億円をかけて製作されましたが、2007年に強奪されたものです。犯人逮捕後に返還されたましたが、一部は既に売却されいたそうで、100キロあった金塊は72キロ弱になってしまいました。また犯人にバーナーなどで手荒に処分されたため、分解されて複数の塊や粉末になっていました。それが奪われる前の金塊のレプリカと共に展示されています。

飛騨牛の串焼き

 鍾乳洞周辺の売店ではかき氷、ソフトクリーム、五平餅など様々な飲食物が販売されていましたが、私が買ったのは飛騨牛の串焼き。受注後に焼くので焼きたてで美味しかったですが、500円もするのに量は物足りなかったです。これはリベンジが必要ですな。

ホテル呉竹荘高山駅前

 高山市中心部に戻ってホテルにチェックイン。今回の宿はホテル呉竹荘高山駅前。本年3月にオープンした新しいホテルです。新しいだけに設備はことごとく新品で気分がいいです。駅前なので付近にはコンビニもスーパーもあって買い出しにも便利です。

2回続けて豪遊

 「カイジの豪遊」は焼き鳥をメインディッシュにポテチや肉じゃが、チーズ竹輪などでビールを飲むものでした。焼き鳥もいいのですが、私は唐揚げの方が好きなので、鶏唐揚げ、ポテチ、ゴボウサラダ、ジャイアントコーングリコのアイスではない)などでチューハイを飲むという豪遊をしました。別途カツ重も買ったのでお腹いっぱい。ジャイアントコーンは翌日のワイドビューひだでのつまみに温存されました。スーパーで買うとコンビニより安くていいですね。

高山陣屋入り口

 さて二日目。今度こそ伝統的市街地を見なければと、まず向かったのは高山陣屋。江戸時代前期までは飛騨高山藩があって高山城がありましたが、飛騨全域が天領とされたために高山城は破却され、跡地には高山陣屋が置かれ、飛騨代官(後に飛騨郡代)が支配することになりました。代官にしても郡代にしても地元ではそりゃあ偉いのでしょうが、旗本としてはそんなに偉い方ではありませんでした。身分の割に支配地域が広く、権限は大きかったのですが、反面下僚の数が限られていたため、非常に多忙だったそうです。時代劇では悪代官がはびこっていて、水戸黄門が何度諸国を漫遊しても絶滅できなかったかのようなイメージがありますが、実際には少しでも評判の悪い代官はすぐに罷免される政治体制になっていたのでそんなに悪代官が多かったという訳ではないようです。

高山陣屋

 高山陣屋は江戸時代の建物が唯一現存する天領陣屋で、国の史跡に指定されています。もちろん内部も見学できますが、あんまり豪華な感じはなく、実用的というか質素な感じがします。個人的にはお城に住むよりもこっちの方が落ち着くような気もします。

旧高山町役場

 高山市政記念館。明治28年から昭和43年まで使用された町役場・市役所の建物です。建築材は総檜で、ガラスも当時初めて導入され、硝子障子という名称で使われています。昔のものなので歪みがあるのもレトロ感がありますね。

吉島家住宅

 吉島家住宅。明治40年に建築され、国の重要文化財に指定されています。代々酒造をしていた豪商の家です。玄関を入ってすぐの吹き抜けが見事でした。二階は座敷と座敷の境に段差があって、見物するには面白いのですが、住むにはどうかなあと。バリアフリーの逆を行っています。

日下部民藝館

 そのお隣にある日下部民藝館。御用商人を務めた両替商の家で、明治12年に建築され、こちらも国の重要文化財です。蔵には飛騨の古陶磁など収蔵している工芸品を常時展示しているほか、麦茶の接待もありました。

高山の伝統的町並み 

 さんまち通り。城下の古い商人町で、上三之町・上二之町・上一之町を併せて“さんまち通り”と呼んでいます。ノスタルジックで落ち着いた雰囲気を求めて観光客がわんさか。

原田酒造場

 上三之町にある飛騨乃酒「山車」(原田酒造場)で地酒を試飲しました。300円でお猪口を買って10種類の地酒を一杯ずつ試飲できるのですが、5種類飲んだら昼前だったせいかけっこう効いてしまい、それ以上飲むのを断念しました。

純米吟醸花酵母無濾過上澄

 しかしいいなと思える酒は見つかったので、純米吟醸花酵母造りと無ろ過純米酒純米上澄を買いました。

飛騨国分寺

 飛騨国分寺。国分寺とは聖武天皇が741(天平13)年に仏教による国家鎮護のため、日本各国に建立を命じた寺院です。飛騨国分寺は戦国時代に焼失したもののその後再建されたほか、高山城が取り壊された際に一部が移築されて鐘楼門などに利用されています。立派な三重塔が建っていますがこれは江戸後期の再建で、奈良時代には七重の大塔が建っていたようです。樹齢1200年を超えるという大銀杏もあります。

七色食堂 

 昼食は七色食堂という店で飛騨牛定食を。基本安くておいしいお店なのですが、こればっかりは1880円の高価でした。やはり飛騨牛は高い。でも旅先で気が大きくなっていたのと、昨日の昼食はバスに乗るのに時間がなくてコンビニのパンだったため、思い切って奮発しました。

飛騨牛定食

 確かに美味い。しかし他のメニューとの価格差が気になります。鶏の唐揚げ定食(850円)と肉厚カツ定食(1050円)を頼んで同じ値段ですからね。が、まあ昨夜カツ重と鶏の唐揚げを食べているのでここは飛騨牛の選択でよしとしましょう。で、帰りのスーパービューひだではチューハイを飲みながらジャイアントコーンをボリボリかみ砕いていたのでした。飛騨では天気は保ちましたが、名古屋から先は雨模様になっていました。

ジャイアントコーン

高知に行ってきました:特急「南風」に乗りたかったので

猛暑で液状化するネコ

 8月最初の更新です。冷夏という噂もありましたが、梅雨が明けたら昨年並みの猛暑となっていますね。今が一番暑い盛りなのでそれも仕方がないですが、問題はその期間。去年に比べてまだ耐えられてる気がするのは、ユニクロで買ったドライEXの部屋着のおかげもあるんですが、猛暑の期間がまだ2週間くらいだかだと思われます。お盆明けくらいで収まってくれたらとはかない望みを持っているのですが、台風10号が過ぎたら秋の気配が…なんて訳にはいかないでしょうかね。

九州新幹線

 本日は先日行ってきた高知旅行の話などを。夏は旅の季節。行楽には春秋がいいのはよくわかっているのですが、実際問題休暇を取りやすいのは夏休み期間中しかないというのはリーマンの宿命。なのでくそ暑い季節にわざわざ旅に出るはめになるんですね。昨年は鹿児島と石川・和倉温泉に行ってきたのですが、なぜか記事にしていませんでした。今回はネタ不足なので小旅行もしっかり記事にするのでした。

特急サンダーバード

 実はなんちゃって鉄オタの気がある私。一口に鉄オタと言ってもいろんな種類があるのですが、私の場合は「乗り鉄」というやつですね。とりあえず乗ったことのない列車に乗りたいという。でも全線制覇とか全駅下車といったことを目指す気はさらさらなく、乗ったことのない列車に乗って喜ぶ程度です。昨年の場合は鹿児島に行ったのは九州新幹線を終点まで乗りたかったという理由で、和倉温泉に行ったのは特急サンダーバードに乗りたかったからです。なのでせっかく和倉温泉に行ったのに安いビジホに泊まりました(笑)。加賀屋?なにそれ美味しいの?

特急南風

 で、今回の高知旅行もはやり本命は鉄道。新大阪から岡山までは新幹線で、岡山から高知には特急「南風」に乗りました。岡山というところは、山陰とか四国に行くのに重要な駅ですよね。東海道・山陽新幹線は今更語ることもないビジネス専用列車という感じですが、岡山からは島根方面に行く特急「やくも」、鳥取方面に行く特急「スーパーいなば」、愛媛方面に向かう特急「しおかぜ」などが出発しています。そして「南風」も。「やくも」「しおかぜ」には以前乗ったことがあるので、今回は「南風」を選択。「みなみかぜ」ではなく「なんぷう」と読みます。“南国土佐”というイメージからの命名なんでしょうか

アンパンマン列車

 やなせたかしが高知で育ったということで、「南風」にも「アンパンマン列車」があり、行きは運悪く(運良く?)そのアンパンマン列車にぶち当たってしまいました。まあ乗ってしまえば関係ないのですが、岡山駅出発時と高知駅到着時にアンパンマン(CV戸田恵子)の声で車内放送が流れます。どちらかと言えばマチルダ中尉でやってくれた方が嬉しいですが。

大歩危峡

 主に土讃線を走る南風ですが、四国を袈裟切りにするかのように、讃岐山脈および吉野川に沿って四国山地を越えていくということで、山の中をうねうねと走るのでカーブは多い反面、トンネルはさほど多くないので車窓から風景が楽しめます。特に大歩危、小歩危は絶景ポイントで、わざわざアナウンスが流れます。

小歩危峡 

 全国の売れない芸人が行きたくなりそうな地名ですが、「ほき、ほけ」は古語で、渓流に臨んだ断崖を意味し、奇岩や怪石の多い土地を示しているのだそうです。国の天然記念物・名勝に指定されていて、特に小歩危峡の水流は日本一の激流と言われ、夏季には多くのラフティング・カヤック愛好者を集めているとか。確かに車窓からもラフティングをしている様子が見えました。

高知駅

 岡山駅から2時間半強で高知駅着。「南風」乗車が目的ならとっとと上りに乗って帰れよと言われそうですが、そこはなんちゃって乗り鉄なので、初めて来た高知を無視する訳にはいきません。それにここには「日本三大○○」と謳われる名所があるのです。

桂浜
桂浜と龍王宮

 まずは名所として名高い桂浜へ。高知駅からすぐそばという勝手なイメージを持っていましたが、MY遊バスという観光スポットを回る周遊バスを使ったので、1時間近くかかりました。長宗我部氏時代は桂浜付近に浦戸城を築いていましたが、関ヶ原の戦い後に土佐藩主となった山内一豊はこの地は手狭と感じ、高知城を築いて移りました。月見の名所として知られていますが、月が出るまではいられませんでした。

桂浜の坂本龍馬像

 坂本龍馬の銅像が建っていますが、台座がやたら高くて、しかも午後には逆光になるという。砂浜に立っているというイメージを勝手に持っていたのですが、階段を上る高台にありました。

竜王宮

 桂浜は、北東の上竜頭岬と南西の下竜頭岬の間に弓形に砂浜が延びています。下竜頭岬には竜王宮がありました。大した階段ではなかったので上って行ってみましたが、大したところでもありませんでした。桂浜水族館や坂本龍馬記念館もありますが、やはり高知は坂本龍馬を徹底的に推してきますね。教科書から消えたら怒るんでしょうなあ。

はりまや橋

 市内に戻って早速訪れたのが、「日本三大○○」。○○に入るのは「がっかり」。そう、はりまや橋です。三大○○という場合、3つの中で2つは鉄板で残り1つは諸説があるというケースがありますが、がっかり名所もそんな感じで、札幌の時計台、高知のはりまや橋は鉄板であと一つは諸説ありとなっています。長崎のオランダ坂や沖縄の守礼門、京都タワーや名古屋テレビ塔などが候補になっているそうです。はりまや橋は高知市内でももっとも交通量の多い、路面電車のはりまや橋交差点にあります。堀で隔てられていた高知の豪商・播磨屋と櫃屋(ひつや)が、互いの往来の為に架けた私設の橋だったそうで、「よさこい節」では“土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た”と歌われています。

最古の路面電車

 札幌の時計台もそうですが、今時これを見るために訪れるという事はまずないでしょうから、過度の期待を持って来て、実物を見てがっかりするという人もいないと思いますが、なにしろがっかり名所として有名なので、観光客は来た人はやはり写真を撮ったり渡ったりするわけです。路面電車が交差する市内中心部にあるので、普通に観光していると嫌でも目に入るという地の利もあります。

高知のダイヤモンドクロス

 高知の路面電車は、1904(明治37)年開業で、今年で115年という歴史を持っています。現存する路面電車では日本最古だとか。駅と駅の間隔が非常に短く、3~4駅先といっても大した距離じゃなかったりしますが、足弱の人には便利かも知れませんね。鉄道の線路同士が斜めや直角に交わることをダイヤモンドクロス(平面交差)と言いますが、路面電車同士がほぼ直角に交わっているのはここだけだそうです。

ザクラウンパレス新阪急高知

 はりまや橋から3つ先の駅だったのでうっかり乗ったらあっという間に着いた高知城前にあるのが我が宿。ザ クラウンパレス新阪急高知。以前は高知新阪急ホテルという名前だったそうです。一人旅なんでもっと安いビジホがいくらでもあったんですが、うっかりややお高めなこのホテルを予約してしまいました。高知城に近いというところに惹かれちゃったんですよね。

カイジ豪遊セット

 夜に「カイジ豪遊ごっこ」を楽しんだことはさておき、翌日さっそく高知城に行きました。鷹城とも呼ばれ、江戸時代に建造された天守や本丸御殿、追手門等が現存し、城跡は国の史跡に指定されており、日本100名城に選定されています。なお天守と追手門が両方現存している城は全国でも高知城のほか弘前城・丸亀城の3ヶ所だけで、天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみだそうです。

高知城天守

 G20サミットの時に、再建された大阪所にエレベーターが云々ということが話題になっていましたが、高知城はガチで江戸時代のままの作りなので天守に上るには階段しかありません。6階建てになりますが、なにしろ階段が急です。ちょっと慌てたら転がり落ちてしまいそう。慎重に上り下りしましたが、この階段のせいで膝を痛めてしまいました。膝に矢を受けてしまってな。

三志士像

 その後旧山内上下屋敷長屋、山内神社、鏡川などを訪れて高知駅前に。駅前広場には土佐三志士の像が建っています。坂本龍馬を中心に向かって左に武市半平太、右に中岡慎太郎。2011年設置ということで新しいものですが、内部が発泡スチロールで表面を強化ウレタンで覆っているという関係で、大型の台風が来ると一時避難することがあるという珍しい像だそうです。高知の人はこの三人を「先生」と呼ぶんですね。

幕末志士社中

 また駅前には「『龍馬伝』幕末志士社中」というパビリオンがあり、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で使用された坂本龍馬の生家のセットが再現されています。大河ドラマを見ていた人にとっては「聖地巡礼」の場所となると思われますが…例によって私は見ていませんでした。でもさすがにしっかりと作られていた印象。

特急南風2

 で、帰りはアンパンマン列車ではない「南風」に乗り、岡山で新幹線に乗り換えて大阪に帰った訳でした。鹿児島でも思いましたが地方といっても県庁所在地はなかなかに立派ですよね。それとも薩長土肥といった明治維新の“勝ち組”のせいなんでしょうか?高知は近畿じゃないのに今回の記事を“京の夢大阪の夢”カテに入れてしまいましたが、大阪発ということでどうか一つ(笑)。
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