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泣くな道真 -太宰府の詩-:菅原道真と小野小町の意外な邂逅

蜜蜂と遠雷

 私のお気に入り作家の一人である恩田陸が、19日に第156回直木賞を受賞しました。受賞作「蜜蜂と遠雷」は何と6回目の候補作ということで、遂に遂にでしたね。個人的には2000年刊行の「ライオンハート」あたりで受賞してもおかしくないと思うんですが、取りあえず受賞して良かったです。

祝恩田陸直木賞受賞 

 本日の澤田瞳子の「泣くな道真 -太宰府の詩-」を紹介しましょう。澤田瞳子の本は今回初めて読みました。

泣くな道真 ー太宰府の詩ー 

 澤田瞳子は1977年生まれで京都府出身。ママンは作家の澤田ふじ子です。同志社大学大学院文学研究科博士課程前期修了し、時代小説のアンソロジー編纂などを行い、2010年に「孤鷹の天」で小説家デビューしました。これが翌年、第17回中山義秀文学賞を最年少で受賞しました。

澤田瞳子 

 2012年刊行の「満つる月の如し 仏師・定朝」で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞と第32回新田次郎文学賞を受賞し、2015年刊行の「若冲」で第153回直木賞候補となり、第9回親鸞賞を受賞しています。デビューから7年でこの受賞ぶり。直木賞受賞も遠くない感じですね。

孤鷹の天 

 「泣くな道真 -太宰府の詩-」は2014年6月30日に集英社文庫描き下ろしとして刊行されました。例によって文庫本裏表紙の内容紹介です。

満つる月が如し 

 右大臣だった菅原道真が大宰府へ左遷された。悲憤慷慨する彼にお相手役の保積もお手上げ。そこへ美貌の歌人恬子(しずこ)が現れ、博多津の唐物商へ誘う。道真は、書画骨董の目利きの才を発揮し、生気を取り戻す。その頃、朝廷に出す書類に不正が発覚し、府庁は窮地に。事態を知った道真は、自ら奇策を……。朝廷を欺き、意趣返しなるか!日本史上最も有名な左遷された男の活躍をユーモアのなかに描く歴史小説。

若冲 

 道真の太宰府左遷は昌泰4年(901年)。受験の時の年号暗記の時は「暮れ行(901)く秋の太宰府を見る」と覚えたものでしたが、左遷されたのは年初早々だったんですね。幼少から詩歌や学問に才能を示してとんとん拍子に出世し、祖父・菅原清公以来の私塾である菅家廊下を主宰し、朝廷における文人社会の中心的な存在となりました。

菅原道真カード 

 宇多天皇の信任が厚く、また時の権力者であった関白藤原基経が亡き後に有力者がいなかったことから要職を歴任することとなりました。これは藤原氏への牽制という側面もあったようです。宇多天皇が醍醐天皇に譲位した後も昇進を続けましたが、道真が中央集権を主張したのに対し、朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反撥が表面化するようになりました。右大臣にまで昇りましたが、家格を超えた昇進として妬みを買ったようで、醍醐天皇を廃立して道真の娘が妃となっている斉世親王を皇位に就けようと謀ったと誣告されて大宰員外帥に左遷されました。長男の高視を初め、子供4人も流刑に処されました。この事件(昌泰の変)については、左大臣藤原時平の陰謀とする説から、宇多上皇と醍醐天皇の対立が実際に存在していて、道真が巻き込まれたとする説まで諸説あります。

天神菅原道真 

 その道真が幼少の子供二人を連れて太宰府に流されてくるのですが、太宰府の長官(帥)の官位相当は従三位なのに、道真はそれを越える従二位というとんでもない高官。「員外帥」ということで当然実権は全くないし、政務に関わることも許されませんが、貴人だからぞんざいに扱うこともできません。当時帥は空位で、太宰府を仕切っていたのは次官である太宰大弐に就任している小野葛絃(くずお)ですが、大弐の官位相当は正五位上。位は懸絶しています。

太宰府跡 

 しかもやってきた道真はほとんど半狂乱状態。突然の失脚といい、護送中の扱いの悪さといい、そうなっても仕方がないかも知れませんが、インテリ学者の面影もありません。とりあえず暇そうにしている太宰少典の龍田穂積(ほづみ)を相手役にあてがったりしましたが、全然役に立ちません。

小野小町カード 

 道真の気分を変えたのは、小野葛絃の姪である恬子(しずこ)。25歳の美女ですが、当時25歳といえば姥桜というか行かず後家というか。いや、私がそう思っているのではなく、あくまで当時の時代背景的にです。ところで恬子の祖父、そして葛絃の父に当たるのは小野篁(たかむら)です。従三位の参議にまで昇った人で、小倉百人一首では「参議篁」とされています。政務能力に優れ、漢詩では屈指の詩人で和歌にも秀で、書も天下無双と呼ばれる才人でしたが、反骨精神に富み、「野狂」と称されました。

小野篁 

 篁は日中は朝廷で働きましたが、夜は地獄で閻魔大王の補佐をしていたという逸話があり、東山の六道珍皇寺が出入り口だったとされています。また若い頃遣唐使に任ぜられていますが、それを知った白居易は篁に会うのを楽しみしていたといいます(結局は行けませんでしたが)。

小野篁カード 

 なお、息子の小野葛絃はWikipediaに独立記事を載せて貰えない程度で、太宰大弐で終わったぱっとしない人でしたが、その子はさすが篁の血を引くと言いたくなります。つまり小野好古と道風です。好古は天慶の乱を起こした藤原純友を追討し、従三位参議にまで昇って小野家を復活させ、道風は能書家で、中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物と評され「三蹟」の一人と称されています。俗では、花札の11月(雨)で柳に飛びつこうとする蛙を見ている貴族の絵柄が道風です。

花札の雨 

 恬子はその好古、道風の従姉妹ということになりますが、何と実は六歌仙の紅一点・小野小町その人なんです。小町の詳しい系譜は不明ですが、数々の資料や諸説から小町の生没年は天長2年(825年)- 昌泰3年(900年)の頃と想定されるため、これが正しいとすると小野篁の孫とするには年代が合わず、道真の太宰府左遷時にはもう故人となっていることになってしまうのですが、そこはまあ小説なんで大目に見ましょう。

小野小町20170121 

 太宰府は大陸に近く、交易の中心ということもあり、舶来品もそんなに珍しくないという土地柄。貿易商の店に行くと様々な舶来品があるのですが、足りないのは目利き。目利きがいないと粗悪品を高値で買ってしまったりする訳ですね。そして道真は高い教養と京都で様々な本物の逸品を見てきた人。目利きには最適ということで、身分を隠して働き始め、新たな生きがいを見いだして行きます。

古書店 

 古書の世界には「せどり」というのがあります。辞書では「競取り」という漢字が当てられており、本来は“”同業者の中間に立って品物を取り次ぎ、その手数料を取ること。また、それを業とする人”というブローカーを指す言葉でしたが、一般的には「掘り出し物を第三者に販売して利ざやを稼ぐ」商行為を指します。特に古書分野においては、「古書店等で安く売っている掘り出し物の本を買い、他の古書店等に高く売って利ざやを稼ぐ(転売)」ことを指します。

骨董品店 

 この競取りは舶来品とか骨董品の世界でも可能で、要するに目利きの人が、目利きでない店に行って掘り出し物を見つけて安く買い、目利きの店に持っていって高く買って貰うということをすれば、利ざやが稼げる訳ですね。道真なら容易いことです。

会計検査院 

 そんな中、太宰府の会計に不正発覚。京都から来た算士(会計士みたいなもの)が数年に亘って巨額の横領を行っていました。正直に言うのが一番いいと思うのですが、責任者である太宰大弐の小野葛絃の経歴に傷が付くということで、なんとかばれずに収めようとします。そこで道真が一肌脱ぐことになります。

菅原道真カードその2 

 競取りで稼ぐのか?と思いきや、もっと思い切ったことをやる道真。なんと高価な舶来品を自ら作ってしまうという。しかし一見無謀ですが、なにしろ当代きっての教養人である道真が本気でやるのですから。

雷神道真 

 そんなこんなで太宰府で新たな生き方を見いだして行く道真ですが、残念ながらそれから1年半ぐらいで亡くなってしまうのですよね。本書ではそこまで描かれていませんが、享年59歳。

日本三大怨霊 

 菅原道真といえば天神様、ということで、太宰府天満宮とか北野天満宮で祀られて、今では学問の神様となっています。しかし、本来は日本三大怨霊の一角だったんですよね。三大怨霊は道真の他、平将門と崇徳天皇なんですが、一番古いのが道真です。

平将門カード 

 道真死後、政敵だった左大臣藤原時平が909年に39歳で病死したのを始め、失脚に関わったとされる人々が次々と亡くなっていきます。さらには930年、朝議中の清涼殿に落雷があり、道真失脚に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出ました。おまけにそれを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御してしまうという。道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行い、流罪にされていた道真の子供たちも赦免されて京に呼び返されました。

雷神と化した道真 

 清涼殿落雷事件のため、道真の怨霊は雷神と結びつけられ、以後百年ほどは、大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられました。道真を天満宮の「天神様」として信仰する天神信仰は全国に広まり、災害の記憶が風化するに従い、道真が生前優れた学者・詩人であったことから、雷神から学問の神として信仰されるようになっていきました。

将門の首塚 

 平将門は神田明神などで祀られていますが、大手町にあって今なおはばかられている首塚(ビル街の一角にあっても、隣接するビルで働いている会社員達は、首塚にお尻を向けないように座っているとか)があったりして怨霊としてはまだまだ現役です。そして崇徳天皇に至っては「我、日本国の大魔王となり、天皇家を呪う」というとんでもない宣言をしたことから、日本最大の怨霊として怖れられ、明治維新にあたっては、崇徳天皇の御霊を四国から京都の白峯神宮に移し、国家の守り神として奉るということをしています。

白峯神宮 

 人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本独自の信仰が「御霊信仰」ですが、天変地異を勝手に怨霊と結びつけているという感じもあったりして。崇徳天皇も「今鏡」なんかではそんなに恨みを持っていたようには描かれていませんし、災害やら社会不安やらの原因として勝手に決めつけられてしまったのかも知れません。落語の「崇徳院」は崇徳天皇の上皇時代の和歌「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」の歌を題材にしたものですが、直接ネタにしている訳ではないとはいえ、落語に使われても特に祟りがあったという話はないので、いずれにせよ一般ピープルは特に怖れる必要はないと思われます。

崇徳院カード 

 話は戻りますが、物語に登場するもう一人の有名人、恬子こと小野小町も、長年宮中に出仕していたものが、仕えていた姫が亡くなったことで世をはかなんで叔父を頼って太宰府に来ていたのですが、新しい道を見つけつつある道真を見て、自分も踏ん切りをつけようと生まれ故郷である出羽国に旅立ちます。伝承によると秋田県湯沢市で生まれたそうで、晩年もそこで過ごしたとする言い伝えがあるそうです。お米の「あきたこまち」もこれに由来しているのでしょうが、実は小野小町の生誕地は他にも沢山あって、京都説福井説福島説熊本説神奈川説と各地に点在しています。

壇蜜のあきたこまち

 ずいぶん昔に読んだ筒井康隆の短編「雨乞い小町」では、在原業平や良岑宗貞(僧正遍昭)、文屋康秀といった六歌仙連中とつるんでだべっていた小町ですが、なぜか大伴黒主だけは仲間外れにされて馬鹿にされていましたっけ。古今和歌集の仮名序で「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と評された作風が性格に反映しているのかな?未来からやってきた「星右京」の名が笑わせます。
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