網走遠征記(その4):博物館 網走監獄

フローリングワイパー
 
 こんばんは。今日は秋晴れの良いお天気でした。天気がいいとホームセンターに行きたくなりますね。そしてホームセンターに行くと色々買い物したくなるという。でも今回はお目当てが見つからなかったこともあってあまり買いませんでした。フローリングワイパーを買ったので床を拭くぞ。

網走監獄の位置

 さて網走遠征記は最終回です。翌日はいよいよハイライト、網走監獄に行きました。網走に行ったらここを外すわけにはいきません。監獄イコール刑務所なんていうと、自治体にとっては迷惑施設でしかないという印象ですが、網走はちょっと違います。明治の中頃に小さい漁村だった網走に網走刑務所の前身である釧路集治監網走分監、網走囚徒外役所が開設されたことにより発展したと言っても過言ではないでしょう。

人形ですよ

 博物館網走監獄は、明治以来網走市と深く関わりを持っていた網走刑務所の旧建造物を保存公開する野外博物館です。敷地面積は約東京ドーム3.5個分に相当しています。きちんと見ようとすると2時間は必要です。

鏡橋

 まず入口にあるのは鏡橋。網走刑務所は市街地と網走川を挟んだ位置に設置されているため、橋を渡らなくては出入りすることは出来ません。「鏡橋」の名は「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」との思いが由来であると言われています。

網走監獄入り口

 続いて正門。通称「赤レンガ門」と呼ばれる重厚な門で「最果ての監獄」と恐れられた時代の網走刑務所の威厳を感じさせます。

五寸釘寅吉の人形

 この門の前で掃除をしている人形は、明治の脱獄王として有名な「五寸釘の寅吉」こと西川寅吉です。五寸釘を足に突き刺したまま十数キロは逃げたというこの人も、網走に来てからは模範囚となり、よもやの仮釈放を勝ち取ったと言うことです。

庁舎

 続いて庁舎。一見洋式建築に見えますが和風建築の特徴もみられ、「和洋折衷」形式です。明治時代初期の官庁建築には数多くみられたそうです。庁舎は刑務所の主軸となる所で、典獄(現在の刑務所長)室をはじめ、会議室、総務課、戒護課、用度課、作業課等があり、刑務所の運営を行っていました。

釧路地方裁判所網走支部法廷

 監獄内の施設ではありませんが、密接な関連のある施設ということで釧路地方裁判所網走支部及び網走簡易裁判所の旧庁舎も移設されています。内部の移築物は昭和27年から平成3年まで使用されていたものを配置し、広さ高さを元通りに復原し、法廷内部の机や椅子、照明器具、カーテン等は実際に使用されていたものが展示されています。監獄はもちろん、裁判所も出来れば当事者として利用したくはないですね。傍聴の方はマニアがいるくらい楽しいらしいですけど。

休泊所

 お次は休泊所。受刑者が塀の外に出て、日帰りできないような作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊まりしました。札幌-網走を結ぶ中央道路の開削にあたっては、延べ1,000人以上の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。

休泊所内部

 別名「動く監獄」と呼ばれる内部には囚人が寝泊まりする様子が再現されています。腕の動く看守の人形にちょっと驚きました。寝床は板張りで、枕の代わりに丸太棒が床に釘づけになり、夜具は薄い柏布団1枚という過酷な状況で、囚人達はきっと早く監獄に帰りたかったことでしょう。出入口は1か所で逃亡を防ぐ作りになっていますが、休泊所の様式が開拓時代の工事現場に取り入れられ、いわゆる「タコ部屋」になったということです。

看守長屋

 一方こちらは看守長屋。ようするに刑務所職員の官舎です。なんと昭和58年まで刑務官の住宅として使用されていたそうです。つい最近じゃん。木造平屋の三軒長屋で、瓦屋根などの外装や井戸、かまどなど大正・昭和の看守家族の生活の様子を再現しています。囚人の網走監獄暮らしはさぞや辛かったでしょうが、看守もなかなかに大変そうです。家族と暮らせるだけましですけど。

行刑資料館

 行刑資料館。ここでは明治期から現在までの行刑の変遷を刑務所内での生活や規則、刑務作業を通して、また受刑者が北海道開拓に果たした役割を詳しく展示しています。

行刑資料館内部

 その服装から「赤い人」と呼ばれた囚人の様子が人形を使って様々に再現されています。編み笠や囚人服は着用可能。看守は海軍士官のように純白なんですが、汚れが目立たないのでしょうかね。あと道路建設の苦労を表す立体映像が見られます。北海道開拓の相当部分は囚人の犠牲の上に成り立っていると言われています。凶悪犯だから死んでもいい的な酷使がされたようです。昔の話とは言え酷いことです。

二見ヶ岡農場

 こちらは二見ヶ岡農場の復元施設。網走刑務所農園作業の先導的施設として設置され、1世紀を経た今日においても、網走刑務所の食料基地として機能しており、また広い農場での作業であるため職員による監視は穏やかで、物的人的警備に代えて受刑者自身の責任と自立行動を促すという開放的処遇施設として更生復帰させる重要な役割を果たしているそうです。ここに送られるのは模範的な囚人で、育てた作物を食べることで労働の喜びを感じられるとか。

裏門

 これは刑務所裏門。受刑者が塀の外の作業場(農業、養豚場)に出かける時に通る門で、いかつい正門とは違い、この門をくぐり抜けると構外に出られるということで、受刑者にとってはわずかでも解放感を味わえる門だったようです。

高見張り

 しかしちゃんと監視はされているのです。こちらは高見張り。受刑者の逃走、暴行事件などの発生に備えたやぐら監視所で、網走刑務所は現在は短期累犯刑務所として、刑期8年未満の受刑者を収容していますが、昭和43年までは長期受刑者を収容する施設で、刑期8年以上を収容する重警備刑務所の指定を受けていました。高さ8mの高見張りに、看守が2時間交代で監視を行っていたそうですが、看守もツライですね。

五翼放射舎房の外見

 いよいよ来ました、網走監獄のハイライト、五翼放射状舎房です。明治45年から昭和59年まで実際に網走刑務所で使用されていた獄舎です。

五翼放射状舎房

 中央の見張り所を中心に、5本の指を放射状に広げたようになっているため、五翼放射状舎房と呼ばれています。この建物の特徴は、少人数でも監視しやすいということで、5棟のうち雑居房は収容定員3~5人で126室あり、部屋の広さは畳6枚敷。独居房は100室あり、部屋の広さは畳3枚敷です。日中は雑居房で、寝るときだけ独居房に行くことが許された囚人もいたようで、私もそれが一番いいなあと思います。

脱走中の白鳥由栄

 ここには昭和の脱獄王白鳥由栄の脱獄する様子が再現されています。ふんどし一丁で屋根を破って脱獄したそうですが、身体の関節を容易に外せるという特殊な体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出すことが出来たそうです。

月の化身

 お前はレインボーマンの月の化身かと、平成生まれにはさっぱりわからないオヤジツッコミをしたりして。そんな彼も府中刑務所では模範囚となり、仮釈放が認められました。

雑居房と人形

 五翼を全部見ると結構疲れます。人形のある房もあるのですが、何もない房もたくさんあります。ずっと何もない房が続く中、いきなり正座した囚人の人形があったりするとびっくりします。

浴場

 囚人の数少ない楽しみ・入浴といえば浴室ですね。網走刑務所では、明治45年にコンクリートの浴槽にボイラーで湯をわかす近代的な浴槽を作りました。15人ずつが、看守の号令のもと、脱衣に3分、第1槽入浴3分、洗身3分、あがり湯の第2槽入浴3分、着衣に3分というように、効率よく入浴しましたが、それでも1日に入浴できる人数は200人程度だったそうです。

浴場内部

 身体を洗う人形には俱利伽羅紋紋の背中もあります。かつては6月から9月まで月5回入浴、他の月は月1回の入浴と定められていたそうですが、現在は、1日おきに入浴できるようになっているそうです。風呂間毎日入りたいですが、それも叶わないのが監獄の辛いところです。

教誨堂

 これは教誨堂。教誨とは教え諭すという意味で、受刑者に対して行う精神的、倫理的、宗教的な教化指導のことです。立てたのは受刑者ですが、内部は漆喰を用いて天井に装飾を施し、シャンデリアを釣り下げてあり、「神の宿るところだから」とどの建物よりも精魂込めて作ったと言われています。内部には受刑者の絵・書などの作品が展示されています。

網走監獄クッキー

 さて一通り見終わると隣接する産業物産館にはお土産が販売されています。いかにも監獄らしいものが揃っています。このクッキーは思わず私も買いました。

クッキー中身

 中身はごく普通のクッキーですが、書かれている文字がインパクトがあります。

網走監獄の変T

 あと変なTシャツも色々。変T集めを趣味にしていた斎藤さんにあげたかったな…。

網走監獄遠景

 網走監獄は網走駅から約4キロ。バスも通っていますが、北天の丘から送って貰ったので少しは歩こうと徒歩で駅に向かいました。が、2時間も監獄を見学していると結構足が疲れていたと見えて、網走駅についた頃にはもうへとへとでした。後は再び特急オホーツクに乗って札幌に帰った訳ですが、それはもう省略します。実は網走監獄付近には北方民族博物館やオホーツク流氷館もあり、そちらも行こうかと思っていたのですが、網走監獄見学に時間がかかったので断念しました。それぞれ面白いでしょうけど、どれか一つといえばやはり網走監獄ではないでしょうか。
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非公開コメント

べ、べつに雪野先生に会いに行った訳じゃ無いからね!(笑)

拝啓 拝読致しました。今度は網走ですか。私はまだ行った事が
無い所です。是非行ってみたいです。いいなあ。

去年の今頃、(秒速病で)かなりいきり立っていた私は(^_^)、
種子島まで足を運んでいましたが、流石に落ち着いたので、
先日の夏の終わりの一人旅は、東四国(香川徳島)に
行ってきました。勿論理由はタイトルの訳では無く(笑)、
その方面には久しく、特に徳島県には20年近く訪れて
いなかったので、妙に行きたくなりました。

流石に、雪野先生の様な風貌の女性には出会えませんでした・・・
雪野先生の様な酒豪(そうな)の女性はいましたが(笑)。

Re: べ、べつに雪野先生に会いに行った訳じゃ無いからね!(笑)

 satoruさんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。

> 拝啓 拝読致しました。今度は網走ですか。私はまだ行った事が
> 無い所です。是非行ってみたいです。いいなあ。

 網走というと出所した極道がうろうろしているというイメージがありましたが(私だけ?)、実際にはなかなかにいいところです。やはり「オホーツク」というロシア語がきいているんでしょうかね。

>
> 去年の今頃、(秒速病で)かなりいきり立っていた私は(^_^)、
> 種子島まで足を運んでいましたが、流石に落ち着いたので、
> 先日の夏の終わりの一人旅は、東四国(香川徳島)に
> 行ってきました。勿論理由はタイトルの訳では無く(笑)、
> その方面には久しく、特に徳島県には20年近く訪れて
> いなかったので、妙に行きたくなりました。

 四国いいですね。観光というと一見北海道や九州の影に隠れがちですが、八十八ヶ所霊場巡りとか根強い人気があるところという印象です。実は松山・道後温泉しか泊まったことがないので、高知とか徳島も行ってみたいです。
>
> 流石に、雪野先生の様な風貌の女性には出会えませんでした・・・
> 雪野先生の様な酒豪(そうな)の女性はいましたが(笑)。

 徳島って酒豪が多いのですかね?だとすると百香里の朝から「金麦」は、ストレスでも味覚障害のせいでもなく、単に酒が飲みたいだけだったりして。それは世に言う「アル中」では(笑)。徳島では平穏に暮らせているといいですが、男性依存(特に年下)は脱却して欲しいものです。

No title

(´・・`)小説版「言の葉の庭」エピローグは伯方島の「民宿うずしお」で執筆されたらしいっす‥ #独自研究

Re: No title

 ROM専‥さんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。

> (´・・`)小説版「言の葉の庭」エピローグは伯方島の「民宿うずしお」で執筆されたらしいっす‥ #独自研究

 伯方島は瀬戸内海の越智諸島にある島で、所属は愛媛県ですね。百香里は徳島県出身らしいのになぜに他県(笑)。鳴門の渦潮はイメージと違ったのでしょうか。

(´・・`)すみません‥雪野センセ故郷徳島説のソースを教えてくださいませませ

Re: タイトルなし

 ROM専‥さんこんばんは、いらっしゃい。いつもありがとうございます。

> (´・・`)すみません‥雪野センセ故郷徳島説のソースを教えてくださいませませ

 ああ、四国というだけで県は特定されていませんでした。私の妄想の中で、四国の高校→吉野北高校→徳島と勝手に変換されていました。百香里には、牧田先生のような素敵な先生になって欲しいなという期待がソレをさせたのか。
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