中国美女列伝(その12):卓文君~愛に生きた中華版「山内一豊の妻」

卓文君その1
 
 連日35度以上というあの猛暑を過ぎてからいうのもなんですが…地味に結構暑いですね。32度って昔だったら十分猛暑だったのですが、今では普通の暑さという感じになってしまいました。

卓文君その2

 暑さに喘いではいても今週もやってきましたフライデーナイト。金曜名物中国美女列伝、本日もやっていきましょう。本日も引き続き四大才女の一人、卓文君です。ただこの人の「才女」って、蔡文姫とか李清照とは傾向が違うんですよね。

卓文君その3

 さて卓文君を語るためにはその夫である司馬相如を語らねばなりません。野郎の紹介なんて可能であればやりたくないのですが、有名な「山内一豊の妻」を語るためには山内一豊についてもある程度は語らねばならないのと同じなので、まあしばらくおつきあい下さい。

卓文君その4

 司馬 相如(しば しょうじょ:紀元前179年-紀元前117年)は、中国の前漢の頃の文章家です。蜀郡成都の人。賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価されました。賦(ふ)とは、漢代に形成された中国の韻文における文体の一つで、抒情詩的要素は少なく、事物を羅列的に描写するのが特徴です。日本では古来、かぞえうたと称されていました。

卓文君その5
 
 司馬相如は蜀群の成都の裕福な家で生まれました。当時は金銭で官職を買うことができたそうで、彼は売官により漢の第6代皇帝である景帝に仕えました。司馬相如は書物を愛する文学者でしたが、景帝が文学を好まなかったために相性が悪かったので病と称して職を辞し、景帝の弟である梁の孝王の客となり、孝王の下にいる文人達と交わっていました。

卓文君と司馬相如その1

 司馬相如が35才位の時、孝王が死んでしまったので故郷に帰りましたが、既に実家は没落して生活も困難になりました。そこで昔の友人が県令をしていた臨卭県に向かいましたが、そこの大富豪卓王孫の家で催された宴会に出席したところ、卓文君と運命の出逢いをしたのです。

卓文君と司馬相如その2

 卓文君は卓王孫の娘で一度結婚して家を出ていたのですが、夫と死別して実家に戻っていたのです。司馬相如の奏でる琴の音に魅了された卓文君は、こちらも一目惚れした司馬相如から恋文を貰い、なんと駆け落ちして家を出てしまいました。

卓文君その6

 父の卓王孫は激怒して娘に一切財産を分けないと言ったので、卓文君は自分の財物を売り払ったり借金をしたりして街で酒場を開き、そこで司馬相如は上半身裸で下男のように働き、卓文君は自ら女将として働きました。

卓文君その7

 これを知った卓王孫の親戚や知人が卓王孫を訪ねて説得したりしたので、卓王孫も遂に折れて二人の結婚を認め、召使いを100人と100万銭などを与えたそうです。やるとなったらまた莫大に出しますね。さすが太っ腹。私にも1割位下さい。これで2人は貧乏から脱出して成都に移り住み、土地を買って地主になりました。

卓文君その8

 漢の宮廷では景帝が崩じて武帝が立ちました。武帝は文学を好み、司馬相如が梁の孝王の下に居た頃に書いた「子虚の賦」に感動して、早速司馬相如を召しました。司馬相如は「子虚の賦」が皇帝に奉るにはふさわしくないとして、「子虚の賦」を改作して、「天子游獵賦」として改めて武帝に奉り、大いに喜ばれました。皇帝の使者が往来してくるので、地元の有力者も司馬相如を敬い、卓王孫も大いに面目を施し、改めて財産を分与したりしたそうです。

卓文君その9

 司馬相如は政治にはあまり関心がなく、生活にも不自由がないことから、もっぱら文学に専念し、後世に名文として残る作品を次々と残しました。卓文君は、そんな夫を支え、恋に生きて愛に燃えた情熱的な女性として知られる訳です。

卓文君その10

 司馬相如の文才が武帝に認められて出世したのも妻である卓文君の力によるものだというのが、中国人の認識であり、日本では山内一豊の妻が、夫の出世を助ける才女として巷間に伝わっているが如く伝えられているのです。もっとも卓文君は千代の1500年以上前の人なので、才女としては大先輩格なのです。

卓文君その11

 じゃあ夫を支えただけかというとそういう訳でなく、詩作もしています。後年、司馬相如は他の女に心を奪われ、卓文君に側室を置きたいと打診したのだそうです。まあ高位高官や富豪ではありがちのことですが、妻に足を向けて寝られないはずの司馬相如にしてやはりそうなのか!これだから男ってヤツは(笑)。

卓文君その12

 その折、卓文君が作った詩が「白頭吟」です。これを読んだ司馬相如は側室を断念したそうです。

卓文君その13

 白頭吟

 皚如山上雪  皚たること山上の雪の如く
 皎若雲間月  皎たること雲間の月の若し
 聞君有兩意  聞く君に兩意有りと
 故來相決絶  故に來りて相ひ決絶せんとす
 今日斗酒會  今日 斗酒の會
 明旦溝水頭  明旦 溝水の頭
 躞蹀御溝上  御溝の上に躞蹀(せふてふ)すれば
 溝水東西流  溝水 東西に流る

卓文君その14

 私の身が潔白で二心ないことは山上の雪のようで
 清く明らかな気持ちは雲間に浮かぶ月のようです
 ところがあなたには他に思う人があると聞きました
 それゆえ私はお別れを申しに来たのです
 今日こうしてあなたと別れの杯を交わす私は
 明日には溝水のほとりをさまよう身となっていましょう
 そのお堀の上をさまよう私をよそに
 お堀の水は淡々と流れるのでしょう

卓文君その15

 淒淒復淒淒  淒淒として復た淒淒たり
 嫁娶不須啼  嫁娶に啼くを須ひず
 願得一心人  願はくは一心の人を得て
 白頭不相離  白頭まで相ひ離れざらん
 竹竿何嫋嫋  竹竿 何ぞ嫋嫋たる
 魚尾何簁簁  魚尾 何ぞ簁簁たる
 男兒重意氣  男兒 意氣を重んず
 何用錢刀爲  何ぞ錢刀を用ふるを爲さん

卓文君その16

 私は悲しい気持ちでいっぱいです
 ですが決して声を出して泣いたりはいたしますまい
 私の願いは真心を持った人とともに
 白髪になるまで添い遂げることでした
 あなたの垂らす釣り糸の竹竿はなんとしなやかなことでしょう
 釣られた魚はなんとピチピチしていることでしょうか
 男たるもの意気が大事
 お金など何の役にも立たないのです

卓文君その17

 終盤、釣り竿(司馬相如)は釣った魚(卓文君)を思うべきであると主張していまう。こんなにも素晴らしい魚なのに!と。慰謝料なんか役に立ちません、心意気を見せて下さいと要求しています。駆け落ちといい、酒場経営といい、かなり激しい気性の女性のようですね。

卓文君その18

 おそらく司馬相如は愛妻家にして恐妻家でもあったことでしょう。このエピソードは後世、戯曲などの題材とされています。

卓文君その19

 なお司馬相如が病気となって明日をも知れないという状況になったとき、その噂が武帝の耳にまで届き、司馬相如の屋敷に使者を遣ったそうです。しかし使者が到着した時には司馬相如は既に亡くなっており、未亡人となった卓文君は泣きはらした目で、「夫は死ぬ直前に『天子さまの使者が来たら、これを献上しなさい』と申しました。このほかに著作はありません。」と言って「封禅文」という辞賦を奉ったそうです。

卓文君その20

 なお、愛する夫を亡くした卓文君のその後は、正史「史記」には記されていません。余生を心穏やかに過ごしていたら良いのですが、大富豪の家系なので経済的には心配なさそうですが。

リアル卓文君
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ユースフ

Author:ユースフ
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
カテゴリ
リンク
ブロとも一覧

秒速5センチメートル・・・桜花抄の軌跡を追ってみた

心理兵器:秒速5センチメートル
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
日記
54位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
会社員・OL
9位
アクセスランキングを見る>>
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最新トラックバック
検索フォーム
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ