中国美女列伝(その23):夏姫~切り札登場!四大美女に匹敵する美貌なのに「淫女」呼ばわり(涙)

夏姫その1
 
 やってきました金曜日。台風が過ぎて一気に涼しくというか肌寒いくらいになりましたが、これが本来の気候なのでしょう。しかしまたまた巨大な台風27号が日本を窺っている様子。ホームランじゃあるまいし、そんなに号数を重ねなくていいのに。

夏姫その2

 さて金曜恒例中国美女列伝も醜女(黄月英)だの女将軍(秦良玉)だのと、本当に美人だったのかちょっと怪しい人まで繰り出してきており、弾切れの様相を見せているかとお思いかと思います。四大○女は続いて四大侠女、四大情女と続くのですが、侠女はいまいち有名でない人ばかりで、情女としては虞美人を既に紹介済みで、「白蛇伝」のヒロイン白娘子は画像を検索するとリアル白娘子ばかりなので今回はパスし(後日やる苦し紛れに紹介する可能性はありますが)、今回は切り札を投入することにしましょう。四大美女に匹敵する大美人・夏姫です。今回は中国絵師達もはりきっています。

夏姫その3

 夏姫はなんと四大淫女の一角です。淫女…みだらな女って。美女や才女と呼ばれるのはやぶさかではない女子の皆さんも醜女とか淫女呼ばわりは御免被るところかと思います。そんな言い方は可哀想なのですが、何しろ中国人による分類なので仕方有りません。四大淫女には他に水滸伝に登場してスピンオフ作品「金瓶梅」では副主人公を務める潘金蓮もいます。この人はまあ…淫女と呼ぶしかないかもしれませんが。

夏姫その4

 私が夏姫を知ったのは宮城谷昌光の直木賞受賞作「夏姫春秋」ででした。夏姫は西施と並び称される春秋時代の美女でしたが、西施が傾国のために磨き上げられた美貌の戦略兵器であったのに対し、夏姫は美しき暗殺者といった風情があります。つまり、夏姫の美貌に惹かれて近づいた男は全て死んでしまうのです。

夏姫その5

 夏姫はとんでもない悪女として評されることもあります(後述)が、「夏姫春秋」ではあまりの美貌というものがもたらす運命に翻弄され続けた女性として夏姫を描き、運命というものに振り回される小さな存在である人間が、運命を受け入れ、またいかにして悲しい運命から脱することができたかを描いています。

夏姫その6

 春秋時代は周の王権が衰え、諸侯の時代となっています。衰えたとは言え一応存続する周王室を支えるということを名目に、各諸侯が覇者たらんとして相争う中、北の大国・晋(後に魏・韓・趙に分裂して戦国時代となります)と蛮族と蔑まれながらも急速に台頭してきた南の巨人・楚に挟まれた黄河南岸に鄭という小国がありました。

夏姫その7

 鄭は紀元前806年~同375年に存在した国です。建国当初はなかなかの強国だったのですが、周王室の分家であるという血筋のせいで自尊心がやたら高く、故に各国との協調性に欠けたものか、次第に各国の信用を失って衰弱していきました。

夏姫その8

 小国となってからは晋と楚という二大国の間で「面従腹背」を繰り返すようになり、徐々に衰退・没落し、戦国時代に入ってまもなく韓に滅ぼされました。孔子は「論語」において、鄭の楽曲は淫らなものが多いと批判しています。俗な曲やあまり高尚ではない楽曲を鄭声というのもここに由来しています。詩経に収録されている鄭を見ると、淫らかどうかはともかく、男女の愛情をストレートに歌い上げているのが特徴です。

夏姫その9

 夏姫は鄭の11代目君主・穆(ぼく)公の娘として生まれました。お姫様という訳ですね。そして“淫ら”との定評のある国で生まれ、幼少のころから絶大な美貌だったせいか、早くも虫がついてしまうのです。なんと、わずか10歳にしてすでに艶聞が広がるのですが、その相手はなんと夏姫の実の兄・子夷でした。いきなり「俺妹ハード」キター!!さらに鄭の大臣までやってくる始末。この辺り、いくらなんでも10歳位で夏姫が自発的に情交を求めるはずもなく、夏姫の美貌に引き寄せられた男達の勝手な欲求の餌食になってしまったのでしょうが、栴檀は双葉より芳しといいますが、ものすごいロリータででもあったのでしょうか。なんだこれは…たまげたなあ。

夏姫その10

 パパンである穆公は、そんなスキャンダルに頭を痛め、噂が広まる前に夏姫を嫁がすことにしました。夏姫の嫁ぎ先は鄭と似たような小国・陳の大臣の家系である夏氏でした。お姫様なので陳の王族に嫁げばいいようなものですが、傷物になっていたのでパパンがディスカウントセールをしたものでしょうか。

夏姫その11

 夫は夏御叔(ぎょしゅく)という人で、二人の間には夏徴舒(ちょうじょ)が生まれました。しかし、夏姫のこの世の者とも思われぬ妖艶さは、たちまち陳国内の大臣や公子の狙うところとなりました。夫が生きている間は良かったのですが、夏徴舒が生まれてからほどなく夫の御叔は死んでしまうのでした。

夏姫その12

 夏氏の跡継ぎは徴舒ですが、まだ赤ん坊なので実権は認めてもらえませんでした。夏姫は徴舒を正式に夏氏の主として認めてもらうよう、陳の大臣たちに直訴しました。当時陳の有力大臣だった儀行父と孔寧は、もともと夏姫の美しさに目を付けていて「機会があれば…」と虎視眈々と狙っていたのでした。

夏姫その13

 徴舒を夏氏の主として認め、重用することを陳公に願い出るかわりに、この大臣ズは夏姫の体を所望してきました。国を担う大臣ともあろうものがそんなに品性下劣だから、陳が弱いはずです。そればかりか、陳公も交えて3人がかりで夏姫を弄ぶ所業にでてきます。「嬲」という字は男二人で女を弄ぶ様子から出来た漢字ですが、それにさらに男がプラスされては夏姫に一体何が出来るというのでしょうか。

夏姫その14

 陳公は夏姫の美しさにドはまりしてしまい、財政悪化を顧みず夏姫のために「夏氏の台」と呼ぶ高台を建築し、大臣ズと3人がかりで日夜夏姫を取り巻いてはバカ騒ぎを繰り広げました。当然3人は政治を顧みられることもなくなりました。この辺りから夏姫悪女説が出てくるのだと思いますが、「え~…」と言いたくなりますね。じゃあそうすりゃいいんですか。

夏姫その15

 それでも一応夏姫の願いは叶えられ、息子の徴舒は陳国の大臣の一人となり、他にも賢明な臣下がいたのでかろうじて陳は傾かずに済んでいました。徴舒は若き大臣として国内で評判になっていました。なにしろ絶世の美女である夏姫の息子ですから、その容姿の秀麗さからも国中の娘たちの憧れの的となっていたようです。

夏姫その16

 しかし、ママンを弄ぶ主君と大臣の引きで昇進したという事実は徴舒の心を苛み続けていました。実際、これはたまらないと思います。きっと人々の噂にもなっていたでしょうしね。そしてある日、「夏氏の台」で閲兵式を催した陳公は、閲兵式が済んだ後の宴会で、生真面目に式典の進行を報告に来た徴舒を無視して、大臣ズとともにふざけあっていました。

夏姫その17

 その際、徴舒は聞き捨てならない雑言を聞いてしまいました。「徴舒は汝に似ておるのぅ」と言う陳公の声。汝とは大臣ズの一人・儀行父を指していました。その儀行父は「いやいや、公にこそ似ておりますな」と返答しました。徴舒をからかったつもりだったのでしょうが、常日頃から心に憤懣をエネルギー充填120%で溜め込んでいた徴舒の逆鱗に触れる結果となってしまいます。

夏姫その18

 腹に据えかねた徴舒は、陳公と大臣ズを殺すことを決意し、即実行に移しました。「夏氏の台」での閲兵式に参加した兵は徴舒の兵だったので、直ちに指令を与えてクーデターです。徴舒は自らの手で陳公を討ちましたが、何と大臣ズは取り逃がしてしまいました。大臣ズは楚に逃げ込み、荘王に助けを求めました。荘王はすぐに陳に攻め込み、徴舒は自害します。これまでの屈従は全て徴舒のためだったのに、夏姫は生きる望みを失ってしまいます。

夏姫その19

 楚に連れてこられた夏姫は、荘王の臣下の老武官でその名も襄老に嫁がされますが、その襄老は楚と晋との大戦「邲の戦い」(紀元前597年)に出征します。戦い自体は楚の大勝利で、以後荘王は中原の覇者として君臨することになりましたが、襄老自身は戦死してしまいます。

夏姫その20

 ここまでで、実兄子夷は鄭の君主(霊公)となったものの紀元前605年に臣下に打たれて死亡し、夫だった御叔も死亡し、妻妾のように弄んでいた陳公も死んでおり、今回襄老が死んだことで、「不吉の美女」の定評は確固たるものになりました。江戸時代の作家・浅井了意の「新語園」の巻之二「陳女夏姫 左伝」では「一生の間に三たび王の后となり、七たび諸侯の夫人となり、九たび寡婦となった」と評されています。

夏姫その21

 実は荘王は結構いい年になっているはずの夏姫の、今だ衰えを知らぬ美貌に目が眩み、自分の后にしようとしたのですが、大夫の巫臣(ふしん)に「王は罪人の徴舒を討って、陳の太子の帰還を果たしましたのに、徴舒の母である夏姫を後宮に入れるようなことをすれば王は色欲を貪る者という誹り受けて、楚国の大功が無に帰してしまいます」と言って諫めました。

夏姫その22

 賢明な荘王は巫臣の言を受け入れて、夏姫を諦めました。また将軍の子反も、夏姫の美貌に惚れこんで、我がものにしようとしましたが、やはり巫臣が「夏姫は不吉な女です。あの者は陳の宮中にあって、夫の御淑を早世させ、子の徴舒に陳公を殺させ、重臣の孔寧と儀行父を逃亡せしめ、徴舒もまた殺され、陳国を滅ぼしました。天下に美女は大勢います。よりによって、あんな女を選ばなくてもよいではありませんか」と諫めたので思いとどまりました。「諦めんなよ!なんでここで諦めるんだよ!」と叫ぶ松岡修造は現れなかった模様です。

夏姫その23

 実は巫臣は夏姫を見た時より完全に一目惚れしていたようで、また「夏姫を幸せにできる男は、この世に自分しかいない」と確信していたようです。荘王や子反への諌言も、恋故の熱弁だったのでしょう。襄老の子により、満を持した巫臣が立ち上がります。巫臣は夏姫のもとへ人をつかわして、「故郷の鄭に帰りなさい。あらためて私が妻に迎えましょう」と告げ、荘王を説得して夏姫を鄭に帰国させる事に成功します。

夏姫その24

 荘王の死後の紀元前589年、斉が晋と対立する様になったのを受け、楚は斉との同盟を考え、巫臣はその為の使者に任じられました。これを好機と捉えた巫臣は全財産や一族の大半を伴って楚を出国し、鄭へと入りました。 巫臣は鄭の襄公に夏姫を迎え入れたいと申し出、襄公はこれを許します。

夏姫その25

 巫臣は使者の役目を放棄し、夏姫や族人達と共に一度は斉に入りますが、斉が「鞍の戦い」で晋に敗退したのを受け、亡命先を晋に変更し、晋の重臣達に重用されることになりました。巫臣の裏切りと、狙っていた夏姫を横取りされたことに怒っていた子反は、楚に残っていた巫臣の一族を殺害しました。これを知った巫臣は、子反に復讐の書簡を送り、晋公に呉と国交を結ぶ事を勧めます。巫臣は自ら呉に出向いて呉と国交を結び、用兵や戦車の技術を伝え、呉を強国とする一因を築きました。

夏姫その26

 楚は晋と呉との二正面作戦に奔走させられ、子反らは自害し、巫臣の復讐は果たされました。その後呉は予想以上の強国となって楚の重大な脅威となり、遂には滅亡寸前に追い込まれます。呉はさらに新興の越との間で諍いがあるのですが、それの一件は西施の記事を読んでいただければと思います。

夏姫その27

 中国の歴史には美女が山ほど登場するのですが、その外貌を描写したものはほとんどなく、夏姫がどういう美人であったのかは史書から知ることはできません。2000年ほど後の清時代の小説「東周列国志」という有名な歴史小説では、夏姫の美貌を「蛾眉鳳眼杏臉桃腮」と紹介しています。

夏姫その28

 「蛾眉」は蚕蛾の触覚のように細くて長くて湾曲した眉で、「鳳眼」は細くて目尻が上を向いた目、「杏臉」は杏の花ように白い顔、「桃腮」は桃のようにピンク色をした頬ということになります。目が細くてキリッとした、色白の美人という感じですが、この八文字は美女を形容する時に使う言葉なので、夏姫の特徴というよりも、中国美女の特徴といった方が正確でしょう。

夏姫その29

 「東周列国志」には夏姫について面白い話を載せており、夏姫は十五歳の時、夢で一人の偉丈夫に出会って交わり、その際に「吸精異気の法」を教わったそうです。これにより夏姫は男と交わると、歓喜を尽くすのと同時に、若返ることができるようになったのだそうです。夏姫の若返りの術を「素女採戦の術」といいます。これにより、40歳を過ぎた夏姫は、17、8歳の頃と変わらなかったとか。現代の美魔女も裸足で逃げ出すことでしょう。

夏姫その30

 夏姫自身には特に邪悪な意志も欲望もありませんでしたが、過剰な美貌を持って生まれたが故に運命に翻弄された哀れな美女といえるでしょう。しかし、彼女の運命を変えて見せた巫臣に出会うのも、その美貌の成せる業だったとも言え、最初の夫であった夏御叔の死後、安息できる居場所がなかった夏姫に、巫臣は安息をもたらします。巫臣は晋で与えられた辺境の邑を再興し、夏姫との間には一女を儲けて幸せに暮らしました。

リアル夏姫その1

 最後にリアル夏姫を。この人、凄くタイプです。若き日の常盤貴子に似ていると思います。誰だ、こんな美人を淫女などと。気合い入れていたら土曜日になってしまいました。やはり美女は男を熱くする(笑)。

 
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