中国美女列伝(その25):驪姫~大国・晋に驪姫ラリアット?

11月
 
 秋晴れの夜にこんばんは。いやいや11月ですよ。一年で一番好きな月は?と聞かれたら、私は11月と答えます。天候が落ち着いて穏やかな日が多く、日は短くなっているもののまださほど寒くもなく、何よりも大きなイベントがなくて静かな雰囲気があると思うのです。12月になるとクリスマスだ忘年会だで賑やかというか煩いもので。あ、でもボーナスはありがたくいただきますです。

驪姫その1

 さてまたもやってきました三連休。徳川のみっちゃんはもう使いすぎたのでやめておきます。三連休も今年はこれで打ち止めかと思いきや、12月にもあったんですね。11月23日の勤労感謝の日は土曜日なので三連休が成立しませんが、それでも月曜日を休みにする法案を通そうという政治家はいないのでしょうか。一票入れちゃうのに。

驪姫その2

 金曜恒例中国美女列伝、25回目の今日は驪姫(りき)です。驪姫はやはり本名不詳です。生年も不明で、没年は紀元前651年です。驪戎(りじゅう)という漢民族にとっての異民族の女性でした。よく中国の四方の“蛮族”を東夷南蛮西戎北狄といいますが、そのうちの西戎に当たります。中国の西及び北に住んでいた遊牧民族だったようで、北に居たのは北戎と呼ぶようですが、圧倒的に西戎の方が多いようです。驪戎は西戎の一部族でした。

驪姫その3

 ちなみに上記分類によれば日本は東夷ということになりますが、もともとの東夷は中国東部に住んでいた民族のことを指し、その後それらの地に斉とか魯といった漢民族系の国が建国されて漢民族に同化されるにつれ、東夷は中国東北部や三韓(新羅、百済、高句麗)、日本(当時は倭と呼ばれましたが)の諸民族を指すようになったようです。

驪姫その4

 中国春秋時代は周の幽王が西戎の一部族である犬戎に殺され、都を東に移した紀元前770年から、晋が韓魏趙の三つに分裂した紀元前403年までの約370年を指しますが、その時代の晋は北の大国であり、南の大国である楚とともに二大国対立の構図を作っていました。続く戦国時代(紀元前403年-紀元前221年)の有力七か国は「戦国七雄」と呼ばれますが、晋が分裂して出来た韓魏趙の三国がそのまま七雄に入っていることからも、分裂前の晋の強大さが窺われようというものです。

春秋時代の諸国図

 晋の19代君主献公は、本家の威勢を脅かしていた分家を滅ぼして晋を隆盛させ、周辺の小国を併呑して領土を拡大させました。その一環として彼らから見ると蛮族である西戎の一部族である驪戎も攻め滅ぼしました。驪姫と妹の少姫は美人だったため、献公が見初めて二人とも後宮に入れて寵愛しました。

驪姫その5

 晋は北の大国であり、北狄や西戎と国境を接していた関係もあってか、それら異民族とも活発な交渉があったらしく、献公の側室には北狄の一部族である白狄の娘である狐姫とその妹などもいました。また父である武公の妾であった斉姜を夫人にしているなど、「なんだこれは…たまげたなあ」となる状況もあるのですが、何しろ2500年以上前の話なのでこらえてやってつかあさい。

驪姫その6

 驪姫が妹の少姫とともに献公の後宮に入った時には、既に献公には太子の申生(斉姜の子)、重耳(狐姫の子)、夷吾(狐姫の妹小戎子の子)がいました。晋に連れて来られた当初は自らの境遇を嘆いていたそうです。そりゃあ現代の視点から見れば拉致監禁性奴隷状態なのですから当然といえば当然でしょう。

驪姫その7

 しかし、そこは大国の君主の妻妾となったわけですから待遇は格別のものがあったことでしょう。正室だった斉姜は既に死んでおり、驪姫は代わって正室の座に就きましたし。献公の寵姫となって贅沢な暮らしに慣れてしまうと、かつて自分が悲しんだことを後悔したそうです。貧乏に慣れるのは大変でも、富貴に慣れるのは容易いのでしょうか。神様、ぜひ実感したいので私を富貴にしてみて下さいませ(貧乏はもう十分知ってます故結構です)。

驪姫その8

 すでに三人も男子がいるところに、驪姫は奚斉(けいさい)という男子を産みます。妹の少姫も悼子という男子を産みました。驪姫は兄が三人もおり、申生が既に太子となっているにも関わらず、奚斉を跡継ぎにしようと画策します。この辺りが妖女といわれるところなのですが、自分が腹を痛めた子を次代の君主に…というのはごくありふれた話であり、日本だってお家騒動の原因の多くはこれだったりするのです。

驪姫その15

 驪姫からすればは全く違う民族の人々の中にぽつんと置かれている訳で、献公が生きている間はともかく、死んだらその後自分はどうなるかと考えれば心細いことこの上なかったことでしょう。やけに驪姫に肩入れしている?私は美人の味方ですから(笑)。

驪姫その9

 驪姫は献公と申生の離間を謀り、申生を罠に嵌めて父毒殺未遂の汚名を着せ、人望の厚かった申生を自殺させますた。また公子重耳と公子夷吾を辺境に遠ざけ、宦官を派遣して自害を迫りましたが、二人は辛くも国外に逃亡します。その他の公子はほとんど殺され、これによって大国・晋は大きく混乱し、国力は一時期大いに低迷することになりました。これを「驪姫の乱」と呼びます。

驪姫その10

 「驪姫の乱」以後、晋は太子以外の公子を国外に出すという習慣を確立することとなり、このため公族の力が非常に弱くなり、替わって貴族達の力が強くなっていき、後に三国分裂を引き起こすことになるのです。

驪姫その11

 驪姫は首尾良く奚斉を君主としますが、それも束の間。驪姫の所行は晋の人々から全く支持されませんでした。奚斉は信望薄く、即位後まもなく家臣に殺されてしまいます。驪姫は妹の少姫の子である悼子を据えますが、献公の補佐をしていた将軍の里克が反乱を起こし、悼子や少姫といった驪姫の一族は全て殺害され、驪姫も井戸に身を投じて命を絶ったのでした。

驪姫その12

 その後は夷吾が恵公となり、次いでその子が懐公となりますが、晋の国威は低迷を続けます。重耳は諸国を放浪の果て、62歳にして晋に戻って文公となると、周室の内乱を治め、城濮の戦い(紀元前632年)で楚を破るなど、晋を再び隆盛に導き、斉の桓公に続く覇者となり、天下を経営しました。

驪姫その13

 なお春秋時代の覇者は「春秋五覇」と呼ばれますが、誰を持って五覇とするかは文献によって違いがあります。覇者の条件は、

驪姫その14

 ・ 他国を圧倒する強大な国力を持つ
 ・ 諸侯を召集して会盟の会頭を務め、天下の事を取り決める
 ・ 小国を守り、滅ぼされた国の復興などをする
 ・ 夷狄を討ち、中原諸国の安寧に貢献する

驪姫その16

などが挙げられます。候補は12人ほどいるのですが、上記条件を完全に満たしているのは斉の桓公と晋の文公だけであり、どの文献の場合でも必ず入っているので、春秋五覇の代表として斉桓晋文と呼ばれます。他には7文献中5文献が推す秦の穆公と楚の荘王が有力ですが、残りはドングリの背比べといった観があります。

武将驪姫とリアル驪姫

 前回の文姜に較べると大国を混乱させるなど、傾国の美女的ではありますが、無理矢理連れてこられたという境遇を考えると一概に悪女だ妖女だと責められない気がします。

リアル驪姫その2
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